小さな広告屋から@川島CD

旧名【表参道の小さな広告屋から】: 表参道で1997年にスタートした(株)リプル:RIPPLE Inc. Tokyo Creative AgencyのBlogは、 2016年初頭から川島のホーム・オフィス「練馬区上石神井」→ さらに2023年末からは「杉並区荻窪」へ。2025年春、タイトルも【小さな広告屋から@川島CD】に変更。Facebookも同時掲載です。

いろいろ雑談

ここまで薄っぺらい外食はなー。

某ファミレスに行った時に思ったことです。

いろんな業態を展開している大手グループの、
とある「中華系ファミリーレストラン」。

少し批判的な物言いにはなりますが、
「なんでこうなるんだろーなー」という考察を含めて。

はい、私自身ファミレスはよく利用します。
なにせ机が広い、飲み放題のドリンクバーはある
(私はそんなに飲みませんけれど!)

お茶や食事はもちろんのこと、
一人でキーボードを叩くにも、打合せするにも、
机が二人分の飲み物でいっぱいになるような
狭い喫茶店やカフェより、よっぽどありがたい存在です。

そんな中で、普段あまり入っていなかった
「中華系ファミレス」へ久しぶりに行ったわけですが…

少食の私としては、お酒が飲めて
(昭和のおっさんだから、まずはビール!
あとはワインや紹興酒ね)小皿料理をつまめれば十分。

その意味では、
小籠包のような文化もある中華ファミレスは、
私に合っているとも言えるわけです。

でもねー、ダメだわ。
何度か行ってみた経験から、満足度は低い。

●料理の特性なのか、店全体の空調が関係するのか、
机も椅子もメニュー表も
(なんとなく)油っぽくてベタベタしている。

●飲み物が薄い!うす味好みの私とはいえ、
生ビールも紹興酒も薄いーーーーーー。

ビールは通常、
お店によって品質に差が出る生ビールより、
瓶ビールを頼んでいる私ですが、
こういう店に限って置いてある瓶は大抵
アサヒスーパードライで、なんとも好みではない!
(キリンかサッポロが希望なんですけどね)。

●料理も、やたらと小さい。
一人飲みに最適な「餃子3個」なんてうれしいメニューが
あったものの、一つひとつがあまりに小さい薄っぺらい。
北京ダックの小皿も頼みましたが、これも寂しい量。

いつも、「量が大過ぎ!」と文句言っている
一人飲み爺さんの私でさえ、この感触。

そう、何もかもが小さくて薄っぺらいのですよ。
経費削減の舞台裏まで、もろに見える!?

「これなら居酒屋に入った方がいいや…」と思う。
居酒屋も個人店から大手チェーンまで、千差万別ですけれど。

この投稿を見て、不快に思う方もいらっしゃるでしょうね。
爺さんが生意気に、レストラン批判をしている。
大衆的な飲食店を、蔑んで(さげすんで)いると。

全面的に反論はしませんし、
これからも便利に使わせてもらう機会があると思うものの、
なんでしょうね、この「ペラッペラな薄さ」。

注文も極力、各人の机のタブレット端末。
座る席も、入り口の「機械の発券」で
有無を言わさず(苦笑)自動で指定された。

もちろん、「猫型配膳ロボット」も動いています。
最近、途中で他のお客さんが料理を取ってしまった、
なんてニュースも話題になりましたね。

いろいろと効率化して価格を抑え、
誰もが入りやすいお店を模索しているのはわかります。
(店員さんの人手不足という切実な背景も!)

こうした店を便利に使うお客様も大勢いるわけですが、
ギリギリ「これを出しておけばいいだろう」的な、
薄さ(削減具合)が見え見えのメニューと運営。

こういう投稿をすると、
「だったらあんたは行かなければいいだろう」
という批判コメントがありがちですけれど、
日常の風景を「考えてみること」「疑問を持つこと」は
許される行為と思うのですね。

建築で言えば、いまどき職人さんの手による
「漆喰(しっくい)の壁」と「本物の木材」…
なんて贅沢は言えないのはわかる。でも、
何でもかんでもペコペコ・ペラペラのベニア板と
ビニールシートを貼ればいいってもんじゃないだろうと。

何かしらそこに、店主や運営会社の
「思い」のようなものが見えたら、
低価格のファミレスでも愛用したくなるものです。

本日は、ファミレスは便利だけれど、
店舗も料理も、注文システムも…
あまりにペコペコ・ペラペラなハリボテが
「見えてしまう店」は「味気ない」、という感想でした。

タワマンって、そんなにいいんですかね〜。

タワマンは、果たしてそんなに嬉しがるものなのか。
という、明らかに川島は
「タワマンに興味はない・否定的」な雰囲気がぷんぷん。

例によって、どうして私は「それ」に懐疑的なのかを、
少し頭と言葉の整理をして伝える投稿。
そんなシニカルな内容でも、
読んでくださる方、ありがとうございます(笑)。

「タワーマンション」を略して「タワマン」。
いかにも和製英語ですね。

なんかイケメンにも似ていて… これも大嫌いな響きですが、
「イケてるメンズ=男性」なんですかね。
調べたら、イケメンのメンは「お面」のメン、
つまり顔立ち・面(つら)構えという意味もあるそうです。

さて、タワマンに住むイケメン(笑)。
確かにブイブイ言わせている若手ベンチャー経営者は、
イケメンでタワマンぽい。駐車場には輸入高級車?

さらに、タワマンを英語で言うなら
high-rise condominiumや、tower apartment。
そもそも、マンションってカタカナが、
英語の高級なニュアンスとは大きく違うらしいです。

私が住んでいる、高級でない築30数年の賃貸住宅でも、
カタカナの「マンション」。
部屋は6階建の3階で、とても気に入っています。

古希(70歳)を前にした老人としては、
意識して階段を使い、疲れている時や
重めの荷物を持っている時はエレベーターのお世話になる。

3階は総合的にベストで、
今後も住み替えるなら、3階か2階かな。
ますます老人になっていくことを考えると、
3階をベストとして、4階はキツくなり、2階も候補。

そんな男から見る、タワーマンション。
まぁ、対象外なのでしょうけれど、住みたいと思わない。

「50階建の新築タワーマンションです」
「ほほー、何階にお住まいなんですか」「3階です」
なーんてのも残念だし(笑)。

「眺めが素晴らしい」と言いますが、
目の前にもっと高いのが立つかもしれないしね。

何より嫌なのは:

◎風が強いから洗濯物が干し辛い。
管理規約で、ベランダに干せない物件もある。
私に育てる趣味はないけれど、鉢植えの植物も置けない。

◎エレベーターがなかなか来ない。
乗っても時間がかかる。
忘れものに気付いて取りに帰るなんて一苦労。

◎住民とエレベーターでジトーっと一緒になり、
その長い時間が気まずくなる。

◎さらに、部屋のドアまで来なかった宅配荷物を、
エレベーターで上げなければならない。

◎生ゴミの入ったゴミ袋だって、
洋服や布団のクリーニング出しだって、同じこと。

※宅配便やゴミ出しは、階の途中にも拠点を設ける
「高級・高層」マンションもあるようですね。

◎構造や立地にもよりますが、地震の揺れが大きい恐れ。
いったん、エレベーターが止まってしまったら悲惨。

◎火事だって怖い。
当然、高層階には梯子車なんて届かない(汗)。
スプリンクラーとか、いろいろ対策はしてるでしょうけど。

◎小さなお子様がいる家庭は、エレベーターやベランダが心配。

◎大人数ゆえの、管理組合のまとまりのなさ。

◎そしてそして、もちろん高額。
いくら夫婦でペアローンを組むにしても大変です。

etc.

結局、売却の投資目的もあるでしょうし、
ちょっと(かなり!)贅沢な暮らしや、
便利さそのものにお金を払っている部分も大きいか。
(我が家でも、階段降りて徒歩30秒でコンビニですけれど!)

その他、タワマンを肯定的に考えれば、
空に向かった「縦型の街」の中に、
「自分達の部屋がある」ような感覚。

カフェもレストランも、コンビニも大型スーパーも、
クリーニング店やスポーツジム、来客や趣味のラウンジも…。

でも、私としては、
縦に移動するのではなく、横に歩いていけばいいや、
横に歩きたいです!

住まいは、いまのように小ぶりなマンションの
2〜3階あたり。階段でも上がれて、
管理人さんとも顔馴染みで… という状況がベスト。

一方、旅行で(国内でも海外でも)
街を見渡せる高めの階数に泊まるのは、
楽しいことだと思っています。それでも、想像するに…
あんな高いところに床があって、足の下が膨大な空間で。
毎日はダメだなー。

「ハレとケ」という言葉があります。
民俗学や文化人類学の言葉らしいのですが、
ハレ(晴れ、霽れ)はお祝い事や祭などの「非日常」、
ケ(褻)は普段の生活である「日常」。

ケは、淡々と低くていい。そこに楽しみがある。

あー、タワマン大好きな人にとっては、
あの高いところで暮らすことも、
ちゃんと「ケ」なんでしょうけどね。

私には、毎日が「ハレ」みたいに感じてしまうということで。

投資目的以外で、「タワマン住んでて最高!」の方が
いらっしゃったら、一人暮らしでもご家族でも、
ぜひ教えてください。

行列をしない人生で、いいや。

いきなりですが、私は昔っから「行列」が大の苦手で。

この投稿を「店舗」に例えるなら、
「あんたのそんな話は聞きたくない」と感じる方は、
「川島というお店(小さな広告屋)」の前には
いらっしゃらないでしょうから(笑)。

例によって、自分の考えのまとめとしても
書かせていただきますね。

カフェでも、食事でも、イベントでも。

よほど観念した時… 例えば友人に誘われた
「なんとかランド」の何十分待ちや、
予約していなかった時の「新幹線の券売機や窓口」以外、
私は行列をほぼしません。

行列するような店には、そもそも行かないし、
行列していたら、即 あきらめる。

「もったいない」という人もいるけれど、
私としては… なんなんでしょうねー。

物事への「執着心」が低いんですかね。
ダメならすぐに諦めてしまう。

「別の方向、別の店に行けば良いや」と。

亡くなった妻に
「あなたは、いろいろ調べるのは好きよね」
と言われていたのですが、
「粘り腰」みたいなものとは無縁と思います。
極めて、飽きっぽい。

「並ぶ」という行為の費用対効果・時間効率に加えて、
「じーっとそこにいる」のも苦手。

すでにお話しした覚えがありますけれど、
私は、飛行機や新幹線の座席は、必ず通路側。
奥には座らない、奥は予約しない。

理由は、通路側なら
いつでも立ち上がって、ウロウロできるから。
洗面所に行くのでもないのに、デッキで体操していたり!

カフェの、すみっこの席も選びません。
全体を見渡せる席の方が安心する。

まぁ、ほとんどの皆さんは、
せめて片側だけでも壁で
「こもる」感じが良いのでしょうね。

その心理は、 わからないわけではないけれど、
それよりは「閉塞感」の方がダメ。
「渋滞に巻き込まれた乗用車の中」なんて最悪です!

そして、これは根本ですけれど、
「並んで入るようなお店」は、
座っても「後ろの客」を意識して落ち着かない。
お店の方もてんやわんやですし。

私は、食事にこだわるような味覚は持っておらず、
それより「ゆっくりできる」方がいいやと。

まぁ これ、自分の仕事である広告や販促物の制作で、
「どこまでこだわるか・詰めるか」という話とは
矛盾してくるのですけどね(汗)。

そして、「行列」という言葉からもう一つ、
私がちょっと苦手なものを連想しまして。

私が音声配信しているスタエフ(stand.fm)や、
何人か愛聴しているVoicyで、
「イントロ」のフレーズや自己紹介・番組紹介を、
毎回必ず、長々と語る(それをスタイルにしている)方が
いらっしゃいます。

ほぼ毎日 配信している方にこそ多い。
それこそ、すぐに本題に入ればいいのに。

きっと「音声配信はラジオのようなもの」だから、
そこには「ステーションコール=毎回の番組紹介」の
ようなものが必要… とお考えなのでしょう。

もし、広告スポンサーがついていれば、
イントロの自己紹介・番組紹介とともに
「この番組は、いつもニコニコ・明朗紹介、
不動産の川島エステートの提供でお送りします」なーんて
台詞も読み上げたいくらいかな。

その雰囲気は、なんだかいつも同じ定食屋さんに、
職場の同僚と並んでいる人を思い浮かべてしまいます。

いろいろ勝手に、失礼しました。

「身動きが取れない、じっと我慢の行列は苦手」との考察。

よくぞ、ここまで読んでくださって、
並んでくださって、
ありがとうございます!


AIには出せない演劇の空気。

出演する女優さんと知り合ったご縁で、
昨晩、新宿で演劇を観てきたお話です。

舞台には、昔はよく行きましたが、
いまでは数年に一度くらいの頻度になってしまって。

それこそ、1980年代・90年代には(いったい何十年前だ!?)
つかこうへい劇団とか、野田秀樹さんの夢の遊民社とか、
よく観たなー。

夢の遊民社は、最初の頃は稽古場そのままのような
狭い場所に座布団敷いて座り、そこから下北沢に移って、
新宿の紀伊國屋ホールに行き、東急文化村になって
チケットは抽選!みたいな…
どんどん大きくなり、舞台美術や衣装に著名人がつくなど、
まさに「出世魚」みたいな過程を目撃できました。

きのうお話した、私が青山で独立(広告制作事務所)した時は、
ビルの1フロア違いに夢の遊民社の事務所があって。
そんな偶然も、良い思い出です。

しかし近年は、お目当ての劇団を追いかけたり、
話題作の大ホールではなく、
「お誘い」を受けて観に行く機会がほとんどです。

出演する俳優さんはもちろん、スタッフの方が、
昔からの友人だったり、最近 知り合った方の場合。

何度か書いていますが、
偶然の出会いというのも「必然」と私はとらえていて、
ちょっとでも興味が湧いたら行ってみるようにしています。

今回も、数年ぶりに青山ブックセンター本店を覗く
きっかけとなった、元 国連職員の 萩原 孝一さん
(著書「頭はおかしいけど、氣は確か」 他) の
講演会で知り合った女優さんの出演作。

この半年ほどで1〜2回、軽くご挨拶した程度なのですが、
出演舞台のご案内をいただいたので、出かけて行きました。
(人間関係は、ほんと 数珠繋ぎです!)

場所は、西武新宿駅のそばの
「東急歌舞伎町タワー」にある「シアターミラノ座」。

東京に台風25号が接近する大雨の中、
初めて訪れた場所でしたが、座席数900名ほどの、
2階席や高い位置の横のバルコニー席もあるホールで、
小さすぎず 大きすぎず、舞台との一体感がいい感じ。

劇のタイトルは
「スクラップ アンド コーラス - 君が灯したメロディー」。

工場地帯にある、廃校を控えた高校に来た男性教師が、
生徒たちとコーラスを通じてつながる物語。

… と、勝手に要約しましたけれど、
私には舞台も映画も音楽コンサートも評論できませんし、
今回もそこから感じた雑談に飛びます。すみません!

出演する男女の高校生や先生役は、主役の男性教師を含めて、
私はまるでわかりませんでした(汗)。
調べたら、Hey! Say! JUMPの八乙女(やおとめ)光さん。

脇を固めるベテラン勢は(こりゃわかる!)
南野 陽子さんと片岡 鶴太郎さん。

そして、私がお目当てだったのは(笑)
まだ浅い仲ながら…

片岡 鶴太郎さんの奥さん役で、高校生の母親を演じる
「黒田 こらん」さん。
栄養学にも長けた、素敵な女性です。

※こらんさんと、今回の舞台のご紹介は、欄外にて。

ひねた爺さんである私としては、
青春ドラマに気恥ずかしさを感じる部分もありましたが、
客席の多くを占めた女性の反応を含めて、楽しめました。

終わって、ビルの外に出ても大雨。
それでも一人で飲んで帰る頃には、雨は止んでいて…。

ずぶ濡れのジーンズと同じく、演劇は
改めて「生身と空間」なんだよなー、と思いました。

書籍と本屋さんも、まさに「紙の塊が陳列された空間」。

演劇は、舞台にテロップが流れたり、
各人がヘッドマイクを使用するようになっても、
そこには生身の俳優がいて、その空気が
会場にいる一人ひとりと反応している。

一方、映画は、スクリーンの中に人間がいても、
「生身感」は一気に遠ざかっています。

例えばそこにいるバットマンが、
・人間がビルから本当に宙ぶらりんになっているのか、
・主役の本人なのかスタントマンなのか、
・背景との合成なのか、
・さらに人物自体がCGなのか、
・音声だって、本人の地声を活用した合成かもしれない。

CGなんて言葉も古くなるくらい、

AIで映像そのものを作れる時代になってきた。

そんな中、演劇の舞台には、
AIには出せない「空間と空気」があります。



ちょっと理屈っぽいですが、
スクリーンやテレビ画面の「映画やドラマ」と、
生身の人間が目の前にいる「舞台や音楽ライブ」の差が
大きくなってきて。

生成AIの論争で、
・人間がやるべきことは何か?
・人間の仕事で生き残るものは何か?
なんて話を聞かない日はない昨今ですけれど、
(昨日の「リアル書店」と同様)
「情報」と「その場で体験すること」の違いが顕著になってくる。

以上、
「人とのつながり」がきっかけとなった
青山ブックセンター本店と演劇の舞台のこと。
二日連続で書かせていただきました。

音声配信の方の「スタエフ」200回(昨日)と
201回(本日)を記念する(?) 長めの連続投稿を失礼しました。

*************

【参考サイト】
※黒田 こらんさんページ(所属事務所)
https://www.aoi-co.co.jp/artist/kurodakoran/

※※スクラップ アンド コーラス紹介(所属事務所)
https://www.aoi-co.co.jp/information/156139/

※※※スクラップ アンド コーラス 公式ページ
https://scrapandchorus-stage.com/

草間彌生さんと重ねる:亡き妻の写真。

1年8か月前に63歳で亡くなった妻=川島 蓉子の
思い出となる写真の事を書きます。

私のSNSは、
「誰に会った」「何を食べた」 みたいな
「映える写真」は、ほぼない投稿ですけど、

本日は「草間 彌生(やよい)さんと重ねる、亡き妻の写真」
ということで。
(※写真は、同文のfacebookをご覧ください ↓)

芸術家の草間 彌生 さんが、
8月14日にお亡くなりになりました。
1929年(昭和4年)3月生まれの97歳でした。

私は、香川県直島の「ベネッセハウス ミュージアム」あたりで、
展示作品を拝見したことはありますが、
そんなに詳しくはありません。

年齢的には、亡くなった妻よりも、
私の亡き母に近い大往生なのですが、
妻と重なるのは、草間さんのカラフルな作品の色調と
妻のファッションセンス。

川島蓉子は、流行やファッション、
企業のブランディングなどを取材してきた
編集系のライター兼ジャーナリストでしたが、
私的(プライベート)な写真は、あまり残していません。

取材の際に、インタビュー側として記録された
ポートレートはありますけれど、
普段は写真を撮られることが、そんなに好きではなかった。

そこは、SNS投稿の私とも似ているのですが(苦笑)
一人でも大勢の記念写真でも
積極的に撮ったり撮られたりすることはまれで、

旅行なんかで私がカメラを向けても
「別にいいよー」という感じ。

だから、私と「夫婦二人で」微笑んでいる記念写真は、
めったにないという有様です。

従った、私や家族のカメラロールには、
風景の一部として映り込んだ
「目の前を歩く、後ろ姿の蓉子」なんてのが多い(汗)。

そんな中で、きょうご紹介するのも、
やはり「顔が写っていないながら」
今となっては、とても思い出深い
「パリの草間彌生展」でのワンショット。

日付を見ると、2023年5月。
まだ3年ちょっと前の事ですね。

妻がパリでの取材があり、私もついていった時です。

ちょうど、シャンゼリゼ通りのルイ・ヴィトン本店で、
草間さんの展覧会をやっていた際のスナップ写真。

ビルの中での展示はもちろん、
石造りの建物全体が草間さんの作品で装飾され、
建物の前には、巨大な(それこそ建物と同じ高さの)
草間人形。

ご覧になっていただくとわかりますが、
写真の左手には、巨大な草間人形があって、
右下には、妻がチラと写っている。

その人形や、ビル全体に、
カラフルなドット(丸)があるのですが、
その色合いと、妻の服の色合いがぴったり!

妻は、首にグリーンのショール、
ブルーのポーチと、鮮やかなオレンジのバッグ、
ベージュのコートから見えるロングスカートのレッド。

特に、意図して揃えた訳ではないと思うものの、
グリーン、ブルー、オレンジ、レッド…

あんたは、草間 彌生さんか!?

でも、不思議なことに妻は、
ギラギラ・ハデハデの人ではなかった。

いろんな色を合わせながら、全体のコーディネートの
まとまりには天才的なところがあって、
知人の娘さんに言わせると「いい魔女」風の
自然で品のいいカラフルさがあったと思います。
(夫の私が言うのも、なんだけどね!)

ちなみに、妻の生前も今も、
住まいの色調と家具類は、極めてシンプルです。

そんなインテリアの話も、またしますね。

パリと、草間彌生さんと、妻。

本日は、とてもプライベートながら、
そんな思い出を語らせていただきました。

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※Facebook【草間彌生さんと重ねる:亡き妻の写真】 写真添付あり
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid02HArfd7w9bFvssTWmhCbHYcNsEev1HbK15gEs37ynXWsZNCnrR5mEbcjcVBU7RWsfl&id=100001246147727

照明と視野と出会いと。

不思議なタイトルで失礼します!

約7か月前の「照明 オレンジ化計画」の続きです。
リンクはコメント欄に貼っておきますね。(→※)

その時の話を、ざっくりまとめると、

・自宅の照明を白い「昼光色・昼白色」から、
オレンジ系の「電球色」に変えて、
・さらに天井の蛍光灯をつけるのを極力やめ、
間接照明にした。

という内容でした。

「煌々(こうこう)とした白い明るさ」が、ここ数年、
ほんと嫌になってきたんですよ。

ネットで調べてみたら、歳をとると目が悪くなるので、
「白くて強い蛍光灯を欲する」という傾向がある一方、

私がドライアイで通っている眼医者さんは、
「川島さんは白内障の入口にはいるけれど、まだ大丈夫。
ただし眩しさを過度に感じるようになったら要注意」
とのことなので、
ま、その人の感じ方にもよるかもしれません。

そして、これは文化的・文明的に、
非常に大きなことだと思うのですが、

ヨーロッパの間接照明に比べて、
第二次世界大戦の敗戦後、復興の裸電球に始まり、
「隅々まで白く均質に照らすこと」が
豊かさの象徴のように普及していった日本の照明。

本来、日本の「行燈(あんどん)の光」なんて、
とても良いものでしたのにね。
(イサム・ノグチの「AKARI」シリーズなど、
その光を現代に生かした照明は定番です。)

私は、昭和の高度成長を生きてきて、
いま年齢が古希間近だと言うのに、
均一でぬめっとした「真っ白しろ」の光や空間が
馴染めなくなってきて。

前回の投稿「照明 オレンジ化計画」では最後に、

「見た目の明るさだけでなく、
電球や蛍光灯が発する『波長』や『波動』への反応が
変わってきたのかもしれません。
それは、仕事や人間関係とも、どこか似ている気がして…。」

と終えたのですが、
ここからは物理的考察というより、
ちょっと「運」にも絡むような、心理的な話。

かなり感覚的ですが、
自分では最近「視野が広がってきたかな」と感じていて。

いま、同じ度数に調整した
デザイン違いのメガネを3本掛け替えているのですが、
そんな物理的に良く見えることとは別の、
視界が広がって見える心理的な視野について。

・今まで見過ごしてきたものに目が行くようになったり、
・目に入るものや人との出会いの精度が上がったり。

視界が広がりつつ、とても素直になった感覚。

これまでは、全部に均質に白い光が当たり
(それでなんでも見えているように思えて)
実は全体にぼーっとしていたレベルから、
大切なことに、自然にフォーカスが行く感じ。

「当たり」が増えました。

例えば、初めて参加したパーティで、
見渡して止めた目線の先の相手と目が合って、
すっと会話に入れる… みたいなフォーカス感(笑)。

これ、まさに間接照明ではないけれど、
全体均一ではなく、スポットライトが当たる感覚。

なんでもかんでも目に入り、
やらなければならなかった若い時に比べて、
そもそもの行動範囲と興味が狭くなっただけの、
意固地な爺さんだから感じることかもしれませんけれど!

前回の「照明 オレンジ化計画」の後に、
手元ライト、兼 夜間の柔らかな光として、
ルイスポールセンのパンテラ・ミニの
「オパール・ベージュ」を買いました。

すごく気に入って、
今度は寝室用に「ホワイト」を追加しました。

空間全体を捉えながらも、照明を「絞る」方が、
かえって心が開き、見えてくる不思議。

暗目の部屋で、一人 過ごす夜も楽しいですよー。


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※過去の関連投稿
【照明 オレンジ化計画】 2026/01/29
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55172737.html


運という川は流れている。

8月も、夏も、いよいよ おしまいですね。
時は流れていく。

そんな本日は、
◎運命との付き合い方と、
◎行動するから形になる。… というお話です。

(自己啓発セミナーもどき? いえいえ! 汗)

何事も考えているだけではダメ。
運命の女神には前髪しかないそうで、
「ここで掴まなきゃ、後がない」。

まぁ、そこまで必死になるのは、
かえって悪い気もしますが、
「運に乗る・身を任せてみる」のは、
すごく大切な事だと考えています。

そして、そもそも私は、ものすごく運がいい!

松下(ナショナル/パナソニック)の面接ではかつて
「自分は運が良いか」を聞かれ、
「運が良いと明言した人しか採用されなかった」
という伝説がありますけれど、

私も新卒で、広告代理店ではなく、
松下に行けばよかったと思うほどです。

私の具体的な運の良さとは…。

嫌なことがあろうが(ほとんどないけど!)
失敗と思われることがあろうが、
「結果オーライ」で生きている。

人とのお付き合いも、
そもそも社交的な方ではありませんが、
数珠繋ぎで良い関係ができている。
出会うべき人と出会っている気がします。

妻との死別とかもあるものの、
それでも私は、めちゃくちゃ幸せで運がいい。

運というものは、
いい具合の水量で「豊かに」流れている時もあれば、
水量が枯渇して「運が向かなかったり」、
いっぽう、濁流になってしまって
「流され翻弄される」ことも、確かにある。

そして、大きな流れは変えられない。宿命というか。

でも、そこにどの程度「浸かる(つかる)」かは
自分の判断ですし、まさに「その時の行動」が
流れをわずかに、でも結果を大きく変える。

小川に石をぽんと置けば、流れは左右に分岐する。
その小さな石が、「自分の意思」なのかもしれません。

少なくとも、川は流れている。
淀んでいるよりは良いです。

流されつつ、どう踏ん張るか。
流されることに、優雅でいられるか。

身を任せつつ、たまに幽体離脱して(笑)、
流されていく自分を眺めてみるのもいいかもしれない。

そして、偶然も必然と楽しむ。腹をくくる。

会いそう(合いそう)でいて、すれ違う人とは、
そういうもんです。

3月生まれの「魚座」ですし、
「川」島という名前も、運命に影響していますかねぇ。

最後は海にドドドッと流れ落ちるのか、
チョロチョロと山の中で消えていくのかはとにかく、

自然体で、流れるままに生きたい。

こうして、最後まで読んでいただいたのも、
あなたの運と行動力?ですかね。
いや、腐れ縁?(笑)。

几帳面なボヘミアン?

私の投稿は、
BlogとFaceBookがまったくの同文。

さらに、音声版のスタエフ(stand.fm ※↓ ) が、
台本に少しのアドリブを交えてのおしゃべり
という立て付けです。

おんなじ内容を3箇所に流す省力化!
良く言えば「同コンテンツのマルチプラットフォーム」。

そして、その中身も、
「小さな広告屋から」というタイトルながら、

笑えたり、勇気を与えたり、
月に数万・数百万の収入が入ってくる
マーケティングノウハウ
なんてものは、まーーーるでありません。

ほぼ、自分が身の回りで感じることを、
読者や視聴者に語りかけつつ、結局は
「自分の頭の整理と、備忘録」のように活用している
配信でございます。

何が面白いんだか… と、少し謙遜して言いますが(笑)

それでも定期的に読んでくださる方もいて、
本当にありがとうございます。

本日は、その真髄とも言える自分語り(=自己分析)で…

やたら几帳面で、神経質で、凝り性に思われる私が、
「ボヘミアン」という単語(意味)に あらためて再会し、
「あー、自分はボヘミアン的に生きたいんだ」
と思った話です。

そう、ボヘミアンの意味をネットで調べると:
「ボヘミアン」は中央ヨーロッパに存在した
ボヘミア王国(現在のチェコ西部)に由来する言葉で、
そこから「放浪する人」、さらに
「型にはまらず自由に生きる人」という意味にも広がった。

・早朝の会議が苦手とか、
・集団行動が大嫌いだとか、
・1時間も2時間も椅子に座っていられないので
そっと立ってセミナーで注目されるとか、
・カフェをハシゴするとか、
・すぐに別のことに気がいくとか、

ほんと「縛られる」のが大嫌いなんですよ。
ちょい、病的な傾向もあるかもしれません。

そして、「極端に飽きっぽい」と思いきや、
新幹線や、海外への飛行機での移動は
(たびたび立ち上がり、洗面所行きでもないのに
散歩したがるのは変わらないながら)
一種「思考と瞑想の空間」みたいで好きです。

そんな中で考えてみたフレーズが、
きょうのタイトルにした「几帳面なボヘミアン?」。

自分では「十分怠惰」と思っているのですが、
人様から見たら「几帳面」。でも、勝手にしていたい
「流浪(るろう)のボヘミアン」体質!?

「几帳面なボヘミアン」 なんて言うと意味深ですが、
結局は「自分勝手の頑固なマイペース」 ですかね。

血液型判断が科学的かどうかは知りませんが、
「いっけんA型に見えるO型」。

本日も、
自分で考え・整理したことを、
そのままネタにしてしまう投稿を、
読んでくださってありがとうございます。

「誰かが読んでくれる」「聴いてくれる」と思うから、
こうして思考と文章が、それなりに(?)まとまります。

***************************************

※音声配信「小さな広告屋から@川島CD」
スタエフ(&Spotify/Apple Podcasts)
https://stand.fm/channels/60a08752b82bc5e1f38f5a19

本日のスタエフ:几帳面なボヘミアン?
https://stand.fm/episodes/6a8fd9a32ff0f8b4ba23b4a5

ピンバッジの魔法。

4か月ほど前、男性のいまの定番
「ダーク系スーツにTシャツ」という着こなしは、
どうもねーという投稿をしました。

※下方にリンク
【ジャケットには襟付きシャツ(私)】2026/04/23

それに続く、私としては珍しいファッション話です。

「ピンバッジの魔法」という不思議なタイトル。
一言で言ってしまうと、

「男性のファッションでも、
上着にブローチやピンバッジをつけると、
少し個性的で華やかになっていいですよー」
ということ。

まず前提として、私は、
ファッション(着こなし)について語れる、
おしゃれで知識のある人間ではありません。

亡くなった妻は、ファッション業界にも精通した、
とても粋(いき)な人であったのは事実ですが、
そんな妻の横にいても、ひどくバランスが
悪くならない程度には整えた自負はありますけれど(笑)。

私をリアルに知っている人が見たら、
さて、どう感じていらっしゃるか?

(あ、外部との打ち合わせがない日に、
ヒゲも剃らずに近所の荻窪をうろうろしているのは
甘くみてくださいね。)

それはとにかく、自分で意識しているのは、
安めのカジュアル服だとしても、ジャケットと
パンツ(ズボン)のボリュームのバランス。
そして、色の合わせ方には注意すること。

この、色合わせは重要で…

「全身まっくろ」みたいな格好はしませんけれど、
上下の色が、たとえ違う色でも、
全体のトーンが整っていると綺麗に見えます。

そして、秘伝の(笑) ブローチやピンバッジ!
基本は左胸(相手から見て右側)ね。

いかにも宝飾風デザインでも、漫画のキャラクターでも、
何かがそこに、ちょこんと付いていると、
人の目線はそこに行く。

例えば、絵柄がパリのエッフェル塔だとしたら、
「なぜ、エッフェル塔なんですか?」とか
「パリがお好きなんですか?」とか、
「ブローチ、いいですね」と言われて、
会話のネタになる、話しかけられる、印象に残る。

冬のセーターやカーディガンに付けることもあります。

「おしゃれそう」って、とっても曖昧な概念で、
これが例えば「英国の本場スーツ。襟元は、ネクタイは…」
と言い始めるとキリがありませんけれど、
(当然、私はわかっていませんが…)

「ピンバッジひとつで印象は変わる」のは事実。
嫌いな言葉ですが「インスタント」で「コスパが高い」。

それから、「靴」と「メガネ」も、
ついワンパターンになりがちですが、重要ですねー。

しかし何よりの基本は、「清潔感」だと思いますけれど。

以上、爺さんからの、生意気なアドバイス。

広告屋的に言えば、長いボディコピー(説明文)に凝るのも
大切だけれど、まずは、さっと目を引く
「アイキャッチ」=「つかみ」に
気をつけなさいね、ってことです。


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※過去の関連投稿
【ジャケットには襟付きシャツ(私)】 2026/04/23
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55177163.html


小田原へ再生の?ミニ旅:妻を亡くして。

約1年半前の2025年1月3日に妻が亡くなって以来、
「旅に出る」ことはありませんでした。

一泊のミニ旅も、数泊も、海外も。

それが、妻とも親しい友人夫妻(2組)と
小田原駅前で(1組がそちら方面だったので)
昼食の懇親会をすることになり、

当日朝の出発(東京都杉並区荻窪から)は慌ただしいので、
私だけ前泊の贅沢としました。

新宿から小田急ロマンスカーにて70分。

こっちはすっかり旅行気分なので、
出発のホームで「缶ビール350、缶ハイボール350、
つまみ、お弁当」の体制で乗車するものの…

8/17(月)18時頃の満席の車内は、
「仕事から帰宅する」方々が大半。
ほぼ誰も、飲酒なんてしていない(汗)。
そして、町田駅で八割の方が下車…
これ、朝晩は通勤列車なのね!

でもでも、隣の窓際の男性(同い歳かやや上)が、
なんと「缶ビール500ロング缶、おつまみ数種」体制で、
しかも夕刊紙の「日刊ゲンダイ」!!

「高市首相の暗躍」みたいな記事を開きながらの
「正しい 夕暮れおっさん」の姿勢に、
私は、乾杯したかったです(しなかったけど…)。

そして、翌日の集合場所にも近い、
東口すぐのビジネスホテル「東横INN」の
シングルルームへ。

本当は、少し先の強羅にある
馴染みの箱根ハイアットホテルも考えましたが、
今回は、ずばっと事務的に(出張気分!)
小田原駅前ホテル。

じゅう数年ぶりに、
狭いビジネス(系)ホテルに入りましたよ。

ちょい、生意気な書き方かもしれませんが、
仕事柄で出張は多くないし、
旅する時は、近年は妻と一緒でしたので、
少し余裕のあるホテルに宿泊していました。

それが今回は、一人で「東横INN」。
まさに「イン!」って感じで飛び込んだ次第。

飲料水もガウンも髭剃りもスキンクリームも、
1階ロビーの備品を持って上がる方式にびっくり。
部屋は徹底的に合理化された作りで、ユニットバス。
当然 冷蔵庫には何もない。でも、使い勝手は悪くない。

日本に旅行して、その
「人工的、箱庭的、合理性と清潔感」に感心する
訪日客気分でした。
(実際、ホテルはアジア系の旅行客が多数!)

一泊しての翌朝は、
ホテルから5分ほどの小田原城公園をぶらぶらし
(サクッと散策で天守閣には登らず…)

知人夫妻たちと合流し、
明治時代の公爵亭を活かした庭園付き料亭にて、
「牛鍋」の豪華昼食をいただきました。

その後は、カフェでひとり休息してから、
再びロマンスカーで新宿経由で帰宅。

次回の旅は、妻の三回忌(来年1月)を過ぎてからかなー。
いや、ちょいとまた出かけるかも。

近郊へのたった一泊ですが、リハビリのような旅となりました。

きっかけをくださった、2組の友人夫妻に感謝です。


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【追記】 ありゃ、「再生の?ミニ旅」は2度目だった!


「1年半ぶりの旅」などと書きましたが、
半年前にも行っていたのを思い出した(笑)。

【1年3か月ぶりのミニ旅:三島へ】 2026/03/17
知人女性の出版記念パーティ出席だったので、
なんかいつもの「都内の会合」の気でいました…。
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55175266.html

今回で、ミニ旅2度目。こうして徐々に、旅にも心と体が慣れていく?


感謝の寄せ書きなんて飾らん。

本日は、いつも以上に自分ごとの「つぶやき」で。
不遜と言えるタイトルと内容でございます。

「感謝の寄せ書きなんて飾らん」。

これ、まーったくの、例え話なのですが…。

自分が(私が)何かの飲食店を経営していたとします。

それが、和食でもイタリアンでも、
喫茶店でも何でもいいのですけれど
(何せ、まったくの例え話ですから!)

そこそこなじみの客もつき、ランチタイムには
たまに行列もできるほどで、10周年を迎えたとする。

そこで、特に親しいお客様が
(親子連れも多いので、大人も子供も)
感謝の手書きと写真を貼り付けた
ポスターのように大きな寄せ書きをプレゼントしてくれた、
とします。

それを、自分はお店に飾るか?

たぶん、飾らないだろうなー。

その、ポスターのような「手作りの寄せ書き」が、
お店の雰囲気に合わないと思ったら、
壁にセロテープで貼ったり、ピンで留めたり、
パネルにまでして飾ったりはしないでしょう。

では、そこまでしなくても大切にとっておくか?

昔なら(って曖昧な言い方ですが)
確実に押し入れの奥にとっておいたでしょう。

しかし、69歳の今なら、
見終わった時点で、(即では流石に早すぎるとしても)
どこかの段階では捨てているでしょう。

なぜかなー?
と、自分でこうして書きながら考えてみるわけです。

せっかくの馴染み客からいただいた、
ありがたいプレゼントなわけですよ。

「心がこもっている」… うんその通り。
「思い出の印・記念として残る」… うんうん。

お店に飾れば、書いてくれた方々はもちろん、
新たなお客様にも温かい雰囲気として
アピールするかもしれない。
私とお客様が一緒に写った、笑顔の写真もある。

でも、たぶん私は飾らない。

いっときの気持ちのやり取りで、「もう十分」と思うのです。

人生、たくさんの人に会ってきた。いまも会っている。
人とのつながりの貯金は、山ほどある。
もちろん、離れていった人や、私の不義理の責任もある。

でも、その一つひとつに、
過剰な反応はしなくて良いし、
「いったん、ありがとう」と思えば、
それを引きずることはないのではないかと。

溜まった友情は大切にしても、
利率の計算は不要! って感じですかね。

私はいま、自宅事務所のフリーランス広告屋として、
毎日近所のカフェへ行き、
夜は一人で酔っ払っている爺さんですが、
「馴染み客」とか「仲良し」に、すごい拒否感がある。

そりゃ、仲良くしたいですよ。
仲の良い人も、個人でも団体でも、男でも女性でも、
お付き合いしている人は結構います。

でも「お店の常連風」は大嫌いで。
仲間内の「公園バザー」みたいな感覚ね。

そして、お店の雰囲気は(キザですが美的感覚は)
大切にキープしたいし、限られた人の
「街の集会場」にはしたくないという思い。

そういえば、著名人がサインした「来店記念の色紙」が
ずらりと並んでいる飲食店も、昔から苦手でした。

「この人も来ました」
「この人ともつながっています」
「うちにはこんな常連がいます」
という、関係性を壁に掲示することへの違和感。

親しくても、離れていたい。
「結局、自分は一人」(にしておいてほしい)
みたいな感覚(感性)が、私はすごく強い気がします。

変な(例えとはいえごめんなさい)ポスターを飾るより、
日々の自分のお店を整備して、
馴染み客にも、新規のお客様にも、
その日その日で、ちゃんと対応していけばいい。

「好意の長期保存」や「掲示」はいらないと思う。

「えらく冷たい考え方」と感じた方も、
いらっしゃるかもしれませんね。

まだ自分なりにモヤモヤもありますけど、
「例えば寄せ書き」のご厚意に対する、
自分の思いを話してみました。

小難しい人間ですみません!


「実質ゼロ」は、めんどくさ!

自民党・高市早苗内閣の食料品消費税1%案。

「現金給付を含めて実質0%」という説明
(飲食料品の消費税率を2027年4月から2年間に限り
8%から1%に引き下げる意向)と、

民間の商売で見かける「実質0円」について、
自分の見解(というか、あくまで気分)を語ります。

珍しく政治ネタに絡めますが(おっかなびっくり!)
その成否を議論するものではございません。

それでも、ちょっとだけ政策について触れれば…
「食料品の消費税を1%にする計画だが、
他の施策も絡むので、実質0%になります」
という説明は、しちめんどうくさい!

私は基本、消費減税は不要という立場です。
しかし、減税するなら「ジャスト0%」にしなよー。

お店のレジを0%にするには、1%よりも
改修に半年・1年の延長が必要とのことですが、
そんなもん、技術努力や会計手法でどうにかしなさいな!

「1%分を数万円の一時的な現金給付で調整」と言っても、
そんなもん、すぐに使ってしまうし(あ、私の場合!汗)
申請書類の手続きが増えたり、下手して
かつての商品券だったり地域割引券てのも嫌いだ。

私自身は、日々の買い物で、
レジで自動的に安くなる方がありがたいです。

さらに、支給対象の選別や給付にかかる時間と
自治体などの事務コストを考えると、
私には効率が悪いように思えてしまいます。
(経済・会計学的なツッコミは勘弁ね!)

類似の事例として、
携帯電話(スマホ)の契約が典型ですが
(あと、前払いの年間サブスクもその傾向があるかも)

「いま、この契約をしていただくと、
うん年後にはここはこうなり、あそこはあーなって、
不思議のランプのように、ゼロ(0)円です。
ほーら、輝いてきたー」みたいな。

私は、零細の広告制作会社を30年やってきて、
まだ維持はしていますけれど…。

会計士さんのおすすめで
「今期のこの項目は、こう処理すると、実質は…」
みたいな「お得な智恵」をいただいても、
いっさいお断りしてきました。

それは のちのち、
何を操作したのかがごちゃごちゃになるから!
実はマイナス面や再調整の手間も浮上してくるから!
そしてそもそも、私の頭がついていかないから!?

「策士」にはなれませんねー。

日常生活の「ポイントがつく」ってのも面倒で、
そりゃ、大きな家電を購入した時や、
日々のスーパーのクレジット払いで
「ポイントが自動で貯まる」なら、ありがたいです。

でも、クレジットカードや店舗カードを何枚も所有し、
いちいち示し、時には「暗証番号違い」や「接触不良」で、
列を長くしたくはない。
「○○○ポイント、お持ちですか〜」→「持ってません」。

キャンペーン中なので5本買うとお得! と言われても、
予備を含めていまは3本でいいやと。

結局私は、「シンプルでわかりやすいこと」が好き。
「面倒臭いやり取り」は苦手なのでしょう。

お得「ではない」性分。
考え方も、仕事の流儀としてもね。


***************

【追記】 2026/08/03
「ゼロ」という数字は、自民党に限らず、
野党でも多くの党が選挙公約に掲げていました。
「実行においての熟考」は必要ですが、
「多大な追加の手間をかけての、うそ0%」では、
実質的にもイメージ的にも、違うのではないかと思う次第です。

【追記2】 2026/08/04
一部の消費税とはいえ、上げるのではなく
「大幅に引き下げる政策」(≒時代に合わせた柔軟な調整)は、
よくぞ進めたと思います。歴史に残る。
2年後(今から実質2年半後)、飲食料品の消費税率が「8%に戻る」
(その分、他の政策を併用)=2029年4月頃は、経済を含め、
どんな日本に(そして世界情勢に)なっているのでしょう。
良き方向を願います。
この記載を見直すことを楽しみに!

家を整える(捨てる&磨く)。

家を整えることは、
捨てることに始まり、
磨くことで完成する。

ちょっとキザですかね(笑)。

私は、どうも「細みの体」や企画の詰め方から
「端正で神経質な人」と思われる場合が多く、
部屋もいつも整っている、極端に言えば
「ちりひとつ許さない」と誤解されることもあるようで。

本当にそう思われることが、
徳なのか損なのかはわかりませんが、
ある程度は整えておきたいのは確か。

さらに、女房を1年半前に亡くし、
自分もあと半年で古希(70歳)を迎えることもあり、
「捨てるものは捨てる」傾向は加速しています。

大きな庭付き一戸建てから
シンプルなマンションに越したのも
(そのあと、妻は逝ってしまったわけですが)
そうした人生設計の一環でした。

引越し以前の数年前には、
すでに大量のLPレコード・CD・書籍は処分し、
その後はネット音楽と、新刊も電子書籍が大半。
捨てられない美術本や単行本もありますけどね。

ちなみに、LP売却の際に悩んだのは、
音源よりも30センチ角のジャケットや解説書を、
とっておくべきか、スキャンしようか? みたいな。
何せ、アナログな広告屋ですから、
コレクター癖がないわけではありません。
それを断ち切って、です(笑)。

とはいえ、雑誌やネットに出てくるような
おしゃれで映える、夢見るお片付けはできません。

今でもペコペコ・ペラペラの家具を置きながら
(例えば、子供二人が小さかった頃に買った
ホームセンターの整理ボックスもリビングにある!)

それでも奮発して、ちょいとブランドものの椅子や、
スタンドライトでも置いてみるか… 程度。

そして、天井貼り付けのビカビカ白色照明を、
せめて「オレンジの電球色」に変え、
それをなるべく点灯せずに、床に近い間接照明をつける。

新たなもの(照明でも家電でも)を買ったら、
古い同種のものは手放すルール。
いつまでも「いつか、どこかで使うかも」と
思わないことです(これ、最近ようやく割り切れてきた!)

家(部屋)を整えるとは、まず捨てること。
そして、残ったものを磨くこと。

埃を払うだけではなくて、
雑巾で「磨く」という意識を持つこと。

空間全体のバランスと整理整頓、
さらに「磨く」という意識が入ると、
家は整っていくものです。

それは多分、自分の体のメンテナンスにも似ている。

あと、整理整頓というと、すぐに「収納」の話になって、
収納場所を多めに確保とか、隠す収納でスッキリ!
となりがちなのですが…

収納は洋服を中心に、確かに間取りとして重要ですが、
やたら壁に扉があって、開くといらぬものが
ぐちゃぐちゃにびっしり… ってのもありがちで。

収納フェチも、どうなんだろうと思っています。

とにかく、
いつ死んでもいいように。
いつ他人が訪ねてきても慌てないように。

娘と息子には、マンションの鍵を渡して、
音信が途絶えたら駆けつけてもらうことになっているし。
(※過去記事参照 ↓ コメント欄)

いつまで続くか、自宅兼事務所の気ままな生活です。


****************

※関連する過去記事:
【父さん(=私)の生存確認法】 2026/07/13
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55191591.html

カフェのパソコン会議にうるさい爺さん。

はい、それは私です(笑)。
パソコン会議を嫌悪する爺さん!

たまたま出先で、初めて寄ったカフェ。
すでに「そいつ」はいたんですね〜。その手の人種。

耳に差し込む小さなイアホンどころではない、
大きなヘッドフォンをかぶり、口元に伸びるマイク。
パソコンに向かい、手振りも交えて話している。

本格的なオンライン会議ニイチャン!
(その手の人の割合は、ニイチャン8割、ネエチャン2割。)

私は、カフェで見かける
パソコン会議・オンライン会議が大っ嫌いです。
うるさい!うざい!

冷静に考えて… 私は、
何がそんなにもイヤなんでしょうね(笑)。

公共の場であるカフェ・喫茶店は、
・一人で休息・読書・勉強・軽食
・もちろん、打合せや知人とおしゃべり
・音楽も(大概のお店では)かかっている。

その、良い意味での雑踏空間で、
気分も変わり、仕事もはかどったりします。

ひと昔前のことですが、ちょっと似た議論で、
電車内や喫茶店で「携帯電話で話すこと」
に関する論争がありました。

・自由にしていればいいじゃないか
・外国ではみんな喋っている、日本人は神経質すぎ
・そもそも携帯でのおしゃべりも、喫茶店の会話と
同種のものとの意見もあり。

当時の「携帯電話の目立ち方」の仮説として、
「双方の会話ではなく、一方的に話している違和感」
がありましたけれど。
本質かどうかはわかりません。

パソコンに向かってのオンライン会議は、
私には、その違和感が「いっそう」大きい。

さらに、携帯電話時代は「相手は一人」だったのが、
「複数との会話」になり、
まさに会議利用での「長時間/画面への集中」が、
無法地帯化を後押ししているのかもしれません。

携帯電話時代にも
堂々とおしゃべりする人はいたものの、
・短い連絡事項で会話を終えたり
・「ちょっとはすまなそう」な雰囲気がありました。
気遣いやマナーと言ってもいいかな。

それがいまや、パソコン会議は
(背中を丸め、小声でボソボソの人もいるものの)
「カフェ利用の権利」ぐらいになっている。

私が良く行く某店でも、
その手の人たちを見かけたのですが、
1年前から(コンセントが充実したチェーン店ながら)
「携帯電話とオンライン会議禁止」の貼り紙をし、
店員が注意するようになりました。えらい!

お客様の苦情だったのか、店主の方針かは不明なものの、
私としてはありがたいです。

本日の冒頭に書いたカフェには、
1時間半ほどいましたが、帰りがけ…
私が入店時からパソコンと語らっていた男性は、
まだ画面に頷き、笑っていました。

当然、この話は「べき」論ではないし、
私から客に注意したりする「お節介・正義感爺さん」
でもありません。
ただ、「私は」気に触るという話です。

嫌なら、自分がノイズキャンセルのヘッドフォンをして
防衛しろよなー、かもしれませんけどね。
しかし、出先でたまたま入った店を含め、
「イヤなら行くな」論争はしたくない。

そして、いま思いついたのは…

私は、ものすごくマイペースで、冷めた人間なのですが、
その場の空気の共有というか…。
公共の場で、一方的に没頭している人や行為への
「違和感」のようなものを、すごく感じるのかもしれない。

以前、「来てる客が乱す店」というタイトルで(※↓)
「店の空気を決めている重要なもの…
それは、来ている客層と振る舞い」と述べましたけれど、

パソコンで延々と話している姿は、
まさにその典型なのだと思います。

本日は、カフェでの「特殊なうるささ」の考察でした。
こんな話にお付き合いくださり、ありがとうございます。


****************

※関連する過去記事:
【来てる客が乱す店】2026/04/15
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55176743.html

父さん(=私)の生存確認法。

本日は、いつも以上に変わったタイトルで…

父親である私の生存を、
離れて住む娘と息子が、
どう確認するかという話になります。

前提として、私のプロフィールは:
・69歳と数か月の男性
・自宅兼事務所の広告制作CD&C
・東京都内(荻窪)のマンション
・1年半前に妻を亡くした独り身

家族のプロフィールは:
・長女は結婚して旦那さんと二人
・息子(弟)は、まだ一人暮らし
・いずれも都内在住
・父の住居へ30分で駆けつけることが可能

こうした条件下で、
「父さんが倒れたらどうしよう?」
という話になったわけです。
私から言い出したんですけどね。

健康状態は、ドライアイで通う眼科と歯医者程度。
頑なに健診拒否ではあるものの(※下段参照↓)
見た目は元気です(笑)。

それでも、来年3月で70歳(古希)を迎えます。
妻のお父さんは68で亡くなり、私の父は72だった。

63歳で倒れた妻のように、人はいつ何時、
発病やけが・事故・災害で亡くなるかもしれない。

さらに注意が必要なのは、打合せや公共の場所ではなく、
「鍵の閉まった自宅マンション」で倒れていても、
誰にも気付かれないということです。

私自身、もういつ死んでもいいと思っているのですが、
変な形でひとり倒れているのも嫌。
郵便ポストに新聞が何日分も溜まって近所の人が気付く…
そんな世の中ではないし。

そこで、娘・息子と話し合いました。

・1年程度で遺言書の「初校・ドラフト」は作っておこう。
・突発事故で倒れても「緊急事態」がわかる方法を考えよう。

いまどきの言葉でいえば、
広い意味での「終活(しゅうかつ)」です。

一般の会社勤めなら、とっくに60〜65歳の定年を過ぎ、
雇用延長さえ越えた年齢になった現在も、
お仕事の声はかけていただけて、
地味ながら広告・販促物制作を続けています。

そうした「老後の趣味のような現役感」を保ちつつも、
「人生の締め方」は考えておこうと。

その具体化が、
・最後の書類である「遺言書」と、
・突発事故を想定しての「生存確認」というわけです。

生存確認の仕組みは、調べればいろいろあるのでしょうね。
スマホ連絡アプリから、Apple Watchの自動送信まで。

さすがに「いま父さんはどこにいて、生きているか」の
位置情報までは(まだ)知られたくない。
・自宅→カフェ→飲み屋 … とか?
・仕事先→映画→愛人宅…とか!

ただ「ゆくゆく検討」と言っているとキリがないし、
「思い立ったら実行」すべきなので、
妻の緊急入院の際に作り、その後も続いている
「娘・息子・私」の3人LINEグループを、
そのまま活用することにしました。

・毎日の夕暮れ(用事が一段落しビールを飲み始める頃)に
元気な印の「太陽マークのスタンプ」を一つ送る
・娘と息子からの返信は不要
・太陽マークが行かなければ「大丈夫?」と一報もらう
・それにも返事がなければ、荻窪のマンションに駆けつける
・予備の鍵は、娘・息子の二人に預けておく

さっそく 始めております!
もっとスマートな方法が見つかれば、それに切り替えればいい。

毎日の太陽マークなんて、お互いうざったい気もしつつ、
これくらいなら、まぁいいかなぁと。

以上、
「父さん(=私)の生存確認」がスタートしたという、
きわめて内輪の「お知らせ」でした。


****************

※関連する過去記事:
【健診拒否の死生観(私)】2026/02/14
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55173564.html


サッカーと経営と人生の、ナイフ。

前回の投稿である(※下段参照)
【サッカー日本代表に拍手、さて4年後】 の続きです。

何か、とても大切なことが潜んでいる気がして、
自分として言語化し、記録・記憶しておこうと。

さて、2026年夏のサッカーW杯(北中米大会)
決勝トーナメント1回戦において、
ブラジルに「2-1」で敗れ、終了してしまった日本。

健闘しつつも(もちろん 勝負には運も絡みますが)
「足りない部分があった」のは事実でしょう。

そこを考える時(私はサッカーの技術や
戦略・戦術論は、まったく分かりませんが)
「ナイフ」という言葉が浮かびました。

日本はきっと、良く磨かれたナイフだったのでしょう。

匠(たくみ)の技で磨かれ、見た目も美しい工芸品で、
世界中の料理人も買い求めるナイフや包丁。

サッカーも、計算された組織力、選手同士の連動、
そして ここ10年・20年で飛躍的に向上した
(かつては弱いと言われていた) 個で突破する力もついて、
本当に日本は強くなりました。

しかし、あと1歩 2歩足りないとすれば、
「ナイフの使い方」のような気がしました。

言葉を選ばなければいけませんが、
勝負の世界を比喩的に表現すれば、

本気で相手を刺そうとする際、
道具の性能よりも、実行の勢いと、
仕留める意志が「もの」を言う。

たとえ「錆びたナイフ」でも、仕留められるかどうか。

頭も体もヘロヘロになった状況でも、
本能のような生存意識で、相手を倒せるか。

日本人は(国民性として)
・そうしたキャラクターが根本的にない?
・あるいは、そこまで育っていない?

根性とか努力、精神論とも違っていて。

一方、予選リーグで敗退した韓国は、
監督の更迭劇まで含めて国民が「激昂」しています。

帰国セレモニーは中止、空港への爆弾予告、
大統領さえ監督を叱咤。
いやはや、日本人では考えられないエネルギーです。

そして、他の諸外国でも、大きな試合の敗退では
商店が焼き討ちに合うまでの騒ぎになる一方、
スタジアムとロッカーを清掃して、静かに帰る日本!

それでも、まったく歯が立たなかったサッカーが、
世界の強豪からも「油断するな」と思われ、
野球では大谷翔平、スケートペアの りくりゅう、
そして各種競技の天才たちが若い世代から
次々と登場しています。

かつての経済の高度成長のように、
スポーツの急速カーブが、団体〜個人へも起きている。

仕留められるナイフと、錆びても刺せる本能。

経営でもそうですが、
超一流として突出する人には一種、
異常で冷徹で捨て切れる(それが戦略でも天然でも)
「タガが外れた」部分があるのも事実です。
最後の最後までバランスでは成立しない。

次なるワールドカップの4年後、そして8年後は?
世界の情勢と平和は、どうなっているのでしょう。

そして70代を迎えている私も!?

日本と日本人の「本質と行く末」を、
サッカーになぞらえて考えてしまいました。

***************

※関連投稿【サッカー日本代表に拍手、さて4年後】2026/06/30

サッカー日本代表に拍手、さて4年後。

サッカーワールドカップ(W杯)北中米大会、
決勝トーナメント1回戦。
日本はブラジルに逆転され1-2でした。

夜中2時からのテレビ放映。
起きていようかなーとチラと思いましたが、
1か月半ほど前から、夜10時(22時)以降は
「酒を飲まないこと」に決めているので(投稿でも宣言!)
間が持たないだろう… と諦め。

今朝、ネットの文字紹介で概要を知りました。
ダイジェストビデオは、まだ見ていません。

この私の投稿では、戦い方の評価や、
出場選手の個人名も出しません。
軽い個人的な思いだけを、少し記録させてください。

そもそも私は、スポーツを一切しませんし、見ません。
サッカーに少しは興味があるものの、
Jリーグは見ず、海外サッカーは見ず、
ワールドカップ日本代表程度の にわか観戦。

昔、中田 英寿や中村 俊輔が海外リーグに出た頃は、
テレビ中継で追いかけていた時期がありますけれど、
もう20年以上前。
自動車レースのF1も見ていたなぁ。
中嶋 悟、鈴木 亜久里。35年は経っています!

さて、今回の日本代表には不利な条件が重なっていました。
・事前に怪我人が多く、ベストメンバーではない顔ぶれ。
・しかも、ブラジル戦を前にしてエースフォワードが欠場。
・組合せも運悪く、早い段階で強豪ブラジルと当たってしまった。

一方で、
・ブラジル代表も全盛期の圧倒的な強さではない。
との下馬評もありましたし、

「1-2の敗退」は、順当な結果なのかな。
(0-3の負けならぬ、2-0の奇跡を期待していましたが!)

でもね、昔から見てきた者としては
(年齢だけを振りかざしてファンぶる!笑)
本当に強くなったと思いますよ。

代表チームの中に、海外リーグに所属する選手が
ひとりだった時代から、2人・3人になり、
いまやほとんどが海外で揉まれていると言っても過言ではない。

しかも、海外チームで補欠ではなく、
レギュラーとして評価される選手も多数。

ブラジル代表と10回やって1回も勝てない実力から、
練習試合で1回くらいは勝てて、
本番でも「もしかしたら2回くらいは!?」と
思わせる存在になってきた。

夢の勝利から、現実の努力目標になっている気がします。

勝負事とは、不思議なものです。
個人競技にせよ団体競技にせよ、
その時の自分の体調と相手の体調、
トーナメントで誰と当たるか、お互いのチーム編成など。

その中に、「運」がありつつ、ベースは「実力」。
実力だけでは勝てないけれど、実力がなければ勝てない。

サッカー日本代表の力は、
確実に「底上げ」されてきたのでしょう。
しかも、たぶん世界も驚く進化のスピードで。

かつて、韓国や中国とも危うい試合を重ねていた状況から、
アジアでは「頭ひとつ」抜け出し、
オランダやベルギー、ドイツ、そして象徴たるブラジルにも
戦いを挑める「入口」に立っている。

4年後の開催ではどうなっているでしょう。
2030年だから、いま69歳の私は73歳になっている。
8年後の2034年は77歳。
12年後の2038年は81歳。

… 生きてんのかね!?

ベッドに横たわっていると、孫が
「爺ちゃん、日本勝ったよ。ワールドカップ優勝だよ!」
「これで死ねるね」なーんてね。

別にサッカーが人生の一大事ではないけれど(笑)
4年ごとの開催と日本代表(当然Jリーグやジュニア育成も)
楽しみです。

そして、最近は政治ネタでも話しましたけれど、
「世界の中の日本」の、難しく言うと「プレゼンスの向上」
(presence:存在感)についてよく考えます。

敗戦から復興し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」
(Japan as Number One) と呼ばれた成長を遂げつつ、
しかし今は、国力も存在感も国民の満足度も
低迷している日本。

「エコノミックアニマル」や「過労死」が言われる国には
(軍国化も!)したくないけれど、
サッカーのように「個の力+組織力」で伸びていく、
そんな国でありたいと願います。

私の情報源:マス&ネット。

1回前の投稿では、
「高市首相NATO出席できず?最悪!」
とのタイトルでお話しました。

以前にも選挙のことや、海外の紛争への意見など、
私には珍しいことですが「政治がらみの思想」を
書いたことがあります。

そうした際に、それに対する直接の書き込みはもちろん、
メール等の個人的なメッセージで
「川島さん、政治的な発言はなるべく控えた方がいいですよ」
とのご心配を複数の方からいただいています。

確かにねー。

SNSの炎上、怖いですからね。
しかも私は、実名と
仕事内容も開示しながら発信していますから。

でもまぁ、私は閲覧者が多いわけではないし、
客観性や言葉尻の過激さは、かなり注意していますけれど。

本日は、
「私の情報源:マス&ネット」とのタイトルで、
マスコミ系とネット系それぞれ、
川島が何を主な情報源としているかを話してみます。

そして、「そのメディア」を選ぶことによって見えてくる、
川島なりの「好みと思想の傾向」!?

さらに、各人が見る媒体・メディアからの影響について。

正確な定義を言えば、
新聞という「媒体・メディア」の中でも
いろんな新聞社から各種新聞が発行されているわけで、
例えば朝日新聞は「銘柄・ビークル」に当たるわけですが、
ここではザクっと「メディア」と言います。

そんなメディアの傾向
(編集方針や価値観、もろに言うと思想)に、
人はどうしても影響を受けていく。

そう、メディアは「公共性・公平性」と言う
「客観性」に留意しつつ
(社会の公器という言葉もありますよね)、
個人と同じように、その発行会社なりの方針、
好き嫌いや社風はある。

読者・視聴者も、その影響を受け、
「そうだそうだ」と共感していく。

Amazonでの買物や、YouTubeの視聴で、
どんどん「あなたはこれが好きでしょ」と
お勧めが出てくることも同じですね。

具体的にメディアの名前を上げてしまうと、
それこそ反発を受けてしまうかもしれませんが、
私の場合…

例えば、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞などは、
リンク先に表示される以外には積極的に目を通していません。

ネットメディアでも、Yahoo! ニュースは、
取り上げ方がどうもゴシップ的で好きではない。

優等生的に言うと、どんな媒体に対しても
「参考のために、たまに目を通すようにしています」
が、理想なんでしょうけどね。

週刊誌も、これは出版社に限らず見ないな。

今時は、ほんと自由なようでいて
「かえって偏っていく」怖さがあり、
高市支持の情報なら、いくらでも集められるし、
高市批判の記事も、いくらでも見つけられる。

珍しく、難しいことを言っていますが、
「目を通すメディアによって、どうしても傾向は出る」
のは確かで、
私の政治心情や好き嫌いは、もろ書きませんけれど、
ここに「日常 目にするメディア」を発表して、
皆様に想像していただこうと思います(苦笑)。

■マスメディア:
・日経新聞
・日経MJ(マーケティング・ジャーナル)
・産経新聞

※マスとは言え、紙の新聞ではもう読んでおらず、
ネット配信の方です。
ただし「紙面ビューアー」という紙面レイアウトを
自在に拡大縮小できる有料版にも入って、
iPadの13インチでたまに見ます。
縦書きとレイアウトの見やすさ、そして整った広告が最高!

■ネットメディア:
・YouTube
・X(旧ツイッター)

※これはかなり、どの番組(発信者)かによりますけどね。

■ネットのキュレーションメディア:
・NewsPicks(ニューズピックス)
・JBpress
・COURRiER Japon(クーリエ・ジャポン)

※WSJ(ウォール・ストリート・ジャーナル)や
NewsWeek(ニューズウイーク)などの有名所は、
NewsPicksで少し配信されるので、その程度。

そんなところですね。

これをご覧になって、
そうかー、だから川島は、「あんなメディアに影響されて」
くだらない発信をしているのかーと
確信した方がいらっしゃったかもしれません。

もっとこっちを読むべきなど、
「洗脳」するご意見も、いったんは聞きます。
当然、最終的には自分で考えますけど。

※ところで本日(2026/06/28 日曜日)
杉並区長と、議員の補欠選挙に行って来ました。
投票締め切りの夜8時に近かったので、
もう体勢は決まっており、いまさら私の一票が
どうなるものでもないかなー思いつつも投票所へ。

最近、若い方の選挙意識が高まっているそうです。
いろんな思想・好み・考え方はあれど、話し合いながら
少しずつでも良い方向に向かう日本でありたいです。
偏向や情報操作、ましてや独裁ではなくね。

高市首相NATO出席できず?最悪!

高市首相が、NATO(北大西洋条約機構)首脳会議への
初参加を「欠席せざるを得ない」とのニュースを見ました。

まったく持って、残念です。

各国首脳と長話はできないとしても、
これだけ世界情勢が緊迫している中での
「日本の立場」を考えると、エポックな会議のはず。

なぜ「行けない」のか。

その大きな理由のひとつとして、
国内の国会論戦における時間の浪費=
みやみな反対や意味のない質問が多くを占め、
政局的な議論がなされずに
高市首相の時間が削られている問題があるとのこと。

そりゃ、高市さんが100%良いとは思いません。
すでに失策と思われる案件や、
前のめりすぎる対応に危うさも感じます。

しかし、ここ何十年かの政治の中では、
私はベストに近いベターではないかと。
この時期に、この首相と内閣の布陣で良かったと。

かつての、「モゴモゴしゃべり」と「曖昧な先送り」の
日本政府から、どれだけ マシになったか。

へたすると軽い視点・表現になってしまいますが、
各国首脳(今回はアメリカとヨーロッパ)との
「写真撮影において」も絵になる。
これって意外と重要で、国民にも海外にも、
「日本がそこにいる」というメッセージになります。

高市政権の誕生は、
国内的にも、世界との関係という意味でも、
ギリギリ時点での踏ん張りではないでしょうか。

それを、ネットを日常的に活用する方々は特に感じている。

一方、オールドメディアと呼ばれる
新聞社・雑誌社は、「特定の思想に偏った」
「アンチでいることだけが存在意義」のような
情けない報道が目立つようになってしまった。

いまどきはネットでいくらでも情報を取りに行けますが、
民放もNHKも新聞社も、
マスコミとして伝えるべき拡散力や影響力、
客観的で整理された情報価値は、まだ大きいと思う。

それが、マスコミも野党も「週刊誌によると」の
安易な追求に成り下がり、
日本にとっても緊急課題であるウクライナ情勢や、
中国・台湾を含む安全保障問題、移民問題、
先端技術の協力など、

国際課題が山積する中で、
高市首相がNATO首脳会議に出席できない損失。

私は、かなり怒っています。

机をくっつけてまで お茶するな!

話の前提として、私は
「集団」とか「集団行動」というものが苦手です。
毛嫌いしている、と言ってもいい。

政治心情的には、左翼でも右翼でもないと
思っていますけど、
「絶対許さないぞー」「オー」なんて行進したくないし、
仲良し集会で「ピース!」して写真に収まりたくもない。

2時間・3時間以上続く集まりでは、
心も体もほんと飽きるので、
30分に一度は立ち上がるのはもちろん、
終了が見えたら「たむろ」せず、さっさと出ます。
(ラストの集合写真に写っていない!なんてことも。)

ちなみに音楽や演劇の、
何回ものアンコールも嫌になります。
出演者は十分に力を尽くし、観客も楽しんだのだから、
本来のラスト曲でいいじゃん!と思う。

集団行動や集団会話の
・多人数のガチャガチャが、面倒臭い。
・自分のマイペースは、徹底的に守りたい。
そんな私を許してね。(←許さないぞー、オー!?)

カフェやレストランでも
「とにかく まとまって座りたい」
「机をくっつけて長テーブルにしたい」人々がいます。

元々予約してあった、6人〜10人席や、
さらに個室や座敷で何十人、というのは良いのです。
店員さんも「それなりの収まり」を考えてくれます。

私が苦手なのは、昼間の時間帯に集団で
二人がけや四人がけが通常の店に突然やってきて、
ひどい時には店員さんに声をかけることもなく、
テーブルを2つ3つとくっつける人々。

ずらり横並びで、6人と6人が対面になったところで、
全員が一気に話せるわけではない。
会議じゃあるまいし、
声が楽々通ったら、うるさくて仕方がないです。

そうした集団は、周りが見えていないし、
場の波長も乱しがちなので、店の雰囲気を壊す。

席が離れていたっていいじゃないですか。
無理せず数人ずつ、分かれて座ればいいと私は思う。

たとえ、親しいお友達と同席できなくても、
せっかくそうした集団に行ってみたのだから、
新たな人と話せば楽しいかもしれない。

偶然隣り合った人・向き合った人とは、それこそ
何らかのご縁があるのでしょう。

そして、「是が非でも机くっつけ集団」は、お会計も遅い!
一人がまとめて払おうとせず、レジに全員並んだりする。

そこに、客のITリテラシーのなさが重なり、
なんちゃらポイントとかなんとかペイの操作ミスで、
さらに停滞するわけです(汗)。

机をくっつけてまで、お茶するな!

もちろん、私の勝手な好き嫌いですけどね。

浮気は、バレるよー。

きょうは、我ながら すごいタイトルで!

映画やドラマで、よく見るシーンがありますよね。

出勤した旦那が、突然の用事で
(例えば体調が悪くなったとか、忘れ物をしたとかで)
昼間に自宅に帰ってみると奥さんと誰かが… みたいな!

ほんと定番。

教訓:人間、何事も安心したらダメですねー(笑)。

嘘で固めよう、とりつくろうとしても、
どこかで「ほころび」がでる。

雰囲気で察知される時もあれば、
物理的な証拠でバレる時もある。

「まさかそんな偶然がーー」というタイミングが、
「どこかしらで」くる。
時間はかかっても「バレない保証」はない。

私の知り合いの男性で、海外出張から帰る日を
奥さんに一日多めに言っておいて、
別の彼女の家に泊ってたんですけどね。

私がその男性に用事があって。
メールも携帯電話もあまり普及してない時代の話なので、
ご自宅に電話して、奥さんに聞いたんです。
「出張のお疲れですみませんが、ご主人いらっしゃいますか?」と。

「いえ、明日の帰国予定ですけれど。
川島さんもご一緒でしたよね」… ということで、ちゃんちゃん。

いやー、あの時は悪いことをしました(ごめんごめん)!

結果、関係が「突然」破綻する事もあれば、
それが良きタイミング…「潮時」となることもあるでしょう。
あるいは、「それはそれとして」続いたりもする。

結局、浮気に限らずだと思うのですが、
隠していることや無理に取り繕っていることは、
どこかで必ず表に出る。

私は、そうした意味でも「偶然は必然」と思っています。

男女の仲でも、仕事の成功や失敗でも、
それが起きること自体や起きるタイミングは必然であると。

例えば、浮気の現場を直接、奥さんに見られなくても、
私が「妻以外の人と」一緒にいるのを
共通の知り合いが偶然見かけたり。

それが、ただの知人風や仕事の打合せではなく、
十分いい雰囲気だったら、だいたい察しはつくでしょう。

ちなみに私は、
なぜか街で偶然人に会う確率が、高いほうみたいです。
「見つけられてしまう」というか!?

妻とは今年、結婚37年のはずでしたが、
1年半前に亡くなってしまったので、
浮気などというドラマチックな展開は、
考えなくてもいいフリーな身。

妻の人生…そして最期の迎え方も、
以前に何度もご紹介したように、望み通りのものだったので、
すごい偶然が重なった必然だったと思っています。

今日は、なんでそんなことを思いついたのか(笑)。

浮気と、人生の偶然について、語ってみました。


音楽のないカフェで。

本日の雑談は、
近所の、荻窪のそのカフェは、
開設以来BGMを20年流していない… というお話です。

(話の前提として)私はSNS投稿や発信において、
飲食店を含むどんなお店についても、
「詳細な紹介」は、ほとんどしていません。

まして、リンクを貼ったり、
誰それと会ったなんて写真も載せない、文字だけの投稿。

でも今日は、名前を挙げさせてもらいますね。
そして、そこでちょっと感心したことについて。

建物は、東京都杉並区 荻窪にある「杉並公会堂」。
コンサートや演劇、各種催しが行われる市民ホールです。

カフェの名前は、その1階ロビーにある、
「エスプレッソ・アメリカーノ」。
調べたら、東京と神奈川に数店舗あるチェーンの
「杉並公会堂店」です。

高い吹き抜けのあるロビーの一角、
エントランスを入った正面にカフェコーナーはあります。

私は荻窪に越してきて2年半。
でも、それ以前から、コンサートを聴きに
何度かは訪れていた名門ホールです。

しかし思い出すに、
カフェを利用したのは、たまたま早めに到着して、
混雑する中でお茶した記憶が一度か二度か…。

ところが今回は、平日の昼間。
自宅マンションから徒歩10分!

夕方の、コンサート前のイメージがあったので、
「あー、昼間もやってるんだ。
おいしそうなケーキやサンドイッチもあるんだ」と。

12時15分くらいでしたが、客の入りは3割ほど。
のんびりした雰囲気です。
天井が高くて気持ちがいい。

例によって私は、キーボード付きのiPadを広げ…。
ただし、パチパチ・バチバチなんて打ちませんよ、
おとなしいおっさん(のつもり)。

そうして、気付いたのです。
「あれ? BGMがない!」と。

音楽が流れていない。

お客さんの話し声は、ほとんど気にならず、
ただ「エアコンの音」だけをかすかに感じる。

新鮮でした。

音楽には、お店の喧騒を和らげる
(というか誤魔化す)効果もあると思いますが、
「選曲のセンス」はとにかく、流していないのは珍しい。

でも、ここは、音無し。

差し込む光、高い天井、少しの声、エアコンの音。

当然、混んでいる時間帯や、
まさにイベントの開催によっても雰囲気は違うでしょう。

お店の方に聞いてみたら、
20年前に杉並公会堂が大幅改装した時に店舗として入り、
その時点から、事業者とのお約束として
「一度も音楽を流したことがない」そうです。

ちなみに、杉並公会堂自体は1957年のオープン。
なんと私と同い年の70年弱です。
(そして私は、荻窪病院生まれ、練馬区上石神井育ち。)

実は、「BGMなし」の件に気付き、感心して、
久しぶりに訪れた日から2日後、
また行って確かめてみたのです(私も暇ですね〜)。

光が差し込むランチタイム。
キャリーカーを押したお婆さんが一人、
アイスコーヒーを飲みながら囲碁の本に書き込んでました。

スタバでフラペチーノ片手のオンライン兄ちゃんや、
保険契約説明のお姉さんより、平和だわ。

そして今回、お店の方に音楽事情を伺ったという次第。

お店の、心地よいBGMもいいけれど、
音楽のないお店もいい。

開いた画面から、しばし目を離して、
窓の外の光やロビーの空気を、ゆっくり感じてみました。

ビールもあるので、
今度は夕暮れ時にも行ってみようかな。

机を丸く拭く人たち。

タイトルを見て、
「爺さんの小言」みたいな内容じゃないか、
と感じましたか?

はい、そうです。その範疇のお話です。

最後に、ちょっとしたオマケ話もありますが。
それで引っ張るほどの話でもないので(苦笑)。

さて。私は、
自宅事務所から数分の駅前であろうが、
打ち合わせに出向く都心部であろうが、
しょっちゅうカフェや喫茶店にいる身なので
(もう今どき「喫茶店」なんて言わない?)

店員さんの所作(しょさ)は気になります。

例えば…

お客さんが離れたテーブルがあって、
店員さんに余裕がある際は、
テーブルを拭いている姿を目にすることがあります。

それ、見事に「丸く」ふいているのです。

いまどき、「四角な座敷を丸く掃く(はく)」
という諺(ことわざ)を使ったり、
知ってる人も少ないと思いますが、
四角い4人掛けテーブルでも丸い1人用のテーブルでも、
真ん中あたりをさっと拭く。

天板の隅やコーナーまで、しっかり拭く人は、
滅多にいらっしゃいません。

ひどい時は、布をひらひらさせて、
やや机に水気を与える程度。

座っているこちらから見ると、天面に「布巾の跡」が、
ナメクジが通った後のように光ってる!

諺の「四角な座敷を丸く掃く(はく)」を
改めて調べてみると…

「四隅を残して中央だけを丸く掃いてごまかすことから、
神経の行き届かぬ仕事をすることをいう。」

店員さんのマニュアルに書いてあるかは知りませんが、
何もしないよりは立派なものとは思います。

ただ、そのような中でも、
オーナーさんや店長さん、リーダー格と見られる人は、
「机を隅まで拭く確率」が高いように感じます。

反対に若い人は(という言い方も爺さんですが!)
男女に限らず、丸く拭く人が多いです。

気持ちを込めた(と言うと大袈裟かもしれませんが)
「軽めでも隅々まで拭き掃除」という目的を意識するのと、
「濡らす程度」のアリバイ作りの差。

たぶん、そうした「チャチャっと」の気持ちは、
その人の仕事全般にも出るのでしょう。

一方、責任ある立場の人は、
「手抜きや効率」も考慮しつつ、
「隅まで磨く」気持ちがベースにはある。

そして面白いもので、
途中入社を含む若手やアルバイトの中にも、
四隅まで拭こうとする人が出てくる。

そうした人が、お店でも職場でも
「伸びていく」と思うのです。

たとえば、私の仕事である
広告や販促物の制作に照らして言えば、

コピーライターが、今どき 生成AIの力も借りながら、
それなりの文章を作ったとします。

それを、どこまで諦めずに「詰められる」か。
クライアントの厳しい
(時には勝手と思われる… すみません!)
修正要求にも「投げずに向き合える」か。

デザイナーで言えば、
文字をぺたっと貼り付けただけで「まぁまぁ」
の段階で手放すか、数ミリにも「こだわる」か。

業種・業界、社員・バイトの違いに限らず
「その仕事の、四隅はどうなっているか。」という意識。

以上。
きっと予想通りの、いやらしい話でしたね。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。

【おまけ】
この下書きは、荻窪のカフェで書いていたんですけど…

座っていた布ばりのソファの隙間に、
「100円玉」が深く「はまりこんでいる」のを発見。
(ギザギザの頭だけが見えていました!!)

なんで、そんな所に目が入ったのか気付いたのか。
硬貨は店員さんに渡しましたけどね。

「隅まで丁寧に」などという文章を書いていたせいで、
自分の視野に敏感になったのかもしれません。

4年ぶりにメガネを変えて気分替え。

昨日の日曜日、新しいメガネが仕上がってきました。

お馴染みの渋谷の眼鏡店で発注したもの。

ひとつ前のメガネは4年前に購入。
その前は、さらに3年前でしたけれど
二代続けて(計7年)似たデザインでした。

現状のメガネから、なぜ変えたのか。

理由は、まずは度数が微妙に変わったから。
当然ながらこの年齢なので、
近視と乱視に加えて老眼もあるわけですが…。

大きな数値の違いはなくて、
担当のお兄さんからは
「お客様の年齢で、4年経ってほぼキープは
素晴らしいです」と、よいしょされました(笑)。

まだ十分使えるメガネを
(これからも服装に合わせて再登場させることは可能)
なぜ買い替えたか。

理由は… 「飽きたから」。ワハハ!

これまでのメガネは、FacebookやBlog、
LINEのプロフィール写真にあるように、

メガネの上辺(一番上のライン)は黒。
その下のレンズは四角くて縁無しのタイプ。

今回は、全体が丸いデザインで、
フレーム素材もチタンと鼈甲(べっこう)です。

以前の「四角いの」が、
(自分で言うのもなんですけど)
シャープでモダン、スキッとしたイメージで、
悪く言うとちょっと堅い雰囲気もあったのに比べて、

今回の「丸いの」は、柔らかいイメージ。
少しクラシカル、ないし
コミカルにさえ見えるかもしれません。

本当は、サングラスを含めて数本所有し、
服装に合わせて掛け替えるのが理想なのですが、
度数の問題や、掛け替えるのも面倒で、
つい「このひとつ」になってしまいます。

今回も、ほぼこの「丸型」をメインにしつつ、
「四角」も、たまにはかけるかも。

決して安い買い物ではないメガネ交換。
「4年で飽きたから」というのは
ちょっと贅沢な話かもしれませんけれど…

「だって、気分を変えたかったんだもん!」

四角から丸へ。
69歳にしてのメガネ変身。

いまだに広告や販促物の依頼をいただきながら、
地味な職人仕事をしている爺さんですけれど、

たまにはこういう「小さな変化」も、
悪くないなと思っています。

***************************************

【追記】 メガネは、ファッションアイテムとして好きで、
高校1年で「縁無し」(校内でたぶん最初!)、
大学3年くらいで「サングラスに変わる偏光レンズ」、
社会人で「多い時は3本並行」で持ってたんですけどね。
また、老後の趣味にしようかな(笑)。


リトマス試験紙を隠しての会話。

人それぞれ、性格も信条も違う。
わざわざ言うまでもない、自明の理です。

親子、兄弟、友人、職場の仲間。
あるいは、何かのコミュニティで出会った人たち。

気が合い、興味の方向は似ていても、
細部に違いがあるのは当然です。

それでも、お互いを好きで
(これからも関係を築きたいと思い)
大筋で合意できれば(内容にもよりますが!)
尊重し合いながら楽しく会話していける。

あるいは、意見を闘わすことはあっても、
前向きに検討していければ良い。

でもね、政治の話はやばいですよねー。

「下手に政治には触れるな」というのは、
昔からの不文律ですけれど、
ネットやSNSの普及で「あらわにされる危険」が
一気に増し、今や完全な地雷となっています。

かつては、自分が「なんとか党」の熱烈な支持者だとしても、
勧誘でもしない限り、「あからさま」にはならなかった。

「特定政党」とまで絞らなくても、
「政治信条」についての会話も、もっと緩やかなものでした

それが今や、ちらっと書くと、あっというまに伝わり、
レッテル貼りされる。
あらゆるところに「地雷が撒かれて」いるわけです。

例えば、飲み屋で男性二人でいたとします。

私が「高市総理はさー」と言って、一瞬の間をおくと、
さてどうなるか。

相手は(高市総理はさーに続けて)
「もうダメだよねー、国賊」と答えるかもしれない。
私は「よくやっているよね」と続けたかもしれないのに。

「トランプ大統領に対しても…」
相手は(うん?トランプ大統領?)
「媚びすぎだよね。高市はトランプのポチ」と言いかねない。

私は、「総理はうまく会話を運んで前へ進めている」と
言いたかったとしても、その言葉を飲み込み、
「そうだよねー、総理として軽いよねー。ハグもねー」
なんて同調したかもしれません。

※あ、あくまで例え話ですよ、例え話!(恐ろしや…)

意見をネットに載せようものなら、
短い言い切りのフレーズであれ、長々とした論調であれ、
「そうだそうだ」側と「何言ってるんだ」に二分され、
熟考や検討、中庸な意見が入り込む余地はなくなる。

各人が「思考のリトマス試験紙」を忍ばせながら、
「赤くなるかなー、青くなるかなー」と恐れ、
モゴモゴした中間地帯は、見えなくなる。

「戦争反対」という4文字の明快なフレーズにしても、
その意味合いにおいて、分かり合えない時代です。

だから私は、
あまりに「リトマス試験紙色」の強いグループ、
「脊髄反射」が激しい集団に、
入りたい・居続けたいとは思いません。

でも一方、以前の投稿でトランプ大統領のことを
「ガラガラポンの時代」と書いたように、
「次の時代に(特に日本が) 進むステップ」の、
大きな踊り場にいるとも感じています。

危険 < 期待。

ここまで「政治への関心と会話」が
可視化された時代は、なかった気もします。

私のようなオッサン・爺さんには、一見すると
「60年代の安保闘争とデモの時代」を感じさせても、
民度と情報の質は、マスコミ時代より格段に上がっている。

日本の発展と世界平和を、心から願います。

(… ここを「日本国の」と書くと「えぐみ」が増すね。苦笑)


ジャケットには襟付きシャツ(私)。

きょうは珍しく、ファッションの話です。

最近、男性の服装で、
あるパターンがすごく目立つ気がして…。

今は、ゴールデンウイーク前の
だんだん暑くなってくる季節。

ビジネスファッションのカジュアル化が進み、
スーツにネクタイ姿が減った。
そこまでは、よくわかります。

ただ、20代、30代、40代くらいでも、
皆さんけっこう、きっちり上着を着ている。

相手に失礼にならないよう、上着だけは一応着ておこう。
そんな感覚もあるのでしょう。

ただし、その組み合わせが、定番と言えるほど似ている。

・黒や紺のスーツ、あるいはジャケット。
・パンツは、色違いの場合でもダーク系。
・靴は、革靴っぽいけれど靴底はゴムのもの。
ないし完全にスニーカーの黒か白。
・インナーは、白の丸首Tシャツ(長袖あり)。
たまにVネックの白や黒もいるかな。

典型的なパターンとしては:

上下黒のスーツ、
インナーに白のTシャツ、
黒か白のスニーカー。

はい、完成です。

「これがビジネス・カジュアル!」
そんなワンセットとして、すっかり定着しています。

この格好をしていれば間違いない。
毎日の迷いがなく、お店でもさっと選べる。

ただ、70歳目前のおっさんとしては、
(少なくとも私は)そこには乗れません。

ジャケットには、やっぱり襟付きのシャツを着たいのです。

理由はふたつあります。

◎ひとつ目。
Tシャツには、どうしても「ゆるい」空気がある。

似合う人もいるけれど、
私には、あのカジュアル感は少し違う気がする。

リアルに川島をご存知の方はお分かりのように、
打ち合わせがない日で、
近所のカフェや飲み屋に行くくらいでも、
ジャケットかサマーカーディガン着用。

ひげは剃ってないのに、ジャケットは羽織る(笑)。

真っ黒はなくて、グレー系や少しカラフルな色。
襟元には、ピンバッチ等のアクセサリー。

シャツは襟付き。
白が基本で、たまにブルーやクリーム系。
その内側に、下着としてのTシャツ。

パンツは(ついズボンと言ってしまう!)、綿系かジーンズ。

靴は白か黒のスニーカー。
都心へ出る時も、そのままか、革靴似のスニーカーです。

まぁ、ワンパターンと言えばワンパターンです。

◎Tシャツではない理由ふたつ目。

冷房に弱いから!かなり切実です。

Tシャツ一枚やワイシャツ一枚では、冷気がしみすぎる。

だからシャツをそのまま肌に着ることもなく、下着は必須。
そして外出時には、忘れないよう上着も持つ。

あと私は、肘を出すのも苦手です。
上着を脱ぐ時でも、腕まくりは肘が隠れるところまで。
冷え性の「オフィス女子」みたいなもので、
なかなか面倒な男なのです。

以上、最近よく見かける男性ファッションと、
自分の着こなし流儀の話でした。

ユニクロなどが、
「服は道具」「服は部品」という方向を普及し、
誰もが、そこそこ綺麗に、機能的に整う環境を作ってきた。
それ自体は、本当にすごいことだと思います。

ただ、昨今の「スーツにTシャツ」は、
私には「第二の制服」みたいでつまらない。

私は、1957年(昭和32年)生まれ。
VANやJUNのアイビー全盛よりは10歳ほど下ですが、
いわゆるDCブランド
=デザイナーズ&キャラクターブランド世代です。

あの、少し贅沢で、少し騒がしく、
それぞれの服にも個性と失敗があった時代。

そんな「服の記憶」が、
いまだに身についているのかもしれません。

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【追記】

・この過ぎ去った秋冬には、
初めて「タートルネック」を一度も着ませんでした。
なんか「ジャケットにタートルネック」が、
いかにもおっさんぽく思えてきて。

・会議等の実質の必要はないのですが、
これから「ネクタイ」を意識してみようかと思っています。

来てる客が乱す店。

カフェでも飲食店でも、
お店の印象を決める要素はいろいろあります。

立地、価格、料理やコーヒーの味、店主・店員、
インテリア、BGM、照明、椅子の座り心地…。

細かな話ですが、私は
椅子が合わない店はかなり苦手です。
カフェは作業場でもあるので、椅子は机以上に重要。

しかし、それらとともに、
店の空気を決めている重要なもの…
それは、来ている客層と振る舞い。

店は、基本的に店主やスタッフが作るもの。

もちろんそれは正しいですが、実際には、
公共空間である店の空気を誰が作るかと言えば、
客の存在も、かなり大きいのが事実。

私が「この店はちょっと足が遠のくな」
と感じる例を二つ挙げます。

1_店員さんと長話をする常連客がいる店。

イメージとして
「駅前の小さなカラオケスナック」が典型ですが、
大手のチェーンカフェでも見かけます。

特におっさん・爺さんが(私も十分にその年齢!)
馴染みの店員(特にずっと年下の女性店員)と
注文カウンターや、席のそばで会話の花が咲く。

イヤな客というより、
「気持ち悪い客」です。

私は、「馴染みや深入りの親しさ」が苦手なので、
余計に感じるのかもしれません。

2_カフェで電話通話やオンライン会議を始める客。

最近は店側も
「通話・オンライン会議はご遠慮ください」
と掲示するところが増えました。

それでも、イヤホンをして小声のつもりで
(実際は十分店に響く声で)延々と続く仕事話。

それは、店内でおしゃべりに花が咲く
おばさん3人組とは、決定的に違います。

お店の雰囲気の中で「楽しんでいる一人ひとり」
という存在ではなく、
一種、周りの空気からずれて「私物化」している存在。

その場を共有する他の人への想像力がない振る舞いを、
私が感じてしまうからかもしれませんね。

店というのは、店側が作るようで、
実は客が壊しもするし、育てもする。

そんなことを、最近あらためて思いました。

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【追記】2026/04/16
店員さん(特に若い女性)との親しげな会話も(特におっさん・爺さん)、
それが大声だったり、レジの流れや行列に影響するほどでなければ、
「川島は神経質で排他的だな」と感じる方もいるかもしれません。
自分でも、その違和感をまだ明快には言語化できていませんが…

ただ、前述の「PC会議にいちゃん」も含め、公共の空間、
とくにチェーンカフェのような共有場所での、
「押し付け感・私物化・散漫さ・異物感・ずれ具合」みたいな、
「その店の空気を変えてしまうもの」への、
私なりの観察と反応なのかもしれません。

立ちション禁止とスリッパ病院。

本日は、お耳(お目目?)汚しとなる、
不思議なタイトルの二大(!)話。

1_立ちション禁止:
洋式トイレでは、男性もおしっこは座ってしろ。

2_スリッパ病院:
土足からスリッパに履き替えて入る病院は古い。

どうでもいい人には、ほんと 些細な話ですが、
どちらも「時代感覚」と結びついている事象かな、
と思い(笑)その社会的考察もしてみたいと。

1_立ちション禁止:

男性トイレに、壁に取り付けた小便器がある場合は
問題ないのですが(それでも盛大に外す人がいる!)
男性トイレでも男女共用でも、洋式便器しかない場合、
大抵の男性は便座を上にあげ「立って」用をたすわけです。

狙いを定めて上方から、そこそこ外さずに狙ったとしても、
飛沫が確実に飛び散る!

公共の場所で(駅とかカフェとか)
洋式トイレのビショビショは嫌なものです。
そして、自分の前の人が男性で、
便座が上がっていたりすると、大失敗!と思う。

男性の私がそうですから、
男女共用の個室に入った女性は、
その嫌悪感を強く感じるのではないですかね。

私は、何十年も前から
「おしっこも座ってする」と決めていて、
便座に肌が触れる不潔感よりも、撒き散らす行為が嫌。

この問題=男性は立つか座るか論争は、
チラチラと聞いていたものの、
世の中で はっきり明言はされていませんでした。

ところが最近、外のトイレで、
「立ちション禁止」の張り紙を一気に見かけるように
なったのです。

もちろん、「立ちション禁止」なんて無粋な書き方ではなく、
・便座に座ってご利用ください…
・立っての小用はご遠慮ください…
といった表現で。

「当店のトイレは男女共用となっておりますので、立っての…」
と、前振りを書いていた店もあります。

使用法を守らない、来日客の増加もあるかもしれませんが、
確実に「洋便器への立ちション拒否」が、顕在化してきた!

当然、若い世代の「座る率」は高いでしょうし、
「トイレびしょびしょ爺さん」は嫌悪の対象でしかない。

考えてみれば、私(いま69歳)の子供の時、
昭和30年〜40年頃(1950年代末〜1960年代)は、
フツーに外で立ちションしていました。
人目につかない壁や野原に向かってね。

世の中の喫煙の流れも同じ。
誰もが当たり前に行なっていた行為が、
マナーや健康の観点から無くなっていく。

それは文化の成熟であり、トイレの場合で言えば
他者(後から使う人、掃除する人)への
想像力の問題でもある。

さらに、これは異論もあるでしょうが、

「洋便座に立ちション」する中高年男性の姿は、
極端に偏った政党の「なんでも反対」的な行為が
白けて見られるようになったのと、似ている気もします。

「家父長的」「権威的」な文化の変化とも、重なって。

そんな、「世の中の流れ」ついでに言うと、

2_スリッパ病院:

私は、土足からスリッパに履き替えて入る病院が
好きではない。

それは、一昔前なら「清潔」とされていたことが、
かえって「不潔」ではないかと感じるからで…

・誰が履いたかもわからないスリッパを、
素手で掴んで身につける。
・二足一対のスリッパを重ねて整理するという習慣も、
かなり不思議です(実利より見た目か…)。

ところが最近、個人経営の歯医者さんや内科でも、
「靴のまま」が増えてきた感覚で、
スリッパの有無で、近代的な設備と考え方の
病院かどうかがわかる(気がする)。

最近、知り合いに「おすすめの歯医者」を聞いた時も、
私の質問は「そこ、スリッパで上がるとこ?土足?」
でした(笑)。

以上、最近気付いた、ちょっとした変化。

もちろん、私の好みや、
斜に構えた見方もあるでしょうけれど…。

確実に「世の中の意識と習慣の転換期」だと思うのです。

桜騒ぎが嫌いな理由。

本日は、世間がこれほど喜んでいる
「桜」と「桜見物」と「夜桜宴会」が、
どうにも好きになれない、という話です。

まあ、いつもの「考えの整理」と「独り言」です。

そんなことを、BlogやFacebook、
音声配信(stand.fm他)で話すより、もう少し
楽しくて建設的なことを語れよと自戒しつつ…。

まず、桜そのものを、
あまり綺麗だとは思わないのです。
あの、ぼやーっとした白〜ピンク色。

むしろ、梅の花のほうが断然好き。
白梅でも赤でも、輪郭がはっきりしていて風情がある。

これはもう、見た目というより、
完全に感覚論・感情論に入りますね。

私は、桜より梅。太陽より月が好み。

前向きで優等生的な「明るさ」が、
かなり苦手な、ひねた性格です(苦笑)。

加えて、桜に「もれなく」ついてくる、
あの「集団での混雑」や「宴会」への嫌悪感。

桜が咲いた道を、静かに歩くのは嫌ではないし、
きれいだな、と思う瞬間も確かにある。
でも、そこに
「人がぎっしり集まる」となると、話は別です。

さらに、マナーの悪さと、ゴミ。
近隣の住民からしたら、たまったものではありません。

昨晩は自宅で(もちろん一人で)飲みながら、
たまたまテレビのニュースで桜見物の様子を眺めて…

「ああ、みんな本当に桜が好きなんだなぁ」と、
しみじみ思いました。

で、「俺はやっぱり変なのかな」と。

その後、買い物に出るついでに、
近所の小さな公園に寄って、誰もいない中で
桜の樹をじーっと眺めてしまったくらいです。

そうして見ると、
桜って、明るさや華やかさより、
どこか「死」のイメージさえ感じますね。
夜桜だと、なおさらに。

そして、花見の宴会は、
・春とはいえ、まだ肌寒い日もある。
・花粉症も続いている。
・薄暗い公衆トイレには行きたくない。

・何より、ゴミが溢れて…。
用意された大きなゴミ箱や、段ボールに捨てるとしてもね。

さらに言うと、ブルーシート。
あれがどうにも美しくない!

花見の宴会では、景観条例と同じく、
「ブルーシート禁止令」を出してもいいくらい、と思います。

以上、私が「桜騒ぎ」を好まない理由。

読んで不快になった方がいたら、ごめんなさい。
勝手な気分分析でした。


そんなに責め立てなくてもさぁ。

「キンキン」と「ネチネチ」には、ほとほと あきれます。
そして、もう「お腹がいっぱい」で聞く気にならない。

… という話をしますね。

特にYouTubeや、ネットの書き込み、
そして「国会論戦」でも顕著だなぁと。

近々の私の投稿では、
例えば「下記のように」感想を述べました。

【侵略国家に備える防犯的国防】 2026/02/17 にて

(デモのプラカードや発声は)
・相変わらず、「反対」「絶対」「阻止」の「罵倒」が中心。
・もう少し意見の言いようがあると思うのですけど。
ユーモアと皮肉を込めたプラカードを作ってみるとか。

【選挙言葉のイメージと勝敗】 2026/02/09にて

(私の感想として)
・悪口連呼スタイルの「消費期限」が切れた。
・相手の揚げ足取りや罵倒は、聞いた人が
「溜飲を下げる」 どころか、嫌悪感と反発を生む。

ほんと、いつまでもいつまでも、
ワンパターンで言い続ける、攻め続けるのでしょうか。

「総理、総理、総理。総理に聞いているんですよ!※」
(うーむ、実務担当者の意見・回答を、
一度聞いてからになさってはどうでしょうか。)

※総理の「言質を引き出したい=記録に残したい」
との思惑はわかりますけど、行き過ぎると
「台湾有事発言」のような、要らぬ火種ともなって…。

子供への言葉の虐待や、職場のパワハラもそうですが、
冷静で客観的な やりとりが必要。

政策の議論であればなおさら、回答を引き出し、
画面を見ている人の共感を得るための「質問スタイル」や、
言葉が「ニュースやネットで切り取られた時」も
「伝わる工夫」が、なんでもっとないのかと。

今の一部のネット民や政治家は、
言葉が「凶器」か「嫌がらせ」か「何度言ってんだ」という
ワンパターンにしかなっていません。

まとめると、

■キンキン:
ヒステリックに「同じフレーズを繰り返し」
感情的に責め立てる質問(女性に多い傾向?)。

■ネチネチ:
一人が「100〜200文字程度」で簡潔に語っている
コメント欄で、何百字も書き込む「論客」の人。
セミナーの質問時間に延々「自論の演説」を
始めるのに似て(年配の男性に多い傾向?)。

反対表明や対案、そして論争は絶対に必要。
なんでも封じ込めたら、それこそ近隣の
「中国・北朝鮮・ロシア」と同じような
「独裁・専制国家」になってしまいます。

それでも、「もうその話法では、伝わらない」
とだけは、申し上げておきます。

(← 締めの言葉が、新聞の投稿欄のようで爺さんぽい!)

1年3か月ぶりのミニ旅:三島へ。

妻が2025年のお正月に亡くなってから、1年と少し。

その後、旅行には行く気になれなかったのですが、
ちょっとしたご縁があって3/15(日)〜16(月)、
静岡県三島市に一泊してきました。

目的は、知人女性の出版記念パーティ出席で、
初めて降り立つ三島駅。
ひとつ手前の熱海には何度か行ったものの、
三島は通過するのみでした。

50人ほどの華やかな催しを楽しみ、
私には珍しく二次会のスナックにも顔を出して、
駅前の東急ホテル泊まり。

翌日には、市内の情緒ある小川を歩き(源兵衛川)、
大きな神社を参拝して(三嶋大社)、
うなぎを食べ(昼からビールも飲んで!)帰ってきました。

前回の旅は、妻との最後の旅行となった
2024年12/13(金)〜14(土)の京都一泊。
倒れる、わずか2週間前のことです。

ライカギャラリーでの展覧会を見てから
「龍神雷神図」で有名な建仁寺(東山区祇園町)を散策。
近年の京都の定宿だったアート系のAce Hotelは、
もう7〜8回目の宿泊でした(中京区烏丸御池駅)。

さて今回、一人旅とはいえ、
久しぶりのミニ旅となった三島観光。

東京駅から新幹線で1時間弱の近さとはいえ、
やはり「高速で長い距離を移動する」ことには意味がある。

以前も書いたように
「新幹線や飛行機による高速移動」には、
細胞(?)を変え・活性化する力があると思っています。

「長時間じっとしていること」は、誰もが好まないし、
特に私は2時間ほどのセミナーでも 座っていられず、
そーっと立ち上がっては「ご質問ですか?」などと
マイクを向けられてしまう有様。

でも、旅の長い移動時間は嫌いではありません。

リラックスしつつ、集中できる。
日頃の自分の枠を超えて、何かがシャッフルされる。
それは車での移動では得られないものと、
私には感じられます。

ちなみに、新幹線でも飛行機でも、
たまに立ち上がったり通路をうろうろするので、
窓際の席は絶対に予約しません。
新幹線のグリーン席では通路側、
普通車では3席並びの通路側に決めています。
(3席の真ん中は空席が多いので余裕←せこい!?)

そんな1年3か月ぶりの三島旅は、
私にとって「次の段階への移動」だったのかもしれません。

誘ってくださった方々とのご縁に感謝しつつ…

相変わらず、パーティのご報告も賑やかな集合写真もなく、
観光風景の一枚さえ掲載しない私をお許しください。

楽器の好みの変遷:誕生祝い返礼。

数日前の3月3日で、【69歳】になりました。
いやはや69歳だぜ!(とほほ)。

そして、「ひな祭り男子」です。(ひな祭り爺さん!)

昔は「男の子の日」とされた5月5日よりは、
女の子の「桃の節句」の方が、
自分には似合うような気はしますけどね(笑)。

1957年(昭和32年)3月生まれの「酉年」なので、
クラスで言えば1956年(昭和31年)4月からの学年です。

団塊の世代の10歳ほど年下。
出生人口もかなり落ちてきた頃で、世代分類では
あまり目立たない世代かもしれません。

そんな世代論について書いても良いのですが、
今日は軽めに、そしてFacebookに沢山いただいた
「お祝いメッセージ」へのお返事も兼ねて
「年齢による楽器の好みの変遷」の話をしますね。

ちなみに、ドライで皮肉屋の私は、
いちいち(失礼!) 一人ひとりのお言葉に
コメント返しはしておりません。お許しください!
(流石に反省して、今年からは拝見した印に
「いいね」ボタンだけは押すようにしておりますが…)。

さて、「歳をとる」ということについて。

前回の投稿では【家族の青春時代とは】と題し、
「自分の成長と家族の変化」を書きました(※)。

そんな成長による変化は、
「音楽の楽器パート別の興味」にもあると気づいて。

私の場合、ポップス・ロック系では
ボーカル→ギター→キーボード→ドラムス→ベース。

もちろん、これは各人の好みの違いや、
習っていた楽器の影響なども大きいと思います。

私は、親からピアノを勧められることもなく、
家にあったウクレレで「禁じられた遊び」のイントロを
少し弾いてみただけで飽き、
(ハーモニカと縦笛だけは少し出来たのを思い出した!)

大学生の時のギターは、Fコードを押さえられず諦め、

サディスティック・ミカ・バンドやYMOで有名な
高橋幸宏さんに憧れてヤマハのドラム教室に行ったものの、
両手両足の「バラバラの動き」が
からっきしダメと気づいて、一日(一回のレッスン)で退散。
ほんと、(何につけても)根性無しの遍歴ですよね。

歌詞、メロディ、リズム、ボーカルなどの話とも
重なるのですが、私の場合(そして多くの方も?)

小さい頃は、歌手の「見た目」と「声質」に惹かれる。
次に、アコースティックギターや、
ロックギターを弾きたい気持ちになる。

子供の頃に興味のなかったピアノやオルガンも、
「キーボード」という電子楽器になってカッコよく見える。
歌謡曲〜フォーク〜ロックの変遷とも重なります。

そして、音楽の要はリズムだと分かり、
ドラムスに興味を惹かれるようになり…

さらに、それまで目と耳があまり向かなかった
(テレビや一般的なスピーカーでは聞き取りにくい)
ベースラインが自分の中心に入ってくる。 ←いまここ!

理屈っぽく、人生に例えるなら、

・ボーカルの上手い主役でいたい(小学校の優等生)→
・リードギタリストがカッコいいぜ (中高の突っ張り)→
・キーボードは華麗だ (大学生の大人ぶり)→
・ドラムスが支えている(社会人の采配)→
・人生はベースラインで成り立っている(大人の達観)。

まるで「つたない」演奏しか出来なかったものの、
下手なりに人生を奏でてきた69年。

聴かされるほうとしては、
すぐにオフにしたくなることも多々あったでしょうに、
お付き合いくださりありがとうございます。

自分の役割や喜びが、
華麗なフロントアクトでなかったとしても、
「人生はベースライン」。

さらなる節目の「70歳」目指し(!?)
貴重な60代を鼻歌気分で生きていきます。

******************

※関連する過去記事:
【家族の青春時代とは】2026/02/22
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55174000.html



家族の青春時代とは。

「結婚」や「新たに家族を持つ」というのは、
なんとも不思議なことだなーと思います。

なんの因果か(笑)
「ある両親」の元に生まれ(私の場合は川島家)、
成長し、その後は独身の方もいれば、

運命だかご縁だか成行だか(!?)
結婚してさらに子孫を残す人もいる。

私はここまで68年(もうすぐ69年)
生きてきたわけですが、
人生の流れの中で「家族の形態」を眺めてみると、

ふと「家族の青春時代」という言葉が浮かびました。

例えば、私(私たち夫婦)に子供ができ、
子供達が成長する喜びは、反対の視点で言えば
私達夫婦と両親が(私の側も妻の側も)
年齢を重ねていくということでもあります。

もろに言えば、
子供が成長するほど、自分と親は年老いて行く。

その中での【家族の青春時代] とは、
各世代が、わりとバランスよく
それぞれの時間を謳歌できる時期で、

おおむね、親が60代・子供が30〜40代・
孫が10歳前後の頃。

両親は、おじいちゃん・おばあちゃんの割には若い、
自分たちの世代は働き盛り、
子供達は、まだ「可愛い」子供らしさを残している。

まさに各世代が、「家族というワンセットで、
いちばんまとまりがあり、輝いている」時期。

「二世帯住宅」や「三世帯同居」なるものは、
まさにその「絵に描いたような住まい」なのだと思います。

我が家の場合は、ヘーベルハウスの3階建てで、
1階が両親、2・3階が私たち親子(私・妻・娘・息子)
という「まんま広告か」みたいな構成でした。

しかし時は経ち、
(妻の両親を含めて)親が亡くなり、
子供達は徐々に独立し。

そんな中、人生終盤となる
「次のステップ」を考えての「夫婦二人暮らし」は、
女房の不慮の事故であっさり変化して。

妻が約1年前、
マンションへの引っ越しからちょうど1年後に、
63歳で亡くなったことは何度かお話しした通りです。

それでも今度は、子供達に
(私からすれば)「孫」ができるかもしれない。

人生は巡り合わせ。
人生は変化の連続。

自由な一人暮らし(独身時代ね!)は楽しい。
夫婦二人の時間も楽しい。
子供ができたら、それは可愛い。
さらに孫なら!?

でも問題(?)は、
「離婚して一つ前に戻る」みたいな「人生すごろく」は
なかなか難しいこと。

各時代・各世代における自分の立場と家族との関係。
そんなことも「人生の葛藤と面白さ」です。

※あ、やたら「悲観的論調」に感じるかもしれませんが、
私はいま、「実質独身」に戻り、
マイペースでヘラヘラ、楽しく生きております。
(友達もいるし、お仕事もまだあるし!)

「家族の青春時代」を次の世代に引き継ぎつつ、
もう少し生きていこうと思います。

侵略国家に備える防犯的国防。

これまで、選挙投票には行ってきたものの、
基本的にはノンポリ(政治無関心)な私でした。

ところが、ここ数か月の投稿で、

・自民党の総裁選挙
・中道改革連合の新党名や広告的戦略への疑問
・衆議院議員選挙への感想
などを取り上げました。

確かに、いま政治は面白い。
(68の爺さんなのに、急に関心が高まった18歳か!?)

その私の雰囲気から、
「川島は中庸か、やや右寄りなくらいじゃない?」と
思われる方もいらっしゃるでしょうが…

まあ、極端な人間でないのは確か。
この私に、「過激」と「濃い味」は似合わない(笑)。

左とか右とか、リベラルという言葉の定義さえ
変わってきていますし。

そんな、政治を深く語らない、
語る知識もない私としても、気になるのが「防衛問題」。

我が国=日本国の「国防」について、
自分なりに考えたことを「小声で」お話しします。

高市さんの自民党(及び維新)が圧勝したこともあり、
それを喜ばない方々からは
「日本の軍国主義と軍拡への懸念、戦争を止めよ」
との声があります。

一昨日の日曜日には、ここ荻窪でも
道路の交通規制を敷いてのデモがありました。

シュプレヒコールは「高市やめろ」。
高市を辞めさせたいの意味と、
戦争をやめろの両方ですね。

看板に踊る文字は、例えば
・トランプと共に中国侵略戦争に突進する高市を倒せ!
・改憲、戦争、阻止!
・戦争と排外主義の高市倒せ
・辺野古 新基地阻止 etc.

相変わらず、「反対」「絶対」「阻止」、
「大声」や「罵倒」が中心で、
もう少し意見の言いようがあると思うのですけど。
ユーモアと皮肉を込めたプラカードを作ってみるとか。

なにやら「反権力」を叫びながら、
事実とずれた「揚げ足取り」が目立つ点では、
マスコミ、いわゆるオールドメディアと
重なって見える部分もありました。

私だって、戦争は「絶対」反対です!
痛いのいや。
集団行動ができないので、行進さえいや。

私はもう爺さんだけど、息子や孫の世代を
戦いに駆り出したくはない。

でもね、「防衛費増額 ≒軍事力強化」は、
いまの自分としては「必要なもの」と捉えています。

そして、「防衛と軍事力の強化」が
「軍国主義の専制国家」になるかと言えば、
それは違うであろうと。

すごくゆるい書き方をすると、私は
「日本の軍備は、防犯のようなもの」と理解しています。

かつては、家の鍵をかけなくても外出できた。
近所も見知った人ばかりだった。

しかし、人が増え、把握が難しくなり、
実際に犯罪も発生して施錠は常識になった。
でも、簡易な鍵レベルで済んだ。

それが、いよいよ隣人とも疎遠になり、
アパートに外国人も多数住んでいる。
ゴミ出しのルールも守らないなど、いざこざも発生。
(日本人同士でも、こうした問題はありますが…)

そして、室内や電話への傍聴、
パソコンへの侵入など「情報漏洩」も起きてきた。

もう、性善説と倫理だけでは、
(ほんと残念ながらですが)守れない世の中です。

だから、せめて「防犯」は強化。
鍵はもちろん、必要そうなら監視カメラもつける。

個人の住まいも、企業も、政府も、
お空の上・宇宙からの監視に関しても。
情報流失なんて、まさに盗難に遭うようなものです。

実際、日本の近隣には、
中国・北朝鮮・ロシアという、気の許せない国がある。

だからと言って、こちらから、「成敗してくれる」と
出掛けていくのはまずいし、過去の日本の歴史には、
それに準ずる行為もありました。

これからはアメリカとの同盟関係(属国関係!?)も
変化してくるでしょう。

「防衛」ではなく「防犯」という意識。
「国防」よりも「安全保障」に近い感覚。
決して軍国主義ということではないと思うのです。

そんな理屈さえ、まだ甘い考えなのか、
これでも、すでに過剰なレベルなのか!?

政治周りのイデオロギーに関わることには
あまり触れたいとは思わないのですが(苦笑)
ここまで投稿してきた延長で、
自分の考えをまとめてみました。

日本と世界が、平和でありますように。

選挙言葉のイメージと勝敗。

昨日は「カタカナ言葉の専門語り」として、
マーケティング分析の用語って、
相変わらず「わけのわからんカタカナが多いなー」
という感想レベルの投稿をしました。

そんな話をしている本人が、
「クリエイティブディレクター&コピーライター」という、
これまた怪しいカタカナ肩書を名乗っているわけですが!

そして、きのうの日曜日は、
衆議院議員選挙の投票・開票日でした。

私は3日前の木曜日に、人生で初めて
期日マエ投票(正式には期日ゼン投票らしい)を済ませ、
全国の各党の情勢と、自分の「自宅 兼 事務所」がある
東京第8区(杉並区)の小選挙区の様子を、
楽しみに見ていました。

全体の結果は、
自由民主党の圧勝と中道改革連合の惨敗。

立憲民主党と公明党が「衆院選において」合体した
「略称:中道」は、大幅に議席を失いました。
ただし、「実質公明党としては議席増」という、
なかなか複雑な展開も印象的です。

詳しい情勢分析は、
いまや「オールドメディア」と呼ばれるマスコミや、
あまたのSNS配信にお任せすることとして…

本日は、広告屋目線での話です。
選挙で語られた「言葉のイメージ」について。

具体的な事例は挙げません。
あくまで、私が感じた「選挙言葉」の感想です。

1_悪口の「消費期限」が切れた:

相手の揚げ足取りや罵倒は、
聞いた人が「溜飲を下げる」 どころか、
嫌悪感と反発を生み、自分への賛同にはつながりません。

「よくぞ言ってくれた」は、
よほどコアな信者に近いファンだけ。

前向きなアイデアを出さず、態度も悪く、
「吠えているだけ」に感じられる議員や政党に、
多くの人はもう 飽き始めています。

特に、いまの10代・20代の若者には届かないのは、
今回の選挙ではっきりしました。

皮肉を込めて攻撃したいなら、
そこに「ユーモアやウイット」を混ぜて、
「痛い所をうまく突くなー」と共感させる話術が必要。
用意されたプラカードを掲げ、罵倒し、
人の話を聞かないような政治論争は、
もう終わってしまったということです。

2_「中庸」というスタンスの生存戦略:

これは、政党名の「中道」ではなく、
もちろん「中庸な立ち位置」という意味です。

反対するなら、根拠と代案を示して話し合う。

「是々非々」を謳う政党は、
爆発的な伸びはなくとも、生き残っています。

ただし、政治とは
「理念」とともに「存在感」が大切な世界。
良くも悪くも「典型的な人気商売」ですから、
「どっちつかず」「曖昧」になると、それは
「政党としての弱さ」になり「消えていく」ことになる。

それでも、一旦飲み込みつつ考えて吐き出す姿勢は、
「とにかく反対」よりは、いまの世の中では
支持されると感じました。
(まぁ、社会人として当たり前のことですが!)

3_「耳心地の良さ」に潜む洗脳の罠:

党首はもちろん、目立つ議員の言葉は、
悪く言えば「国民を扇動する」旗印になります。

アジテーションに沸き立ち、
根拠のないフェイクニュースに踊らされる危険。

いま風に言えば「PR戦略」ですが、
オールドメディアの衰退と引き換えに、
「ネットの、特に切り抜きをサクッと見ておけば、
時短でコスパ良し」という短絡思考は、かなり危うい。

短く、わかりやすく、心地良い言葉に
「無意識に思想を誘導する意図」は隠れていないか。
「実はね…」の耳打ちは、事実に基づいた話なのか。

本当に日本国民のためになり、
さらに言えば、世界平和にもつながるのか。
冷静に考える必要があります。

まとめると:

罵倒と反対だけではダメ。
中庸だけでもダメ。
耳障りの良い高揚だけでもダメ。

これは、日常の仕事や人間関係にも
すべて当てはまりますが、
特に政治においては、
その影響力と責任が段違いに大きいです。

今回の衆議院選挙は、短期間の告知のうえ、
大雪の中での実施に批判もありました。

それでも期日前投票は有権者全体の26%へと増え、
全体の投票率も56%へと少しだけ上がりました。
(こんな大切なことが、まだまだ低すぎますが!!)

選挙動向は、面白かった。

国民一人ひとりの考えや立場は違いますが
(それこそ民主主義!)

これからも政治を見守りつつ、
日本を進めていきたいです。
(私の将来は長くはないけど!)


*************

※関連する過去記事

「中道」政党名の「響き」からの考察。2026/02/04
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55173066.html

「中道」政党の広告的混迷。2026/01/21
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55172319.html

自民党の「強く」ポスターへの評価。2025/12/17
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55170416.html




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◎川島 孝之(Kawashima Takayuki): 株式会社flowers 代表取締役・クリエイティブディレクター・コピーライター。

◎1957年3月生まれ。早稲田大学商学部(マーケティングゼミ)を5年で卒業後、1980年第一企画(現ADK)入社。6年の勤務ののち、制作会社11年を経て、1997年(株)リプル(RIPPLE Inc.)を表参道に設立。数人規模で運営。

◎2016年1月、表参道のオフィスから、西武新宿線 上石神井(練馬区)のホーム・オフィスに変更(総務経理のみを残してのフリーランス化)。
さらに2023年12月、中央線・丸ノ内線 荻窪(杉並区)に移転。
ブログのタイトル「表参道の小さな広告屋から」を、リプル川島の「小さな広告屋から」に改題。

☆2025年5月、妻(ジャーナリスト川島 蓉子)の急浙(2025年1月3日 63歳)に伴い、(株)リプルは妻の会社(株)flowersへ5月に統合。
ブログのタイトルも「小さな広告屋から@川島CD」に再変更。

◎CD(クリエイティブディレクター)&C(コピーライター)として、企業の魅力を整理整頓し、ブレーンのグラフィック&Webデザイナーと共に表現化しています。


【実績の一部】 カルビーじゃがりこ(パッケージ)、ビデオリサーチ(ロゴ・Webサイト・インナーツール)、日立化成(カタログ・インナーツール)、介護のらいふ(ブランドブック)、武蔵高等学校中学校(学校案内)、アルカダイアモンド(広告・販促物)オークラヤ住宅(広告・販促物)、翻訳専門校フェロー・アカデミー(学校案内)、アドビ(会社案内)等
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