昨日の月曜日と、その前日の日曜日
11/24・25の一泊二日で、
岡山駅と倉敷駅周辺に夫婦で行ってました。
例によって、私の投稿を見てくださる方には
お馴染みの「美術館」がらみのミニ旅行。
我が家の場合、旅行メニューとしては たいてい:
・ホテルはいつも決めている所。
それがない場合は面白そうな新規ホテル。
・美術展や展覧会に絡めていくことが多い。
・一泊か、多くても二泊。
・観光巡りは、無理のない時間と距離の所だけ。
極端に言うと、ホテルと美術館、
その間の電車・バス・タクシーくらいで
帰って来てしまうことさえあります。
(チラと土地の雰囲気を楽しめれば、それで良し。)
定番は:
箱根のハイアットリージェンシーに泊まってポーラ美術館。
京都のACEホテルに泊まって京セラ美術館。
今回の倉敷では、ホテルは開業したばかり
(オープンまだ10日)の宿でしたけど、
110年前に建てられた呉服屋さんの広い敷地を、
日本やヨーロッパで活躍する著名な建築家の方が
柱や梁(はり)も生かしながらリノベーションしたもので、
13部屋しかない趣のある所でした。
そして美術館は、「大原美術館」に二度目。
特別な企画展ではなく、常設展です。
美術館の周辺=誰もがご存知の定番
倉敷駅近くの「美観地区」でお茶して
岡山駅に移り、妻の知り合いのお店と、
「後楽園の庭園」を少し眺めて帰って来ました。
そんな川島家は「美術に造詣が深いか」と言われると、
まーったくそんなことはなく、
東京でもいくらでも大小の美術館があるのに
ほとんど出かけていくこともない。
単に、旅行に行く「きっかけ」として美術展を選び、
ホテルの「建築や内装」もセットで見てくる感じです。
でもね、そろそろ、都内の美術館も、
空いてる時期に行こーかなー、とも思う。
行列してまで(そして人の頭ごしで無理して)
鑑賞したいとは思いませんけど。
東京以外の都市で見る時は、それがちょっと
緩和されていると感じるのは、思い過ごしでしょうか。
さて、今回の倉敷市・大原美術館は、
私は2度目の訪問で、前回は5年前くらい。
情けなかったのは、
すっかり「前回見た絵」を忘れていること。
多少の絵の掛け替えはあると思いますが、
常設展だったし「目玉」となる絵、
例えばモネの睡蓮とかピカソは変わらないでしょうから。
そんな著名な絵画さえ、そこで見たことを忘れている。
小説や映画のストーリーや場面を思い出せないのと
同じかもしれませんけれど、
自分の記憶力(の無さ)に愕然とします。
そして、記憶力はもちろん、そもそも
「ちゃんと見ていない」のだろうなーとも思う。
今日の投稿タイトルは「絵画を見る速度」としましたが、
通り過ぎる速さとか、見ている時間の早さ(長さ)とか、
離れて見る距離の具合とかね。
きっと、「鑑賞法」てな検索をすると
「アドバイス」が色々出てくるかもしれませんが、
ほんと「見ている気になっているだけで見ていない」事実。
とはいえ、一瞬で「わーっすご」「なにこれ」「綺麗」と
(嫌な絵だなーと思うことも含めて)感じる事は貴重で、
いちいち「絵の横の小さな解説文」を見ることで
理屈で分かった気になるのがいいとも思えない。
それでもね、もう少し「緩めよう」
=「見方のペースダウン」をしようかなと…。
自分の少ない脳みそのキャパシティーを超えて、
絵を「見た気になる」のは、やめようと。
そんなわけで最近は、
(ほんと、視力も感性も体力も落ちていくわけだし…汗)
「その建物にある絵を、全て鑑賞しよう」などとは思わず、
さーっと全体を眺めながら、
特に自分が「目についた絵」の前では意識して立ち止まり
(できればソファがあれば腰掛けて)眺めるようにしています。
1点でも2点でも「今日、どんな絵と出会えたか」。
またの再会の時、
会場が違っても「また会えたね」と思えるか。
繰り返しになりますけど、
近場の常設展にもね、行く機会を作ろうと考えました。
今日のテーマは「絵画を見る速度」。
(速さ、早さ /見る、視る、観る/距離/目、頭、心、体etc)
そして、意識と細胞に影響を与える「移動の速度」は、
東京・岡山間の新幹線、3時間15分の旅でございました。
11/24・25の一泊二日で、
岡山駅と倉敷駅周辺に夫婦で行ってました。
例によって、私の投稿を見てくださる方には
お馴染みの「美術館」がらみのミニ旅行。
我が家の場合、旅行メニューとしては たいてい:
・ホテルはいつも決めている所。
それがない場合は面白そうな新規ホテル。
・美術展や展覧会に絡めていくことが多い。
・一泊か、多くても二泊。
・観光巡りは、無理のない時間と距離の所だけ。
極端に言うと、ホテルと美術館、
その間の電車・バス・タクシーくらいで
帰って来てしまうことさえあります。
(チラと土地の雰囲気を楽しめれば、それで良し。)
定番は:
箱根のハイアットリージェンシーに泊まってポーラ美術館。
京都のACEホテルに泊まって京セラ美術館。
今回の倉敷では、ホテルは開業したばかり
(オープンまだ10日)の宿でしたけど、
110年前に建てられた呉服屋さんの広い敷地を、
日本やヨーロッパで活躍する著名な建築家の方が
柱や梁(はり)も生かしながらリノベーションしたもので、
13部屋しかない趣のある所でした。
そして美術館は、「大原美術館」に二度目。
特別な企画展ではなく、常設展です。
美術館の周辺=誰もがご存知の定番
倉敷駅近くの「美観地区」でお茶して
岡山駅に移り、妻の知り合いのお店と、
「後楽園の庭園」を少し眺めて帰って来ました。
そんな川島家は「美術に造詣が深いか」と言われると、
まーったくそんなことはなく、
東京でもいくらでも大小の美術館があるのに
ほとんど出かけていくこともない。
単に、旅行に行く「きっかけ」として美術展を選び、
ホテルの「建築や内装」もセットで見てくる感じです。
でもね、そろそろ、都内の美術館も、
空いてる時期に行こーかなー、とも思う。
行列してまで(そして人の頭ごしで無理して)
鑑賞したいとは思いませんけど。
東京以外の都市で見る時は、それがちょっと
緩和されていると感じるのは、思い過ごしでしょうか。
さて、今回の倉敷市・大原美術館は、
私は2度目の訪問で、前回は5年前くらい。
情けなかったのは、
すっかり「前回見た絵」を忘れていること。
多少の絵の掛け替えはあると思いますが、
常設展だったし「目玉」となる絵、
例えばモネの睡蓮とかピカソは変わらないでしょうから。
そんな著名な絵画さえ、そこで見たことを忘れている。
小説や映画のストーリーや場面を思い出せないのと
同じかもしれませんけれど、
自分の記憶力(の無さ)に愕然とします。
そして、記憶力はもちろん、そもそも
「ちゃんと見ていない」のだろうなーとも思う。
今日の投稿タイトルは「絵画を見る速度」としましたが、
通り過ぎる速さとか、見ている時間の早さ(長さ)とか、
離れて見る距離の具合とかね。
きっと、「鑑賞法」てな検索をすると
「アドバイス」が色々出てくるかもしれませんが、
ほんと「見ている気になっているだけで見ていない」事実。
とはいえ、一瞬で「わーっすご」「なにこれ」「綺麗」と
(嫌な絵だなーと思うことも含めて)感じる事は貴重で、
いちいち「絵の横の小さな解説文」を見ることで
理屈で分かった気になるのがいいとも思えない。
それでもね、もう少し「緩めよう」
=「見方のペースダウン」をしようかなと…。
自分の少ない脳みそのキャパシティーを超えて、
絵を「見た気になる」のは、やめようと。
そんなわけで最近は、
(ほんと、視力も感性も体力も落ちていくわけだし…汗)
「その建物にある絵を、全て鑑賞しよう」などとは思わず、
さーっと全体を眺めながら、
特に自分が「目についた絵」の前では意識して立ち止まり
(できればソファがあれば腰掛けて)眺めるようにしています。
1点でも2点でも「今日、どんな絵と出会えたか」。
またの再会の時、
会場が違っても「また会えたね」と思えるか。
繰り返しになりますけど、
近場の常設展にもね、行く機会を作ろうと考えました。
今日のテーマは「絵画を見る速度」。
(速さ、早さ /見る、視る、観る/距離/目、頭、心、体etc)
そして、意識と細胞に影響を与える「移動の速度」は、
東京・岡山間の新幹線、3時間15分の旅でございました。