昨日から続く、長いタイトルと音楽ネタです。
大学(早稲田大学商学部)に、
付属高校(早稲田大学高等学院)から
ストレートで上がったものの…
「4年時」の就職活動がうまくいかず
(加えて、広告仕事の職種もよくわかっておらず)
結局「意図的留年」で5年生になりました。
授業は2つほど出れば良かったので、
夕方から「コピーライター養成講座」に通うことに。
それが私の方向を決めましたね!
大学では、クラスでもクラブでもゼミでも、
仲が悪かったわけではありませんけど、
「コピー講座」に行ったら、講師はもちろん
来ている生徒たちと ものすごく仲良くなった。
共感した。
大学では、一部の人を除いて、
音楽とか芸術とか服とか流行とか… の話が
できなかったのが、「コピー講座」の人たちとは
「そうだそうだ!」と、ドライブがかかっていった。
ダイアー・ストレイツ(イギリスのロックバンド)の
デビュー・シングル「悲しきサルタン」(1978年)
を聞いたのが、たぶん1979年。
私が1980年に「5年生新卒」として就職する※
1年前のことです(6年間勤務)。
※第一企画(DIK)=その後 アサツー(旭通信社)と
合併してアサツーディ・ケイ(ADK)になっています。
「悲しきサルタン」が流れていた喫茶店は、
コピー講座のあとに講師や生徒と良く行った
銀座のルノアール。
(さらに、有楽町ガード下でもよく飲んだなー!)。
一聴して「ボブ・ディランか?」と思った。
でも、違うな。
「エリック・クラプトン風?」とも。
渋い、でも軽快で すごく特徴的な
曲、ギター、ヴォーカル。
いまでも「悲しきサルタン」を聴くと、
そして「ダイアー・ストレイツ」を耳にすると、
広告クリエイターを目指した、
銀座のカフェが思い出されます。
大学(早稲田大学商学部)に、
付属高校(早稲田大学高等学院)から
ストレートで上がったものの…
「4年時」の就職活動がうまくいかず
(加えて、広告仕事の職種もよくわかっておらず)
結局「意図的留年」で5年生になりました。
授業は2つほど出れば良かったので、
夕方から「コピーライター養成講座」に通うことに。
それが私の方向を決めましたね!
大学では、クラスでもクラブでもゼミでも、
仲が悪かったわけではありませんけど、
「コピー講座」に行ったら、講師はもちろん
来ている生徒たちと ものすごく仲良くなった。
共感した。
大学では、一部の人を除いて、
音楽とか芸術とか服とか流行とか… の話が
できなかったのが、「コピー講座」の人たちとは
「そうだそうだ!」と、ドライブがかかっていった。
ダイアー・ストレイツ(イギリスのロックバンド)の
デビュー・シングル「悲しきサルタン」(1978年)
を聞いたのが、たぶん1979年。
私が1980年に「5年生新卒」として就職する※
1年前のことです(6年間勤務)。
※第一企画(DIK)=その後 アサツー(旭通信社)と
合併してアサツーディ・ケイ(ADK)になっています。
「悲しきサルタン」が流れていた喫茶店は、
コピー講座のあとに講師や生徒と良く行った
銀座のルノアール。
(さらに、有楽町ガード下でもよく飲んだなー!)。
一聴して「ボブ・ディランか?」と思った。
でも、違うな。
「エリック・クラプトン風?」とも。
渋い、でも軽快で すごく特徴的な
曲、ギター、ヴォーカル。
いまでも「悲しきサルタン」を聴くと、
そして「ダイアー・ストレイツ」を耳にすると、
広告クリエイターを目指した、
銀座のカフェが思い出されます。