小さな広告屋から@川島CD

旧名【表参道の小さな広告屋から】: 表参道で1997年にスタートした(株)リプル:RIPPLE Inc. Tokyo Creative AgencyのBlogは、 2016年初頭から川島のホーム・オフィス「練馬区上石神井」→ さらに2023年末からは「杉並区荻窪」へ。2025年春、タイトルも【小さな広告屋から@川島CD】に変更。Facebookも同時掲載です。

いろいろ雑談

こんな怠惰な人間を、人は几帳面と言うのか。

きょうは、特に自分のことについて語りますね。
いつだって、ほぼ自分のことしか書いていないわけですけれど。

タイトルを「こんな怠惰な人間を、人は几帳面と言うのか。」
としたように、私は「几帳面」とか「真面目」、
時には「神経質」に思われることが多いです。

見た目が細身の体なうえ、
例えばお店でサラダの注文をする際はいちいち
「ドレッシングは少なめか、別添えにできたらお願いします」
と頼むような、確かに心が狭くて面倒臭い人間です(笑)。

自家用車は、ずっと前に手放しましたが
(子供たちが大きくなって都心では必要ないので)
車に乗っていた時はいつもピカピカに洗車し、しかも
ハーって息吹きかけて磨いているようなイメージかな。

実際は、窓とミラー…安全に関わる所さえ支障なければ、
ボディは汚れようが、バンパーあたりに傷があろうが、
それは道具としての車なんだからいいでしょ、
と思う人間なんですけどね。

血液型で言えば、ほぼA型に見られる、実際はO型。
両親がOとAのOAなので、
A型の気質があるのは、確かとは思うものの…。
(血液型診断が科学的かどうかは知りません。
ちなみに動物占いは「こじか」です!!!?)

そして広告屋の仕事としては、
クライアントさんへの聞き取りとか、資料の整理とか、
明快にまとめる部分は確かにあります。

それでもすごい几帳面かと言うと、そんなことはなくてねー。
気分が乗らないと、まるでやらない。
特に事務作業系は、まるで進まない。

すこし前にも投稿したように、
亡くなった妻の相続と、
その9か月前に亡くなった妻のお母さん絡みの修正や、
妻と私の会社の決算、二つの会社の統合を進めています。

会計事務所さん・司法書士さんがほとんど
進行してくださるものの、
ちょっとした書類への「記入・捺印」や「郵送」、
「役所に証明書を取りに行く」なんて
すっごい気が重くて、ダメなんですよー。

ハンコを押すこの部分は、印鑑登録した実印か、
テキトーな認印でいいのか、
家族の名前欄は私が代筆して良いのか、
娘に署名してもらわないといけないのか、
あーいつ会おう、いや郵送か…
日付は記入した日か、書類の送付日か…。

だから、実質フリーランスの会社ながら、
総務経理担当はずっと社員としてキープしています。
クリエイティブディレクター・コピーライターの私としては
デザイナーがいないと仕事にならないものの、
一番大切なスタッフは総務経理女性です。

サインして、ハンコ押して、ポストに投函。
たったそれだけのことなので、終わってみれば
「なーんだ何ら難しくない」のが真実で、
さっさとやればいいものを、さっさとやる気にまるでならない。

企画書を作ったり(私の企画書はすごいシンプルです)
コピーを書いたり、クライアントからの修正に対応したり、
そんな、時にはかなり面倒なことでも楽しくてしょうがない。
クリエイティブで悩むのは&時間をかけるのは、
幸せだなーと思う。

68年間、こうして気分で生きてきて、
マイペースで過ごしてきて、
気乗りしないとまるで動かない私が、
「几帳面で真面目」だなんて、不思議だなー。

ガチャガチャ・ウェイウェイはしていないので、
「端正」とか「おとなしい」は、少し言えるかも知れませんけど。

自分で思う自分と、他人が感じる「この私」の差。

コロナパニックで本格的にオンラインミーティング、
特にZoomを始めた時に驚いたのは、
「人から見た自分」がそこにいたことです。
これまでずっと「鏡に映る自分」を見てきたのに、
相手から見た自分=左右反対の自分が、
「参加者の一人」として映っている。

このFacebookやBlogの投稿だけで知り合った方が
(顔どころかほとんど文章だけの関係!)どう思われるか、
そしてリアルでお会いしている方は、どうなのでしょう。

きょうも、鏡に話すような独り言にお付き合いくださり、
ありがとうございます。

Facebookリクエストの、あんたは誰だ!?

いっさいメッセージのない人からの友達リクエストは、
いっさい承認しませんよー。何度書いたらわかるのかなー。

あんたは誰ですか!? 私とどんな関係なのですか?
どこで私を知ったのですか?

友達の友達は、友達なんかではありません。

たとえメッセージをいただいても、怪しい方は調べて拒否。

例外は、交流会等でいま・いまさっき会って「送りますね」と
言ってくださった方のみです。


理不尽な人とは離れるしかない。

前回から1週間空けての投稿となります。

ちょいと事務関連で混乱しておりまして…。

1_妻よりも9か月前に亡くなった、妻のお母さんの相続
2_お母さんが完了しないままの、妻自体の相続
3_私の会社=株式会社リプルの今期決算
4_妻の会社=株式会社flowersの今期決算
5_flowersへのリプル統合と各種整備

会計事務所さん・司法書士さんの力強いサポートを受けつつ、
メールアドレスも変更したので各所への連絡や、
Facebook・Blog・音声配信スタエフの投稿など、
アプリの細かな再登録・再設定でもワチャワチャです(汗)。

そんな中、突然思いついたタイトルは
「理不尽な人とは離れるしかない」。

ネガティブな響きがすると思いますが、
最近(仕事やプライベートで)嫌なことがあったわけではなくて。

「人間関係の理不尽も人生だよなー、仕方ない」てな話を、
過去を思い出しながら、してみようと思います。

妻のこともあって、
人生全般を見つめ直している私としては?(苦笑)。

会社同士の取引でも、会社内の人間関係でも、
もちろんご近所や家族関係でさえ、
「揉める原因は向こう」と思いこむのは
「理不尽」のわかりやすい例です。

しかし後から考えてみると
(それも何年も経ってからの気づきさえある!)
「俺も悪いところがあった、うん。」

少なくとも(って言い方はこれまた自分本位ですけれど!)
賢いまとめ方=進め方と収拾の仕方はあったのでしょう。

私の仕事は、企業さんのブランディングに関わりつつ、
広告と販売促進物の企画制作ですが、
クライアントに罵倒されたことが、ほんの少しだけあります。

先方から「この責任をどうするんですか川島さん」とか、
「制作費の8割は支払えません」とか。

あ、思い出しちゃってつい… トラウマ。

ちなみに、広告コンセプトや表現の打ち合わせとは
かなりニュアンスが違って、
「先日の方向性:ミカンかオレンジかの続きですが」と
話している最中に、「バナナという意見も社内にありまして」
なんて返されるのは日常茶飯事。それは慣れっこです(苦笑)。

それでも、宣伝部長の「あまりに理不尽な」発言に、
私が怒って会議室から出ちゃったこともありますけどね。
若い時ですけれど。

今回のテーマは、もっと広く、
仕事やプライベートの「人間関係」に絞ります。

「川島さんの仕事は腐ったバナナ」と批判されたところで…

冷静に、俯瞰して考えると、
「なんでバナナが思い浮かんだんだろう」とか、
「その視点に立った場合、自分=川島は果たして」と
考える心の余裕は大切です。

しかしね、「平行線」という言葉があるように、
合わない人とは合わないのも事実。身もふたもないですが!
私の側からは理不尽と思わないことも、
相手からしたらたまらなく理不尽なのでしょう。

ロシアの大義によるウクライナ侵攻は、
(私は99%ロシアが悪者だと思っていますけれど)
ロシアはもちろん、ウクライナにも、そして
支援と「ちょっかい」で迷走する「トランプアメリカ」にも
言い分はある。

人間は100%分かり合えるわけではないし、
自分自身のことだってわからない。
さらにいろいろ見聞きしているようでいて、
甘い言葉や都合のいい情報しか耳や目に入らないし
(いっけん広範囲なIT・AI社会の落とし穴!)。

誠意を尽くして、なるべく客観的に考え、
それでもダメなら「無理して付き合う必要はない」
と思うのです。

さらに最近、興味深いと思うのは、
一種わかりやすい「理不尽バトル」以外に、

成長が急激に伸びているイケイケの会社や
(イケイケなんて 今時言いませんかね?)
精神論が強い勉強会、SNSを介したグループや
「コミュニティ」と言われる集まりにありがちな、
「仲間ごっこ」が宗教的に高まってくる理不尽。

集団で「褒め合い」「共感し」「背中を押してくれる」状態が
「表の仲間ごっこ」とすれば、反対に罵倒が行き交いながら
「愛のムチ、ありがとうございます!」
てな状況は「裏の仲間ごっこ」。

良い意味の批評性や、各人の独自性・距離感がなくなって、
なんでも「素敵!」「勉強になります!」のヨイショや、
「もっともっと!」が多発すると危ないと思っています。

「理不尽な人や集団とは離れるしかない。」
それが即できなければ、なるべく距離や間合いをとってみる。

自分自身だって冷静でなく、
誤解している部分も多々あるでしょうけれど、
「理不尽な人や集団とは離れるしかない。」

今日は、急にそんなことを思ったので、書いてみました。

自社の統合とメール変更:妻を亡くして。

前回の投稿3/29では「冷たい雨です」と書きましたが、
4月も8日になって、いよいよ体感も春ですね。

一昨日の日曜日には、
私も家族ぐるみで仲のいい「妻の親友ご夫妻」と、
まだ桜の残る霊園に行き(東京都西東京市ひばりが丘)
妻の墓参りをしてきました。

妻が1月3日に亡くなって(満63歳)、3か月が経過。

知人の皆さんも「いまだに信じられない」とのことで、
ほんと、その「信じられない」が
「現実を信じなきゃ・受け入れなきゃ」に変わり、さらに
「思い出になっていく」には時間がかかるのでしょう。

でも、私は淡々と元気ですのでご心配なく。
(そもそも、元気ハツラツのタイプじゃないしねー!)

きょうは、タイトルにも書いた通り、
自社の統合とメール変更(予定)のお知らせです。

投稿のテーマとしては 似つかわしくないし、
面白くないとは思いますが、
「業務連絡」としての記載をお許しください。

さて、編集系ライター・ジャーナリストの妻と、
広告コピーライター・クリエイティブディレクターの私は、
それぞれ 一人フリーランスなりに株式会社を持っていました。

ちなみに、夫婦二人で「一緒の仕事」に取り組むことは、
いっさいしませんでした。
きっと一緒にプランニングしてたら喧嘩になった!?

妻の会社の名前は、英語の「お花」の意味で「flowers」。
私の会社の名前は、「さざ波や波紋」という意味の「ripple」。

リプルは「中心から広がる」というキャッチフレーズと共に、
お客様の本質を探って表現化するというコンセプトと、
小さな会社ながら いろんな関係が広がりますように…
という意味でripple(RIPPLE Inc.)とつけました。

しかし妻を亡くし、人生がガラッと次の段階に行ったいま、
68歳の独り身爺さんとして、あとの生活や仕事をどうするか…。

会計士さんとも相談して、
・妻の執筆活動から発生する少々の印税や
・自宅兼オフィスのマンションをflowersで登録していること
・さらに妻との思い出を残す意味でも…

「株式会社flowers」の方に統一し、リプルを整理・吸収。
rippleの波紋が消えていくのは少し寂しいですが、
妻の社名flowersの方で、おっさんはもうひと花!?

rippleの「co.jp」アドレスは保持できないので、
割り切って「Gmail」に変えます。
私と妻の両社を手伝ってくれていた総務経理女性の
メールアドレスも同じくGmailに。
(妻はflowersアドレスを所有せず個人メールでした。)

4月中には、会社登録もメールも整備し、
5月から私は、株式会社flowers代表として出発です。

とはいえ、あくまで会社登記やお取引の便宜上で、
実質的には「フリーランスの川島=広告の川島CD」。
会社名のflowersを前面に出すことはありません。

今後は徐々に「新たなGmailアドレス」にて
皆様にご連絡することとなります。
お手数ですが、お手元の記載アドレスをご変更ください。
(後日、個別にお知らせしますね!)

ちょうどいま、大きな事務処理が5つ進行しており:
1_妻よりも9か月前に亡くなった、妻のお母さんの相続
2_お母さんが完了しないままの、妻自体の相続
3_私の会社、株式会社リプルの今期決算
4_妻の会社、株式会社flowersの今期決算
5_flowersへのリプル統合と各種整備

会計事務所・及び司法書士さんとぐちゃぐちゃです。

それでもね、考えるのです。
人生って辛いし悲しいけど、
こんなにもダイナミックで、楽しいし面白い。

さらに、昨今の世界情勢の急変や、AIの爆速の進歩など、
未曾有の変化の時代に皆さんも自分もいる。
「見届けなきゃ」とも思います。

ほんの1か月前から「Google検索」は使わなくなり、
すっかり生成AIの「Gemini」及び「Chat GPT」との
会話(筆談)の毎日!

独り身でもまだ生きていこうと考えて、
ヘラヘラと仕事も続けている
このおっさん・爺さんとのお付き合いを、
よろしければ、ほんとよろしくお願いいたします!

テレビ契約もほぼ解約:妻を亡くして。

妻がいなくなって(と書くと、家を出ていったとか
離婚しちまったーーってニュアンスがありますけど)
もろ「外での転倒事故で亡くなって」2か月と3週間。

夫婦で「これからのシニア生活」を計画し、
庭付きの3階建てからワンフロアのマンションに移ったのに、
転居1年目で私一人になってしまった(汗)。

そんな「やれやれ」の「再仕切り直し」ではありますが、
ここ荻窪のシンプルなマンションに引っ越す際には、
「断捨離」… 大袈裟に言えば「終活」を意識して
運び込む荷物を厳選しました。

私たち夫婦は:会社勤めを経てフリーランスとなった
・広告クリエイティブディレクター・コピーライターの私と、
・編集ライター・ジャーナリストの妻でしたが、

山のようにあった、夫婦それぞれの
本、資料、書類、洋服、靴、そして
食器、鍋、頂き物、家電、写真、収納家具 etc.

※雑談ながら(あ、ぜんぶ雑談か!?)
収納スペースとか収納家具、はたまた隙間家具なんて、
あればあるだけ物を仕舞い込むのが人間で。
「収納場所が多い」って整理整頓のパラドクスですよね。

それらのアイテムが「絶対必要か」の判断以外に、
「思い出の残し方」という課題にも悩みました。
例えば「可愛い時分の(笑)子供の写真」も、
厳選した後は元の建物と一緒に潰しても良いと割り切った。

実はまだ、マンションから30分もあれば行ける距離の
一戸建ては、数年息子が住むのでキープしているものの、
資料も思い出も、残し出したらキリがない。
レコードと音楽CDは、さらに何年も前に売却しました。

今回タイトルにした「テレビ契約もほぼ解約」は、
妻の逝去を契機にさらに断捨離を進めて…
見なくなったテレビ放送契約やオンデマンド配信を、
潔く(いさぎよく)解約したというお話です。

妻は、夜寝る前には映画やドラマ配信の「Netflix」と
「WOWWOW」を必ずつけていました。
ワウワウ独占放送の「テニス4大大会」も好きだったなー。

私は長編ドラマ… というか長時間視聴が苦手で
(何時間も何日も習慣のように追うことが嫌になる!
だったら2時間程度の映画でいい!)
きっとそれは、私が長時間座っていたり、
同じ人といたりすることが苦手なのと同じでしょうけど。

映像系を「たっぷり見よう」としたら、今どきは
Netflix、WOWWOW、Hulu、U-NEXT、ディズニープラス、
ABEMA、民放テレビのTVer(ティーバー)…
YouTubeだってあるしね。

でも、私はそんなに見ないので、
妻が亡き後は、NetflixとWOWWOWを解約。

録画も、NHKの朝ドラや料理番組など
たくさん並んでいましたけど、ぜんぶ消しました。
ふと「妻が好きだった番組、残したものを消去するなんて」と
少しだけ引っかかりもありましたが、私はドライなので(苦笑)。
そして自分で溜め込んだ録画も、どうせ見ないとわかったから。

チャンネルで残したのは、通常の地上波+BS。
テレビをつけっぱなしにしておくことはまるでなく、
たまーにNHKのニュースとドキュメンタリー、
Eテレ以外はほとんど見ないです。
特に民法のバラエティー番組なんて、頭が腐るから見ない。

テレビ契約は、ケーブルテレビのJ:COM経由なので、
私がこれだけは有料契約している「YouTube」と
「Amazon Prime Video」も同じリモコンで視聴できて便利です。

まぁ、見たいものは、これら「地上波/BS/YouTube/
Amazon Prime Video」の範囲で探せばいいやと。
それ以外はあきらめて、映画館にもなるべく行こうと。

いつでも・なんでも見られる時代ではありますが、
もう「時間に際限なし」の年齢でもないしね(68歳トホホ!)。

妻を追うようにいつ死んでもいいので、
生きてる限りは「カオスよりシンプル」。

少ないテレビ番組を楽しんで参ります。

今日は妻との思い出に絡めて、
「物を少なくする」という話をさせていただきました。


なんでもない話をする人がいない:妻を亡くして。

本日は、久しぶりとなる「妻ネタ」。
2か月と2週間前に死んでしまった妻をネタにした雑談です。

湿っぽい話をする気はありませんので、ご心配なく。

昨年末の12/27(金)に倒れ(文字通り転倒し!)
私との救急車内での会話を最後に
まったく反応のない昏睡状態で年を越し、
搬送1週間後の1/3(金)に亡くなりました。

*****************

※詳しくは下記の投稿からご覧ください。
(その後、何度か記載しています。)

【妻「川島 蓉子」についてのお知らせ:夫より】2025/01/16

Facebook
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid0QytHsy5iUCrmyJzzgka52gdS3AwCoKD9tqBeGekKf4Uh6NovHBTNZ5sDRYh9pT7Cl&id=100001246147727

Blog
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55150022.html

stand.fm(妻は、どうやら戻ってこない)
https://stand.fm/episodes/6791e0bda8bca47274953f06

*****************

さて、今日のテーマ:
「何気ないこと」「どうでもいいようなこと」を話せる人が、
家にいてくれる状況は、ありがたい
(ありがたかったのだなー)との実感です。

夫婦二人で移ったマンションで
(1年少し前、老後の整理へのステップとして一戸建てから
引越をしたものの) 突然、私 一人になっちまった。

すると… 自宅での「日常の会話」が いっさいないわけです。

仕事先の人と顔を合わせて打ち合わせしたり、
オンライン会議だったりはもちろん、
知人・友人と会話する時も、
どんなにリラックスしていても「外向き」は意識する。

うーむ、大袈裟な話ではなく、
それなりに考えて・組み立てて話すと思うのです。

例えば、住んでる街について
「駅前の再開発はどうなるんでしょうねー。
私が聞いた噂では担当しているデベロッパーが」てな話と、

妻から頼まれたキャベツときゅうりとお惣菜を買って帰り、
「駅前の小さな八百屋、今月で閉店だって」と私が言い、
妻の「そうなんだー」で終わる会話の違い。

理屈っぽく言うと「妻への報告」なのですが、
それ以上続かないかもしれないし、それでもいい。
時には、返事さえ なくてもいい会話。

そんな、ほとんど反応も議論もなく、
空気のように交わす会話が、
妻がいないことで できなくなってしまった。

よく、長年連れ添った夫婦は「空気のような存在」と
例えられますけど(まー、良くも悪くも)
独り身になると、自分からの、
「ほとんど独り言のような一言」の「行き場」がない。

これが続くと、本当にぶつぶつ独り言を重ねたり、
テレビ画面に話しかけたりするのでしょうねー。

爺さんの一人暮らし。

とはいえ、68歳にして まだ広告屋仕事は続き、
お友達もいてくれるので(みんなに感謝です!)
せいぜい「外との」会話を意識しようと思います。

フェイスブックだってブログだって、音声配信だって…
「内側&外側への」独り言みたいなものですから。

最近、マルチプラットフォームに対応するようにしたので、
音声配信スタエフ(stand.fm)での録音を、
SpotifyとApple Podcasts、そして
YouTubeでも聴いていただけます。(←是非に!)

いま偶然、部屋の本棚に目をやったら、
谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう)さんの詩集
『夜中に台所で ぼくはきみに話しかけたかった』
が目に入りました。

内容はもちろん、いいタイトルですよねー。
いろんな相手(きみ)が登場する詩集ですけれど、

『夜中に台所で ぼくは妻に話しかけたかった』。

マイクを変えて、Videoも載せた(なんちゃって)。

本日は、音声配信に
・ゆるい動画ページを作り、
・外付けマイクまで奮発してしまいましたー。
というお話です。

私の数少ないSNS投稿のうち、文字版である
このFacebookとBlog(しかも両方に同文を掲載!)を
読んでくださっている方には、
興味のない話題かもしれません。失礼します…。

さて、トピックスは2つ:
1つは「音声配信の録音用に、わざわざマイクを買った」話。
2つめは「ついに私もビデオポットキャスター(なーんてね)」
という雑談で、

先に「2」から書きますと:

私は、2024年7月からスタエフ(スタンドエムエム:stand.fm)
を始めて85回になります。

スタエフやVoicyのパーソナリティの方々が、
続々と「別のPodcast(ポッドキャスト)」にも手を広げ
「音声配信のマルチプラットフォーム化」を始めている
というのをヒントに…

前回の放送から、自らのスタエフ投稿を
(番組の解説テキストを含め、過去のアーカイブ丸ごと)
SpotifyとApple Podcasts、そして
YouTubeにも配信しました。

ベースとなるスタエフに投稿すれば、RSSという機能で
他のプラットフォームにも自動で更新される便利さ!

当然、スタエフに動画はないので、
YouTubeでは「タイトルとサムネール画像だけ」の
ラジオみたいなものですけどね。

そして、次にトライしたのが、
(流行に乗らない広告屋の私ではありますが… 笑)

ビデオポッドキャスト!

人気パーソナリティの「イケハヤ」さんは、
「YouTubeよりビデオポッドキャストを始めるべき」と
おっしゃっており、
中村淳彦(なかむら あつひこ)さんも着手が早かったです。

ただし私は、今後も映像配信はやらず
「声だけで良いかなー」と思っているので
(何せ流行に乗らない・乗れない広告屋ですから…)
過去に撮った映像をちらっと掲載する省力化。

実は2年ほど前、テスト撮影のようにして3本だけ、
1本3分から5分の「ミニ広告講座」を収録しました。
そのついでに「自社のYouTubeページ」も作ったのですが、
その映像を今回、ポッドキャストにコピペしておこうと!

そんなわけで、各種音声配信プラットフォームの中から
日本では音楽試聴アプリとして有名で
動画掲載もできる「Spotify」を選び、新たなページ=
題して「なんちゃってVideo Spotify」を始めることに。

■なんちゃってVideo Spotify:川島CD(広告CD/C: RIPPLE Inc.)

繰り返しますけど、「始めましたー」と宣言する割に、
古いのを3本流用しただけ。
ほとんど記録用の「なんちゃって」アーカイブページです。

それでも私は、YouTubeとSpotifyに動画を載せる
マルチプラットフォーマーの仲間入り!?

そして、もう一つのトピックスは:

スタエフ録音用の「マイク」を、
「有線のスタンドマイク」に変えてみた!!!

きょうから(本日の音声から)そのマイクで録音しています。

私が素晴らしいと思う女性パーソナリティ「みみこ」さんが、
IT機器に強い立場から「無線のBluetoothマイクはNG」と
教えてくださって。

まさに私がずっと使っていたのは、Bluetooth接続で
耳にはめるタイプのイヤホン兼マイク「Air Pods Pro 2」。

それを、同じApple製でも有線による接続の
「Ear Pods」に変えて試してみて、

さらに、スタンドに乗った立派な外付けマイク
Shure(アメリカ・シュアー社)の「MV6」を買ってしまったと。

目に見えるカタチで目の前にマイクがあると、
アナウンサーみたいで配信者気分 爆あがりです(笑)。

マイクとの距離とか、声の大きさとか、
これからの工夫ですけれど…。

まぁ、私が宣言しなければ、
特別にマイクを変えたなんてわからないでしょうし、
そもそもの鼻声が花粉症で拍車がかかり…

マイクの設定ソフトで
「いがらっぽさOFF、滑舌をスムーズに」とかにできたら
良いと思いますが。

はい、本日は、
・音声配信にゆるい動画ページを作り、
・外付けマイクまで奮発してしまいましたよー。
という個人的なお話でした。

お時間がございましたら、覗いてみて(聴いてみて)ください。
そして、よろしければ下のボタンから
「いいね!」とチャンネル登録を(って私はYouTuberか!?)。


★(音声)スタエフ:小さな広告屋から@川島CD
https://stand.fm/channels/60a08752b82bc5e1f38f5a19

★(音声)Spotify:小さな広告屋から@川島CD
https://open.spotify.com/show/2wyZ4PozrCgw9Zrq4cynvf?si=_c9y51B3SiyB_H7jiGMaag

☆(映像)なんちゃってVideo Spotify:川島CD(広告CD/C: RIPPLE Inc.)
https://open.spotify.com/show/2Oepbjj4VLlBPsd4Y56ePx?si=AhGaVCyxRrGOK-9bGTKHCg

☆(映像)YouTube:リプル川島の「小さな広告屋から」
https://www.youtube.com/@ripple-ad/videos


モラトリアムな大学生活と職業選択。

※本日はすごく長いです(2,200字!)

私は、このFacebookとBlogに加えて、
音声のスタエフ(stand.fm)も配信しているのですが、
そのスタエフ 及び Voicyで愛聴している
「春木先生※」に触発されて、今日の記事を書いています。

※春木 良且(よしかつ)先生:
・元フェリス女学院大学教授で、今も複数の大学の
非常勤講師として活動。情報化社会論と情報倫理が専門。

※音声配信
・Voicy「知的好奇心チャンネル(情報化社会の歩き方)」
→戦略的モラトリアムのススメ:2025/03/09
・スタエフ「ライト版・知的好奇心チャンネル」

先生は、1956年(昭和31年)生まれ。
翌年の1957年3月生まれの私とは、たまたま同学年。
全くお会いしたことはありませんけど!

そんな素晴らしい先生が、
最近の大学について(大学生と大学生活について)
「モラトリアムこそ大学の価値」とおっしゃっています。

モラトリアムとは、ネットで調べると:
moratorium= 責任を猶予された状態。

大学生のモラトリアムとは、
厳しい受験を終え、社会に出るまでの
「猶予された自由な数年間」という意味ですね。

まぁ、親御さんの学費工面のご苦労は別として!

ところが、昨今の大学生は、モラトリアムどころか、
「勉学の忙しさに追い詰められている」との春木先生のお話。
ここ数年の「コロナ・パンデミック」が
より「学びの管理」に拍車をかけたようです。

日本の大学って、諸外国と比べて
「合格すること、入学すること」がゴールで、
入ってしまったら「ゆるみ」放題。
授業にはろくに出ず、遊びかサークルかアルバイト…
みたいなイメージがありますよね。いわゆる「バカ大学生」。

「大学で得た知識なんて役に立たない」と言われて久しく、
「もっと勉強する体制に管理すべき」との考えから、
出席の厳格化や予習復習・レポート課題など、
今の大学生は「学業に」ほんと忙しいそうです。

これを読んでくださっている大半の方は、
早稲田大学=通称「バカだ大学」だった私のように、
「勉学に集中する体制になったのは、
本人にも日本の将来にも良いことじゃない?」と、
ご自分の過去は「棚に上げて」おっしゃるかもしれません。

だから、春木先生も「大学は本来、勉強に集中するところ」
との正論かと思いきや、なんと「この状況・環境では、
せっかくのモラトリアム期間とならずに問題です」と。

先生のご意見を詳細にはレビューしませんが
(ぜひ放送をお聴きくださいね!)
「あえてモラトリアム」でいることから生まれる
偶然の発見や出会い(英語でセレンディピティ:Serendipity)
及び 考えの熟成は、私もわかる気がします。

ほんと、「役に立つことを効率的に学ぶ」なら、
いきなり「専門学校」とか「職業学校」が良いわけで。

一般教養科目を中心とした大学の価値が「どこにあるか」
と言ったら、ほんと「総合的にゆるく学ぶ」時間を通しての
「モラトリアムとセレンディピティ」かもしれません。

自分のことを考えてみても:

早稲田大学高等学院という、大学の附属高校から
ストレートに早稲田の商学部に進み、
ゼミではマーケティングと広告をかじったものの
4年生では就職に真剣になれず。

留年して5年生までいた、超モラトリアムです。

そののち、当時で業界4〜5位の広告代理店に入社し、
6年ほどいて制作会社に移り、
10年在籍して自分の会社を設立。

表参道に事務所を構えてからは、
多い時は8名ほどでバタバタやっていましたが、
私に経営者としての能力はなく、20年ほどで解散し、
今は自宅での気楽な一人フリーランスです。

話はあっちこっちに飛びますけど(汗)
大学を留年した1年間(5年生の時)には、
授業も少ないので通ってみたのが、銀座で夕方に開かれる
宣伝会議社の「コピーライター養成講座」。
これが私の職業を決めました。

早稲田大学では、クラスでもゼミでもサークルでも、
それなりに友達もいて楽しかったものの、
「書籍や音楽やアートについて」語れる人は、
ほんの一部しかいなかった。

音楽バンドの「はっぴいえんどがー」とか
「10CCのコンサートに行った友達の興奮」とか、
「絵画のルネマグリットの展覧会がある」とか、
そんな話題はほとんど仲間と話せなかった。
さらに、世の中の動きなんて、まったく。

それが、一人で夜間の「コピーライター養成講座」に行ったら、
「コピーライターになる」という目標を持ち、
自分より年上で、すでに社会人の人もいたからでしょう。
「話ができる=話題を共有できる」人がすごくいた。

こんな人たちと世界がある!と、ほんと嬉しかったです。

もし、大学入学の18歳の時点で、
「自分の進路を見据えて」
実利を考えればベターの専門・職業学校に入っていたら、
それが正解だったかは… うーむ どうだろう。
今の自分とは違っていたかもしれませんね。

勉強しなかった大学生活とはいえ、回り道をしつつ
徐々にじんわりと得たものは大きかったかもしれない。

そして、モラトリアムな大学生活を過ごした結果の、
5年生での専門学校的なコピー講座との出会い。

大学とは、学問を学ぶところではあるけれど、
その他の「いろいろ」を学ぶきっかけを与えてくれる
チャンスと偶然の「猶予期間」でもある。

私の、いま68歳の人生が、成功か失敗かはさておき
(2か月前に女房も死んじゃったしなー)
「あんな大学生活も、よかったかな」と思い返した今日でした。


【追記】そういえば、5学年 年下の妻(2025年1月3日、63歳にて逝去)は、
早稲田大学商学部4年(会計ゼミ)と並行して、文化服装学院マーチャンダイジング科3年間の経歴。
娘も4年生大学以外に、イギリスの経営系に1年、アメリカのファッションマーケ系に1年。
息子も4年生大学と専門大学。
めちゃくちゃモラトリアム&ダブルスクール(?)な家族だったことに気づきました。

音声配信で話す速度とイントロ紹介。

本日は、私が昨年=2024年から参加した音声配信
「スタエフ:スタンドエフエム」に絡めて、

「話す速度」と「聴く速度」、さらに
イントロの「一言自己紹介」についての考察です。

ご興味があれば、喋りの方も聴いてくださいね。
(ネタとしてはFacebook・Blogと同内容の省力化!)

■スタエフ「小さな広告屋から@川島CD」
https://stand.fm/episodes/67cad637ef7b0c0b5d4635cb

まずは「イントロの紹介文」:

従来は、
「こんにちは!
クリエイティブディレクター、コピーライターの川島CDです。
2025年3月7日、金曜日」って感じでした。

それを今日からは、
「こんにちは、川島CDです。
2025年3月7日、金曜日」と短くしました。

それでも、冒頭の「こんにちは!」がないとノリが出ないし、
「デザイナーさんとは違う私の役割を紹介したい」
という思いで「川島CD」の愛称、さらに
放送が「自分なりの考えの整理と記録」と言う意味もあるので、
日付はフルで(後から見たら年号はすごく大切!)。

音声配信では、毎日きちんと配信している方でも、
イントロの紹介をびっしり(それゆえ!?早口で)
しゃべるパターンも多いのです。

仮に私が「長めイントロ」を想定すると…

「この番組は、長年広告業界で企画制作に関わってきた、
私 川島孝之が、その知見を生かし、
広告業界の実態やコミュニケーションのヒントについて
語り尽くす… と思いきや、ただ日々の平凡な生活を
5分から10分以内で語る残念なチャンネルです」とかね(笑)。

そして、「話す速度」と「聴く速度」については:

私は、音声配信やYouTube視聴、ましてや
オンデマンドで見る映画を「1.5倍や倍速、できれば
3倍速でもいい」なんて見方はできません。

自分の好みに加え、68歳と言う世代・年齢も
大きく関連していると思いますけど。

ですから、よほど資料的に聞く以外は、必ず「標準」の速度。
聞きやすさという理由以外に、
「話している人の速度も、その人の個性」と思うからです。
コスパ・タイパを考えたら、早回しかもしれませんけど。

そんなわけで、私の喋りも「まったり、のんびり」。
若い人や、イントロ含めて早口でしゃべる人からすれば
聴いていられないでしょうね。

若い頃には、ラジオCMの制作にも携わっていたので、
Voicyやこのスタエフ、耳で聴く書籍であるAudibleにも
とても興味があって。

きょうは、自らの音声配信について
「速度とイントロの考察」を語ってみました。

録音の方は5分弱。
花粉症でますます磨きがかかった鼻声を披露しております。

独り身の68歳誕生日:妻を亡くして。

3月3日は、桃の節句=ひな祭りです。
(そして毎年、絶賛 花粉症中の私。涙)

Googleで検索すると、桃の節句は
「女の子の健やかな成長と健康を願う行事」とのこと。

ちなみに、5月5日を「端午(たんご)の節句」=
「男子の日」と限定せずに「こどもの日」としたのは、
ジェンダー問題もあるのかと思いましたけど、
その設定は案外古く、いまから77年前の1948年には
「こどもの日」になっていたようです。
ま、イメージとしては、いまだに
「男の子寄り」なのかもしれませんけどね。

そして、3月3日と言えば、
この私=川島孝之・川島CDの誕生日でもあります!
(5月5日よりは似合いかな? 笑)

1957年(昭和32年)生まれなので「68歳」になりました。
いやはや、なんとも… うむむです。

4年前に亡くなった母が、私が60歳を過ぎた頃
「ところで幾つになったの?」と聞いてきて
(当時、私は60歳だか61歳だったか)
「あんた、もうそんな歳!?息子が60じゃ世も末だわ」
みたいな「名言」を残しましたけど。

そんな息子も、さらに生きて68歳になってしまいました。

そしてね母さん、孫である
私の長女は結婚し、長男はまだ独身で元気ですけど、

私の妻の蓉子がね、死んじゃったんですよ。

年末の12/7(金)に倒れて、
救急車で運ばれたものの すぐに昏睡状態。
まるまる1週間眠ったままで年を越して、
1/3(金)に63歳で息を引き取った。

そんなわけで、きょう3月3日はちょうど:
◎妻が「63歳で亡くなって」まる2か月。
◎同時に、私の「68歳の誕生日」となりました。
(はい、妻は私の5学年下でした。)

「亡くなって2か月」というのは不思議な時間感覚で、
つい数日前のようにも感じられるし、
もう遠い昔のようにも思えるのです。

妻は、ファッション業界の取材や、
著名企業さんのブランディング企画にも関わり、
30冊ほどの著書もあったジャーナリストでしたので、
朝日新聞や讀賣新聞の1面にも訃報が載りました。

「ツイン・ピークスのデビッド・リンチ監督死去」
という讀賣新聞の記事の下に、
小さくではありますが「川島蓉子さんが63歳で死去。
告別式は近親者で済ませた。喪主は夫、孝之氏 …」
なんて載ったくらい。

パリへの取材にも毎年行って、
私も(ついでに)ついて行ったことがある妻が、
夕食どきになっても帰ってこない。
あれ、帰国日程が延期かな???

老後の生活を考えて、
一戸建てから「夫婦二人で移ったマンション」に、
私は一人で残されて。

なんか、「永遠の出張」みたいなものですかね。
「皆様、妻の川島蓉子は永遠の出張に出ておりまして、
帰りの目処が立っておりません」。

はい、そんな状況ではありますが、
私はいつものように淡々と、マイペースで元気です。
一人の単独行動にも(夫婦二人時代を含め)慣れています。

多くの皆様から、メッセージやメール、お手紙、
お届け物を頂戴し…。

きちんとしたお葬式やお別れの会も行わず、
お礼のご連絡も追いついていない状況ではございますが、
皆様の「妻・川島蓉子」へのお悔やみと、
「夫・川島孝之」へのご心配をありがとうございます。

「いつでも会うよ、飲もうね」とか、
「老後の趣味も兼ねて料理教室に通ったらいいのに」とか、
「再婚もいいよ」なーんてのもあって。
さまざまな勇気づけとアドバイスに感謝です!

68歳の独り身男は、まだ仕事の広告屋も続けつつ、
杉並区荻窪のマンションで楽しく暮らして参ります。

FaceBookでは、自動で「川島さんが誕生日です」
みたいなお知らせが行くようで、毎年 皆様から
多くのお祝いメッセージをいただきます。

一見すると今年は「めでたくない」誕生日ですが、
それでも十分「めでたい」ので、どうぞご遠慮なく(笑)。

ただし、お一人おひとりの
「おめでとー(びっくりマーク)」
「おめでとうございます(花束マーク)」なーんて
おんなじような文面に、いちいち返信をしない
皮肉屋の頑固爺さんではありますけど。

重ねて、心より感謝です。

教えられることはないけれど、引き出すこととまとめることは少しできる。

きょうのタイトルは… 長いですねーー。

ほぼ同内容をアップしている
音声配信の「スタエフ:stand.fm」では、
タイトルのお尻が「切れて」掲載されています。反省!

私のBlogとFacebookはまったくの同文。
さらに音声も多少のアドリブはありながらも同原稿。
それでもよろしければ、私の「声」もお聞きください(笑)。
https://stand.fm/episodes/67c1757eb0296763c91c635e
(スマホでは専用アプリをダウンロード)

本日は珍しく、仕事内容について書かせてもらいます。
そして、ちょっとだけ広告論みたいなことも。

Blogには「小さな広告屋から」
というタイトルをつけているものの、
「広告制作やコミュニケーションの知識・ノウハウ」を
語っているかと言えば、ほとんどなく。

「広告屋の日常」という雑文としても、
「コラムとかエッセー」と言うには軽すぎるし。

結局、他人に発信する(見てもらう・聴いてもらう)を
前提とすることで(縛りというかポーズというか)
漠然とした自分の考えや日々の生活の記録が
「何百文字か何分かにまとまる」という、
自分用の「メモ・備忘録」のような存在価値です。

当然、私にも承認欲求はあって(笑)、
公開している限りは覗いてくださる方がいて嬉しいです。
お付き合いくださり、本当にありがとうございます。

SNSの発信者さんによっては大きな目標である
フォロワー数増大と収益化(マネタイズ)も、
私の場合はまるで考えていませんし、無理です!

言わんや私に、学校の先生のように
(それが大学でも専門学校でもカルチャースクールでも)
「広告の発想法」や「企画術」
「コピーライターのテクニック」などを
論理立てて教える能力はありません。

まぁ過去にも、リアルでミニセミナーを引き受けたり、
SNSでも「ヒントのようなもの」は発信してきましたけれど、
「ひとコマ90分 ✖️ うん十回」なんてできない。

そうした意味で、私が拝聴している(Voicy&スタエフ)
春木先生(元フェリス女学院大学教授、情報化社会論・
情報倫理)なんて、濃さと語りがすごいです。

まぁ私も、広告屋として、食い逃げみたいな
薄い「情報商材」なら作れるかもですけど(笑)。

さて、「引き出すこととまとめることは少しできる」
という部分は…

前提として:
世間の方からすると広告や販売促進物は(昨今はネット)
「デザイナーが作る」「デザイナーに頼む」との認識がありますよね。

印刷物や Webは「デザインが完成してなんぼ」なので、
「デザイナーの仕事」と思われるのは当然です。

しかし、デザイン以前には、全体の方向性や、
文章(コピーライティング)をまとめることも重要で、

地味ながら私は、
◎全体をまとめる「クリエイティブディレクター=CD」と
◎文章をまとめる「コピーライター=C」を仕事にしています。

そして、私がクライアントさんと合意した文章や、
大まかなレイアウトを、
それこそ「プロのデザイナーさん」にカタチにしてもらう。

もちろん、優秀なデザイナーさんは、
企画や文章への造詣もあるので、一人で作れてしまいますけど、
ひどい場合は、クライアントさんから渡されたママの文章を、
長かろうが短かろうが、内容が中途半端であろうが、
ただ綺麗にレイアウトして、さらに「斜めにしたり」
「いらぬ飾り」をつけることをデザインだと思っている節がある。

あ、ちょっと喧嘩売っちゃいました。(春木先生の口癖!)

デザインする前には、「方向性と、文章化」が絶対に必要となる。
それは、大手の宣伝部なら当然のことですけれど、
中小企業や個人企業など、日頃「会社の言語化」をしていない
会社さんほど大切になるのです。

よく、「コピーライターは物知りで国語にも強い」と
誤解されるのですが、私は漢字も知らないし、
いろんなことの知識もスカスカです!

それでも長年、商売になってきている理由は…

「引き出すこと」 と「まとめること」のノウハウが、
論文や大層なセミナーにはできませんけれど、
職業(職能)としては持っているから。

クライアントさん(スポンサー、広告主とも言います)
の話をじっくり聴いて、資料もいろいろ見せてもらい、

「それはこういうことでしょうか」と整理し、
「世の中との接点や業界の中ではどうですか」と問いかけ、
「こんな言い方もできますね」と文章化する。
そして、デザインに落とし込む。

アイデアも絵柄も文章も「自分の作品」とかではもちろんなく、
広告表現は芸術と異なるビジネスサポートですけれど、
自分の中を伝わって出ていく「巫女(みこ)さんの口寄せ」
みたいに感じる時はあります(オカルト!)。

大切なのは、大きな方向性とともに、
軸となるものを見据えて、その企業や個人の魅力を
「引き出すこと・まとめること」。

カッコいいキャッチフレーズや
目を引くタレントさんもいいですが、
根本のところが広告制作の醍醐味であり大切な部分
(もちろんチラシや名刺一つでも)… というお話でした。

きょうも「まとまりきらない自分のまとめ」に、
お付き合いくださり、ありがとうございます。

力を抜いて生きるコツ。

今日は、「整体院」に行って、
「力の抜き方」のようなものがわかった、という話です。

タイトルは「力を抜いて生きるコツ」。
ちょっと大袈裟ですね!

はい、ここ2か月ほどの家庭の事情で、
固まった体と心をほぐすために(ナーンて)
近所の整体院へ初めての訪問。

私は、毎日 酒飲んで、スポーツもトレーニングも
まったくしない身なんですけれど、唯一
「軽い体操」と「ストレッチ」、「氣功もどき」はやっています。

さらに、自宅兼事務所に一日中いる時も、買い物や
近所のカフェに2回は行ったり(あと夕暮れの飲み屋!)
5,000歩から8,000歩は歩いてます。
都心部への外出がある時は1万歩ほど。

そのように「ゆる運動」はしているつもりなのですが、
整体師さんから指摘されたのは

「マッサージを受けること自体に力が入っています」と。

その方曰く:川島さんの場合、
リラックスするためにストレッチを行っても、例えば
「回している腕そのものに」力を入れて動かしているとのこと。

つまりね、その部位とか動作自体に「りきみ」があって、
「固いまま動かしているので効果が低い」とのアドバイスです。

なるほどね、そりゃそうだ。
「柔らかくしよう」と思って動かしているのに、
「硬直しながら」動かしている矛盾。

教わった「コツ」としては、

1_例えば歩く時は、腕を… もっとピンポイントで言うと
「手首を」柔軟にすること。

昔(昭和の30年代や40年代の私が子供だった頃)
テレビ番組に「体操」のコーナーがあって、
その「歌」に、こんなのがありました。

おててをブラブラブラ、パッ、トン。
おててをブラブラブラ、パッ、トン。

自分の横か胸の前で手首をブラブラさせたら、
前方に両腕を突き出し(指先はパー!)
ストンと落とす。それを2、3回繰り返す。

だから、意識して足早に手を降って歩く時も、
「腕をちゃんと振ろう」ではなく「手首を柔らかくして歩こう」。

リラックスのコツで良く言われる
「肩の力を抜く」はもちろん大切ですが、
「手首を柔らかくする」は、大きなヒントでした。

2_そしてもう一つ。これは自分での発見ですが…

「筋肉をゆるめよう」とトライしたり、
「呼吸を工夫したり」ではなく(それも大切ですが)

「いま/自分は/力が入っている」と「認識」すること。
それだけ。

「あ、俺、力が入っている」と気づいた瞬間に、
(ため息の一つも出て)力が抜ける。

力を抜こうと必死に努力するのではなく、
力が入っていると認識し・それを素直に認めること。
(「認識」って「認める」と同じか… 「気づいて」「受容する」)

まとめると、

1_特に手首の柔らかさに注意する。

2_力を抜こうと努力するのではなく、
力が入っていると認めてしまう。

亡くなった妻の「四十九日法要」も終えたので、
いよいよ正式に「シニアの一人暮らし」に入っています。

私が死んだら、また妻とお墓で一緒になれることを楽しみに。

それまでは、ヘラヘラ、ヘナヘナと
ますますマイペースで生きるため、力の抜き方に精進します!

四十九日法要と納骨:妻を亡くして。

きょう2025年2/16(日)は、
亡くなった妻の「四十九日法要」と「お墓への納骨」でした。

「四十九日」と言うように、
亡くなった日を初日として「49日め」が理想の日取りだそうです。
それにはあと4日あるのですが、
日程の「繰上げ」は構わないとのことで
(繰り下げはしないのが一般的だそうです)
家族の都合で本日=日曜日の午前中に行わせていただきました。

お墓は東京都の西東京市。
田無駅やひばりヶ丘駅、ひばりが丘団地に近い
「本願寺ひばりが丘霊園」です。

妻の実家である新潟市の両親はすでに亡くなり、
妻は一人っ子なので、新潟は「墓仕舞い」する予定。
すでに生前から決めていたので私の「川島家の墓」に入りました。
(こういうのを夫婦で決めておくのも重要ですよね!)

過去の投稿と重なりますが、
ちょっとだけ亡くなった経緯を振り返ると:

妻は、年末の12/27(金)まさに仕事納めの日の早朝、
マンション前の道路で転倒して「右のこめかみあたり」を強打。
救急車で運ばれ、すぐ昏睡状態。
そのまま年を越して、まるまる1週間眠ったままで、
1/3(金)に息を引き取りました。

12月1日生まれですので、63歳になったばかりでした。

生前から希望していた
◎70代・80代になる前に=60代の(それなりに若い)うちに
◎夫より早く=自分が夫に取り残されるのは絶対嫌と言って
◎不必要な延命処置もなく(必ず断ってと頼まれていました)
1週間だけ「お別れの期間」をくれて、
1/3(金)の夜8時半「はい、ここまで!」と逝ってしまいました。

お見事! 鮮やかなものです。

とはいえ、妻は編集記事や本の執筆、
名の通った企業さんのブランディングにも関わっていたので、
残された方は大混乱!
(ネットニュースや新聞にまで訃報が載りました:過去記事参照)

そんなことも、妻からしたら
「あ、ごめんごめん。あとはよろしくっ」てな感じでね。
こちらからしたら「おいおい! 」です。

私は、広告のコピーライター・ディレクターなものの、
妻の仕事には「いっさい」関わってきませんでしたので
その対応はけっこう大変でした。

妻のスケジュール帳の「年末年始の予定」を見たり、
パソコンやスマホのメールを開いて「1月○日の打合せ」
みたいな通信には「突然ですが夫です」と返信したり。
(受信した方はびっくりしますよね)。

打合せや、お茶する予定のお友達から
「何か電車の遅れですか」のメッセージや留守電が入ったり。

私も、コミュニケーション商売の端くれにいる者として、
どう相手の方に「亡くなりました」との事実を切り出そうかと
悩みました。

しかし、大きなプロジェクトの収拾に関しては、
生前の妻からチラチラとお名前をお聞きしていた
プロジェクトメンバーや企業さんの営業部・広報部、
編集者の方々に助けられ… 本当にありがとうございます。

川島蓉子が、どれだけ素晴らしい方々と親交を持ち、
支えていただいたことか。

本来でしたら、大きなお葬式や「お別れの会」を
実施することも可能でしたが、
(それこそ綺羅星のような「葬儀委員会」が編成できました!)
失意の娘や息子、そして生前からの私と蓉子の約束もあり、
家族のみの見送りとさせていただきました。

それでも今後、妻の遺影と、残された一人暮らしの夫と
語らってくださる方がいらっしゃいましたら、
個別にご連絡をお寄せください。

人間は、生まれてくる時は簡単でも
(産んでくれるお母さんには多大な苦労をかけますけど!)
「死に方」は難しいです。

「ピンピンころり※が理想! 」と言うものの、
意図しても、なかなかそうはなれません。

※由来と意味:Chat-GPTの回答
「ピンピン(PP)」は、日常生活を自立して元気に過ごす様子を指し、
「ころり(K)」は、寝たきりや長期間の闘病を経ることなく、
短期間で亡くなることを意味します。
この言葉は、1980年代に長野県小布施町の住職・鈴木秀子氏
(医師の鈴木秀子氏とは別人)が広めたとされています。

はい、自らのオッチョコチョイのせいで、冗談のように、
しかし(たぶん)理想の形で亡くなった妻。

いよいよ四十九日の空に「あっぱれ」と送りだすしかありません。

今日の住職さんの言葉
「亡くなった方のカタチはもうないものの、
残された それぞれの方の、心の中に生きています。」

みなさま、本当に本当にありがとうございます。
(36年連れ添った夫より)

***************

★投稿のタイトルに「妻を亡くして」と記入するのは、
今回で一区切りとします。

今後も、蓉子の事を
「つい」語ってしまうこともあるでしょうけれど、
メインのネタ(苦笑)にするのは、四十九日を終えた本日までと。

暗い話題にも関わらず、
聴いてくださった方や、読んでくださった方に感謝です。

それから、妻のFacebookから私の方へ飛んでくださった方にも、
心より御礼申し上げます。

本来の「小さな広告屋から」という雑談
(コラムと言うか、かっこよく言うとエッセーというか、
しかも広告談義はほとんどなし!)
そんな投稿に戻りますけれど、
よろしければフォローをお続けください。

家で立ち飲み・立ち食い・立ち仕事:妻を亡くして。

タイトルに「妻を亡くして」と入っているものの、
きょうはカジュアルな、日常の話をさせていただきますね。

皆さんの健康にも、ちょっとはお役に立つかもしれません。

■まず最初に「立ち仕事」について:

これは1年ちょっと前に杉並区荻窪のマンションに
引越する以前(練馬区上石神井の一戸建)からなので、
約6年「スタンディングデスク」を書斎に置いてきました。

昇降式=高さがレバーひとつで上下に変えられるもの。
とはいえ、メインの事務机は別にあるので、
立ち机は「高さ1メートル」に固定。
天板は、カフェのテーブルみたいに小さなものです。

なぜ購入したかと言うと「健康を考えて」はもちろん、
私がすごく「飽きっぽい」から!?

気分屋というか、少し 多動症的なところもあるのか、
1時間もじっと座っていることができないんですよ。
人とのリアル会議でもセミナー受講でも飲み会でも、
途中で必ず立つ。

そーっと静かに立ち上がるものの、セミナー会場で
「ご質問ですか?」と言われたこともあるなー。
立ったら、首や肩、腰を回して屈伸して。
人迷惑ですよねー(笑)。

実際、座りっぱなしの生活(特に仕事のデスクワーク)は、
良くないと言われ始めていて、
NASA(アメリカ航空宇宙局)の研究でも:

◎自律神経を整え、運動不足を防ぎ、老化防止のために、
「30分に1回は立つこと」。
◎ただし、立ちっぱなしの必要はなく、立つ動作をするだけで
(歩き回らなくても) 耳の奥にあるセンサーが「揺れ」を感じ、
「自律神経と全身の筋肉が整う」らしいです。

そんなわけで、自宅での作業が多い私としては
(それ以外にカフェに2回は外出しますけど)
書斎のメインデスクと/立ち机/
さらにダイニングテーブルをウロウロしています。

室内でも散歩です(笑)!

■次に「立ち食い・立ち飲み」の方は:

これもキッチンのシンクで、以前からよくやっていました。
妻が生きていた頃は(まだ1か月と1週間前までは…うーむ)
「こんなとこで食べてないでテーブル行ってよ、お行儀悪い!」
と、怒られたものです。

マンションへの引越しを契機に、
「軽く飲み食いできる、立食用のカウンターを
買ってもいいかなぁ」と尋ねたら、
「そんなもん 家に置かないでよ」と拒否されて。

もう死んでしまったもので、
そして、私一人でささっと食事することも増えたので、
女房の許可をとることもなく
(まだ四十九日前なので、そこら辺にいるかもしれないけど)
書斎と同じようなスタンディングデスクをキッチン用に購入。

書斎の方は色がブラウンですけど、キッチンのはホワイト。
iPadの画面を眺めたり、ちょい呑みの時にも便利です!

てなわけで、シニア二人暮らしだったはずのマンションの、
お一人様「立ち飲み・立ち食い・立ち仕事」。

私も、あんまり長生きする気はないけれど、
生きてる限りは健康でいたいと思います!

皆さんも料理(←私はしないけど!)や、お掃除以外でも、
室内で立っていますか? 歩いていますか?

娘と息子がいてくれたから:妻を亡くして。

本日も「妻ネタ」となりますけど、
しんみりしたお話ではないのでお許しください。

さて、妻を突然亡くして、1か月と1週間。
来週の日曜日には四十九日法要とお墓への納骨を行います。

過去の投稿と被るものの説明させていただくと:

妻の蓉子は年末の仕事納めに当たる日
=12/27(金)早朝、ゴミ出しと軽い散歩に出ようとして
マンションの前で自ら転倒し頭を打って…

右側の側頭部、こめかみのあたりを強打。
ここは骨が薄いわりに太い動脈もあるらしく、
一気に内出血が脳全体に広がったようです。

ストライク!バッター、アウト。

それでも救急車では、奇跡的に痛がることもなく
(もう麻痺が始まっていたのでしょう)
転倒した状況や住所・名前も救急隊員に伝えることができて、
「あなた、水持ってる?」と私がいつもカバンに入れている
ペットボトルの水を飲み、車内のエアコンを
「もう少し暖かくできますか」とまで言って。

救急隊員の「静かに横になっていましょう」の声に
目をつむって、そのまま病院の処置室に入り…。
完全昏睡状態で1/3(金)に亡くなりました。

「突然のことで…」とは良く聞く台詞ですけれど、
年末年始のお別れ時間は用意してくれたうえ、
「はい1週間。もう行っていいかな、ごめん」
「あとはよろしく!」みたいにサクッと逝ってしまった。

生前の希望であった「70、80歳になる前に/
夫より先に/長患いすることもなく」63歳にて。

妻のお仕事先やお友達もおっしゃるように、
「嘘でしょ」「信じられない」が本当で、
夫の私としても、こうして淡々と(冷静を装って!?)
書いてはいますが、
まだ「マジックの種明かし」があるような気分です。

それでも現実は現実。

そんな中で、きょうのタイトル
「娘と息子がいてくれたから」を話したかったのは、

私が妻と二人だけの生活で子供がいなかったら、
私はもっと妻がいない喪失感を、
受け止める比重が高くなったであろうと。

31歳の独身の息子と、
32歳で2年前に結婚している娘。さらにその旦那や、
私の妹。

直接の家族がいてくれたことで、
病院の手続きや葬式の段取りをやってくれたり、
もちろん、精神的にどれだけ助かったか。

独身の方やお子さんのいらっしゃらない方にはすみませんが、
家族がいて良かったなーと、つくづく感じる次第です。

そして、これも前に話した気がしますが、
実は我が家は「すごくドライ」な家族でして…

例えば新幹線の座席をくるっと回して
「4人がけ」にするのが大嫌い。子供達が幼少の頃は除き、
席は2人・2人の前向きでいいし、ずっと話してなくていいし、
たとえ予約の関係で電車や飛行機の席が離れても、
何も気にしない。各人好きに時間を過ごせばいい。

夫婦での旅行も、現地集合・現地解散とか、
朝早めに妻はホテルを出るけれど、私は
チェックアウトギリギリまで部屋やロビーカフェにいるとかね。

そんな「各自勝手」な家族ですけど、
あー、大きくなった娘と息子がいてくれて良かったと。

家族の絆とか言っちゃうと、川島家には似合わないですけど!

多くの皆様から悲しみとお気遣いの言葉をいただきました。
本当にありがとうございます。あらためて感謝です。

【追記】私は、あまりLINEでのやり取りが
好きじゃなかったのですが(多少使ってましたけど)、
妻の入院中の対応と、葬儀などのやり取り用に
子供達が「私・娘・息子」3名の連絡用グループを作ってくれて。
ドライで疎遠な川島家で、四十九日の段取りにも
絵文字スタンプが飛び交う仲良しさ。

煌々(こうこう)と輝く室内光ではなく:妻を亡くして。

妻が亡くなって、ちょうど1か月となりました。

きょうも、重めの話題となり、すみません。
徐々に「妻ネタ」から切り離して行きますけど、
しばしは(どうしてもねー)ご勘弁ください。

亡くなったのは1/3(金) でした。

その1週間前= 仕事納めともなる年末
12/27(金)の早朝に近所で転倒し、
右の側頭部(こめかみあたりの弱い部分)を強打して救急車。

そこから1週間、年末年始を昏睡状態ながら生きて、
1/3(金) 1月3日 金曜日が命日となりました。

・1か月と1週間前に倒れ、
・1か月前に亡くなり、
・親族だけの葬式からは約3週間という流れです。

つい数日前の出来事のような、
永遠の昔のような気もして不思議です。

今日のタイトルは
「煌々(こうこう)と輝く室内光ではなく:妻を亡くして。」
としましたけれど…

妻と二人で、杉並区荻窪のマンションに移ったのは
1年ちょっと前のことでした(2023年の12月)。

それまでの庭付き一戸建(広めの3階建)から、
老後のライフスタイルを考えてのマンション移住で、
家具も整い、整理整頓もして、
部屋や近隣の環境にも慣れてきたところでした。

部屋の照明って、ヨーロッパ調の黄色い電球と
間接照明がおしゃれですけど、
日本の室内は直接照明の蛍光灯(最近はLED)が大半です。

良く言えば合理的、悪く言えば
なんの深みも陰影もないペラペラのイメージ。

移ったマンションも、築34年ながら
リフォームされているので、テカテカの光。

しかも妻が「暗いのがキライ」だったので
(寝室以外が暗いと、不安になると言ってたなー)
バッチリ白く、まさに煌々と光らせていました。
私もそれで、問題はなかった。

ところがね、私の元来の好みもあるかと思いますけど、
妻がいなくなってしまったという心理的な影響もあるのか
明るい照明が、ちょいとキツイ感じがしてきて。

蛍光灯なりに、スイッチオンの箇所を減らし、
照度(明るさ)を落とせる所は落として。

その分、手元を明るくするために、
スタンド式のスポットライトも買いました。

皆さんから「奥様が亡くなって落ち込んでいませんか」と
心配いただくのですが… 私は元気です。ありがとう!

元から「ブイブイ言わせる」「ウェイウェイはしゃぐ」
タイプではないし(←昭和・平成的な言い方ですね!)
淡々とマイペースな人間なので一人暮らしを楽しんでいます。
お仕事の打合せも復活してますし。

そして、まだ元の家にいる独身の息子も、
結婚した娘も、30分以内で会える距離です。

ところで、
妻が亡くなって1か月となるきょう(2月3日)は、
たまたま「立春」。

正確に言うと(いま検索してみたら)
「2025年の立春は、2月3日22時10分」だそうです。

夜の10時過ぎから新しい年=春が始まるのですね。

照明をやや落とした部屋で(リビングも仕事用の書斎も)
妻との生活に思いを馳せながら、旧暦(太陰太陽暦)で言う
「春=新しい1年」の始まりを迎えます。

例によって、夜は酔っ払いながらですけど!(笑)。

皆様も、「適度に明るい人生を」(なーんて)
それぞれの輝きで、生きて行ってくださいね。

Facebookへのコメントや、個別のたくさんのメール、
お手紙などをありがとうございます。
すべてには返信できませんが、心より御礼申し上げます。


いなくなってからの方が、妻のことを考える。

前回、前々回と、皆様を驚かせるすごい発表となりました。

そして、お悔やみのお言葉(本当にありがとうございます!)
と共に、当然のことながら、
「嘘でしょ」「信じられない」とのフレーズを多数いただきました。

妻が亡くなった経緯を「あからさまに」見た私としては、
皆様に(特に妻と親しかった方々や、お仕事を中断した方々に)
どうお伝えしたら適切か…

こうしたBlog・Facebookのような
「半分オオヤケ」のメディアに加え、
個別のメール・メッセージ・お電話にても悩み
(一応 コピーライターという仕事柄もあり!?)
長短いろいろお送りしてはおりますが、
ご報告や返礼が追いつかぬ部分をお許しください。

さて、きょうは妻が倒れた12/27(金)からちょうど1か月です。

昨年末12/27(金)の早朝に救急車に乗り、
数時間・数日の命を宣告されながらも
お正月を迎える1週間、昏睡状態ながら生きてくれて、
息を引き取ったのが3週間前の1/3(金)。
ほぼ家族だけの葬式からは2週間が経ちました。

約4週間(1か月ジャスト)、
約3週間、
約2週間。

朝 まだ暗い早朝に、ちょいとマンションを出て
自らの「転倒」で頭部の弱い部分を「ストライク!」で打ち、
生前の希望通り「70歳・80歳になる前に/夫より先に/
長患いもなく」逝ってしまった63歳の妻。

ほんと冗談のような亡くなり方で、
一種「生き急いだ」とも言える人生です。

でもまぁ、「お見事!鮮やか!」な死に方だったと思います。
ほんの1週間、語りかける時間をくれたりね。

だから私も、「そりゃ早すぎるでしょ、私はどうすんのよー」
という思いはあれど、妻への不満はありません。

それでもね、今日のタイトル
「いなくなってからの方が、妻のことを考える。」は本当で、

家に帰っても妻がいないなー(出張だっけ?)とか、
朝が早い妻からの「にんじん、きゅうり、牛乳」
なんて書いた買物メモが置いてないなーとか、
お惣菜売り場で「あー、このお弁当 蓉子が好きだったなー」とか、
たまたまテレビに映る映画が「これ見てたなー」とか、
ダブルベッド、こんなに広かったっけとか。

いなくなる前に、もっと妻のことを考えておけよなー!と。

皆さん、奥様や恋人のこと、大切にしてあげてくださいね。
そして、もっと「見て・考えて」あげてくださいね。

妻より5学年上、67歳の独り身おっさんは(3月で68歳)、
もう少し人生を楽しんでいきます。

これからも、よろしくお願いいたします。


追記:妻「川島 蓉子」への御礼と訃報のメディア掲載。

夫です。
皆様、本当に多くの閲覧と
お悔やみの言葉をありがとうございます。

※前回の投稿
【妻「川島 蓉子」についてのお知らせ:夫より】2025/01/16
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55150022.html

天国で(いや四十九日の前なので、まだそこらへんにいるのか)
蓉子は「やっちまったー」と舌を出しながらもニコニコしております。

蓉子が倒れてから(12/27金曜日の早朝でした)4週間、
亡くなってから(1/3 金曜日の夜でした)3週間、
葬儀から(1/11土曜日でした)約2週間が過ぎました。

いまは、四十九日法要と納骨(川島家の墓に入ります)の
準備中です。
知人やお取引先の多さから、
本来でしたら大きなお葬式やお別れの会も考えられましたが、
家族だけの見送りというワガママを言わせていただきました。

また、新聞やネットニュースにも訃報を載せていただきました。
蓉子の業績と人柄を偲ぶ意味でも、よろしければご覧ください。

■YAHOOニュース(セブツーからの転載)
https://article.yahoo.co.jp/detail/922eeb4b4288858f3ed4598ba0d814d32c5e5f8d

■朝日新聞(デジタル)
https://www.asahi.com/articles/AST1K45GMT1KUCVL03PM.html

■讀賣新聞(オンライン)
https://www.yomiuri.co.jp/national/20250117-OYT1T50101/

■偏愛百貨店(蓉子が店長を務めたオンラインサロン)
https://henai.jp/

川島蓉子を愛してくださった皆様、本当にありがとうございます。

妻「川島 蓉子」についてのお知らせ:夫より。

3週間と数日ぶりの投稿となります。
突然のご報告を失礼します。

私も驚いておりますが、皆様も信じられないであろう、
「嘘みたいな」内容となります。

年に1〜2回は、パリを中心とする海外出張があった妻なので
「あれー、まだ帰ってこない…数日延長かな」くらいの気分なものの、
蓉子は永遠に本当に、帰ってこない存在となりました。

↓↓↓↓↓

★12月27日(金)に緊急入院した妻 川島蓉子は、
1月3日(金)に帰らぬ人となりました。


<経緯>

12/27(金)早朝、夫婦二人で一年前から過ごす
杉並区荻窪のマンションにて。

超早起きの妻は、まだ暗い5時半頃のゴミ出しと
散歩に出た際、マンション前のコンクリート道路で
右後方に激しく転倒。頭(右の こめかみあたり)を強打。

救急車を呼んでくださった方があり、私が同乗して
7時頃に新宿区戸山の「国立国際医療研究センター病院」に
入りました。

救急車内で妻は、痛みは訴えず(すでに麻痺かと)、
自分の名前や転倒の経緯を話すなどしてくれましたが、
処置室に入ってからは急激に意識が遠のき、昏睡状態に。

医師からは(外観の傷は大袈裟に見えないが)
脳しんとうと脳幹の出血が激しく、内部を圧迫。
当然検討した頭の手術の実施も、
手のほどこし用のない状態との判断に変わりました。
急性 硬膜外血腫。

たとえ手術を早めにした場合でも(悲しい言い方ですが)
植物状態、良くて かろうじて反応するかどうかでした。

当初は数時間の命を宣言されましたが、やや持ち直し、
12/27(金)〜1/3(金)までの正月を含む1週間(まる8日間)
昏睡状態とはいえ、親族が語りかける時間をくれました。

1/3(金)20時半頃、逝去。
1961年(昭和36年)12月1日生まれの63歳でした。

新潟市出身でライター・ジャーナリストの妻は一人っ子。
昨年4月に母も亡くし、直接の親族はいません。

日頃から、妻の口癖は、
・いま63歳だけど、70歳なんて絶対に嫌よ。
・5歳上のあなたもいるから、もう少しは生きるけど。
・あなたより後に死にたくない、取り残されるより私が先。
・何かで入院することがあっても、延命治療は絶対にしないで。

そんな話を、事故の前日にもしており、
「でもお互い70歳と75歳を過ぎたら次は養老マンションか」
などと言っておりました。

入院に際しては、親族以外のお見舞いはご遠慮させていただきました。
ご容赦ください。


<葬儀>

葬儀は1/11(土)午前中に行わせていただきました。
家族・親族を中心とする十数人だけの式で、
「通夜・告別式・初七日」もまとめた、本当に簡素な一日葬でした。

多くのお友達やクリエイター、編集者、
大手企業の皆様とも交流のあった妻ですので、
壮大なお式にてお見送りいただくことが本来ではございますが、
生前の蓉子の希望もあり、このようなワガママとさせていただきました。

浄土真宗(大谷派=お東)の住職から頂いた法名は
「釋尼光蓉」(しゃく に  こう よう)で、
「お釈迦様の仲間となった/女性の(昨今は省くこともあるようですが)
/光り輝く/蓉子」との意味。

皆様の胸にも、明るく輝く蓉子を残していただければ幸いです。

お香典 お花等も、ご遠慮いたしております。


<御礼>

自ら大きく転倒し、良く言われるフレーズでありますが
「頭の打ち所が悪かった」なんて…
そして昏睡状態1週間の「見送り」期間を経て、
さっさと逝ってしまうなんて、まったく冗談のようです。

しかし、夫である私や、娘、息子からしましたら
「母さんらしいよねー」という「やらかし」で、自らが望んだ
「夫から取り残されるより先、自分が60代でいなくなる」を
見事に実現してくれました(やや早かったですが…)。

自分でも「バタバタのサザエさん」と称するほど
おっちょこちょいの蓉子を、笑ってお許しください。

蓉子は編集・ライター・ジャーナリスト系、
私は広告・コピーライター・ディレクター系で、
よく「企画や本の内容、帯のコピーなど協力なさっているのですか」と
聞かれることがありましたが、我が家はお互いの仕事に不干渉。
まっすぐの妻と、マイペースの夫。
一緒に進めたら喧嘩になりました、多分!?

それでも、「今日はこんな個性あふれる方とお会いした」と、
ちょっとずつですが、皆様のことはお聞きしておりました。

私から訃報を差し上げることは忍びないのですが、
皆様のこれまでのご愛顧に、心より感謝申し上げます。

そして、蓉子がお仕事を突然停止した方々にお詫びいたします。

以上、ご報告と御礼とさせていただきます。(夫より)


■川島 蓉子:ジャーナリスト
1961年新潟市生まれ。早稲田大学商学部卒業、
文化服装学院マーチャンダイジング科修了。
伊藤忠ファッションシステムに入社し、取締役、
ifs未来研究所所長などを歴任。2021年退社。
元 多摩美術大学非常勤講師、Gマーク審査委員。
伊勢丹、虎屋、ビームス、資生堂などの取材本ほか、
エッセーを含めた30冊の執筆と、「街・店・人」に関する
各種連載、及び企業のプランニングに携わる。


即レスはそんなに良いこと?

メールや各種SNSでの「やりとり」に関して、
「返信」は どの程度の速さですべきかという課題です。

結論を言えば、
基本「早く返せればそれが望ましいと思う、努力すべき」
でも「そんなの各人が勝手にすれば」ですよね(苦笑)。

「仕事ができる人はメールやメッセージへの反応が早い」
との説があり、さらに
「秒速返信」とまで宣言されている方もいます。

秒速返信!?

うーむ、「できる経営者は必ずと言っていいほど超早起き」
という常識(?)とも似てます。

私はねー、「できる人」じゃないのでしょう、
早起きはイヤだし毎回 即レスなんてできない、したくもない。

「秒速返信」の人は、「その時 何をしていようが、
呼吸するように返信する」のでしょうね(想像)。

送られてきた文面に対して、何日も放置はまずいですよ。
マナーとしても、特に仕事の円滑な進行としても、
「受理しました、いついつまでお待ちを」等の
「第一報」はすべきだと思っています。

それでも、「何時間か」以内なら上等じゃないですか。
超緊急なら、きっと相手も電話をかけてくるでしょう。

こちらは、一人の時間でも仕事に集中している時がある。
遊んでいる時もある。
他人と会議や、会食している時もある。

いちいち、スマホ見ている必要はないでしょうに!
と、思うわけです。
(いや世の中の大半は四六時中スマホを見ている人か!?)

営業の極意として言われる(ま、色んな説があるわけですが)
ごちゃごちゃ こねくり回して時間を要するよりも、

・すぐに答える
・素直に答える
・相手に合わせる

は、大切なことだと思っています。

自分自身でも、変に溜め込んでストレスにするより、
手離れ良く前へ進める処理能力は大切。

それでも「即レス」というのには、なんだか
「コスパ」「タイパ」と同じものを感じて。

あと、連絡対応による遂行作業の(集中力の)中断や、
マルチタスク・シングルタスクの問題もありますね。
それについてはまた書きたいと思いますが…。

たまーに、「了解」とか「ぜひに」とか、
一言返ってくる言葉は めちゃ早いのに中身が薄く、
具体的な行動が伴わない人もいるよなー。

はい、そんなわけで、
「即レス」しないし、できない時がある私を許してね!
という投稿でした。

とはいえ、くれぐれも
チャチャっと進めるものは進めましょうね(笑)。

加湿器遍歴、結局この方式この製品!

いよいよ年末。
そして東京も本格的な寒さ。

こうなってくると気になるのは、暖房はもちろんのこと
「加湿」問題。湿度の低下です。

そんなわけで、今日のテーマは
「加湿器遍歴、結局この方式この製品!」
アフィリエイトしようかって程の商品推しとなります(笑)。

私は1年前までは一軒家に住んでいて(庭付きの3階建)、
夫婦で杉並区荻窪(天沼地区)のマンションへ
引っ越してきて感じたのは「気密性の良さ」。

今年で二度目の冬になるわけですが、
室内は寒さが緩(ゆる)んだ気がします。
外気の影響の少なさや、
一度温めた室内のキープ度が高いのでしょう。

湿度は、何もしなくても50〜60%はある。
ところが暖房エアコンを使うと、一気に30%を切る。

エアコンの「乾燥の影響」ってすごいんですね。
一軒家とはまさに環境が違うものの、
加湿器が必需品なのは変わりません。

ちなみに冬の室内の適切な湿度は、
一般的に40%〜60%が理想的だそうです。

で、昨年使っていた機種を引っ張り出したものの、
フィルターはガビガビだし、どう設定しても動かない!

こまめに掃除しない私も悪いんでしょうけど、
加湿器のフィルター掃除は(もちろんボディ全体もね)
めちゃ大変で、その手間を考えたらいっそ、
ばかみたいに安い機種を、
毎シーズン使い捨てにするかー! とまで考えました。

何を買おうかと数日油断していたら、肌がカサカサ。
何年振りかで風邪までひいてしまって!!

加湿器は、かなり選び方が難しいです。
いまネットを見ながら解説すると、加湿する方式には:

1_スチーム式:ヒーターで水を加熱して蒸発させ、
「水蒸気を発生」させる仕組み。

2_気化式:水を含ませたフィルターに風をあてて、
「水分を気化」させる仕組み。

3_超音波式:超音波で水を振動させ、
「ミストを発生」させる仕組み。

4_ハイブリッド式:「加熱+水分を気化」させるタイプと、
「加熱+超音波式」タイプがあるそうです。

私も長年、いろんなメーカーと製品を試してきました。
空気清浄機と一緒になった10万円近くするやつとかね。

加湿方式と部屋に応じた能力はもちろん、
音のうるささ・静かさ、空気の綺麗さ、
給水の便利さ、窓や壁の結露の問題とか。
そしてお手入れ。

書斎では特に、
パソコンやプリンターに与える水分の問題もある。

そんな中、改めてネットで調べつつ、
近所の家電量販店で購入したのが…

◎象印の「スチーム式加湿器」 EE-Rシリーズ。
約16,000円!

「象印の魔法瓶」で想像がつくように、
見た目も機能も、まさに湯沸かしポット。
ボディは丸い寸胴で、しかも白を買ったのでそのまんまです!

ホームページの歌い文句も
「清潔な蒸気のスチーム式で快適なうるおい。
まるでポットみたいに、お手入れ簡単。」

ってねー… 台所にある象印ポットと同じジャン。
押すとお湯が出てくるか、自動で湯気を振りまくか?

デザインもですね、最近は日本の家電は
パソコンのAppleやトースターのBALMUDAの真似で、
かなりおしゃれになってきましたけど、象印はなんとも無骨。
ボディの「丸型の筒(つつ)」自体はシンプルと言えますが、
ボタンの配置とか書体とかがなんとも。

購入した家電店の加湿器コーナーで、
たまたまご夫婦の方に店員さんが説明していて…

「この象印、デザインは見ての通りで
アイリスとかの方がおしゃれですけど、
構造がシンプルでおすすめです。うちの店長なんか、
自宅に3台も置いてますから」と言ってました(笑)。

何より優れているのは、そして私も気に入っているのが
◎水を沸とうさせるスチーム式のため雑菌が繁殖しづらい。
◎電気ポットと同じ構造を採用することでフィルター不要。
(象印のホームページより)

つまり、お手入れ簡単!

電気ポット技術を活かして、加湿器という分野でも
ベストセラー製品となっている象印。

ちょい、沸騰の時の音は大きめですけど、
別にそれは気にしません。

ごちゃごちゃといろんな方式が「しのぎ」を削る世の中で、
「Simple is best」の大成功例と思います。

本日は、ショッピングサイトみたいな投稿で失礼しました。

シーズンじゅう使ってみての感想も、またアップしますね!

スマホケース付けた、情けな!

本日のタイトル「スマホケース付けた、情けな!」は、

スマホを落として傷つけたからケース(カバー?)を
買ったという話ではなく、
つけた製品が情けなかったという事でもなく、

「ケースをつけることにした自分が情けない」
という雑談でございます。
期待しないで、読んでくださいね(笑)。

さて、私はiPhoneやMac、その他 道具いろいろ…
とにかく「ケース、カバー」をつけるのが大嫌いで。

飾りは極力排し、製品そのままで使う「裸派」。
iPhoneも「本体そのまま」が美しいのであって、
なんでケースなんかつけるの! と思うのですよ。

Apple製品が好きなのは、
iPhoneとiPadとMacノートとApple Watchを
使ってますけど(完璧にApple社に取り込まれている!)
使い勝手とともに、デザイン!
ボディもアプリも、箱の造りも。

一般的に(世間的に)家庭でも企業でも
パソコンはWindowsが基本なのは確かで、
プログラム作業や、エクセルなどの「Officeソフト」は、
Mac版では文字化けや微妙な位置のズレなど
不都合を生じる部分もあります。
(ナーンて、ほとんどエクセルもワードも
使いこなさない私には、関係ない話ですけれど…)。

そして、Windows系の製品
(というか、ほとんどのメーカーがそうですが)
シールがベタベタと貼ってあるのも嫌で。

製品がWindowsパソコンなのは明白なのに、
本体にWindowsマークとか、インテルがどうしたの、
注意事項やバンドルソフトのお知らせだの。

Appleにはそんなシール、一つもない! ミニマム。
「デザインへの美意識」が徹底している。

我が家のベッドサイドにある目覚まし時計は、
小さな「BRAUN:ブラウン」のものですけど、
このドイツの家電メーカーは、
美術館のコレクションに収まるほどシンプルで美しい。
SEIKOやCITIZENでも探したけど、ひどかった!

私の「好み」と言ってしまえば、それまでですけどね。
変な飾りがついた過剰なデザインは大嫌い。

ケース・カバーの話に戻りますが、
「道具として使う」ものに… 例えばハサミの取手に、
毛糸のカバーなんてつけますか〜?と。

ハサミは大袈裟としても、スマホは8割の人が
ケースをつけていて。
さらに、画面の保護フィルム(液晶シート)まで必須。
家電店で「フィルムを綺麗に貼ってくれる有料サービス」
まであります!

「傷や破壊から保護したい」気持ちはわかるけれど、
「汚れるのが嫌」って、どうせシールの表面は汚れるし、
道具なんだから多少は仕方ないだろうって。

落として割れたら、それはそれ。
傷つく時は、大なり小なりつくでしょう。

「売る時・下取りに出す時に、綺麗な方が価格が高い」
と言って、外箱や付属品までなるべく汚さないように、
梱包材まで保存して…という方もいらっしゃいますが…
うーん「いま十分に使いこなす」事が大切で、
私なんか、覚えの日付を外箱にマジックで書いたり、
不要な説明書や梱包材は迷わず捨てるし。

例えば車のバンパーやボディも、傷がつくのは仕方ない。
本も、ページを折ったり書き込んだりシミがついたり、
汚しながら読んで、それでなんの支障もない。

(見た目、すごい神経質で几帳面に見えるらしい私なので、
こんなことを言うとびっくりされるかもしれませんけど!)

Apple社としても、デザインへのこだわりに加え、
製品への集中という意味で、
ケースや電源コードなどのアクセサリー類は最低限にし
(純正品はえらくお高い殿様商売!)
周辺機器は外部の企業に競わせ
「ライセンス料で儲けている」というのもあるでしょう。

さてこのように、ずーーーーーーっとiPhoneを
(現在はiPhone15の白)裸で持ってきた私ですけれど…

長々 偉そうなことを書いてきたわりに、
なぜケースを買ったのか、つけたのか!?

実はね…
汚れの心配とか、落としたらとか、自分好みの装飾とか…
ぜんぜん そういうことではなく、
「コツコツ、ガタガタ」が気になってきたからなのです。

コツコツとは、ボディのアルミ合金が、
テーブルに置く時に結構うるさい。

ガタガタとは、裏面にカメラの出っ張りがあって、
平(たいら)に置けずに、机での操作でカタカタする。

ちなみに、この「カメラの出っ張り」は、
高性能と薄さのバランスで「致し方なく」でしょうけれど、
「スティーブ・ジョブズが生きてたら、デザインの美観上
絶対に許可しなかったろう」
と言われるほど、iPhone最悪のパーツですね。

そんな中、ふと、
「ケースをつけてみるとどうなるかなー」と思いついて(笑)。

しかも、「いちばんシンプルなお試し方法」として、
100均ショップの「Can Do:キャンドゥ」で見つけ、
税込110円!

やや柔らかい素材の「ソフトケース」(ハードケースではなく)。
透明度も高くて綺麗。

テーブルでの「コツコツ、ガタガタ」は、
かなり解消されたし、手のひらでの
ホールド性がアップして滑りにくくなりました。

いやー、長年のこだわりが、110円に破れたりっ!

今回は情けない(でも嬉しい)結果のご報告でしたが、
あなたは基本的に「裸派」ですか「カバー派」ですか?

なんの学びもない長話を聞いてくださって、
ありがとうございます。

紅葉の京都一泊、建仁寺他。

前回の投稿から、
ちょうど1週間、空いてしまいました。

風邪をひいていて…
もう治ったんですけれど、
咳と鼻水・微熱が、結構長くかかりました。
全部で10日ほど引きずりました。

さて、今は京都のホテル(土曜日の午前中)。
恒例の(笑)夫婦で一泊ミニ旅行です。

ホテルは、3年前からは「ここ」と決めている、
烏丸御池(からすま おいけ)の「エースホテル:Ace Hotel」。

すべての客室に、LPレコードとレコードプレーヤー、
ギターが置いてあって、従業員はスニーカーという
カジュアルなホテルです。
(建築家は隈 研吾+Commune Design)

もう、2021年の年末から8回目なので…
3年で8回ということは、
1年に2〜3回は来てるということですね。

昨日の金曜日、昼頃に京都駅に着いて、
東山地区の祇園四条(ぎおんしじょう)にある
建仁寺(けんにんじ)へ。

ホームページによると
「京都最古の禅寺」とのことで、
俵屋宗達(たわらや そうたつ)の「風神雷神図」が
あることで有名なお寺です。

お庭は小ぶりなものの、ちょうど紅葉が綺麗な中庭と、
白い砂に描かれた模様=「砂紋(さもん)」とか
「箒目(ほうきめ)」と呼ぶらしですね、それが描かれた庭の
それぞれが美しく、心が洗われる感じがしました。

そんな建仁寺から、
すごそばのライカギャラリー(カメラのLeica)に寄り、
瀧本幹也(たきもと みきや)さんの写真展。
京都とはまったく関係ない、
モナコをテーマにした小さな個展でしたけれど、
これまた目と心を洗われる美しさ!

町屋をリノベしたケーキ屋さんでお茶して
(建物を見るのも、旅の楽しみのひとつです)

そこから徒歩5分ほどの八坂神社へ。
ちょうど、屋台がたくさん出ていました。

てなことでホテルに到着し、夕食はそこでのイタリアン。
ここもしょっちゅう。

いまは朝の10時過ぎですけど、
妻はもう大阪での打ち合わせに出てしまい、
私は一人、ロビーのカフェ
「スタンプタウン・コーヒー・ロースターズ:
Stumptown Coffee Roasters」
(アメリカ合衆国オレゴン州 ポートランドの
コーヒーショップの日本一号店とか)にてカフェラッテ。

ちなみに、建仁寺の敷地内にも、
「ブルーボトルコーヒー:BLUE BOTTLE COFFEE」の
移動式カフェ「ブルーボトル コーヒートラック」があって、
近年のコーヒー屋さんの進出はすごいですね。

そうしていまは、部屋に戻って、こうして配信しています。

窓の外はちょい小雨。

もう観光地に行くことはしないで、
このまま昼近くまで部屋にいて、京都駅に直行し、
東京に戻ろうと思います。

ビールを飲みながらね。
(真昼間だけど!←新幹線乗車の「パブロフの犬」状態)

はい、今回も、ゆるいミニ旅。
京都東山地区をぶらぶらした川島夫婦でございました。

パンツのたたみ方と多様性。

本日は「パンツやのたたみ方から人間の多様性を見る」
という、なんともなテーマでございます(笑)。

川島家には、30歳を超えた娘と息子がいて、
もう娘は結婚し、息子はまだ独身です。

私たち夫婦は、ずっと広告制作業の私と
(私は、新卒で広告代理店に入り、
そこからプロダクションに勤めてから独立し、
数名の会社でしたけど、いまは一人のフリーランスです)

妻は、ファッション系の商社でマーケティングに関わり、
いまはフリーランスのライター・ジャーナリストとして
仕事をしています。

そんな「共働き」の夫婦だったので
(ともばたらき!いまは言わないですよね、当たり前過ぎて。
昭和・平成の時代には「奥さんも働いている=共働き」
という言葉がありました!)

ちなみに妻は、1985年に制定された
「男女雇用機会均等法」の第一号の世代です。

改めて調べてみると「男女雇用機会均等法」とは
「企業の雇用における男女の均等な機会・待遇の確保を
目的とした法律」とのこと。

すでに女性は、「お茶汲み」を超えて活躍していたものの、
妻が一人めを妊娠し、大きなお腹を抱えて
打合せに行くと(会社でも取引先でも)驚かれ、

さらに二人目を産む時には
「二人目も産むのに、まだ働いてるのー」
「もう今度こそ、辞めるんだよねー」と言われたそうです。
今や昔、ですね。

さて、そんな我が家でしたので、
子供の一人目と二人目が生まれた頃は
私たち夫婦以外に、年配女性のベビーシッターさんと、
たまに私の母親の「大人4名」で子育てしていました。

先ほどもご紹介したように、私は制作会社
(プロダクション)勤めの頃で、忙しくはあったものの
フレックス制で(このフレックスってのも、
共働きと同じく、コロナ以降 無くなった言葉かな?)
朝は比較的遅めに出勤できました。

だから、妻はめちゃくちゃ早い時刻に起きて
仕事に行き(朝6時とか7時には会社にいるとかね)
妻が家を出てから私が起き出して、
しばし小さな子供達と過ごしてから、
ベビーシッターさんがやってきて、
私が出勤した後は妻が夕方早めに帰ってくる。

夕方、妻が残業で帰れない時は、私が都合をつけるか、
同じ東京にいた私の母が来てくれる… てな感じで、

カレンダーに毎月、大人4人
「妻、私、ベビーシッターさん、私の母」の
「ローテーション表」を書き込んでいました。

シッターさんと母は、洗濯物の取り込みや、
料理も担当してくれて(ありがたいことです!)
我が家の娘と息子は、4人の大人、特に
「おばあちゃん=私の母」と「ばあば=シッターさん」に
育てられたようなものです。

さて、前置きが長くなりましたが、
4人の大人の、洗濯物のたたみ方や、
引き出しへのしまい方も、各人各様。

パンツだって、タオルだって、ワイシャツもね。

最初は、たたみ直したり、
入れ直したりしていたこともあるけれど、
そのままで支障があるわけでもなし。

仕事で、人のやり方(進め方や癖)に
反発したりすることは今も昔もいろいろあって、
自分の方式で進めたいと思う傾向は当然だけれど、

例えば部下や、外部のお取引先が
「ちょっと意図したものと違う」ものを持ってきたとしても、
「骨子があっていて、それなりにアップしてくれたなら」
ありがたいことだし、自分が気付けなかった視点や
方法論がそこにあったりもする。

「あー、これは ばあば流のたたみ方だな」
「次は真似しようかな」… とかね。

長年の夫婦生活なんて、反発と調整の連続ですよね(苦笑)。

そして、時間と場所に縛られない働き方や、
パワハラ、セクハラの防止、LGBTQへの理解など、
世の中は「多様性」について
(いろんな意味があるけれど、他人と他人のやり方を
認めるという理解において)
20年前、30年前より確実に進歩していると思います。

「パンツのたたみ方もいろいろだよな」と
洗濯物を見ながら感じた「あの日」は、
小さくて可愛かった子供達の思い出と共に、
日々過ぎていく生活シーンの中でも
不思議に記憶に残っている風景です。

絵画を見る速度。

昨日の月曜日と、その前日の日曜日
11/24・25の一泊二日で、
岡山駅と倉敷駅周辺に夫婦で行ってました。

例によって、私の投稿を見てくださる方には
お馴染みの「美術館」がらみのミニ旅行。

我が家の場合、旅行メニューとしては たいてい:

・ホテルはいつも決めている所。
それがない場合は面白そうな新規ホテル。
・美術展や展覧会に絡めていくことが多い。
・一泊か、多くても二泊。

・観光巡りは、無理のない時間と距離の所だけ。
極端に言うと、ホテルと美術館、
その間の電車・バス・タクシーくらいで
帰って来てしまうことさえあります。
(チラと土地の雰囲気を楽しめれば、それで良し。)

定番は:
箱根のハイアットリージェンシーに泊まってポーラ美術館。
京都のACEホテルに泊まって京セラ美術館。

今回の倉敷では、ホテルは開業したばかり
(オープンまだ10日)の宿でしたけど、
110年前に建てられた呉服屋さんの広い敷地を、
日本やヨーロッパで活躍する著名な建築家の方が
柱や梁(はり)も生かしながらリノベーションしたもので、
13部屋しかない趣のある所でした。

そして美術館は、「大原美術館」に二度目。
特別な企画展ではなく、常設展です。

美術館の周辺=誰もがご存知の定番
倉敷駅近くの「美観地区」でお茶して
岡山駅に移り、妻の知り合いのお店と、
「後楽園の庭園」を少し眺めて帰って来ました。

そんな川島家は「美術に造詣が深いか」と言われると、
まーったくそんなことはなく、
東京でもいくらでも大小の美術館があるのに
ほとんど出かけていくこともない。

単に、旅行に行く「きっかけ」として美術展を選び、
ホテルの「建築や内装」もセットで見てくる感じです。

でもね、そろそろ、都内の美術館も、
空いてる時期に行こーかなー、とも思う。
行列してまで(そして人の頭ごしで無理して)
鑑賞したいとは思いませんけど。

東京以外の都市で見る時は、それがちょっと
緩和されていると感じるのは、思い過ごしでしょうか。

さて、今回の倉敷市・大原美術館は、
私は2度目の訪問で、前回は5年前くらい。

情けなかったのは、
すっかり「前回見た絵」を忘れていること。

多少の絵の掛け替えはあると思いますが、
常設展だったし「目玉」となる絵、
例えばモネの睡蓮とかピカソは変わらないでしょうから。
そんな著名な絵画さえ、そこで見たことを忘れている。

小説や映画のストーリーや場面を思い出せないのと
同じかもしれませんけれど、
自分の記憶力(の無さ)に愕然とします。

そして、記憶力はもちろん、そもそも
「ちゃんと見ていない」のだろうなーとも思う。

今日の投稿タイトルは「絵画を見る速度」としましたが、
通り過ぎる速さとか、見ている時間の早さ(長さ)とか、
離れて見る距離の具合とかね。

きっと、「鑑賞法」てな検索をすると
「アドバイス」が色々出てくるかもしれませんが、
ほんと「見ている気になっているだけで見ていない」事実。

とはいえ、一瞬で「わーっすご」「なにこれ」「綺麗」と
(嫌な絵だなーと思うことも含めて)感じる事は貴重で、
いちいち「絵の横の小さな解説文」を見ることで
理屈で分かった気になるのがいいとも思えない。

それでもね、もう少し「緩めよう」
=「見方のペースダウン」をしようかなと…。

自分の少ない脳みそのキャパシティーを超えて、
絵を「見た気になる」のは、やめようと。

そんなわけで最近は、
(ほんと、視力も感性も体力も落ちていくわけだし…汗)

「その建物にある絵を、全て鑑賞しよう」などとは思わず、
さーっと全体を眺めながら、
特に自分が「目についた絵」の前では意識して立ち止まり
(できればソファがあれば腰掛けて)眺めるようにしています。

1点でも2点でも「今日、どんな絵と出会えたか」。
またの再会の時、
会場が違っても「また会えたね」と思えるか。

繰り返しになりますけど、
近場の常設展にもね、行く機会を作ろうと考えました。

今日のテーマは「絵画を見る速度」。
(速さ、早さ /見る、視る、観る/距離/目、頭、心、体etc)

そして、意識と細胞に影響を与える「移動の速度」は、
東京・岡山間の新幹線、3時間15分の旅でございました。

思いつきの情報化&日付の記載法。

今日のタイトル
「思いつきの情報化&日付の記載法」は、
「記録の情報化」とも言えるもので、

過去の投稿の続編でもあります。
※【メモで最も大切なのは日付である】2024/07/24

その投稿では:

・書類は(紙でも画面上の文字打ちでも)いつの記載か…
例えば今日の日付である「11月15日」と言っても、
すぐ捨てて構わない短期的なメモなら問題ないが、
ずっと後では何年の11月15日かわからなくなる。

・人間は、会話した場所や相手の「周辺情報」
を含めて覚えている=つまり思い出せるので、
最低で日付、さらに会議やメモの場所などの
記録があるとベター… と解説しています。

そんなわけで私は、「日付フェチ」とも言えるほど、
ブログもフェイスブックも音声配信のスタエフも…
「西暦を含めた日付」を正確に書くようにしています。

それは仕事用の書類だけでなく、
酔っ払って書いた思いつきのメモにも
(いちいち書くのは私でも面倒臭いですけど!)
西暦を含めた日付の記載が必須。

ちなみに、もう和暦「令和」はいらないです。
西暦だけで良いです。
天皇陛下を象徴とする日本の文化は、
和暦を含めて継承していきたいと思いますが…
日常の事務的な効率では、西暦だけあればいい。

私のSNS発信に関して、いったい何人の方が
「後からでも見よう・聴こう」
「過去の投稿・放送のアーカイブをさかのぼる」かは
わかりませんけど、

「あー、この話題は2024年11月15日ね」
「そう言えば世の中ではちょうどトランプが大統領に当選し、
自民党の石破はガタガタで国民民主党が伸びてきた時で…」
などと、日付と共に思い出せればいいなーと。

たとえ、くだらない思いつきメモであっても
(それが残っていたとして:資料はなるべく捨てるのが
本や洋服とともに私の最近の決意ですけれど!)

「この時代を生きている」「その時代を生きていた」
ってのは重要だと思うのです。大袈裟ですけどね。

そして、今日のテーマの後半となりますが…
「日付自体の書式」も大切。

皆さんいろいろ工夫されていると思いますが…

イギリス英語とアメリカ英語では、
日付の書き方が違うと言われます。

・アメリカ式では「月/日/年」の順、
・イギリス式では「日/月/年」だそうです。

10/11が、10月11日か11月10日なのか、
アメリカ人とイギリス人のやり取りで
混乱しないんですかね〜(笑)。

私は素直に「年・月・日」の順にしています。

その場合も「2024年11月15日」とフルで書くは大変。
数字だけの省略形としては、
一般的には「2024/11/15」ですが…

あるいはスラッシュも省略して「20241115」。
この書式は、メール等で見かける
「ファイルの名前」に使われる数字形式に多いです。

ただし、この数字8桁の羅列「20241115」は、
私の場合ですけど、
「数字の並びが多すぎてチラチラし、瞬時に読みとれない」。

聞いたところによると(今も改めて検索しましたが…)
認知心理学では『マジカルナンバー』という学説があり、

「ポイントは3つ」とか「人気ベスト5」とか
数字を入れることで印象的になるものの、
その数の基本は「7つ程度」=「7 ±2」だそうです。

従って、8桁ある「20241115」は、
許容範囲だけれど7桁は超えていて、
「私には」認知しづらいのかも知れません。

そんなわけで、2024を24と省略して
「241115」と記載しています。

ではね、ここで問題(課題)です。
2000年代ではなく、
例えば私が生まれた1957年はどう表記するか。
(1957年・昭和32年3月3日生まれ、67歳でございます!)

1957年は、頭の19を省略して57。
それって、2057年のことと思われる恐れはないのか?

うーーーん、
「67年前」の57と、「いまから33年後」の57は、
前後の文脈や資料の形態などで、
さすがに区別はつくのではないか。

そして、自分が100歳になった日付なんか、
もう知ったこっちゃないし、自分でもわからないはず。
そもそも生きてないし。

本日「2024年11月15日」=241115
(ニジュウヨン ジュウイチ ジュウゴ/
ニーヨン イチイチ イチゴウ)の記録が、
もしももしも まだ33年後にあったら、見てくださいね。

「思いつきの情報化」ないし「記録の情報化」と
「日付の記載法」というテーマが、
人生100歳のすごい話に発展してしまいました。

長文へのお付き合いを、ありがとうございます。


※過去記事【メモで最も大切なのは日付である】2024/07/24

BL
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55137686.html
FB
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid0Yry8wmVnwCMnzTMFTHjfaCQbbUbnoPTzgSX875iWDGW23dvYUrPTeaQX6u5svhoTl&id=100001246147727

4色ボールペンの変則活用術。

きょうは「書く仕事」のコピーライターとして、
(誰でも書くこと・メモすることは欠かせないわけですけど)

「筆記具」についてお話ししてみますね。
題して「4色ボールペンの変則活用術」。

私は文房具オタクではありませんが、
筆記具は「書ければいい」
「その辺に転がっているものでいい」とは思いません。

流石に「手書きには万年筆のブルーインクの味わいが…」
なんて粋(イキ)なことは言えないものの、
昔は書き心地と多少の見栄えを考えて、
1万円以上するボールペンを使っていたこともあります。

もちろん、サインペンや鉛筆、シャープペンシルも、
山のように模索してきた。

そんな中、人生67年で絞られたのが(笑)
400円弱の4色ボールペンです。

何かの提出書類を、役所や銀行の窓口などで
「住所と名前程度を書く」場合は、
カウンターにあるボールペンでいいんですけど、
長めに記入するとなったら「自分の」ペンを取り出します。

だって、軸(手に持つ部分)がやたら細かったり、
インクの出が悪かったりすると、ほんと疲れるのですよ。

愛用品を言うと:
三菱鉛筆の油性ボールペン「ジェットストリーム」。
その0.7ミリ芯/黒・赤・青・緑の4色タイプ/
黒色の握り部分と透明ホルダー。

ペン先を0.7ミリにしたのは、0.5では細かすぎて、
1.0も試したけどちょいべたっとする感じで…
0.7がちょうどいいです。
4色タイプなので、ボディはやや太めで握りやすい。
特殊な油性インクで、通常の油性ボールペンよりなめらか。

三菱のこの製品はとても評判が良くて、
世界に誇る技術ですよね。

でも「4色」とはいえ、
使う色は黒がメインで、次は赤。
青はたまーにで、緑はまるで使わない(不要)。

「だったら3色ボールペンでいいじゃない」
となるはずのところを
(3色ボールペンも4色タイプも軸の太さは変わらないし、
3色ボールペンの方が安いし…)なぜ4色かと言うと…

緑の芯を抜いて、そこにも黒を差しているからです!
(最初の緑は捨ててます、ごめんなさい!)

つまり私の場合、指でカチッと下げて色選択する時に、
ノックする部分は黒でも緑でも「黒インク」が出る
というわけです。

そう、いちばん使用頻度の高い黒を多めに持っておく物量と、
書いている最中に黒がキレたら、
緑=黒に移れば良いという補助効果。

そんなわけで、見た目は決しておしゃれではない4色
(実際は3色+黒のスペア芯)のボールペンを、
書斎にもリビングにも置き、カバンにも2本入れて、
「メインの筆記具は、ほぼこれ!」の生活を送っています。

ついでに、「4色ボールペンの変則活用術」その2として、
「カバンに2本も」入れておく必要は…

打合せ先やカフェで忘れちゃう場合の予備の意味と、

カフェでクライアントさんから聞き取りをする際に、
私が紙にメモするのはもちろん
(用紙はA4サイズのコピー用紙と決めてきます)
相手にも紙とペンを渡して書いてもらう時があるからです。

商品の機能を図解して説明してもらったり、
ターゲットは三角ピラミッドのどこに想定するか、とかね。
いわゆる「筆談」的。

相手にボールペンを渡してしまうと、
私もそこに書き込んだり、手元でメモできないし。
そんなわけで、常に2本、持ってます。

消えるボールペン(消せるボールペン)なんかも
「便利だー」と感心して、いっとき使ったものの、
やめちゃいました。

それから、原稿用紙に鉛筆で書いていた時代の話とかねー。
あんなこと、よくできたなー(遠い目…)。

「キーボード操作」のこととか、
「アナログとデジタルの情報処理の差異」とかね、
いろいろ掘り起こしたいことはあります。

でも、今日の雑文はここまでに。

「なるほどー」と思われた方も、
「ボールペンに何を細かいこと言ってんだか」と感じた方も、
読んでくださってありがとうございます。

アメリカは大統領の独裁国家になるのか。

すごいタイトルにしてしまいました(汗)。

普段は政治ネタは書かないし、ノンポリの私ではありますけど、
3日前(日本時間の2024年11月9日 土曜日の夜)に決着した
アメリカ大統領選挙に絡めて
思うところを書いてみたいと思います。

さて…

選挙開票前の予想では、共和党トランプと民主党ハリスは接戦。
トランプが勝つとしても、ギリギリ5.5対4.5くらいと
思われていましたが、イメージ的には
トランプ6対4とか7対3くらいの勢いでした。

大統領に決定したトランプさんは、今後の方針として

海外からの輸入関税の引き上げや移民政策、
イスラエル紛争などへの対応が課題ですが…

ウクライナとロシアの戦争については
(私はロシアのウクライナへの一方的侵略と理解しています)
「あっというまに終わらせる」と宣言。

ロシアがゴリ押しした侵略地帯は、
「そのままウクライナはあきらめて」=つまりは譲歩して
シャンシャンせよ、との説があります。

まったく、とんでもないことです。

しかしそのウクライナ問題は、いまは語ることはせず…

「ウクライナ・ロシア」に関する
「トランプ政権」のニュースを見て衝撃的だったのが、

終結プランはブレーンによって5つほど予測されるものの、
「ここで周りの我々が考えても仕方ない。
トランプ本人は細かな検討などせず直感で決めるから」との台詞。

えーっ、結局はトランプの「独断」なのかよーと。

私は、チャットGPTにこんな質問をしてみました。
「アメリカは大統領の独裁国家ですか?」

答えは… (コピペしますね)

「いいえ、アメリカは大統領の独裁国家ではありません。
アメリカは民主主義国家であり、
厳格な三権分立の仕組みが導入されています。
大統領は強い権限を持っていますが、
その権限は議会と司法によって制限され、
独裁的な行動が取れないようにされています。」
との優等生回答。

そりゃ確かに、
トランプさんの暴走を抑えるシステムはあるでしょうけど、
想像以上の「アメリカ大統領権限」の大きさと、
「トランプならさらに暴走しそう」な危うさ。

以前の選挙の際の「議会襲撃事件」や
大統領時代の「機密文書持ち出し事件」など、
複数の犯罪が確定しても
「大統領になったら自分でチャラにできる」って、何それ!

ロシア・中国・北朝鮮と同じじゃない。

私は、アメリカ選挙については、トランプ vs. ハリス
どちらの肩を持つものでもありませんでした。

あえて言えば、
・ハリスでは物足りない
・トランプでは過剰すぎ

対して、この日本の
「誰が首相になろうが変わらないでしょ」と言っている状況は、
日本が情けないのか平和ということなのか!?

「日米同盟」とは、結局は「米に日が従う」属国ということです。

それでもアメリカが、世界が、そして日本が、
良き方向に向かうことを願います。

トランプさんが、優れたビジネスマンとしての
合理性を発揮して、まさに一部の方々が信奉するように
「救世主」であってくれるなら、ほんとーに良いです。

人間観察:カフェとスポーツ新聞。

これを書いている今は、
2024年11月6日、水曜日。夕方5時半。

アメリカ大統領選の開票が大詰めで、
民主党ハリスと共和党トランプは大接戦!
でも、トランプが勝つかなー、案外 少し余裕を持って…。

トランプを選ぶ人、ハリスを選ぶ人、
州ごとの投票者の傾向(人物像など)は、
マーケティング的(消費者分析的)にも面白いです。

そんな中、世間に何の影響も与えないこの投稿は、
「カフェとスポーツ新聞」というタイトルで
カフェ(喫茶店、珈琲専門店など)の「客層」に関する
人間観察のメモでございます。

取り上げるのは「スタバ」と「ドトール」。

日本で店舗数が多いコーヒーチェーンは、
一番が「スターバックス コーヒー 」
二番が「ドトールコーヒー」だそうです。

ここ、東京都杉並区の荻窪駅周辺にも、
スタバが2軒、ドトールが3軒。

私は自宅が事務所を兼ねたフリーランスなので、
外部との打ち合わせがない時は、気分変えで
日に2回は近所のカフェに行きます。

妻は 基本 外との仕事なので、
自宅のリビングでも自分の書斎でも、
私は誰にも邪魔されずに仕事ができるんですけどね。

すっごく飽きっぽいし、ずっと机に(椅子にか!)
座っていられないので、
散歩と買物を兼ねてカフェに出向くというわけです。

色々なお店・チェーン店に行きますけど、
スタバとドトールも頻繁に利用。

でも、これは皆さんもおっしゃっていることですけれど、
じっくりと「珈琲の味を味わいたくて」
スタバとドトールに行く人は、いまや少数派。

珈琲や軽食のおいしさではなく、
フラペチーノであり(私は紅茶か珈琲のラテ系)
もっというと座席と空間を買っているようなもの。
(スタバは「家庭と職場の間にあるサードプレイス」との
コンセプトでしたが、現在も言ってますかね?)。

さらに、ノートパソコンとスマホが、
カフェでの過ごし方を完全に変えました。
ほぼ全面的な禁煙もね。

また、カフェって人間観察の場としても面白い。
一人ひとり、どんな人かなーとか、
素敵なファッションだなーとか、
姿勢や歩き方が美しいオーラのある人だなぁと。
(あ、女性客を中心に語ってしまいました…。)

スタバとドトールの客層の違いの典型が
(お店の雰囲気や、メニューや、値段、年齢層でも
見えてくるんでしょうけど、あと喫煙室も重要ですね)

「スポーツ新聞を読んでるかどうか」です!
「競馬新聞」「タブロイド夕刊紙」もそこに含まれます。

ドトールでは耳にする、競馬や競艇の話しは、
スタバでは皆無。たまーに新聞を見かけても日経。

同じ男性・シニア客でも、
スポーツ新聞を読む人はスタバには来ない(行かない)。
すっごくわかりやすいです。

そして、男女含め、
スタバでは女子高校生とママ友のおしゃべりで、
声は「キラキラかん高く」
ドトールはシニア系のおしゃべりが多く「声がでかい」。
「ん、ん、ぐふふ」という咳払いが続くのもドトール。

ヘッドホン・イヤホンつけて、
Zoom等のオンライン会議をしている若手男女は
スタバの方が多いかな。
夢中になって大声でね、恥ずかしくないのかと。

ちなみに、荻窪の(まだ入っていなかった)
珈琲店に入ったら、「喫煙、スポーツ新聞・週刊誌、
カウンターで馴染み客が店主とおしゃべり」と
3拍子揃った店で、怯み(ひるみ)ました。
(オーナーの方針で、そういう店があっても
ほんと良いと思いますけどね。)

さてさて、こうして語っているこの私は、
ドトールにも行くし、スタバにも行く。

パソコン(最近はキーボード付きの大型iPadですけど)を
叩いている「この」おっさん・爺さんは、
どんな風に見られて(観察されて)いるのでしょうか。

若い頃が恥ずかしい、まともにコピーも書けなかったし。

青春の未熟と、コピーライティングについて。
そして、歳を取るのも悪くないという自己弁護(笑)。

数日前のこと、
私が若い時にお世話になったクライアントさんと、
35年ぶりくらいにお会いして記憶が蘇ったのですが…

相手の方は当時、ナショナルクライアントの企画宣伝担当。
私は制作会社の若手。

若手とは言っても、広告代理店から制作会社に移った
29歳か30歳くらいの時だから、
本来は「油が乗ってきて」「とっくに広告賞の一つや二つ」
とっているはずの年齢なのに、いいコピーが書けなかったし、
自信もなかった。

インターネットはまだない時代でしたが、
世の中はバブル経済の入口で景気も良かった。

私もポスターやテレビコマーシャルのコピーなど、
たくさん携わることができました。
当然、上司やクライアントのOKが取れて、
世の中にも出しているわけで… 大満足のはずがね〜。

野球に例えるなら、
ほぼレギュラーで打席に立たせてもらい
たまにヒットを(と言うとカッコいいけど)
どうにかポテンヒットやバント、
四球で塁には出ていたけれど、
バットの芯で捉えた手応えはまるでなかった。

社内・社外の他のコピーライターが
(まさにコピーライターブームでもありました〜)
快音を響かせていた時に、
企画書に毛が生えた程度の
(あ、企画書の言葉遣いってすごく重要なんですけどね)
コンセプトに忠実といえば聞こえがいいけど、
真っ当で固いコピーしか書けませんでした。

そしてついに… 冒頭で話したクライアントさんの
新製品に企画から(まさにマーケティング調査から)
携わっていた私は、そのままの流れで
全国キャンペーンのキャッチフレーズを書いて
テレビやポスター、店頭POPなどで響き渡るはずが…

書けない。
まるで良いフレーズが浮かばない。

締め切りが迫り、延長までしてもらって…
結局は、著名なコピーライターさんが代打に立ち、
見事に課題を打ち返してくださいました。

絶好機に打席に立ちながら「空振り三振!」ってやつです。
大きなセンターフライを取り損なった野手とも言える。

あー、リアルに思い出しちゃった(苦笑)。

そんな、トラウマになるような経験の後も、
私はコピーライターを続け、30歳を過ぎてからふと、
「打つコツ」を… 「コピーとはそういうことかー!」
と実感することが何度かあり、
職業として今でも続けられるレベルになれました。

決して、ホームランの飛距離は出せないけれど、
ヒットは打てる。少なくとも、バントでも塁には出る。

体力が衰えた最近でも(まったく ワハハですけど)
こうして引退せず打席に立っています。

よく言えば、私は歳を取るほどコピーライティングが
上手くなってきたと言えます(言っちゃうけどね)。

加えて、企画書の書き方、プレゼンの伝え方も。

コピーライティングには、
「何を言うか」のコンセプトがとても重要で、
そこにいたる整理整頓とまとめ方が7割と思っていますけど、
そこから「どう言うか」に変換する
「バットコントロール」がないと「伝わる言葉」になりません。

そして、コピーはとても個人的な作業だけど、
「投手との駆け引き」(=クライアントさんとの駆け引きと、
キザに言うと世の中との関係)のコツも身につかないと、
芯を捉えることができない。

おそらく、コピーライターでもいろいろなタイプや、
成長の仕方があると思うのです。
それはきっと、他の職業でも言えて、

若さの勢いのまま上昇していける人もいれば、
空回りして失速する人。そして

私のように「若いのに勢いもなく!?」
ずーっと滑走路にいたり、飛び立とうとしても
「ふわっとだけ」上がって落ちる人。

私の場合は、大型機のパイロット試験に何度か落ちて、
どうにか同期より遅れて飛べるようになった???

そして年月が経ち、
同じような年齢のコピーライターが引退しても、
「いまだに小型機のパイロットは楽しみながらやってます」
みたいな感じかな。

器用そうに見えてずっと不器用と言うか、
大器晩成型と言うか(またまた自分で言いますけど!)

若い頃を思い出すと、ほんと恥ずかしいです。

若い頃に戻りたい、「あの年齢にもう一度戻って
やり直せたら」みたいに願う人もいるようですが、

確かに私生活でも、
なんであんなこと言ったんだろうとか、したんだろーとか
やり直したいことは確かにいーっぱいあるけれど…

そもそも若い頃に帰りたくないわ、と思うのです。
いま現在の、このおっさん・爺さんでいいやと思う。

私は、「いまがいちばん」面白い。

そしてもう、さすがに「油は乗って」いないけれど、
油の抜けたヘルシーなコピーもいいですよー。
と、宣伝しておきます(笑)。

若さは、かけがえのないもの。
でも、齢を取るのも悪くないと、自分を正当化している
今日この頃です。

造りの良い建物、仕立ての良い服。

きょうは、タイトルを
「造りの良い建物、仕立ての良い服」としましたが、

建物と洋服の「厚み」みたいなものについて
書いてみたいと思います。

とはいえ、「厚み」と言っても、物理的な厚みから、
中身が詰まった「安心感」のようなものまでね。

何度かお知らせしていますが※
1年ほど前=昨年12月に自宅兼事務所の引越をしました。
東京都の練馬区上石神井(西武新宿線)から、
夫婦で杉並区荻窪の天沼地区(中央線・丸ノ内線)へ。

しかも、持ち家だった庭付き一戸建てから、
あえて分譲の新築・中古マンションの購入ではなく、
賃貸マンションを選択。

理由としては、シニア年齢に入った夫婦として、
子供二人も大きくなったことだし

これまでの「3階建ての大きな庭付き住宅」と、
今後(何年後になるかわからないけど)
お世話になるかもしれない「ラスト」の介護系施設との
「間をつなぐ」ミニマムな住まいがあってもいいかなと。

年に3度ほど植木屋さんに入ってもらう庭の手入れ、
収納場所があるだけ入れている荷物などに、
ちょっと疲れて(苦笑)。

山のような本や書類、洋服も廃棄して、
なるべく身軽になりワンフロアーのマンションへ。

過去のことは頭の中だけの思い出にして、
今を生きようと(なんて言うとカッコつけすぎですけど!)。

さて、前置きが長くなりましたけど、
夫婦二人で移ったマンションは、広さ88平米。
角部屋で、すべての部屋にベランダがある。
6階建ての3階部分、住民も60家族程度の
大きくはないマンションです。

何十階建てなんていうタワーマンションには、
絶対に住みたくなかったし…。

そして、この移り住んだマンションは、
入居時にすでに「築33年」の古さ(1990年の竣工)。

だからもういろんな所が痛んでいるし、部屋の床も、
当たり前ですけど多数の人が住んできた影響で、
へこんだり傾いている部分さえある。

でもね、生活音とか水の流れとか、
ほとんど気にならないほど静か。

そして、これは本当に気分なんですけど、
建物全体に「安定感」がある。
そしてそれは「安心感」につながる。

この物件を仲介してくれた方の推測では、
日本経済がバブル絶頂期の時に建てられたので、
(ちなみに、バブル景気とは
1986年から91年頃までと言われています)
設計も贅沢で、「造りがしっかりしている」そうです。

例えば、いい部材を使っている。壁も厚そう。
空間も(部屋の広さと言う以外に)ベランダや
ポストの大きさなど、スペースに余裕がある。

反対に昨今は、高層マンションも低層マンションも
見た目はすごく良いけれど、資材費の高騰や
人件費のアップで「切り詰めて造る」必要があるらしく、
10ミリの部材を8ミリ・7ミリに減らしたり、
内装の質を落としたり、同じ外観で部屋数を増やすため
例えば70平米を68平米にするなんて工夫も。

どんどん、小さめ・薄めにしているわけですね。

戸建てでも、建売住宅は特に、
絞りに絞り、削りに削ったペラペラの建物。
壁紙は綺麗だけれどすぐ剥がれたり、そもそも壁が薄い!

洋服もね、どんどん使い捨てになっていますよね。
十分に着られる品質のジャケットが数千円で買えてしまう。
それはすごいことだと感心しますけど、すぐに「へたる」。

何万だ、オーダーメイドだとは言いませんけど、
それなりの値段のものは長持ちするし、まさに
物理的にも心理的にも「厚み」のようなものがある。

引越で洋服も改めて見直して
(流行の変化という別の問題はあるものの、そして
すれたりくたびれたりしているものの)
長くきたものは、ちゃんとした生地と縫製ゆえに
「持っている・保っている」とあらためて感心しました。

私は、建築も洋服も、
多くを語る知識は持ち合わせていませんけどね。

1〜2シーズンごとに買い換えるのも考え方ですが、
基本的には「あまりに薄っぺらいもの」とか
「薄っぺらい考え」とか「薄っぺらい人間関係」は
嫌だなーと思います。

きょうは、古ーーーーいマンションに移り住んだけど
(関係者の方、ごめんなさいね!)
案外しっかりしていて、快適です。という経験から、

「造りの良い建物、仕立ての良い服」について
語らせていただきました。


※引越の経緯
【60代後半の断行:夫婦二人で引越へ】2023/12/02投稿

Blog:
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55120861.html

Facebook(BLと同文):
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid02HKwgzsQdVjarCj1yXpu7aPqQpsiEpnqKF8x9bTSf5rfMndPtuJefA3QupcpMcS1al&id=100001246147727


工夫のないコメントは。

先に書いておきます。
きょうは、いつもよりだらだらと長いです!

しかも、「工夫のないコメントは(会話にならない)」
などと、貴重なコメントに対して暴言です…。

さて、私の場合、SNSの使い方とその経歴は、

◎登録・使用したもののいっさい見もしないもの:
・ツイッター(エックス=X)
・スレッズ(Threads)
・インスタ(Instagram)
・クラブハウス(Clubhouse)

◎たまに見るだけのもの:
・ユーチューブ(YouTube)
・ノート(エッセー風の読むnote)
・ボイシー(音声メディアのVoicy)

◎(本当はやめたいけど)連絡用に仕方なく使っているもの:
・ライン(LINE)

そして、
◎受信も送信も積極的に活用しているもの:
・ブログ(Blog)
・フェイスブック(Facebook)
・スタエフ(音声配信のスタンドエフエム=stand.fm)※

結局、この67歳のおっさん(じいさん)は、
各種SNSのうわべをかじりつつ、結局は
「比較的平和な」ブログ、フェイスブック、スタエフに
落ち着いたというわけです。

ブログとフェイスブックだなんて、まさにオワコン。
トレンドメディアと、まるで反対です。

さらに、BL、FB、FMの3つが、
私の場合は「同じ内容の使い回し」という省エネの
ていたらく…。結局、まとめて1本です(苦笑)。

ただし、コメント欄は、当然 それぞれにあります。

SNSのコメントは、
過激なエックスを筆頭とするアンチコメントとか、
訳わからない一方的長文とか、
小心者には耐えられませんよね。

世の中、そしてSNSでも、
「いろんな意見があっていい」と思うものの、

語り合うより「罵倒し合う」「攻撃して満足」
そしてお互いの「立場や文脈」を理解しないで始まる
「まるで噛み合わない会話」は、なんとも勘弁です。

「脊髄反射」なんて表現されるように、
ちょっとした言葉尻や単語に(それも誤解して)
噛みついてきたり。

と、優等生的な語りをしたところで…

不快に思われる方がきっといらっしゃるであろう
攻撃的なことを書いてしまいますが…

「コメントの仕方って、安易だよねー」と。

例えば誕生日のフェイスブック。

私も「おめでとうメッセージ」をいただくのですが、
ほぼ「おめでとう」ワードに、
ハートマークや花束が付いているだけ。動画もあるなー。

何十といただいて、うれしいですよ。
それこそ皮肉ではなく。
それらの一言は、「花束」とか「乾杯」、「パーン」と鳴る
クラッカーみたいなもので、送ることに意味がある。

それでも、「ひとこと書くなら」「ひとこと添えてよ」
と思うのですよ、その人なりの一言を。

53歳の人にコメントするなら、「おめでとー、絵文字」
だけではなく「祝53歳、35歳と思いましたよー」とか
(オヤジギャグ!? 失礼)
「おめでとうございます。会ったのは3年前でしたっけ」とか。
「明日の会議もよろしく」でも。

とにかく、何らかの「その人なりの情報・意見」
「その人なりの言葉」があったらいいのにと思うのです。

私なんか、こうした捻くれ者なので、
それらの返信に際しても、
同じようなメッセージには「まとめて一括返信」
しかしませんけれど、

几帳面な人は(いや、大抵の方は)、
すべてのコメントに逐一 回答してますよね。

「おめでとう(ハート)」と言われたら
→「ありがとう(別の絵文字)」

「川島さん、おめでとう」
→「うん、ありがとう。京子もね!」

とか 返信をがんばっているうちに、
疲れたのかネタ不足になったのか
「ありがとう、絵文字のみ変化」とかね(笑)。

もちろん、そうして祝ってくれる、
記入してくれる気持ち自体ありがたいですよ。
繰り返すけど、私だってうれしい。

それでもね、紋切り型の文面だけなら
「いいね!」を押すだけでいいじゃないですか。

冷たい!?

年賀状で
(昨今は減ってきて自分も出していませんけど、)
印刷した年賀状に「今年もよろしく」だけ
手書きで加えるくらいなら、
それも印刷したら、と思うのと同じで(苦笑)。

コメントとはコミュニケーションだから、
何かしらの変化はつけたいと、私は思います。

それを、「職業が広告制作のコピーライターだから」
と言われたら、そういう部分もあるかもしれませんが。

グループ欄やコミュニティの投稿でよく目にするのが、

「いつも素敵な投稿をありがとうございます。
川島さんが言っていること、共感します。
私もがんばります」とかね。

勇気を持って書き込むことで、相手を応援し、
自分も高揚させていく気持ちはわかるんですけど、
文面で何も語ってはいない。

特に主催者が人気者で、先生的カリスマになるほど、
コミュニティとしての「よいしょ」が多くなる傾向にあるし。

「川島さんは、
・なになにと
・なになにと
・なになにと言ってますが、まさに共感です」

みたいな書き込みは、あんたはキュレーターか?
本文見ればわかるよ、と。

最悪なのは、コメント文の相手先名
「川島さん」の部分を変えただけの文言を、
いろんな配信者に「使い回し」している人。
なんなんだよー と思います。
安易なSNS営業ですよね。

はい、
本日は、「コメント欄ってなんだろーねー」ということで、
「ちょっとは考えたら?」という
斜に構えた暴言を、だらだら書かせていただきました。

理解あるコメントをお待ちしております???


※スタエフ(音声配信のスタンドエフエム=stand.fm)
小さな広告屋から@川島CD
https://stand.fm/channels/60a08752b82bc5e1f38f5a19

日光一泊 東照宮。

栃木県の日光に、夫婦で一泊旅行してきました。

日光へは30年ぶり!

10/27(日)の夕方に浅草駅から東武線特急に乗り
(妻とは浅草駅の駅ビルカフェで待ち合わせ!)
〜 乗車1時間50分 〜 18時に日光駅に着き、
近くのイタリアンで食事。

ネットで調べた初めて行くモダンなホテルに泊まり、
28(月)の朝からは東照宮と周辺のお寺を見学。

その日の夕方には東京・荻窪の自宅に戻ってくるという
プチ旅行でした。

今年は、海外では台湾の首都 台北(タイペイ)市や、
フランスのパリに旅行しましたけど、

我が家は「国内一泊」ってのも多くて。

何度か書いてますけれど、
箱根一泊とか金沢一泊とかね。

無理すれば日帰りで行ける観光地でも、
せかされるように行くのでは落ち着かないので、
余裕のために一泊する感じです。

それも、ほんとーにホテルに泊まるだけで、
周りをまるで見ないで帰ってくる時もあれば、
ちょっとだけ、周辺の美術館を覗く程度。

「せっかく行くなら二泊三泊」と計画し始めると
旅行カバンが必要になってくるのですが、
一泊なら何事も気楽にすむ。

それから、建築物としてのホテル
(外観から設備、家具、照明、内装デザイン)
さらに館内サインやグラフィック(案内状等)を
見るのも好き。

さらに、接客やオペレーションなども興味深いです。

今回の旅では、インテリアに凝った新しいホテル
「シェルターガーデン日光」という、
できて2〜3年のホテルにしてみました。

宿泊については、「過不足なく快適に泊まれれば良い」
との考え方もありますけど、
私たちは旅の楽しみの一つに入れています。

旅行について良く言われる台詞に、こんなのがあります。
「目的地だけでなく、移動すること そのものが旅」。

まさに、私たち夫婦にとって名所旧跡や遠方の展覧会は
「目的」であることは確かだけれど、
移動することと、空気を変えることに
お金を払っている感じもするなー。

小学校の遠足では解散の時に校長先生から
(私たちは校庭で整列して聞いているるわけですけど…)
「学校から家に帰るまでが遠足ですから、
玄関を入るまで気をつけて帰ってください」
という言葉をいただいたのを思い出しました(笑)。

「日光/東照宮」とタイトルにつけながら、
まるで語らないすごい投稿!?

海外からのお客様も行列を作る、小雨の日光。
紅葉が始まったばかりの美しさ。

国宝の彫刻「眠り猫」が、かわいかったです!

常連さん苦手です。

きょうの投稿「常連さん苦手です」には
2つの意味があって…。

◎自分が「常連さんとして振る舞う」のも、
◎いかにも「常連さんという人の態度」も、

両方が、あんまり好きではないという話です。

具体的に言うと、ダラダラの雑談とかね。

25年通っている美容院なんか、
バチバチの常連客になるんでしょうけど、
あんまり話さない。

もちろん明るく挨拶するし(笑)、
ちょいと世間話はするし、
話しかけられたら応えるし、会話は楽しいです。

それでも、ずっとは喋っていない。
目をつぶって切ってもらっている。

整体・整骨院とか行っても、
ずーっとお店の人と話してる人、いますよね。
いまならドジャース大谷翔平の話題とかで
会話が途切れない。あーいうのが私は苦手で!

昔、若い頃、
ジャズ系のカジュアルなバーに通っていたことがあって、
当然、お店の人とは顔馴染みになるものの、
何回目かでちょっと言葉を交わしたお店の人に
「声をかけてほしくないお客様かと思っていました」って
言われたもの。

ずいぶん気難しい客に思われていたんでしょうね。

昔から、一人でいるのが好きで。
飲み屋にも一人で行くことが多くて。

そんなことだから、会社勤めしていた時も、
昼休みのチームの人とのランチも数回に一度で。

知り合いの人で、「ランチに一人なんて寂しい。
一人で行くようなら何かを買ってきて、あるいは
お弁当持参で会社の机の方がいい」と
言う人もいましたけど、

私にしたら、「残業含めて一日中一緒にいるんだから、
昼休みくらい一人にしてよ」
「気分転換させてよ」って感じでした。
ま、こんな人は少数派なのでしょう。

たぶん、以前に話した、
「車の中でずっと他人といるのが苦痛。
長時間、身動きできない所で同じ人と居続けることが
できない」っていう性癖と関連するかと(※)。

常連さんばかりが集まるスナック風もイヤだなー。
新参者が入っていくと会話がピタッと止まったりして。
ちょい考えすぎ!?

とにかく「濃密な仲間集団」みたいなものに馴染めなくて、
拒絶感のようなものがあるのだと思います。

チームでの仕事は決して嫌いではないし、
仕事も人の暮らしも「他人との関係」で成り立っているものの、
「人との距離感」が近すぎるのは、ほんと苦手。

そして「マイペース」が保てないこと。

まぁ、こうして投稿しているSNS全般が
自己発信と共感者による
「コミュニティ化」なのは確かですけど、
「風通しの良さ」がなくなっちゃうと息が詰まります。

経営者の勉強会とか、
私もいくつかお世話になっていますけど、
あんまり出席率が良くないのは
そんな個人的理由、というか性格もありますね。

(夜型の私は、早朝の集会は起きられないのと、
反対に夜のZoomはもう酔っ払って
集中力がないからってのも理由ですけど…苦笑)

ほんと、ごめんなさいね。

とはいえ、私の仕事(広告販促物の企画制作)における
「常連さん」は大歓迎です!(笑)。

きょうも、
役に立たないオッサン広告屋の投稿を読んでくださり、
ありがとうございます。

※関連記事【苦手の大盛=ゴルフを断る理由はね】2024/08/20
FB
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid0naLMASxgar9MusTb3yX17eBa7SA6etjBSVAwYP9uEFRb2JasfYckATZtz4xbe5mGl&id=100001246147727
BL
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55139646.html

青春っていいなー(女子トーク)。

本日は、いつにもまして雑談です。

タイトルは、「青春っていいなー(女子トーク)」。

いったい何かと言いますと…

きのう打ち合わせで渋谷に行ったのです。
その帰りに一人で(はじめての)カフェに入って
メール連絡などをしようと思い

大テーブルに座ったら…

通常は、一人がけ・二人がけ席か
カウンター席を選ぶのですが、
その店では大テーブルしか空いていなくて…

あーいう大テーブルでの、目の前の人との
目線のやり場や距離感とか、面白いですよね。
お互いのマナーとして、「見ないもの」としつつ、
「視界に入る」「聞こえてしまう」。

パソコンを開いたこの おっさん・じいさんの真ん前は、
私の直後に入ってきた大学生くらいの女子二人。

話題はひたすら、恋愛と彼氏のこと。
つい、耳に入っちゃいますよー。

例えばね、そのセリフは:
(二人がそれぞれに話すのですが)

・今の彼と、あと何年かたって、
プロポースされたら結婚するのかなー。

・でも、新たな人が現れるかも知れないし、
出会いのたびに「この人こそ運命の人」と思っちゃうの。

・「見返りを求めない愛」っていいよね。

・女の恋って盲目なのよ…(などと古風なことも)。

こっちは、仕事の連絡を書いてる最中なのに、
気にしだすとキリがない(苦笑)。

自分の娘より若い子の会話を「ちら聴き」しつつ、
30分くらいで私はお店を出ました。

良い子たちだよなー、と思いました。

「あー青春の女子トーク」を感じた、
ヤングで雑踏な渋谷でございました。

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◎川島 孝之(Kawashima Takayuki): 株式会社リプル(RIPPLE Inc. Tokyo Creative Agency)代表取締役・クリエイティブディレクター・コピーライター。

◎1957年3月生まれ。早稲田大学商学部(マーケティングゼミ)を5年で卒業後、1980年第一企画(現ADK)入社。6年の勤務ののち、制作会社11年を経て、1997年(株)リプルを表参道に設立。

◎2016年1月、表参道のオフィスから、西武新宿線 上石神井(練馬区)のホーム・オフィスに変更。さらに2023年12月、中央線・丸ノ内線 荻窪(杉並区)に移転。
ブログのタイトル「表参道の小さな広告屋から」を、リプル川島の「小さな広告屋から」に変更。

◎CD(クリエイティブディレクター)C(コピーライター)として、企業の魅力を整理整頓し、ブレーンのグラフィック&Webデザイナーと共に表現化しています。

RIPPLE(リプル)とは英語で「さざ波、波紋、波及」のこと。スローガンは「中心から広がる」、ミッションは「愛が伝わる」。

【実績の一部】 カルビーじゃがりこ(パッケージ)、ビデオリサーチ(ロゴ・Webサイト・インナーツール)、日立化成(カタログ・インナーツール)、介護のらいふ(ブランドブック)、武蔵高等学校中学校(学校案内)、アルカダイアモンド(広告・販促物)オークラヤ住宅(広告・販促物)、翻訳専門校フェロー・アカデミー(学校案内)、アドビ(会社案内)等
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2012-10-25

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