昨日から、東京(関東甲信地方)は梅雨に入りました。
そして久々の投稿は、妻を亡くした一人暮らし爺さんの
湿っぽい話?です(ネタにしてきた蓉子も、許せ!)。
我が女房は、昨年末の12/27(金)、
世間では仕事納めとなる日の早朝に
ゴミ出しと軽い散歩に出て…
持ち前の「おっちょこちょい」全開で、
マンション前で見事に転倒して頭を打ち、
(救急車内で少し私と言葉を交わせたものの)すぐに昏睡状態。
そのまま年を越して1週間… 1/3(金)に亡くなりました。
あれから5か月と少し。
ほぼ家族だけのお葬式や四十九日、納骨、
自宅へお友達がお線香をあげにきてくださったり、
相続事務のいろいろもあって…
もう一年以上前のことのような、
まだ数週間前の気もする不思議な感覚です。
病院のベッドに眠ったまま横たわる妻は、
指先のネイルデザインが、場違いに綺麗でね。
そもそも、なぜマンション前での事故だったのか。
それには、引越しが関係しておりまして…
私たち夫婦は、東京都の隅っこ(練馬区上石神井)に
広めの庭付き3階建を持って暮らしていました。
娘と息子も大きくなり、何年か先には
養老系のホームにお世話になるかもしれないことも想定。
「3階建の自宅」と「施設」の中間にあたる
(「つなぎ」のような)賃貸マンション暮らしを決意しました。
年に何度か植木屋さんに入ってもらう手間も大変ですし、
「2階3階への階段を、いつか踏み外す恐れも怖いからねー」
などと妻と話して。
それがなんと、せっかく平たいマンションに越してきて
その目の前でコケてしまう冗談のような展開。
人生はわからないものです。
妻は63歳で逝き、68歳の私が取り残されました。
マンションへの移住には、老後のフェイドアウトに加え、
思い切った「断捨離計画」もありました。
贅沢に収納がある一戸建ては、
悪く言えば捨てられない荷物を抱えた倉庫になっていく。
人生あと何年、何十年か。
「シンプルに生きよう」と妻と話したのです。
山のような洋服、バッグ、資料、本、食器、写真アルバム、
無駄にある文房具なんて物まで…
何が本当に必要で大切なのか。
まだ元気なうちに、思い切って絞り込んで暮らしてみようと。
まぁ「あれがない!」と困ったら、
しばらくはキープする3階建の家に取りに戻ればいいやと。
まだ独身の息子が管理人を兼ねる巨大なトランクルーム!
それでも、タクシーで30分もかからない家に
荷物を取りに帰ることはほぼなく、
1年を過ぎて妻は亡くなりました。
いまいる、このマンションの間取りは、
ウオークインクローゼットを含めて88平米。
2LDKで全室にバルコニーがあります。
夫婦二人には十分な広さながら、
当初は「ここにはもっと私のものを入れたい」などと
スペース取りはあったものの、かなり物は絞っていた。
さらに妻が亡くなり、洋服は大幅に処分。
一部は娘が引き取りましたが、私は古着屋さんや
個人オークションに売る気もなく燃えるゴミで処分。
(こういう所は、私はやたら割り切るのです。苦笑)
妻はファッション系の文章も書いていたジャーナリストだったので、
それなりのブランド物もあったんですけどね。
で、クローゼットが空き、
これを機会に、さらに捨てるものを吟味して…
そもそも「モノ少なめ」だった室内から、ひと一人が
(つまりは生活者の2分の1が!)減ったわけです。
もちろん、共有のものもたくさんあるけれど、
妻のおかずでいっぱいだった冷蔵庫に、
好きなだけ缶ビールを入れられる。
狭かったダブルベッドも、こんなに広かったかって…
寝返りグルングルンできます。
ガラーンとしたマンションの空間。
妻はフリーランスとはいえ外出先での打ち合わせが多く、
私は自宅での作業が日常だったので一人は慣れていますが、
夕食時になっても夜になっても妻は帰ってこない。
あれー、また取材でパリからの帰りが遅れたかも…
などと、いまだに思ったりもします。
それでも、写真立ての妻は、
「何言ってんのよ、余裕があっていいじゃない」と、
笑って語りかけてきます。
皆様からは、残された私への気遣いをいただける一方、
「案外元気そうですね!」とも言っていただけて
(はい、ほんとに!)こんな投稿もできております。
いつでもみなさん、来てくださいね。
中央線と丸ノ内線「杉並区荻窪駅」の北側です。
今日も、思い出日記のような投稿にお付き合いくださり、
ありがとうございます。
そして久々の投稿は、妻を亡くした一人暮らし爺さんの
湿っぽい話?です(ネタにしてきた蓉子も、許せ!)。
我が女房は、昨年末の12/27(金)、
世間では仕事納めとなる日の早朝に
ゴミ出しと軽い散歩に出て…
持ち前の「おっちょこちょい」全開で、
マンション前で見事に転倒して頭を打ち、
(救急車内で少し私と言葉を交わせたものの)すぐに昏睡状態。
そのまま年を越して1週間… 1/3(金)に亡くなりました。
あれから5か月と少し。
ほぼ家族だけのお葬式や四十九日、納骨、
自宅へお友達がお線香をあげにきてくださったり、
相続事務のいろいろもあって…
もう一年以上前のことのような、
まだ数週間前の気もする不思議な感覚です。
病院のベッドに眠ったまま横たわる妻は、
指先のネイルデザインが、場違いに綺麗でね。
そもそも、なぜマンション前での事故だったのか。
それには、引越しが関係しておりまして…
私たち夫婦は、東京都の隅っこ(練馬区上石神井)に
広めの庭付き3階建を持って暮らしていました。
娘と息子も大きくなり、何年か先には
養老系のホームにお世話になるかもしれないことも想定。
「3階建の自宅」と「施設」の中間にあたる
(「つなぎ」のような)賃貸マンション暮らしを決意しました。
年に何度か植木屋さんに入ってもらう手間も大変ですし、
「2階3階への階段を、いつか踏み外す恐れも怖いからねー」
などと妻と話して。
それがなんと、せっかく平たいマンションに越してきて
その目の前でコケてしまう冗談のような展開。
人生はわからないものです。
妻は63歳で逝き、68歳の私が取り残されました。
マンションへの移住には、老後のフェイドアウトに加え、
思い切った「断捨離計画」もありました。
贅沢に収納がある一戸建ては、
悪く言えば捨てられない荷物を抱えた倉庫になっていく。
人生あと何年、何十年か。
「シンプルに生きよう」と妻と話したのです。
山のような洋服、バッグ、資料、本、食器、写真アルバム、
無駄にある文房具なんて物まで…
何が本当に必要で大切なのか。
まだ元気なうちに、思い切って絞り込んで暮らしてみようと。
まぁ「あれがない!」と困ったら、
しばらくはキープする3階建の家に取りに戻ればいいやと。
まだ独身の息子が管理人を兼ねる巨大なトランクルーム!
それでも、タクシーで30分もかからない家に
荷物を取りに帰ることはほぼなく、
1年を過ぎて妻は亡くなりました。
いまいる、このマンションの間取りは、
ウオークインクローゼットを含めて88平米。
2LDKで全室にバルコニーがあります。
夫婦二人には十分な広さながら、
当初は「ここにはもっと私のものを入れたい」などと
スペース取りはあったものの、かなり物は絞っていた。
さらに妻が亡くなり、洋服は大幅に処分。
一部は娘が引き取りましたが、私は古着屋さんや
個人オークションに売る気もなく燃えるゴミで処分。
(こういう所は、私はやたら割り切るのです。苦笑)
妻はファッション系の文章も書いていたジャーナリストだったので、
それなりのブランド物もあったんですけどね。
で、クローゼットが空き、
これを機会に、さらに捨てるものを吟味して…
そもそも「モノ少なめ」だった室内から、ひと一人が
(つまりは生活者の2分の1が!)減ったわけです。
もちろん、共有のものもたくさんあるけれど、
妻のおかずでいっぱいだった冷蔵庫に、
好きなだけ缶ビールを入れられる。
狭かったダブルベッドも、こんなに広かったかって…
寝返りグルングルンできます。
ガラーンとしたマンションの空間。
妻はフリーランスとはいえ外出先での打ち合わせが多く、
私は自宅での作業が日常だったので一人は慣れていますが、
夕食時になっても夜になっても妻は帰ってこない。
あれー、また取材でパリからの帰りが遅れたかも…
などと、いまだに思ったりもします。
それでも、写真立ての妻は、
「何言ってんのよ、余裕があっていいじゃない」と、
笑って語りかけてきます。
皆様からは、残された私への気遣いをいただける一方、
「案外元気そうですね!」とも言っていただけて
(はい、ほんとに!)こんな投稿もできております。
いつでもみなさん、来てくださいね。
中央線と丸ノ内線「杉並区荻窪駅」の北側です。
今日も、思い出日記のような投稿にお付き合いくださり、
ありがとうございます。