小さな広告屋から@川島CD

旧名【表参道の小さな広告屋から】: 表参道で1997年にスタートした(株)リプル:RIPPLE Inc. Tokyo Creative AgencyのBlogは、 2016年初頭から川島のホーム・オフィス「練馬区上石神井」→ さらに2023年末からは「杉並区荻窪」へ。2025年春、タイトルも【小さな広告屋から@川島CD】に変更。Facebookも同時掲載です。

いろいろ雑談

父さん(=私)の生存確認法。

本日は、いつも以上に変わったタイトルで…

父親である私の生存を、
離れて住む娘と息子が、
どう確認するかという話になります。

前提として、私のプロフィールは:
・69歳と数か月の男性
・自宅兼事務所の広告制作CD&C
・東京都内(荻窪)のマンション
・1年半前に妻を亡くした独り身

家族のプロフィールは:
・長女は結婚して旦那さんと二人
・息子(弟)は、まだ一人暮らし
・いずれも都内在住
・父の住居へ30分で駆けつけることが可能

こうした条件下で、
「父さんが倒れたらどうしよう?」
という話になったわけです。
私から言い出したんですけどね。

健康状態は、ドライアイで通う眼科と歯医者程度。
頑なに健診拒否ではあるものの(※下段参照↓)
見た目は元気です(笑)。

それでも、来年3月で70歳(古希)を迎えます。
妻のお父さんは68で亡くなり、私の父は72だった。

63歳で倒れた妻のように、人はいつ何時、
発病やけが・事故・災害で亡くなるかもしれない。

さらに注意が必要なのは、打合せや公共の場所ではなく、
「鍵の閉まった自宅マンション」で倒れていても、
誰にも気付かれないということです。

私自身、もういつ死んでもいいと思っているのですが、
変な形でひとり倒れているのも嫌。
郵便ポストに新聞が何日分も溜まって近所の人が気付く…
そんな世の中ではないし。

そこで、娘・息子と話し合いました。

・1年程度で遺言書の「初校・ドラフト」は作っておこう。
・突発事故で倒れても「緊急事態」がわかる方法を考えよう。

いまどきの言葉でいえば、
広い意味での「終活(しゅうかつ)」です。

一般の会社勤めなら、とっくに60〜65歳の定年を過ぎ、
雇用延長さえ越えた年齢になった現在も、
お仕事の声はかけていただけて、
地味ながら広告・販促物制作を続けています。

そうした「老後の趣味のような現役感」を保ちつつも、
「人生の締め方」は考えておこうと。

その具体化が、
・最後の書類である「遺言書」と、
・突発事故を想定しての「生存確認」というわけです。

生存確認の仕組みは、調べればいろいろあるのでしょうね。
スマホ連絡アプリから、Apple Watchの自動送信まで。

さすがに「いま父さんはどこにいて、生きているか」の
位置情報までは(まだ)知られたくない。
・自宅→カフェ→飲み屋 … とか?
・仕事先→映画→愛人宅…とか!

ただ「ゆくゆく検討」と言っているとキリがないし、
「思い立ったら実行」すべきなので、
妻の緊急入院の際に作り、その後も続いている
「娘・息子・私」の3人LINEグループを、
そのまま活用することにしました。

・毎日の夕暮れ(用事が一段落しビールを飲み始める頃)に
元気な印の「太陽マークのスタンプ」を一つ送る
・娘と息子からの返信は不要
・太陽マークが行かなければ「大丈夫?」と一報もらう
・それにも返事がなければ、荻窪のマンションに駆けつける
・予備の鍵は、娘・息子の二人に預けておく

さっそく 始めております!
もっとスマートな方法が見つかれば、それに切り替えればいい。

毎日の太陽マークなんて、お互いうざったい気もしつつ、
これくらいなら、まぁいいかなぁと。

以上、
「父さん(=私)の生存確認」がスタートしたという、
きわめて内輪の「お知らせ」でした。


****************

※関連する過去記事:
【健診拒否の死生観(私)】2026/02/14
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55173564.html


サッカーと経営と人生の、ナイフ。

前回の投稿である(※下段参照)
【サッカー日本代表に拍手、さて4年後】 の続きです。

何か、とても大切なことが潜んでいる気がして、
自分として言語化し、記録・記憶しておこうと。

さて、2026年夏のサッカーW杯(北中米大会)
決勝トーナメント1回戦において、
ブラジルに「2-1」で敗れ、終了してしまった日本。

健闘しつつも(もちろん 勝負には運も絡みますが)
「足りない部分があった」のは事実でしょう。

そこを考える時(私はサッカーの技術や
戦略・戦術論は、まったく分かりませんが)
「ナイフ」という言葉が浮かびました。

日本はきっと、良く磨かれたナイフだったのでしょう。

匠(たくみ)の技で磨かれ、見た目も美しい工芸品で、
世界中の料理人も買い求めるナイフや包丁。

サッカーも、計算された組織力、選手同士の連動、
そして ここ10年・20年で飛躍的に向上した
(かつては弱いと言われていた) 個で突破する力もついて、
本当に日本は強くなりました。

しかし、あと1歩 2歩足りないとすれば、
「ナイフの使い方」のような気がしました。

言葉を選ばなければいけませんが、
勝負の世界を比喩的に表現すれば、

本気で相手を刺そうとする際、
道具の性能よりも、実行の勢いと、
仕留める意志が「もの」を言う。

たとえ「錆びたナイフ」でも、仕留められるかどうか。

頭も体もヘロヘロになった状況でも、
本能のような生存意識で、相手を倒せるか。

日本人は(国民性として)
・そうしたキャラクターが根本的にない?
・あるいは、そこまで育っていない?

根性とか努力、精神論とも違っていて。

一方、予選リーグで敗退した韓国は、
監督の更迭劇まで含めて国民が「激昂」しています。

帰国セレモニーは中止、空港への爆弾予告、
大統領さえ監督を叱咤。
いやはや、日本人では考えられないエネルギーです。

そして、他の諸外国でも、大きな試合の敗退では
商店が焼き討ちに合うまでの騒ぎになる一方、
スタジアムとロッカーを清掃して、静かに帰る日本!

それでも、まったく歯が立たなかったサッカーが、
世界の強豪からも「油断するな」と思われ、
野球では大谷翔平、スケートペアの りくりゅう、
そして各種競技の天才たちが若い世代から
次々と登場しています。

かつての経済の高度成長のように、
スポーツの急速カーブが、団体〜個人へも起きている。

仕留められるナイフと、錆びても刺せる本能。

経営でもそうですが、
超一流として突出する人には一種、
異常で冷徹で捨て切れる(それが戦略でも天然でも)
「タガが外れた」部分があるのも事実です。
最後の最後までバランスでは成立しない。

次なるワールドカップの4年後、そして8年後は?
世界の情勢と平和は、どうなっているのでしょう。

そして70代を迎えている私も!?

日本と日本人の「本質と行く末」を、
サッカーになぞらえて考えてしまいました。

***************

※関連投稿【サッカー日本代表に拍手、さて4年後】2026/06/30

サッカー日本代表に拍手、さて4年後。

サッカーワールドカップ(W杯)北中米大会、
決勝トーナメント1回戦。
日本はブラジルに逆転され1-2でした。

夜中2時からのテレビ放映。
起きていようかなーとチラと思いましたが、
1か月半ほど前から、夜10時(22時)以降は
「酒を飲まないこと」に決めているので(投稿でも宣言!)
間が持たないだろう… と諦め。

今朝、ネットの文字紹介で概要を知りました。
ダイジェストビデオは、まだ見ていません。

この私の投稿では、戦い方の評価や、
出場選手の個人名も出しません。
軽い個人的な思いだけを、少し記録させてください。

そもそも私は、スポーツを一切しませんし、見ません。
サッカーに少しは興味があるものの、
Jリーグは見ず、海外サッカーは見ず、
ワールドカップ日本代表程度の にわか観戦。

昔、中田 英寿や中村 俊輔が海外リーグに出た頃は、
テレビ中継で追いかけていた時期がありますけれど、
もう20年以上前。
自動車レースのF1も見ていたなぁ。
中嶋 悟、鈴木 亜久里。35年は経っています!

さて、今回の日本代表には不利な条件が重なっていました。
・事前に怪我人が多く、ベストメンバーではない顔ぶれ。
・しかも、ブラジル戦を前にしてエースフォワードが欠場。
・組合せも運悪く、早い段階で強豪ブラジルと当たってしまった。

一方で、
・ブラジル代表も全盛期の圧倒的な強さではない。
との下馬評もありましたし、

「1-2の敗退」は、順当な結果なのかな。
(0-3の負けならぬ、2-0の奇跡を期待していましたが!)

でもね、昔から見てきた者としては
(年齢だけを振りかざしてファンぶる!笑)
本当に強くなったと思いますよ。

代表チームの中に、海外リーグに所属する選手が
ひとりだった時代から、2人・3人になり、
いまやほとんどが海外で揉まれていると言っても過言ではない。

しかも、海外チームで補欠ではなく、
レギュラーとして評価される選手も多数。

ブラジル代表と10回やって1回も勝てない実力から、
練習試合で1回くらいは勝てて、
本番でも「もしかしたら2回くらいは!?」と
思わせる存在になってきた。

夢の勝利から、現実の努力目標になっている気がします。

勝負事とは、不思議なものです。
個人競技にせよ団体競技にせよ、
その時の自分の体調と相手の体調、
トーナメントで誰と当たるか、お互いのチーム編成など。

その中に、「運」がありつつ、ベースは「実力」。
実力だけでは勝てないけれど、実力がなければ勝てない。

サッカー日本代表の力は、
確実に「底上げ」されてきたのでしょう。
しかも、たぶん世界も驚く進化のスピードで。

かつて、韓国や中国とも危うい試合を重ねていた状況から、
アジアでは「頭ひとつ」抜け出し、
オランダやベルギー、ドイツ、そして象徴たるブラジルにも
戦いを挑める「入口」に立っている。

4年後の開催ではどうなっているでしょう。
2030年だから、いま69歳の私は73歳になっている。
8年後の2034年は77歳。
12年後の2038年は81歳。

… 生きてんのかね!?

ベッドに横たわっていると、孫が
「爺ちゃん、日本勝ったよ。ワールドカップ優勝だよ!」
「これで死ねるね」なーんてね。

別にサッカーが人生の一大事ではないけれど(笑)
4年ごとの開催と日本代表(当然Jリーグやジュニア育成も)
楽しみです。

そして、最近は政治ネタでも話しましたけれど、
「世界の中の日本」の、難しく言うと「プレゼンスの向上」
(presence:存在感)についてよく考えます。

敗戦から復興し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」
(Japan as Number One) と呼ばれた成長を遂げつつ、
しかし今は、国力も存在感も国民の満足度も
低迷している日本。

「エコノミックアニマル」や「過労死」が言われる国には
(軍国化も!)したくないけれど、
サッカーのように「個の力+組織力」で伸びていく、
そんな国でありたいと願います。

私の情報源:マス&ネット。

1回前の投稿では、
「高市首相NATO出席できず?最悪!」
とのタイトルでお話しました。

以前にも選挙のことや、海外の紛争への意見など、
私には珍しいことですが「政治がらみの思想」を
書いたことがあります。

そうした際に、それに対する直接の書き込みはもちろん、
メール等の個人的なメッセージで
「川島さん、政治的な発言はなるべく控えた方がいいですよ」
とのご心配を複数の方からいただいています。

確かにねー。

SNSの炎上、怖いですからね。
しかも私は、実名と
仕事内容も開示しながら発信していますから。

でもまぁ、私は閲覧者が多いわけではないし、
客観性や言葉尻の過激さは、かなり注意していますけれど。

本日は、
「私の情報源:マス&ネット」とのタイトルで、
マスコミ系とネット系それぞれ、
川島が何を主な情報源としているかを話してみます。

そして、「そのメディア」を選ぶことによって見えてくる、
川島なりの「好みと思想の傾向」!?

さらに、各人が見る媒体・メディアからの影響について。

正確な定義を言えば、
新聞という「媒体・メディア」の中でも
いろんな新聞社から各種新聞が発行されているわけで、
例えば朝日新聞は「銘柄・ビークル」に当たるわけですが、
ここではザクっと「メディア」と言います。

そんなメディアの傾向
(編集方針や価値観、もろに言うと思想)に、
人はどうしても影響を受けていく。

そう、メディアは「公共性・公平性」と言う
「客観性」に留意しつつ
(社会の公器という言葉もありますよね)、
個人と同じように、その発行会社なりの方針、
好き嫌いや社風はある。

読者・視聴者も、その影響を受け、
「そうだそうだ」と共感していく。

Amazonでの買物や、YouTubeの視聴で、
どんどん「あなたはこれが好きでしょ」と
お勧めが出てくることも同じですね。

具体的にメディアの名前を上げてしまうと、
それこそ反発を受けてしまうかもしれませんが、
私の場合…

例えば、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞などは、
リンク先に表示される以外には積極的に目を通していません。

ネットメディアでも、Yahoo! ニュースは、
取り上げ方がどうもゴシップ的で好きではない。

優等生的に言うと、どんな媒体に対しても
「参考のために、たまに目を通すようにしています」
が、理想なんでしょうけどね。

週刊誌も、これは出版社に限らず見ないな。

今時は、ほんと自由なようでいて
「かえって偏っていく」怖さがあり、
高市支持の情報なら、いくらでも集められるし、
高市批判の記事も、いくらでも見つけられる。

珍しく、難しいことを言っていますが、
「目を通すメディアによって、どうしても傾向は出る」
のは確かで、
私の政治心情や好き嫌いは、もろ書きませんけれど、
ここに「日常 目にするメディア」を発表して、
皆様に想像していただこうと思います(苦笑)。

■マスメディア:
・日経新聞
・日経MJ(マーケティング・ジャーナル)
・産経新聞

※マスとは言え、紙の新聞ではもう読んでおらず、
ネット配信の方です。
ただし「紙面ビューアー」という紙面レイアウトを
自在に拡大縮小できる有料版にも入って、
iPadの13インチでたまに見ます。
縦書きとレイアウトの見やすさ、そして整った広告が最高!

■ネットメディア:
・YouTube
・X(旧ツイッター)

※これはかなり、どの番組(発信者)かによりますけどね。

■ネットのキュレーションメディア:
・NewsPicks(ニューズピックス)
・JBpress
・COURRiER Japon(クーリエ・ジャポン)

※WSJ(ウォール・ストリート・ジャーナル)や
NewsWeek(ニューズウイーク)などの有名所は、
NewsPicksで少し配信されるので、その程度。

そんなところですね。

これをご覧になって、
そうかー、だから川島は、「あんなメディアに影響されて」
くだらない発信をしているのかーと
確信した方がいらっしゃったかもしれません。

もっとこっちを読むべきなど、
「洗脳」するご意見も、いったんは聞きます。
当然、最終的には自分で考えますけど。

※ところで本日(2026/06/28 日曜日)
杉並区長と、議員の補欠選挙に行って来ました。
投票締め切りの夜8時に近かったので、
もう体勢は決まっており、いまさら私の一票が
どうなるものでもないかなー思いつつも投票所へ。

最近、若い方の選挙意識が高まっているそうです。
いろんな思想・好み・考え方はあれど、話し合いながら
少しずつでも良い方向に向かう日本でありたいです。
偏向や情報操作、ましてや独裁ではなくね。

高市首相NATO出席できず?最悪!

高市首相が、NATO(北大西洋条約機構)首脳会議への
初参加を「欠席せざるを得ない」とのニュースを見ました。

まったく持って、残念です。

各国首脳と長話はできないとしても、
これだけ世界情勢が緊迫している中での
「日本の立場」を考えると、エポックな会議のはず。

なぜ「行けない」のか。

その大きな理由のひとつとして、
国内の国会論戦における時間の浪費=
みやみな反対や意味のない質問が多くを占め、
政局的な議論がなされずに
高市首相の時間が削られている問題があるとのこと。

そりゃ、高市さんが100%良いとは思いません。
すでに失策と思われる案件や、
前のめりすぎる対応に危うさも感じます。

しかし、ここ何十年かの政治の中では、
私はベストに近いベターではないかと。
この時期に、この首相と内閣の布陣で良かったと。

かつての、「モゴモゴしゃべり」と「曖昧な先送り」の
日本政府から、どれだけ マシになったか。

へたすると軽い視点・表現になってしまいますが、
各国首脳(今回はアメリカとヨーロッパ)との
「写真撮影において」も絵になる。
これって意外と重要で、国民にも海外にも、
「日本がそこにいる」というメッセージになります。

高市政権の誕生は、
国内的にも、世界との関係という意味でも、
ギリギリ時点での踏ん張りではないでしょうか。

それを、ネットを日常的に活用する方々は特に感じている。

一方、オールドメディアと呼ばれる
新聞社・雑誌社は、「特定の思想に偏った」
「アンチでいることだけが存在意義」のような
情けない報道が目立つようになってしまった。

いまどきはネットでいくらでも情報を取りに行けますが、
民放もNHKも新聞社も、
マスコミとして伝えるべき拡散力や影響力、
客観的で整理された情報価値は、まだ大きいと思う。

それが、マスコミも野党も「週刊誌によると」の
安易な追求に成り下がり、
日本にとっても緊急課題であるウクライナ情勢や、
中国・台湾を含む安全保障問題、移民問題、
先端技術の協力など、

国際課題が山積する中で、
高市首相がNATO首脳会議に出席できない損失。

私は、かなり怒っています。

机をくっつけてまで お茶するな!

話の前提として、私は
「集団」とか「集団行動」というものが苦手です。
毛嫌いしている、と言ってもいい。

政治心情的には、左翼でも右翼でもないと
思っていますけど、
「絶対許さないぞー」「オー」なんて行進したくないし、
仲良し集会で「ピース!」して写真に収まりたくもない。

2時間・3時間以上続く集まりでは、
心も体もほんと飽きるので、
30分に一度は立ち上がるのはもちろん、
終了が見えたら「たむろ」せず、さっさと出ます。
(ラストの集合写真に写っていない!なんてことも。)

ちなみに音楽や演劇の、
何回ものアンコールも嫌になります。
出演者は十分に力を尽くし、観客も楽しんだのだから、
本来のラスト曲でいいじゃん!と思う。

集団行動や集団会話の
・多人数のガチャガチャが、面倒臭い。
・自分のマイペースは、徹底的に守りたい。
そんな私を許してね。(←許さないぞー、オー!?)

カフェやレストランでも
「とにかく まとまって座りたい」
「机をくっつけて長テーブルにしたい」人々がいます。

元々予約してあった、6人〜10人席や、
さらに個室や座敷で何十人、というのは良いのです。
店員さんも「それなりの収まり」を考えてくれます。

私が苦手なのは、昼間の時間帯に集団で
二人がけや四人がけが通常の店に突然やってきて、
ひどい時には店員さんに声をかけることもなく、
テーブルを2つ3つとくっつける人々。

ずらり横並びで、6人と6人が対面になったところで、
全員が一気に話せるわけではない。
会議じゃあるまいし、
声が楽々通ったら、うるさくて仕方がないです。

そうした集団は、周りが見えていないし、
場の波長も乱しがちなので、店の雰囲気を壊す。

席が離れていたっていいじゃないですか。
無理せず数人ずつ、分かれて座ればいいと私は思う。

たとえ、親しいお友達と同席できなくても、
せっかくそうした集団に行ってみたのだから、
新たな人と話せば楽しいかもしれない。

偶然隣り合った人・向き合った人とは、それこそ
何らかのご縁があるのでしょう。

そして、「是が非でも机くっつけ集団」は、お会計も遅い!
一人がまとめて払おうとせず、レジに全員並んだりする。

そこに、客のITリテラシーのなさが重なり、
なんちゃらポイントとかなんとかペイの操作ミスで、
さらに停滞するわけです(汗)。

机をくっつけてまで、お茶するな!

もちろん、私の勝手な好き嫌いですけどね。

浮気は、バレるよー。

きょうは、我ながら すごいタイトルで!

映画やドラマで、よく見るシーンがありますよね。

出勤した旦那が、突然の用事で
(例えば体調が悪くなったとか、忘れ物をしたとかで)
昼間に自宅に帰ってみると奥さんと誰かが… みたいな!

ほんと定番。

教訓:人間、何事も安心したらダメですねー(笑)。

嘘で固めよう、とりつくろうとしても、
どこかで「ほころび」がでる。

雰囲気で察知される時もあれば、
物理的な証拠でバレる時もある。

「まさかそんな偶然がーー」というタイミングが、
「どこかしらで」くる。
時間はかかっても「バレない保証」はない。

私の知り合いの男性で、海外出張から帰る日を
奥さんに一日多めに言っておいて、
別の彼女の家に泊ってたんですけどね。

私がその男性に用事があって。
メールも携帯電話もあまり普及してない時代の話なので、
ご自宅に電話して、奥さんに聞いたんです。
「出張のお疲れですみませんが、ご主人いらっしゃいますか?」と。

「いえ、明日の帰国予定ですけれど。
川島さんもご一緒でしたよね」… ということで、ちゃんちゃん。

いやー、あの時は悪いことをしました(ごめんごめん)!

結果、関係が「突然」破綻する事もあれば、
それが良きタイミング…「潮時」となることもあるでしょう。
あるいは、「それはそれとして」続いたりもする。

結局、浮気に限らずだと思うのですが、
隠していることや無理に取り繕っていることは、
どこかで必ず表に出る。

私は、そうした意味でも「偶然は必然」と思っています。

男女の仲でも、仕事の成功や失敗でも、
それが起きること自体や起きるタイミングは必然であると。

例えば、浮気の現場を直接、奥さんに見られなくても、
私が「妻以外の人と」一緒にいるのを
共通の知り合いが偶然見かけたり。

それが、ただの知人風や仕事の打合せではなく、
十分いい雰囲気だったら、だいたい察しはつくでしょう。

ちなみに私は、
なぜか街で偶然人に会う確率が、高いほうみたいです。
「見つけられてしまう」というか!?

妻とは今年、結婚37年のはずでしたが、
1年半前に亡くなってしまったので、
浮気などというドラマチックな展開は、
考えなくてもいいフリーな身。

妻の人生…そして最期の迎え方も、
以前に何度もご紹介したように、望み通りのものだったので、
すごい偶然が重なった必然だったと思っています。

今日は、なんでそんなことを思いついたのか(笑)。

浮気と、人生の偶然について、語ってみました。


音楽のないカフェで。

本日の雑談は、
近所の、荻窪のそのカフェは、
開設以来BGMを20年流していない… というお話です。

(話の前提として)私はSNS投稿や発信において、
飲食店を含むどんなお店についても、
「詳細な紹介」は、ほとんどしていません。

まして、リンクを貼ったり、
誰それと会ったなんて写真も載せない、文字だけの投稿。

でも今日は、名前を挙げさせてもらいますね。
そして、そこでちょっと感心したことについて。

建物は、東京都杉並区 荻窪にある「杉並公会堂」。
コンサートや演劇、各種催しが行われる市民ホールです。

カフェの名前は、その1階ロビーにある、
「エスプレッソ・アメリカーノ」。
調べたら、東京と神奈川に数店舗あるチェーンの
「杉並公会堂店」です。

高い吹き抜けのあるロビーの一角、
エントランスを入った正面にカフェコーナーはあります。

私は荻窪に越してきて2年半。
でも、それ以前から、コンサートを聴きに
何度かは訪れていた名門ホールです。

しかし思い出すに、
カフェを利用したのは、たまたま早めに到着して、
混雑する中でお茶した記憶が一度か二度か…。

ところが今回は、平日の昼間。
自宅マンションから徒歩10分!

夕方の、コンサート前のイメージがあったので、
「あー、昼間もやってるんだ。
おいしそうなケーキやサンドイッチもあるんだ」と。

12時15分くらいでしたが、客の入りは3割ほど。
のんびりした雰囲気です。
天井が高くて気持ちがいい。

例によって私は、キーボード付きのiPadを広げ…。
ただし、パチパチ・バチバチなんて打ちませんよ、
おとなしいおっさん(のつもり)。

そうして、気付いたのです。
「あれ? BGMがない!」と。

音楽が流れていない。

お客さんの話し声は、ほとんど気にならず、
ただ「エアコンの音」だけをかすかに感じる。

新鮮でした。

音楽には、お店の喧騒を和らげる
(というか誤魔化す)効果もあると思いますが、
「選曲のセンス」はとにかく、流していないのは珍しい。

でも、ここは、音無し。

差し込む光、高い天井、少しの声、エアコンの音。

当然、混んでいる時間帯や、
まさにイベントの開催によっても雰囲気は違うでしょう。

お店の方に聞いてみたら、
20年前に杉並公会堂が大幅改装した時に店舗として入り、
その時点から、事業者とのお約束として
「一度も音楽を流したことがない」そうです。

ちなみに、杉並公会堂自体は1957年のオープン。
なんと私と同い年の70年弱です。
(そして私は、荻窪病院生まれ、練馬区上石神井育ち。)

実は、「BGMなし」の件に気付き、感心して、
久しぶりに訪れた日から2日後、
また行って確かめてみたのです(私も暇ですね〜)。

光が差し込むランチタイム。
キャリーカーを押したお婆さんが一人、
アイスコーヒーを飲みながら囲碁の本に書き込んでました。

スタバでフラペチーノ片手のオンライン兄ちゃんや、
保険契約説明のお姉さんより、平和だわ。

そして今回、お店の方に音楽事情を伺ったという次第。

お店の、心地よいBGMもいいけれど、
音楽のないお店もいい。

開いた画面から、しばし目を離して、
窓の外の光やロビーの空気を、ゆっくり感じてみました。

ビールもあるので、
今度は夕暮れ時にも行ってみようかな。

机を丸く拭く人たち。

タイトルを見て、
「爺さんの小言」みたいな内容じゃないか、
と感じましたか?

はい、そうです。その範疇のお話です。

最後に、ちょっとしたオマケ話もありますが。
それで引っ張るほどの話でもないので(苦笑)。

さて。私は、
自宅事務所から数分の駅前であろうが、
打ち合わせに出向く都心部であろうが、
しょっちゅうカフェや喫茶店にいる身なので
(もう今どき「喫茶店」なんて言わない?)

店員さんの所作(しょさ)は気になります。

例えば…

お客さんが離れたテーブルがあって、
店員さんに余裕がある際は、
テーブルを拭いている姿を目にすることがあります。

それ、見事に「丸く」ふいているのです。

いまどき、「四角な座敷を丸く掃く(はく)」
という諺(ことわざ)を使ったり、
知ってる人も少ないと思いますが、
四角い4人掛けテーブルでも丸い1人用のテーブルでも、
真ん中あたりをさっと拭く。

天板の隅やコーナーまで、しっかり拭く人は、
滅多にいらっしゃいません。

ひどい時は、布をひらひらさせて、
やや机に水気を与える程度。

座っているこちらから見ると、天面に「布巾の跡」が、
ナメクジが通った後のように光ってる!

諺の「四角な座敷を丸く掃く(はく)」を
改めて調べてみると…

「四隅を残して中央だけを丸く掃いてごまかすことから、
神経の行き届かぬ仕事をすることをいう。」

店員さんのマニュアルに書いてあるかは知りませんが、
何もしないよりは立派なものとは思います。

ただ、そのような中でも、
オーナーさんや店長さん、リーダー格と見られる人は、
「机を隅まで拭く確率」が高いように感じます。

反対に若い人は(という言い方も爺さんですが!)
男女に限らず、丸く拭く人が多いです。

気持ちを込めた(と言うと大袈裟かもしれませんが)
「軽めでも隅々まで拭き掃除」という目的を意識するのと、
「濡らす程度」のアリバイ作りの差。

たぶん、そうした「チャチャっと」の気持ちは、
その人の仕事全般にも出るのでしょう。

一方、責任ある立場の人は、
「手抜きや効率」も考慮しつつ、
「隅まで磨く」気持ちがベースにはある。

そして面白いもので、
途中入社を含む若手やアルバイトの中にも、
四隅まで拭こうとする人が出てくる。

そうした人が、お店でも職場でも
「伸びていく」と思うのです。

たとえば、私の仕事である
広告や販促物の制作に照らして言えば、

コピーライターが、今どき 生成AIの力も借りながら、
それなりの文章を作ったとします。

それを、どこまで諦めずに「詰められる」か。
クライアントの厳しい
(時には勝手と思われる… すみません!)
修正要求にも「投げずに向き合える」か。

デザイナーで言えば、
文字をぺたっと貼り付けただけで「まぁまぁ」
の段階で手放すか、数ミリにも「こだわる」か。

業種・業界、社員・バイトの違いに限らず
「その仕事の、四隅はどうなっているか。」という意識。

以上。
きっと予想通りの、いやらしい話でしたね。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。

【おまけ】
この下書きは、荻窪のカフェで書いていたんですけど…

座っていた布ばりのソファの隙間に、
「100円玉」が深く「はまりこんでいる」のを発見。
(ギザギザの頭だけが見えていました!!)

なんで、そんな所に目が入ったのか気付いたのか。
硬貨は店員さんに渡しましたけどね。

「隅まで丁寧に」などという文章を書いていたせいで、
自分の視野に敏感になったのかもしれません。

4年ぶりにメガネを変えて気分替え。

昨日の日曜日、新しいメガネが仕上がってきました。

お馴染みの渋谷の眼鏡店で発注したもの。

ひとつ前のメガネは4年前に購入。
その前は、さらに3年前でしたけれど
二代続けて(計7年)似たデザインでした。

現状のメガネから、なぜ変えたのか。

理由は、まずは度数が微妙に変わったから。
当然ながらこの年齢なので、
近視と乱視に加えて老眼もあるわけですが…。

大きな数値の違いはなくて、
担当のお兄さんからは
「お客様の年齢で、4年経ってほぼキープは
素晴らしいです」と、よいしょされました(笑)。

まだ十分使えるメガネを
(これからも服装に合わせて再登場させることは可能)
なぜ買い替えたか。

理由は… 「飽きたから」。ワハハ!

これまでのメガネは、FacebookやBlog、
LINEのプロフィール写真にあるように、

メガネの上辺(一番上のライン)は黒。
その下のレンズは四角くて縁無しのタイプ。

今回は、全体が丸いデザインで、
フレーム素材もチタンと鼈甲(べっこう)です。

以前の「四角いの」が、
(自分で言うのもなんですけど)
シャープでモダン、スキッとしたイメージで、
悪く言うとちょっと堅い雰囲気もあったのに比べて、

今回の「丸いの」は、柔らかいイメージ。
少しクラシカル、ないし
コミカルにさえ見えるかもしれません。

本当は、サングラスを含めて数本所有し、
服装に合わせて掛け替えるのが理想なのですが、
度数の問題や、掛け替えるのも面倒で、
つい「このひとつ」になってしまいます。

今回も、ほぼこの「丸型」をメインにしつつ、
「四角」も、たまにはかけるかも。

決して安い買い物ではないメガネ交換。
「4年で飽きたから」というのは
ちょっと贅沢な話かもしれませんけれど…

「だって、気分を変えたかったんだもん!」

四角から丸へ。
69歳にしてのメガネ変身。

いまだに広告や販促物の依頼をいただきながら、
地味な職人仕事をしている爺さんですけれど、

たまにはこういう「小さな変化」も、
悪くないなと思っています。

***************************************

【追記】 メガネは、ファッションアイテムとして好きで、
高校1年で「縁無し」(校内でたぶん最初!)、
大学3年くらいで「サングラスに変わる偏光レンズ」、
社会人で「多い時は3本並行」で持ってたんですけどね。
また、老後の趣味にしようかな(笑)。


リトマス試験紙を隠しての会話。

人それぞれ、性格も信条も違う。
わざわざ言うまでもない、自明の理です。

親子、兄弟、友人、職場の仲間。
あるいは、何かのコミュニティで出会った人たち。

気が合い、興味の方向は似ていても、
細部に違いがあるのは当然です。

それでも、お互いを好きで
(これからも関係を築きたいと思い)
大筋で合意できれば(内容にもよりますが!)
尊重し合いながら楽しく会話していける。

あるいは、意見を闘わすことはあっても、
前向きに検討していければ良い。

でもね、政治の話はやばいですよねー。

「下手に政治には触れるな」というのは、
昔からの不文律ですけれど、
ネットやSNSの普及で「あらわにされる危険」が
一気に増し、今や完全な地雷となっています。

かつては、自分が「なんとか党」の熱烈な支持者だとしても、
勧誘でもしない限り、「あからさま」にはならなかった。

「特定政党」とまで絞らなくても、
「政治信条」についての会話も、もっと緩やかなものでした

それが今や、ちらっと書くと、あっというまに伝わり、
レッテル貼りされる。
あらゆるところに「地雷が撒かれて」いるわけです。

例えば、飲み屋で男性二人でいたとします。

私が「高市総理はさー」と言って、一瞬の間をおくと、
さてどうなるか。

相手は(高市総理はさーに続けて)
「もうダメだよねー、国賊」と答えるかもしれない。
私は「よくやっているよね」と続けたかもしれないのに。

「トランプ大統領に対しても…」
相手は(うん?トランプ大統領?)
「媚びすぎだよね。高市はトランプのポチ」と言いかねない。

私は、「総理はうまく会話を運んで前へ進めている」と
言いたかったとしても、その言葉を飲み込み、
「そうだよねー、総理として軽いよねー。ハグもねー」
なんて同調したかもしれません。

※あ、あくまで例え話ですよ、例え話!(恐ろしや…)

意見をネットに載せようものなら、
短い言い切りのフレーズであれ、長々とした論調であれ、
「そうだそうだ」側と「何言ってるんだ」に二分され、
熟考や検討、中庸な意見が入り込む余地はなくなる。

各人が「思考のリトマス試験紙」を忍ばせながら、
「赤くなるかなー、青くなるかなー」と恐れ、
モゴモゴした中間地帯は、見えなくなる。

「戦争反対」という4文字の明快なフレーズにしても、
その意味合いにおいて、分かり合えない時代です。

だから私は、
あまりに「リトマス試験紙色」の強いグループ、
「脊髄反射」が激しい集団に、
入りたい・居続けたいとは思いません。

でも一方、以前の投稿でトランプ大統領のことを
「ガラガラポンの時代」と書いたように、
「次の時代に(特に日本が) 進むステップ」の、
大きな踊り場にいるとも感じています。

危険 < 期待。

ここまで「政治への関心と会話」が
可視化された時代は、なかった気もします。

私のようなオッサン・爺さんには、一見すると
「60年代の安保闘争とデモの時代」を感じさせても、
民度と情報の質は、マスコミ時代より格段に上がっている。

日本の発展と世界平和を、心から願います。

(… ここを「日本国の」と書くと「えぐみ」が増すね。苦笑)


ジャケットには襟付きシャツ(私)。

きょうは珍しく、ファッションの話です。

最近、男性の服装で、
あるパターンがすごく目立つ気がして…。

今は、ゴールデンウイーク前の
だんだん暑くなってくる季節。

ビジネスファッションのカジュアル化が進み、
スーツにネクタイ姿が減った。
そこまでは、よくわかります。

ただ、20代、30代、40代くらいでも、
皆さんけっこう、きっちり上着を着ている。

相手に失礼にならないよう、上着だけは一応着ておこう。
そんな感覚もあるのでしょう。

ただし、その組み合わせが、定番と言えるほど似ている。

・黒や紺のスーツ、あるいはジャケット。
・パンツは、色違いの場合でもダーク系。
・靴は、革靴っぽいけれど靴底はゴムのもの。
ないし完全にスニーカーの黒か白。
・インナーは、白の丸首Tシャツ(長袖あり)。
たまにVネックの白や黒もいるかな。

典型的なパターンとしては:

上下黒のスーツ、
インナーに白のTシャツ、
黒か白のスニーカー。

はい、完成です。

「これがビジネス・カジュアル!」
そんなワンセットとして、すっかり定着しています。

この格好をしていれば間違いない。
毎日の迷いがなく、お店でもさっと選べる。

ただ、70歳目前のおっさんとしては、
(少なくとも私は)そこには乗れません。

ジャケットには、やっぱり襟付きのシャツを着たいのです。

理由はふたつあります。

◎ひとつ目。
Tシャツには、どうしても「ゆるい」空気がある。

似合う人もいるけれど、
私には、あのカジュアル感は少し違う気がする。

リアルに川島をご存知の方はお分かりのように、
打ち合わせがない日で、
近所のカフェや飲み屋に行くくらいでも、
ジャケットかサマーカーディガン着用。

ひげは剃ってないのに、ジャケットは羽織る(笑)。

真っ黒はなくて、グレー系や少しカラフルな色。
襟元には、ピンバッチ等のアクセサリー。

シャツは襟付き。
白が基本で、たまにブルーやクリーム系。
その内側に、下着としてのTシャツ。

パンツは(ついズボンと言ってしまう!)、綿系かジーンズ。

靴は白か黒のスニーカー。
都心へ出る時も、そのままか、革靴似のスニーカーです。

まぁ、ワンパターンと言えばワンパターンです。

◎Tシャツではない理由ふたつ目。

冷房に弱いから!かなり切実です。

Tシャツ一枚やワイシャツ一枚では、冷気がしみすぎる。

だからシャツをそのまま肌に着ることもなく、下着は必須。
そして外出時には、忘れないよう上着も持つ。

あと私は、肘を出すのも苦手です。
上着を脱ぐ時でも、腕まくりは肘が隠れるところまで。
冷え性の「オフィス女子」みたいなもので、
なかなか面倒な男なのです。

以上、最近よく見かける男性ファッションと、
自分の着こなし流儀の話でした。

ユニクロなどが、
「服は道具」「服は部品」という方向を普及し、
誰もが、そこそこ綺麗に、機能的に整う環境を作ってきた。
それ自体は、本当にすごいことだと思います。

ただ、昨今の「スーツにTシャツ」は、
私には「第二の制服」みたいでつまらない。

私は、1957年(昭和32年)生まれ。
VANやJUNのアイビー全盛よりは10歳ほど下ですが、
いわゆるDCブランド
=デザイナーズ&キャラクターブランド世代です。

あの、少し贅沢で、少し騒がしく、
それぞれの服にも個性と失敗があった時代。

そんな「服の記憶」が、
いまだに身についているのかもしれません。

****************


【追記】

・この過ぎ去った秋冬には、
初めて「タートルネック」を一度も着ませんでした。
なんか「ジャケットにタートルネック」が、
いかにもおっさんぽく思えてきて。

・会議等の実質の必要はないのですが、
これから「ネクタイ」を意識してみようかと思っています。

来てる客が乱す店。

カフェでも飲食店でも、
お店の印象を決める要素はいろいろあります。

立地、価格、料理やコーヒーの味、店主・店員、
インテリア、BGM、照明、椅子の座り心地…。

細かな話ですが、私は
椅子が合わない店はかなり苦手です。
カフェは作業場でもあるので、椅子は机以上に重要。

しかし、それらとともに、
店の空気を決めている重要なもの…
それは、来ている客層と振る舞い。

店は、基本的に店主やスタッフが作るもの。

もちろんそれは正しいですが、実際には、
公共空間である店の空気を誰が作るかと言えば、
客の存在も、かなり大きいのが事実。

私が「この店はちょっと足が遠のくな」
と感じる例を二つ挙げます。

1_店員さんと長話をする常連客がいる店。

イメージとして
「駅前の小さなカラオケスナック」が典型ですが、
大手のチェーンカフェでも見かけます。

特におっさん・爺さんが(私も十分にその年齢!)
馴染みの店員(特にずっと年下の女性店員)と
注文カウンターや、席のそばで会話の花が咲く。

イヤな客というより、
「気持ち悪い客」です。

私は、「馴染みや深入りの親しさ」が苦手なので、
余計に感じるのかもしれません。

2_カフェで電話通話やオンライン会議を始める客。

最近は店側も
「通話・オンライン会議はご遠慮ください」
と掲示するところが増えました。

それでも、イヤホンをして小声のつもりで
(実際は十分店に響く声で)延々と続く仕事話。

それは、店内でおしゃべりに花が咲く
おばさん3人組とは、決定的に違います。

お店の雰囲気の中で「楽しんでいる一人ひとり」
という存在ではなく、
一種、周りの空気からずれて「私物化」している存在。

その場を共有する他の人への想像力がない振る舞いを、
私が感じてしまうからかもしれませんね。

店というのは、店側が作るようで、
実は客が壊しもするし、育てもする。

そんなことを、最近あらためて思いました。

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【追記】2026/04/16
店員さん(特に若い女性)との親しげな会話も(特におっさん・爺さん)、
それが大声だったり、レジの流れや行列に影響するほどでなければ、
「川島は神経質で排他的だな」と感じる方もいるかもしれません。
自分でも、その違和感をまだ明快には言語化できていませんが…

ただ、前述の「PC会議にいちゃん」も含め、公共の空間、
とくにチェーンカフェのような共有場所での、
「押し付け感・私物化・散漫さ・異物感・ずれ具合」みたいな、
「その店の空気を変えてしまうもの」への、
私なりの観察と反応なのかもしれません。

立ちション禁止とスリッパ病院。

本日は、お耳(お目目?)汚しとなる、
不思議なタイトルの二大(!)話。

1_立ちション禁止:
洋式トイレでは、男性もおしっこは座ってしろ。

2_スリッパ病院:
土足からスリッパに履き替えて入る病院は古い。

どうでもいい人には、ほんと 些細な話ですが、
どちらも「時代感覚」と結びついている事象かな、
と思い(笑)その社会的考察もしてみたいと。

1_立ちション禁止:

男性トイレに、壁に取り付けた小便器がある場合は
問題ないのですが(それでも盛大に外す人がいる!)
男性トイレでも男女共用でも、洋式便器しかない場合、
大抵の男性は便座を上にあげ「立って」用をたすわけです。

狙いを定めて上方から、そこそこ外さずに狙ったとしても、
飛沫が確実に飛び散る!

公共の場所で(駅とかカフェとか)
洋式トイレのビショビショは嫌なものです。
そして、自分の前の人が男性で、
便座が上がっていたりすると、大失敗!と思う。

男性の私がそうですから、
男女共用の個室に入った女性は、
その嫌悪感を強く感じるのではないですかね。

私は、何十年も前から
「おしっこも座ってする」と決めていて、
便座に肌が触れる不潔感よりも、撒き散らす行為が嫌。

この問題=男性は立つか座るか論争は、
チラチラと聞いていたものの、
世の中で はっきり明言はされていませんでした。

ところが最近、外のトイレで、
「立ちション禁止」の張り紙を一気に見かけるように
なったのです。

もちろん、「立ちション禁止」なんて無粋な書き方ではなく、
・便座に座ってご利用ください…
・立っての小用はご遠慮ください…
といった表現で。

「当店のトイレは男女共用となっておりますので、立っての…」
と、前振りを書いていた店もあります。

使用法を守らない、来日客の増加もあるかもしれませんが、
確実に「洋便器への立ちション拒否」が、顕在化してきた!

当然、若い世代の「座る率」は高いでしょうし、
「トイレびしょびしょ爺さん」は嫌悪の対象でしかない。

考えてみれば、私(いま69歳)の子供の時、
昭和30年〜40年頃(1950年代末〜1960年代)は、
フツーに外で立ちションしていました。
人目につかない壁や野原に向かってね。

世の中の喫煙の流れも同じ。
誰もが当たり前に行なっていた行為が、
マナーや健康の観点から無くなっていく。

それは文化の成熟であり、トイレの場合で言えば
他者(後から使う人、掃除する人)への
想像力の問題でもある。

さらに、これは異論もあるでしょうが、

「洋便座に立ちション」する中高年男性の姿は、
極端に偏った政党の「なんでも反対」的な行為が
白けて見られるようになったのと、似ている気もします。

「家父長的」「権威的」な文化の変化とも、重なって。

そんな、「世の中の流れ」ついでに言うと、

2_スリッパ病院:

私は、土足からスリッパに履き替えて入る病院が
好きではない。

それは、一昔前なら「清潔」とされていたことが、
かえって「不潔」ではないかと感じるからで…

・誰が履いたかもわからないスリッパを、
素手で掴んで身につける。
・二足一対のスリッパを重ねて整理するという習慣も、
かなり不思議です(実利より見た目か…)。

ところが最近、個人経営の歯医者さんや内科でも、
「靴のまま」が増えてきた感覚で、
スリッパの有無で、近代的な設備と考え方の
病院かどうかがわかる(気がする)。

最近、知り合いに「おすすめの歯医者」を聞いた時も、
私の質問は「そこ、スリッパで上がるとこ?土足?」
でした(笑)。

以上、最近気付いた、ちょっとした変化。

もちろん、私の好みや、
斜に構えた見方もあるでしょうけれど…。

確実に「世の中の意識と習慣の転換期」だと思うのです。

桜騒ぎが嫌いな理由。

本日は、世間がこれほど喜んでいる
「桜」と「桜見物」と「夜桜宴会」が、
どうにも好きになれない、という話です。

まあ、いつもの「考えの整理」と「独り言」です。

そんなことを、BlogやFacebook、
音声配信(stand.fm他)で話すより、もう少し
楽しくて建設的なことを語れよと自戒しつつ…。

まず、桜そのものを、
あまり綺麗だとは思わないのです。
あの、ぼやーっとした白〜ピンク色。

むしろ、梅の花のほうが断然好き。
白梅でも赤でも、輪郭がはっきりしていて風情がある。

これはもう、見た目というより、
完全に感覚論・感情論に入りますね。

私は、桜より梅。太陽より月が好み。

前向きで優等生的な「明るさ」が、
かなり苦手な、ひねた性格です(苦笑)。

加えて、桜に「もれなく」ついてくる、
あの「集団での混雑」や「宴会」への嫌悪感。

桜が咲いた道を、静かに歩くのは嫌ではないし、
きれいだな、と思う瞬間も確かにある。
でも、そこに
「人がぎっしり集まる」となると、話は別です。

さらに、マナーの悪さと、ゴミ。
近隣の住民からしたら、たまったものではありません。

昨晩は自宅で(もちろん一人で)飲みながら、
たまたまテレビのニュースで桜見物の様子を眺めて…

「ああ、みんな本当に桜が好きなんだなぁ」と、
しみじみ思いました。

で、「俺はやっぱり変なのかな」と。

その後、買い物に出るついでに、
近所の小さな公園に寄って、誰もいない中で
桜の樹をじーっと眺めてしまったくらいです。

そうして見ると、
桜って、明るさや華やかさより、
どこか「死」のイメージさえ感じますね。
夜桜だと、なおさらに。

そして、花見の宴会は、
・春とはいえ、まだ肌寒い日もある。
・花粉症も続いている。
・薄暗い公衆トイレには行きたくない。

・何より、ゴミが溢れて…。
用意された大きなゴミ箱や、段ボールに捨てるとしてもね。

さらに言うと、ブルーシート。
あれがどうにも美しくない!

花見の宴会では、景観条例と同じく、
「ブルーシート禁止令」を出してもいいくらい、と思います。

以上、私が「桜騒ぎ」を好まない理由。

読んで不快になった方がいたら、ごめんなさい。
勝手な気分分析でした。


そんなに責め立てなくてもさぁ。

「キンキン」と「ネチネチ」には、ほとほと あきれます。
そして、もう「お腹がいっぱい」で聞く気にならない。

… という話をしますね。

特にYouTubeや、ネットの書き込み、
そして「国会論戦」でも顕著だなぁと。

近々の私の投稿では、
例えば「下記のように」感想を述べました。

【侵略国家に備える防犯的国防】 2026/02/17 にて

(デモのプラカードや発声は)
・相変わらず、「反対」「絶対」「阻止」の「罵倒」が中心。
・もう少し意見の言いようがあると思うのですけど。
ユーモアと皮肉を込めたプラカードを作ってみるとか。

【選挙言葉のイメージと勝敗】 2026/02/09にて

(私の感想として)
・悪口連呼スタイルの「消費期限」が切れた。
・相手の揚げ足取りや罵倒は、聞いた人が
「溜飲を下げる」 どころか、嫌悪感と反発を生む。

ほんと、いつまでもいつまでも、
ワンパターンで言い続ける、攻め続けるのでしょうか。

「総理、総理、総理。総理に聞いているんですよ!※」
(うーむ、実務担当者の意見・回答を、
一度聞いてからになさってはどうでしょうか。)

※総理の「言質を引き出したい=記録に残したい」
との思惑はわかりますけど、行き過ぎると
「台湾有事発言」のような、要らぬ火種ともなって…。

子供への言葉の虐待や、職場のパワハラもそうですが、
冷静で客観的な やりとりが必要。

政策の議論であればなおさら、回答を引き出し、
画面を見ている人の共感を得るための「質問スタイル」や、
言葉が「ニュースやネットで切り取られた時」も
「伝わる工夫」が、なんでもっとないのかと。

今の一部のネット民や政治家は、
言葉が「凶器」か「嫌がらせ」か「何度言ってんだ」という
ワンパターンにしかなっていません。

まとめると、

■キンキン:
ヒステリックに「同じフレーズを繰り返し」
感情的に責め立てる質問(女性に多い傾向?)。

■ネチネチ:
一人が「100〜200文字程度」で簡潔に語っている
コメント欄で、何百字も書き込む「論客」の人。
セミナーの質問時間に延々「自論の演説」を
始めるのに似て(年配の男性に多い傾向?)。

反対表明や対案、そして論争は絶対に必要。
なんでも封じ込めたら、それこそ近隣の
「中国・北朝鮮・ロシア」と同じような
「独裁・専制国家」になってしまいます。

それでも、「もうその話法では、伝わらない」
とだけは、申し上げておきます。

(← 締めの言葉が、新聞の投稿欄のようで爺さんぽい!)

1年3か月ぶりのミニ旅:三島へ。

妻が2025年のお正月に亡くなってから、1年と少し。

その後、旅行には行く気になれなかったのですが、
ちょっとしたご縁があって3/15(日)〜16(月)、
静岡県三島市に一泊してきました。

目的は、知人女性の出版記念パーティ出席で、
初めて降り立つ三島駅。
ひとつ手前の熱海には何度か行ったものの、
三島は通過するのみでした。

50人ほどの華やかな催しを楽しみ、
私には珍しく二次会のスナックにも顔を出して、
駅前の東急ホテル泊まり。

翌日には、市内の情緒ある小川を歩き(源兵衛川)、
大きな神社を参拝して(三嶋大社)、
うなぎを食べ(昼からビールも飲んで!)帰ってきました。

前回の旅は、妻との最後の旅行となった
2024年12/13(金)〜14(土)の京都一泊。
倒れる、わずか2週間前のことです。

ライカギャラリーでの展覧会を見てから
「龍神雷神図」で有名な建仁寺(東山区祇園町)を散策。
近年の京都の定宿だったアート系のAce Hotelは、
もう7〜8回目の宿泊でした(中京区烏丸御池駅)。

さて今回、一人旅とはいえ、
久しぶりのミニ旅となった三島観光。

東京駅から新幹線で1時間弱の近さとはいえ、
やはり「高速で長い距離を移動する」ことには意味がある。

以前も書いたように
「新幹線や飛行機による高速移動」には、
細胞(?)を変え・活性化する力があると思っています。

「長時間じっとしていること」は、誰もが好まないし、
特に私は2時間ほどのセミナーでも 座っていられず、
そーっと立ち上がっては「ご質問ですか?」などと
マイクを向けられてしまう有様。

でも、旅の長い移動時間は嫌いではありません。

リラックスしつつ、集中できる。
日頃の自分の枠を超えて、何かがシャッフルされる。
それは車での移動では得られないものと、
私には感じられます。

ちなみに、新幹線でも飛行機でも、
たまに立ち上がったり通路をうろうろするので、
窓際の席は絶対に予約しません。
新幹線のグリーン席では通路側、
普通車では3席並びの通路側に決めています。
(3席の真ん中は空席が多いので余裕←せこい!?)

そんな1年3か月ぶりの三島旅は、
私にとって「次の段階への移動」だったのかもしれません。

誘ってくださった方々とのご縁に感謝しつつ…

相変わらず、パーティのご報告も賑やかな集合写真もなく、
観光風景の一枚さえ掲載しない私をお許しください。

楽器の好みの変遷:誕生祝い返礼。

数日前の3月3日で、【69歳】になりました。
いやはや69歳だぜ!(とほほ)。

そして、「ひな祭り男子」です。(ひな祭り爺さん!)

昔は「男の子の日」とされた5月5日よりは、
女の子の「桃の節句」の方が、
自分には似合うような気はしますけどね(笑)。

1957年(昭和32年)3月生まれの「酉年」なので、
クラスで言えば1956年(昭和31年)4月からの学年です。

団塊の世代の10歳ほど年下。
出生人口もかなり落ちてきた頃で、世代分類では
あまり目立たない世代かもしれません。

そんな世代論について書いても良いのですが、
今日は軽めに、そしてFacebookに沢山いただいた
「お祝いメッセージ」へのお返事も兼ねて
「年齢による楽器の好みの変遷」の話をしますね。

ちなみに、ドライで皮肉屋の私は、
いちいち(失礼!) 一人ひとりのお言葉に
コメント返しはしておりません。お許しください!
(流石に反省して、今年からは拝見した印に
「いいね」ボタンだけは押すようにしておりますが…)。

さて、「歳をとる」ということについて。

前回の投稿では【家族の青春時代とは】と題し、
「自分の成長と家族の変化」を書きました(※)。

そんな成長による変化は、
「音楽の楽器パート別の興味」にもあると気づいて。

私の場合、ポップス・ロック系では
ボーカル→ギター→キーボード→ドラムス→ベース。

もちろん、これは各人の好みの違いや、
習っていた楽器の影響なども大きいと思います。

私は、親からピアノを勧められることもなく、
家にあったウクレレで「禁じられた遊び」のイントロを
少し弾いてみただけで飽き、
(ハーモニカと縦笛だけは少し出来たのを思い出した!)

大学生の時のギターは、Fコードを押さえられず諦め、

サディスティック・ミカ・バンドやYMOで有名な
高橋幸宏さんに憧れてヤマハのドラム教室に行ったものの、
両手両足の「バラバラの動き」が
からっきしダメと気づいて、一日(一回のレッスン)で退散。
ほんと、(何につけても)根性無しの遍歴ですよね。

歌詞、メロディ、リズム、ボーカルなどの話とも
重なるのですが、私の場合(そして多くの方も?)

小さい頃は、歌手の「見た目」と「声質」に惹かれる。
次に、アコースティックギターや、
ロックギターを弾きたい気持ちになる。

子供の頃に興味のなかったピアノやオルガンも、
「キーボード」という電子楽器になってカッコよく見える。
歌謡曲〜フォーク〜ロックの変遷とも重なります。

そして、音楽の要はリズムだと分かり、
ドラムスに興味を惹かれるようになり…

さらに、それまで目と耳があまり向かなかった
(テレビや一般的なスピーカーでは聞き取りにくい)
ベースラインが自分の中心に入ってくる。 ←いまここ!

理屈っぽく、人生に例えるなら、

・ボーカルの上手い主役でいたい(小学校の優等生)→
・リードギタリストがカッコいいぜ (中高の突っ張り)→
・キーボードは華麗だ (大学生の大人ぶり)→
・ドラムスが支えている(社会人の采配)→
・人生はベースラインで成り立っている(大人の達観)。

まるで「つたない」演奏しか出来なかったものの、
下手なりに人生を奏でてきた69年。

聴かされるほうとしては、
すぐにオフにしたくなることも多々あったでしょうに、
お付き合いくださりありがとうございます。

自分の役割や喜びが、
華麗なフロントアクトでなかったとしても、
「人生はベースライン」。

さらなる節目の「70歳」目指し(!?)
貴重な60代を鼻歌気分で生きていきます。

******************

※関連する過去記事:
【家族の青春時代とは】2026/02/22
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55174000.html



家族の青春時代とは。

「結婚」や「新たに家族を持つ」というのは、
なんとも不思議なことだなーと思います。

なんの因果か(笑)
「ある両親」の元に生まれ(私の場合は川島家)、
成長し、その後は独身の方もいれば、

運命だかご縁だか成行だか(!?)
結婚してさらに子孫を残す人もいる。

私はここまで68年(もうすぐ69年)
生きてきたわけですが、
人生の流れの中で「家族の形態」を眺めてみると、

ふと「家族の青春時代」という言葉が浮かびました。

例えば、私(私たち夫婦)に子供ができ、
子供達が成長する喜びは、反対の視点で言えば
私達夫婦と両親が(私の側も妻の側も)
年齢を重ねていくということでもあります。

もろに言えば、
子供が成長するほど、自分と親は年老いて行く。

その中での【家族の青春時代] とは、
各世代が、わりとバランスよく
それぞれの時間を謳歌できる時期で、

おおむね、親が60代・子供が30〜40代・
孫が10歳前後の頃。

両親は、おじいちゃん・おばあちゃんの割には若い、
自分たちの世代は働き盛り、
子供達は、まだ「可愛い」子供らしさを残している。

まさに各世代が、「家族というワンセットで、
いちばんまとまりがあり、輝いている」時期。

「二世帯住宅」や「三世帯同居」なるものは、
まさにその「絵に描いたような住まい」なのだと思います。

我が家の場合は、ヘーベルハウスの3階建てで、
1階が両親、2・3階が私たち親子(私・妻・娘・息子)
という「まんま広告か」みたいな構成でした。

しかし時は経ち、
(妻の両親を含めて)親が亡くなり、
子供達は徐々に独立し。

そんな中、人生終盤となる
「次のステップ」を考えての「夫婦二人暮らし」は、
女房の不慮の事故であっさり変化して。

妻が約1年前、
マンションへの引っ越しからちょうど1年後に、
63歳で亡くなったことは何度かお話しした通りです。

それでも今度は、子供達に
(私からすれば)「孫」ができるかもしれない。

人生は巡り合わせ。
人生は変化の連続。

自由な一人暮らし(独身時代ね!)は楽しい。
夫婦二人の時間も楽しい。
子供ができたら、それは可愛い。
さらに孫なら!?

でも問題(?)は、
「離婚して一つ前に戻る」みたいな「人生すごろく」は
なかなか難しいこと。

各時代・各世代における自分の立場と家族との関係。
そんなことも「人生の葛藤と面白さ」です。

※あ、やたら「悲観的論調」に感じるかもしれませんが、
私はいま、「実質独身」に戻り、
マイペースでヘラヘラ、楽しく生きております。
(友達もいるし、お仕事もまだあるし!)

「家族の青春時代」を次の世代に引き継ぎつつ、
もう少し生きていこうと思います。

侵略国家に備える防犯的国防。

これまで、選挙投票には行ってきたものの、
基本的にはノンポリ(政治無関心)な私でした。

ところが、ここ数か月の投稿で、

・自民党の総裁選挙
・中道改革連合の新党名や広告的戦略への疑問
・衆議院議員選挙への感想
などを取り上げました。

確かに、いま政治は面白い。
(68の爺さんなのに、急に関心が高まった18歳か!?)

その私の雰囲気から、
「川島は中庸か、やや右寄りなくらいじゃない?」と
思われる方もいらっしゃるでしょうが…

まあ、極端な人間でないのは確か。
この私に、「過激」と「濃い味」は似合わない(笑)。

左とか右とか、リベラルという言葉の定義さえ
変わってきていますし。

そんな、政治を深く語らない、
語る知識もない私としても、気になるのが「防衛問題」。

我が国=日本国の「国防」について、
自分なりに考えたことを「小声で」お話しします。

高市さんの自民党(及び維新)が圧勝したこともあり、
それを喜ばない方々からは
「日本の軍国主義と軍拡への懸念、戦争を止めよ」
との声があります。

一昨日の日曜日には、ここ荻窪でも
道路の交通規制を敷いてのデモがありました。

シュプレヒコールは「高市やめろ」。
高市を辞めさせたいの意味と、
戦争をやめろの両方ですね。

看板に踊る文字は、例えば
・トランプと共に中国侵略戦争に突進する高市を倒せ!
・改憲、戦争、阻止!
・戦争と排外主義の高市倒せ
・辺野古 新基地阻止 etc.

相変わらず、「反対」「絶対」「阻止」、
「大声」や「罵倒」が中心で、
もう少し意見の言いようがあると思うのですけど。
ユーモアと皮肉を込めたプラカードを作ってみるとか。

なにやら「反権力」を叫びながら、
事実とずれた「揚げ足取り」が目立つ点では、
マスコミ、いわゆるオールドメディアと
重なって見える部分もありました。

私だって、戦争は「絶対」反対です!
痛いのいや。
集団行動ができないので、行進さえいや。

私はもう爺さんだけど、息子や孫の世代を
戦いに駆り出したくはない。

でもね、「防衛費増額 ≒軍事力強化」は、
いまの自分としては「必要なもの」と捉えています。

そして、「防衛と軍事力の強化」が
「軍国主義の専制国家」になるかと言えば、
それは違うであろうと。

すごくゆるい書き方をすると、私は
「日本の軍備は、防犯のようなもの」と理解しています。

かつては、家の鍵をかけなくても外出できた。
近所も見知った人ばかりだった。

しかし、人が増え、把握が難しくなり、
実際に犯罪も発生して施錠は常識になった。
でも、簡易な鍵レベルで済んだ。

それが、いよいよ隣人とも疎遠になり、
アパートに外国人も多数住んでいる。
ゴミ出しのルールも守らないなど、いざこざも発生。
(日本人同士でも、こうした問題はありますが…)

そして、室内や電話への傍聴、
パソコンへの侵入など「情報漏洩」も起きてきた。

もう、性善説と倫理だけでは、
(ほんと残念ながらですが)守れない世の中です。

だから、せめて「防犯」は強化。
鍵はもちろん、必要そうなら監視カメラもつける。

個人の住まいも、企業も、政府も、
お空の上・宇宙からの監視に関しても。
情報流失なんて、まさに盗難に遭うようなものです。

実際、日本の近隣には、
中国・北朝鮮・ロシアという、気の許せない国がある。

だからと言って、こちらから、「成敗してくれる」と
出掛けていくのはまずいし、過去の日本の歴史には、
それに準ずる行為もありました。

これからはアメリカとの同盟関係(属国関係!?)も
変化してくるでしょう。

「防衛」ではなく「防犯」という意識。
「国防」よりも「安全保障」に近い感覚。
決して軍国主義ということではないと思うのです。

そんな理屈さえ、まだ甘い考えなのか、
これでも、すでに過剰なレベルなのか!?

政治周りのイデオロギーに関わることには
あまり触れたいとは思わないのですが(苦笑)
ここまで投稿してきた延長で、
自分の考えをまとめてみました。

日本と世界が、平和でありますように。

選挙言葉のイメージと勝敗。

昨日は「カタカナ言葉の専門語り」として、
マーケティング分析の用語って、
相変わらず「わけのわからんカタカナが多いなー」
という感想レベルの投稿をしました。

そんな話をしている本人が、
「クリエイティブディレクター&コピーライター」という、
これまた怪しいカタカナ肩書を名乗っているわけですが!

そして、きのうの日曜日は、
衆議院議員選挙の投票・開票日でした。

私は3日前の木曜日に、人生で初めて
期日マエ投票(正式には期日ゼン投票らしい)を済ませ、
全国の各党の情勢と、自分の「自宅 兼 事務所」がある
東京第8区(杉並区)の小選挙区の様子を、
楽しみに見ていました。

全体の結果は、
自由民主党の圧勝と中道改革連合の惨敗。

立憲民主党と公明党が「衆院選において」合体した
「略称:中道」は、大幅に議席を失いました。
ただし、「実質公明党としては議席増」という、
なかなか複雑な展開も印象的です。

詳しい情勢分析は、
いまや「オールドメディア」と呼ばれるマスコミや、
あまたのSNS配信にお任せすることとして…

本日は、広告屋目線での話です。
選挙で語られた「言葉のイメージ」について。

具体的な事例は挙げません。
あくまで、私が感じた「選挙言葉」の感想です。

1_悪口の「消費期限」が切れた:

相手の揚げ足取りや罵倒は、
聞いた人が「溜飲を下げる」 どころか、
嫌悪感と反発を生み、自分への賛同にはつながりません。

「よくぞ言ってくれた」は、
よほどコアな信者に近いファンだけ。

前向きなアイデアを出さず、態度も悪く、
「吠えているだけ」に感じられる議員や政党に、
多くの人はもう 飽き始めています。

特に、いまの10代・20代の若者には届かないのは、
今回の選挙ではっきりしました。

皮肉を込めて攻撃したいなら、
そこに「ユーモアやウイット」を混ぜて、
「痛い所をうまく突くなー」と共感させる話術が必要。
用意されたプラカードを掲げ、罵倒し、
人の話を聞かないような政治論争は、
もう終わってしまったということです。

2_「中庸」というスタンスの生存戦略:

これは、政党名の「中道」ではなく、
もちろん「中庸な立ち位置」という意味です。

反対するなら、根拠と代案を示して話し合う。

「是々非々」を謳う政党は、
爆発的な伸びはなくとも、生き残っています。

ただし、政治とは
「理念」とともに「存在感」が大切な世界。
良くも悪くも「典型的な人気商売」ですから、
「どっちつかず」「曖昧」になると、それは
「政党としての弱さ」になり「消えていく」ことになる。

それでも、一旦飲み込みつつ考えて吐き出す姿勢は、
「とにかく反対」よりは、いまの世の中では
支持されると感じました。
(まぁ、社会人として当たり前のことですが!)

3_「耳心地の良さ」に潜む洗脳の罠:

党首はもちろん、目立つ議員の言葉は、
悪く言えば「国民を扇動する」旗印になります。

アジテーションに沸き立ち、
根拠のないフェイクニュースに踊らされる危険。

いま風に言えば「PR戦略」ですが、
オールドメディアの衰退と引き換えに、
「ネットの、特に切り抜きをサクッと見ておけば、
時短でコスパ良し」という短絡思考は、かなり危うい。

短く、わかりやすく、心地良い言葉に
「無意識に思想を誘導する意図」は隠れていないか。
「実はね…」の耳打ちは、事実に基づいた話なのか。

本当に日本国民のためになり、
さらに言えば、世界平和にもつながるのか。
冷静に考える必要があります。

まとめると:

罵倒と反対だけではダメ。
中庸だけでもダメ。
耳障りの良い高揚だけでもダメ。

これは、日常の仕事や人間関係にも
すべて当てはまりますが、
特に政治においては、
その影響力と責任が段違いに大きいです。

今回の衆議院選挙は、短期間の告知のうえ、
大雪の中での実施に批判もありました。

それでも期日前投票は有権者全体の26%へと増え、
全体の投票率も56%へと少しだけ上がりました。
(こんな大切なことが、まだまだ低すぎますが!!)

選挙動向は、面白かった。

国民一人ひとりの考えや立場は違いますが
(それこそ民主主義!)

これからも政治を見守りつつ、
日本を進めていきたいです。
(私の将来は長くはないけど!)


*************

※関連する過去記事

「中道」政党名の「響き」からの考察。2026/02/04
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55173066.html

「中道」政党の広告的混迷。2026/01/21
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55172319.html

自民党の「強く」ポスターへの評価。2025/12/17
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55170416.html




カタカナ言葉の専門語り。

これを投稿しているのは2/8(日)のお昼。
東京の杉並区荻窪は朝から2センチほどの積雪ですが、
もう止んでくる雰囲気ですね。

そして本日は、衆議院議員選挙の「投稿・開票日」。
小選挙区の議員さんと、比例では政党を選択する選挙。

全国的に、例年を上回る積雪の影響で
投票率が心配ですけれど、皆さん、ぜひ行きましょうね。

私は、すでに3日前の木曜日に投票を済ませています。
生まれて初めての期日前投票で、
68年生きてきて(もうすぐ69年ですけど…)初体験。

「期日『マエ』投票」は、正式には「期日『ゼン』投票」だ
と言うことも知りました。

私の選挙区は「東京都第8区」。
現職議員は、中道改革連合の女性の方で、
中道の中では「次の党首候補」としても
期待されているらしく、かなり強力。
しかも、杉並区長(女性)の応援も受けている。

追う自民党など、どんな結果になるか興味深いです。

本日は、そんな「リキの入った日」ですが、
軽く短い、感想みたいなことを話します。

タイトルは、「カタカナ言葉の専門語り」。

昨日、土曜日の夕方。
マーケティング関連のセミナーを聴きに行きました。
夕方から、2時間ちょっと。

テーマは(主催者のタイトル通りではありませんが)
「良いブランドとはどういうものか」という内容で、
広告屋として、たまには勉強しないと!と思い、
港区赤坂まで出かけました。

ここで、セミナー内容そのものには触れません。
講演メモは少し取っていますが、
その直接のご紹介は、やめておきます。

唯一、投稿ネタとして「突っ込ませて」いただければ…

相変わらず「わからんカタカナ用語」が多いなぁと。

大手広告代理店の方々や、
大学の先生などが登壇されていましたが、
特に冒頭の「代理店の方による基調講演」は、

多数の映写スライドを
「ぱっぱ、ぱっぱ」と高速で切り替えながら、
早口で語られる言葉が、

パーパス
エクイティ
ホリスティック
ダイバーシティ

生活者は動的に変化していくスタティックな存在なので
リベラルアーツ型の「知」に注目。etc.

なんじゃこりゃ、です!

マーケティング研究の発表とは、いまだに、

・カタカナを羅列して、
・文字びっしりのスライドで、
・たたみかけるように話すのが
パターンなんですかね。

今回のセミナーは、データ分析が中心で、
来場者も「調査・マーケティング畑」の方がほとんど。
ちょっと「かする」だけの私が
口を挟むのは違うかもしれません。

こうした、きちんとした分析系の
広告・マーケティングセミナー聴講も久しぶりです。

でもなー、そんなにカタカナ用語を連発しなくても!

選挙の話に、少しだけ戻すと…。

他党の悪口や揚げ足取りばかりで、
肝心の「自分達は何を目指すのか」を示さない政党は、
60歳以上の固定した支持層には受けても、
18歳から20代の若者には「まったく受けない」のは、
それこそアンケート調査で明らか。

今回のセミナー自体は、
質疑応答も含めて「聞いてよかった」内容でした。
そこは、きちんとお伝えしておきます。

そもそもB to B の勉強であって、
B to Cのコミュニケーションの場ではありませんでしたし。

ただ、「人に何かを伝える言葉」とは、
専門用語が多くなりがちでも、
カタカナ翻訳語を「畳み掛ける」プレゼンテーションでは、
ないと思うのですよ。

はい、すみません。
内容そのものではなく、表面的な「伝え方」
「コミュニケーション」について話してしまいました。

カタカナ言葉の専門語り。

自分を含め、広告屋としての永遠の課題です。


「中道」政党名の「響き」からの考察。

2週間前に投稿した「政治ネタ」の続きです。

前回のタイトルは
【「中道」政党の広告的混迷】
2026/01/21(リンクは欄外にて ※)

ただし今回も、各党の政治的信条や是非、
私個人としての支持・不支持には触れず、
選挙情勢の分析もしません。

あくまで、前回・前々回と同じく、
中道改革連合(中道)と自由民主党(自民)の
スローガンやポスターについて述べたように、
長年、広告業界の片隅で生きてきた者としての
コピーライター/クリエイティブディレクターの視線で、
軽く分析してみる雑文です。

さて、「中道改革連合」の
新党としての「言葉の響き」について。
大袈裟に言えばネーミングとブランディングの話です。

新党名は、1月16日に記者発表され、
私の前回投稿時点では、まだ5日ほどしか経っていませんでした。

ところが、党側が呼んでもらいたい略称としての
「中道」は主にマスコミ(大手のテレビ・新聞)に留まり、
SNSやYouTubeでは「中革」「中革連」が
目立って使われるようになってしまった。

新党に対抗する勢力や、それを面白がる一般の人、
さらにYouTuberなどが
「故意に皮肉を込めて」使っている面も確かにあるでしょう。

しかし、ネーミングの「作り方=見え方」として大きいのは、
次の点だと思います。

◎中道という言葉が、
「立憲」や「公明」などの強さやメッセージ性ではなく、
「曖昧」に感じられがち。

◎それよりも「改革」が印象に残り、
「革命」を連想させる「革」の字の方が勝ってしまう。

◎「連合」と言う単語が、
バックにある労働組合の総称を想起させやすい。

◎名前が長いため、略して呼ぼうとすると
「中道・改革・連合」=「中・革・連」になりがち。

そして今回、私があらためて気付いたのが
「音の響き」です。
AIさんにも手伝ってもらって(笑)、整理してみました。

まず、他党を比較すると…

・自由民主党 → じみん
・日本維新の会 → いしん
・立憲民主党 → りっけん

いずれも
語尾が閉じる/短く、強い。

「ん」という撥音(はつおん)が、
言い切り感、完結感、決断力を想起させます。

一方で、
・公明党 → こうめい
・参政党 → さんせい

こちらは母音終わりですが、
二拍目が強く、リズムがはっきりしている。
広がりや明るさ、未来志向を感じさせる響きです。

それらに対して、
・中道改革連合(略称:中道)→ ちゅうどう/ちゅうどー

「う」という長音が続き、拡散し、輪郭がぼけやすい。

……要するに、ぬるくなりがち。

「ちゅうどう」だと
母音が続く/伸びる/緊張感がない/揶揄に使いづらい
「ちゅうかく/ちゅうかくれん」なら
破裂音(k)/語尾が閉じる/一気に言える/記憶に残る

SNS時代においては、言いやすくキャッチーで、
時には皮肉れる名前が、先に伝播してしまいます。

また、ブランディングという視点で整理すると:

あえて「立憲公明党」や「立憲」そのまま、
あるいは「公明党」に寄せた作文ではなく、

「良かれと思ってつけた新機軸」が、
・新党名としても
・略称としても
・音の響きとしても… 残念な着地になった。

加えて、「生活者ファースト」という
二番煎じ・三番煎じのスローガンもねー。
(あ、少し批判的になってしまった。)

とはいえ…
これだけ「ネーミングの大切さ」を解説しながら、
「名前もロゴマークも、慣れてしまえばそれで良し」も
長年の広告屋の実感です。

最初はダサく思えたものが、
潰れずに生き残ることで、
浸透し → 立派に見えてくる。
(新党して → 立憲に見えてくる!?)

中道が、どこまで従来の「立憲&公明」をベースに
信任を得るのか… とても興味深いところです。

いよいよ4日後、2月8日(日)が「第51回衆議院選挙」。
投票時刻は、私の杉並区(東京都第8区)では、
7:00〜20:00。
(地域によって異なる場合がありますのでご確認ください)。

期日前投票もあります。
特に雪国の方々は、本当に大変だと思いますが、
できる限り投票に行って、日本の、世界の、
そして子供達の将来を希望あるものにしましょうね。

今回、自分を含めて「選挙への興味が高まった」のは、
とても良いことだと感じています。
それを単なる「悪口の言い合いや傍観」で終わらせず、
具体的な行動に結びつけましょう。

*************

※過去記事
【「中道」政党の広告的混迷】 2026/01/21
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55172319.html

【自民党の「強く」ポスターへの評価】 2025/12/17
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55170416.html





照明 オレンジ化計画。

電球や蛍光灯についてです。

眩しい光や、白色の光が、ほんとダメになってきた〜
と言う雑談。

それについて語る前に、少しだけ。
3月で69歳になるこのオッサンの(いや、もう爺さんか)
体調の変化について…。

珈琲をブラックで、飲めなくなってきたのですよ。

もともと朝は紅茶派。
味覚的にも体質的にも、濃いものや刺激のあるものは
得意ではありません。

それでも珈琲は、
砂糖もミルクも入れず、ブラックで飲んでいました。
いわゆるブレンドも、アメリカンも、エスプレッソも。

それが、この2年ほどは
「飲めるには飲めるけれど、一口でいい」状態に。

牛乳や豆乳を入れれば大丈夫。砂糖は不要。
カフェオレ・カフェラテなら、いまだに好きです。

そんな味覚の変化と歩調を合わせるように、
「白い照明」がダメになってきた。

前提として、確かに昔から
照度が強いもの=輝きすぎる・眩しすぎる光は苦手で、
パソコンもスマホもテレビも、
明るさはずっと「抑え気味」に設定してきました。
機種によっては「明るさを下げる」ボタンを
トントンと押していって、これ以下はない!みたいな。

そうこうするうちに最近は、
「光の強さ」だけでなく、
特に蛍光灯の「白い明るさ」が、ほんと辛くなってきて。

妻が1年前に亡くなったものの、
いまもそのまま一人住まいの賃貸マンション。
勝手なリフォームはできませんけど、

天井に直付けの丸い蛍光灯(シーリングライト)は、
なるべく点灯しないようにして、
間接照明的な、天井に反射させる形式の
長い蛍光灯がある部屋は、そちらを使うようにしています。

さらに重要なのが、電球や蛍光灯の色。
市販されている「昼光色・昼白色・電球色」の中から、
なるべく電球色=オレンジ系のLEDを選択。

歳をとると目が悪くなるので
「煌々と輝く、白くて強い蛍光灯を欲する」
という記事を読んだことがありますが、
私の場合はどうも逆ですね(まだ今のところ!?)。

目を刺すような、特に白い光が、本当に苦手になった。

ちなみに、生前の妻は、
「暗いのは寂しい」と電灯はフルにつけていました。
もう、その必要もないわけで…。

そんなこんなで、数日前には、
部屋中の明かりを 一気に差し替えました。

極力オレンジ系にして、
間接照明ぽいものがあればそちらを選び、
天井の光をつけなくても済む所は、あえてオフ。

暗さの補助として、スタンドライト(当然、電球色)を
置いています。

ただし、広告クリエイティブが仕事なので、
書斎デスクだけは例外。
色の再現性が比較的正しい
「白色」のスタンドライトを使っています。

クリアで白い、キラキラした輝きは、
もう不要になってきた。

見た目の明るさだけでなく、
電球や蛍光灯が発する「波長」や「波動」への反応が
変わってきたのかもしれません。

それは、仕事や人間関係とも、
どこか似ている気がして…。

はい、暗く うっすら生きていきます。

「中道」政党の広告的混迷。

国政選挙、面白いですねー。

自分を含め、他人事のように思っていた人も、
いち国民として まさに自分事。

私も1か月前には【自民党の「強く」ポスターへの評価】
という投稿をアップしています(下段参照※)。

世界情勢が、いよいよやばくなってきて、
「日本は、日本人はどうするか」の正念場。
やっと国民の意識が政治に向かっている気がします。

投票率が低いと、労働組合系や宗教系など
「組織票」に左右されがちですので、
選挙には18歳の若い世代を含めて行きましょうね。
期日前投票でも。

今回の選挙は「第51回衆議院選挙」。
2026年1月27日(火)公示 ―2月8日(日)投開票です。

注目点は、自公連立から離れた公明党が、
野党第一党の立憲民主党とくっついたという急展開!

日本国の政治団体としては中程の自民党
(批判する人によっては右寄り)と組んでいた公明党が、
左寄りの(でも自分達では「まん中」と自負する)
立憲と組んでしまった驚きと面白さ。

私は、与党自民党への対抗勢力になる(かもしれない)
合併野党について、政治信条的な評価は避けますが…

隅っこの広告屋としての目線では、
「中道」政党をうたう「中道改革連合」の
「広告・広報的アピール」は、かなり疑問です。

実質左なのに(何度もごめんなさいね!)
何がなんでも「中庸≒中道」を言いたいために、
政党ロゴ&ネーミングでも「中道と呼んでください」と
略称である「中道」をアピールしている。

でもネットでは(新聞・テレビのマスコミは触れませんが)
「中革連」「中革」の呼び名が定着し、
安保〜学生運動時代の「中核派」を思い起こさせるとか、
「中国革命ですか?」の意見も見かけます。

中道改革連合・中道 … うーむ。
他に名前はなかったのか。

広告代理店や制作会社を含めて、
候補はさまざまあったでしょうに、
結局この名前を選んだセンス。

そして、スローガンも大変で!
「生活者ファースト」… こ、これはないでしょう。

米国トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」から始まり、
都政の「都民ファースト」、
参政党の「日本人ファースト」など、
すでに手垢にまみれている「○○ファースト」を真似っこ。

「生活者」と言う単語も、いかにも「媚びて」いる。

サブコピーの「くらしを真ん中へ!」も抽象的で、
暮らしを真ん中に寄せられてもねー。

さらにさらに、ポスターのデザイン!
青色(爽やかさや刷新、青空を意識した色か)を背景に、
上向き横顔の「共同代表」おっさんふたり。

古いです!

新しい旅立ちのはずなのに、
昔あった政党がゾンビのように蘇った印象さえあります。

支持者も、支持する組織も大きい中革連、
いや中道ですけれど、
私は「いかがなものか」という感想でおります。

(「いかがなものか」って物言い、嫌ですよねー!苦笑)

選挙、楽しみです。
行きましょうね。

*******************

※過去記事【自民党の「強く」ポスターへの評価。】 2025/12/17
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55170416.html


パッケージの引き算 ex.スコッティ。

本日は、日用品のデザインについて。

ティッシュペーパーのスコッティ(scottie)の
パッケージをネタにしたお話です。

ついでに、ラベルとかシールを「徹底的に剥がす」という、
これもかなり極端な私の好みについて(笑)。

そんな話、何が面白いのか… と
思う方もいらっしゃるかもしれませんが、
2つ前の投稿【椅子の意志:ハンス・ウェグナー展】に
興味を惹かれた方には、案外つながる話かもしれません。
(※過去の投稿は欄外↓)

最近は気がつくと、ポピュラーな家電でも
「白ベースに花柄模様」みたいなの、見かけなくなりました。
もう死語ですが、「おしゃれ家電」が当たり前になった。

ところがティッシュのパッケージだけは、
わりと長い間「花柄的なカラフルで可愛いデザイン」が
生き残っていた気がします。

そんな中で、私がずーっと「もうこれ」と決めているのが、
スコッティ。
白とグレーだけ。ストライプの箱です。

スコッティの発売元は、日本製紙クレシア株式会社。
もう50年にわたる商品らしいです。

その「5箱パック」を私は必ず買います。

昔は(登場から最近まで?)
カラーはグレーだけではなく、
同じストライプのデザインでも
ホワイト、ブルー、ピンクなどとセットになっており、
クリスマスシーズンになると、
5箱の一番上はクリスマス柄だったりして。

あれがねー、私は苦手で。いらぬお世話!

きょうは全体として「川島の好き嫌い回」です。すみません。

せっかくのグッドデザインなのに
「なんでグレーだけにしてくれないんだ」と思っていたので、
最近、店頭で「グレーの5箱パック」を見つけた時は
びっくりしました。他の色がないのです、嬉しい。

ちなみに、全体ホワイトも良かったものの、
生活の中ではちょっとクリーンすぎるというか…。

一方、無印良品的な「ダンボール色」は
素朴で嫌いではないけれど、そっけなさすぎる。

グレーだけに絞って展開してる経緯は分かりませんが、
よくぞ決断したなぁと感心します。
消費者アンケートだったのかな。
それとも売場のPOSデータで勝ったのか。

このストライプデザインが登場したのは、1986年。
もう40年も前です!

裏話の記事を読むと、
パッケージのリニューアルはコンペ形式で、
世界各国から20人のデザイナーが呼ばれ競ったらしいです。

オリエンテーション、つまりクライアントの条件は、
・花柄であること
・与えられたロゴを使うこと

… 花柄が条件。びっくりですよね。時代を感じます。
そりゃ、花柄だってフィンランドのマリメッコみたいに
おしゃれにできるかもしれませんけど。

そして勝ち取ったのが、グラフィックデザイナーの
松永 真(まつなが しん)さん。

この人が何をやったかをご紹介すると…

◎花柄も既存のロゴも無視。
◎生活用品として部屋の片隅にそっと置ける、
シンプルな白い箱を提案したそうです。

デザインの話ではありますが、
プレゼンテーションとしても勉強になりますよね。

カラーバリエーションが増えた経緯はわかりません。
最初は「好みで選べばいい」だったのか、
松永さんが押し切られたのか!?

でも時はたち、
私が好きなグレーのストライプだけに絞られて、
5箱パックとして売られている。

2016年度のグッドデザイン賞も取っていて、
素晴らしいロングセラー商品です。
(※※メーカーサイトは欄外↓)

で、ここからは私の「剥がし癖」について(苦笑)。

私は、商品を覆っているビニール(シュリンクラベル)と、
ベタベタ貼ったシールが大嫌いです。

パソコンMacのノートタイプを初めて買った際、
裏側のデザインがネジ穴まで綺麗で、しかも
注意書きのシールが一切貼ってないことに感激しました。

Windowsには、電力の注意、Intelのブランドシール、
製造番号などベッタベタでしたから!

私は、どんな家電でも目立つ場所のシールは剥がす。
台所の食器用洗剤のボトルも、買ったら即、
覆っているビニールを全部取ってしまいます。

どんどん物や色が溢れてしまうのだから、せめて
基本となるものはシンプルな方がいいと思っています。
別の言い方をすると「余計なノイズがない」
「道具として、そこに静かにある」イメージ。

本を読む時も、帯や表紙のカバー、
ましてや 書店さんのカバーは不要です。
ぜんぶ取っ払って裸で読みます。
(さすがに捨てずに取っておき、
読み終わったら元の状態で本棚に入れますけれど)。

皆さん、なんでそんなに綺麗にしておきたいのですかねー。

私は、人からはすごく几帳面に見えるらしく、
この「カバー剥がし」の話をすると
「川島イメージの対極!」とびっくりされるのですが。

ここでパッケージに話を戻すと…
どんな商品でも、徹底シンプルが良いわけではない。

私は、カルビーのコップ型ケースのスティックポテト
「じゃがりこ」のパッケージデザインに
新発売から10年ちょっと関わりましたが、
こうした大衆的なお菓子のデザインは、
おいしさや楽しさを感じさせた上で、
パッケージ自体が「店頭の広告」なのです。

従って、「語りかけてくるデザイン」の必要がある。

おいしさの表現に「シズル」という言葉があるように、
語りかけてくる「シズル」デザインか、
語りすぎない「ノイズレス」デザインか。
その違いですね。

私はグラフィックデザイナー職ではないものの、
広告屋として長年ふわっと関わってきた経験と、
自分の好みも込みで「引き算のデザイン」を語ってみました。

皆さんの「日常生活とデザイン」についても、
よかったら教えてください。

**************

※【椅子の意志:ハンス・ウェグナー展】 2026/01/04
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55171366.html

※※スコッティのメーカーサイト
https://scottie.crecia.jp/scottie/

椅子の意志:ハンス・ウェグナー展。

本日は、「家具の素晴らしい展覧会を見てきたよ」
というお話です。

タイトルにした「椅子の意志」は、
私が投稿用に勝手につけてもので、正式名は:

織田コレクション
ハンス・ウェグナー展
至高のクラフツマンシップ。

東京・JR渋谷駅直結の「ヒカリエホール」にて。
建築家の知人に誘っていただいて、
お正月の1/2(金)、見学しました。

ハンス・ウェグナー(Hans J. Wegner)氏は、
もう20年ほど前に亡くなった(1914-2007)
デンマークの家具デザイナーです。

生涯で500脚とも言われる椅子デザインの中から、
160点を現物展示、あるいは復元した展覧会。

椅子のほか、テーブルや整理棚、原寸図面、
部材を分解した解説展示などもありました。

これらすべてが、北海道在住の椅子研究家であり、
自らも家具デザイナーの
織田 憲嗣(おだ のりつぐ)さんのコレクションです。

世界的に著名な椅子職人・ブランドには、
チャールズ&レイ・イームズ(Charles & Ray Eames)
アルネ・ヤコブセン(Arne Jacobsen)
ハーマンミラー (Hermanmiller)などがありますが、
正直言うと、私は「ハンス・ウェグナー」という名前は、
はっきり記憶していませんでした。

ところが写真を見ると、「あー、あの椅子!」
とわかるものが多数あり、しかも我が家で
(独り暮らしになった杉並区・荻窪のマンションね)
唯一の高級品である
「ダイニングテーブル用の椅子4脚」が、
ウェグナーの代表作「Yチェア」(1950年)だったのです。

私に展覧会の解説などできませんが、
椅子のデザインや素材、座り心地はもちろん、
美しさと強度を両立させるための
「部材同士の組み合わせ」など、
構造上のことを意識できたのも面白かったです。

ご一緒した建築家さんが、椅子の裏側や脚のあたりを、
何度もしげしげと眺めていて。
私も「椅子への見方」が変わりました。

さらに、会場構成を担当したのが
世界的に活動する建築家の田根 剛(たね つよし)さんで、
壁面の活用や、天井からのスポットライトの計算含め、
空間全体として素晴らしかったです。

展示されているすべての椅子の1/5スケールモデルも、
持って帰りたかったなー(かっこいい、かわいい!)。

一つの椅子デザインに数年をかけ、
徹底して細部をブラッシュアップしていく姿勢。

まさに「椅子の意志」を感じる展覧会でした。

実物に座れるコーナーもあって、
照明のルイスポールセン(Louis Poulsen)などとともに、
展示販売も行われています。

開催は、1/18(日)まで。
ぜひ行ってみてくださいね。

最後に、ウェグナーさんの「言葉」を
いくつか引用しておきます。

「家具に裏面があってはなりません。
統一性が重要なのです。
どこが始まりでどこが終わりか、
分かるようではいけません。
あらゆる角度から観察されて、
どの側面も視線に耐えられるようでなくては
ならないのです。」

「私の作品は芸術作品ではありません。
日用工芸品なのです。」

「唯一の“ ザ・チェア” は存在しません。
最高の椅子とは、
決して果たされることのない課題なのです。」

一周忌も普段通り:妻を亡くして。

皆様、明けましておめでとうございます。

我が家は、タイトル通り喪中なものの…
いいのです、世の中はおめでたい!

暦の節目は、1月1日とは限りませんが、
地球規模で気持ちが切り替わるのは良いことです。

世界平和を願います。本当にそう思います。

そして、地球レベル・宇宙レベルからしたら
小さなことですけれど… 本日は、妻の命日です。

妻「川島 蓉子」は、ジャーナリスト 兼
編集系ライターとして40冊の本を書き、
企業さんの広報にも少し関わっていた人ですが…

一昨年=2024年12月27日(仕事納めの日)の
朝に倒れ、昏睡のまま年を越して、
2025年1月3日の夜に亡くなりました。

なんともわかりやすい日付で、これからずっと、
年末年始が来るたび、めでたいのかめでたくないのか。
いやはや、そんな記念日です。

詳細は、FacebookとBlog、音声配信のスタエフでも
何度かご紹介しておりますので、本日は多くを述べません。

そして、きょうが一周忌となる日ですが、何もせず。
娘や息子とも合意の上で、集まることもしません。

それでも、さまざまな方からご連絡をいただいており、
蓉子への追悼のお気持ちに感謝です。

ところで、この自宅には
(私の独り住まいとなってしまった荻窪のマンション)
遺影を2つ飾っています。

葬儀にも使用した白黒のシンプルなアップの微笑みと、
カラフルな洋服をまとって、はにかんでいる引きの写真。

いずれも、生きている時の蓉子そのままです。

そして蓉子は、その写真に写っている
「63歳」という年齢のママ、思い出として残っていく。

彼女は私の5学年下でしたので、
68歳の私が69になろうが70になろうが、
ずっと「63歳」のママ。

思い出と写真だけはずっと若く居る。
それはそれでいいですよねー、ずるいくらいに。

私はまだしばらく、ゆるゆると
楽しく年を重ねていくつもりですが…
前々回の投稿で「目標などない、夢もない」なんて
斜に構えて書いたら、まじでご心配をいただいて!

私に対するお気遣いも、本当にありがとうございます。

こうして雑文の投稿を読んでくださる方々や、
多くの知人友人、そして娘や息子という
家族がいてくれることをありがたく思います。

今朝は、家の近所にある天沼八幡神社に、
一人で初詣に行ってきました。
そして、妻の遺影にもお線香。

神頼み、仏様頼りで、この一年も(笑)。

皆様、本年もよろしくお願いいたします。
そして各人がそれぞれ、良い年となりますように!

目標などない、夢もない。

本日は12月28日、日曜日。
いよいよ年の瀬も押し詰まってきました。

世間的には、26(金)が仕事納め、
という方が多かったでしょうかね。

私は、きょう午後もオンライン会議があって。
まぁ、普段から曜日も祭日も関係ない
フリーランスの身ではありますが、
サボっている時は、好きにサボってますし。

そうした年末には、今年一年を思い返し、
来年に思いを馳せる方が多いと思われます。

しかし! 本日思いついたタイトルは、
「目標などない、夢もない」 。

一般的には、目標や具体的なゴール設定は大切。
「成し遂げたいことを紙に書き、日々見つめ、
壁に張り出すといつしか叶う」を私は否定しません。
潜在能力の活性化にもいいでしょう。

でも、「私には」もう、目標も夢もいらない。

事業計画で有名な「MVV」の設定なんてのも、
クライアントさんとの企画で使うことはありますが、
ゆるっとでいいと思っています。

MVVとは:
Mはミッション(Mission)
Vはビジョン(Vision)
もうひとつのVがバリュー(Values)

あなたは経営する・ないし所属する組織として
「ミッション・ビジョン・バリュー」がありますか?
なんて語りかけるとコンサルぽくなるのですが…

「コンセプト」や「マーケティング」と同じく、
なかなか日本語にしにくい、そもそも英語の概念です。

しいて訳せば(ネットで調べると):
ミッション = 根本的な使命・哲学
ビジョン = 目標・なりたい姿・ゴール
バリュー = 企業が提供できる具体的な価値

長年、広告屋をやってきた
コピーライター(文案家ね!)の私も、
ミッション、ビジョン、バリュー… ごっちゃになります。

さらに、P=フィロソフィー(Philosophy) も使われ、
企業によって用語の解釈も違います。

繰り返しますが、事業設定や目標は大切。
それがあるから明確になり、一丸となって進んでいける。

でもね、「なんとなく」でもいいんじゃないかと
最近は思う。特にもう、今の自分としては。

ありがちなことですが、無理して
「我が社は幸せをクリエーションするんだ」
(これって、ミッションだっけ、バリューだっけ…!?)
「幸せ創造企業!」とかスローガン作ってもねー。

借りてきた「絵に描いた餅」より、
現場感覚の徹底の方が大切と思います。

さらに「夢を持とう」「大きなドリーム」って、
年末ジャンボ宝くじじゃないのだから、
「キラキラ ワクワク」してても、何にもならんと。

私は現在68歳。妻を亡くしてまる1年。
新年すぐの3月には69なので、70代が間近ですよ(汗)。

もう、どうでもいいと思ってます。
いつ死んでもいいし、
ヘラヘラ暮らしていければ、それでいい。

多少の蓄えがあって、年金もらえて、
いまだに「ありがたい」ことに
お仕事である広告制作の声もかけていただける。

私には、目標などない、夢もない。
それでいいです、許してね。

流れるまま、マイペースで楽しんでいければ…。
そんなことを思う年末です。

例えば目玉焼きに何をかけるか。

本日は12/24(水)。
たまたま、クリスマスイブの日。

例によって出かけていった近所のカフェ(複数)の、
クリスマスソングにも飽きました(笑)。

とはいえ、そんな日でも私は、
ケーキも買わず、チキンも食べず、パーティもなく。
一人で楽しく、夜までお仕事です。

そんな中、なぜだか頭に浮かんだネタが、
「目玉焼きに何をかけるか」!?

きらびやかなイルミネーションとは無縁の、
地味投稿で失礼します。

そう。あなたは「目の前の目玉焼き」に対して
「何を調味料として」振りかけますか?
自宅での朝食の場合と、気取ったホテルの
ブレックファーストでは気分が違うかもしれませんね。

私が生まれ育った東京の自宅環境では
(東京生まれの母と、
大阪生まれで大学から東京に移った父)
目玉焼きには「著名な大衆ブランドのソース」でした。

それが中学か高校くらいの頃、
「目玉焼きは塩で食べるのも粋(イキ)」と知って、
ソースはダサいよなぁと(笑)。

次は大学時代。
下宿で自炊している男友達の家に泊まったら、
なんと朝食に「目玉焼き」を作ってくれて
「醤油」をかけてくる! うゎーっ、初体験。

ここであらためて、目玉焼きの食べ方の
「一般的ケース」を推測すると:

・何もかけない
・ソース(ウスター/濃いめ/甘い/辛い)
・塩
・胡椒
・塩と胡椒
・醤油

こんなところでしょうか。

そうして私は大人になり、
さらに、たまらなくおっさん・爺さんになって、
目玉焼きに「マヨネーズ」という人の存在も知ることに。

そりゃ、どう食べようが個人の自由。
ケチャップや豆板醤だって、あるかもしれません。

私は、飲み屋のB級おつまみ「ちくわの磯辺揚げ」が
ビールに合って好きなのですが…

・そのまま食べる
・塩
・ちょいと醤油を垂らして… が、私の常識範囲。

ところが昨晩の居酒屋では、これまた奇策
「マヨネーズ」が添えてありました。え〜っ!?

何にでもマヨネーズをかける
いわゆる「マヨラー」の方もいるでしょうが、
「ちくわの磯辺揚げ」のお店の盛り付けにマヨとはねぇ。

まぁ、いいです。人の好みは十人十色。
それこそ、どう食べようが自由です。

味覚も、仕事も、音楽も、異性の好みも(同性だって!)。

夫婦の「味の好みの違い」についても、
濃い味・薄い味、なんとなく融合してくるものですし。
(残念ながら、一年前からもう女房はいませんけど。)

そんなわけで、サイレントナイトながらメリークリスマス!

今年もあと1週間。
皆様も良い年末をお過ごしください。

私的、カフェ2時間ルール。

日曜日とはいえ、きょうも仕事をしています。

とはいえ、ぐちゃぐちゃに詰まっているわけではなく、
年末までに企画するものがいくつかある、という程度。

そもそも、私にとっては土日も祝日もない!
などと言うと忙しぶって聞こえますが、
四六時中、考えているといえば考えているし、
ゆるんでいるといえばゆるんでいる。
フリーランスの典型です。

自分でスケジュールを組み立て、
客先との打ち合わせや納品の約束を守れば、
どう動いてもかまわない。
気楽なものです。

それでも、夏休みの宿題が間に合わない子供のように
(いまだに夢にも出てくるくらいです!)
トラウマからは抜けられない。トホホ。

さて、そんな「自宅事務所」の私ですが、
ずっと家にいられる日であっても
「カフェへ2回は」出かけます。

わざわざ外出する理由としては、
・飽きっぽいから
・散歩と運動兼ねて
・頭の切り替え

※3か月前の関連投稿に詳しいです(→欄外参照)
飛行機や新幹線の「高速移動が思考に与える価値」についても
書いています。

本日は少し視点を変えて「カフェの滞在時間」がテーマ。

カフェは昔「喫茶店」と呼ばれていたわけで、まさに
・タバコを吸う
・新聞や本を読む
・珈琲やクリームソーダ(!?)を飲んで休憩する
・人とだべる、打合せする… 場所だったわけです。

もちろん、一人で仕事や考え事をする
「プライベートな空間と時間」でもあった。

しかし現在のカフェは、「一人単位」が大半を占め、
「スマホ・PC・タブレット」を開く
完全な「作業空間」がメインとなっています。

二人・三人と若い人が話していると、
ネットワークビジネスの勧誘に見えてしまうほど。

カフェチェーンによって、客層も使用意図も違いますしね。
(例えば、スタバでスポーツ新聞を読んでいる人はいない!)

そして、仕事ばかりではなく、
「高校生・大学生」さらには
「社会人の資格試験」などの勉強の場でもある。

そんな中で目につくようになったのが「時間制限」の張り紙。
「お一人様、2時間までとさせていただきます」というルール。

「1時間半」と表示する店もあれば、
「延長の場合は追加注文を」と促す店もあります。

はい、私はそれでも構いません。
それ以上では、集中力も落ちてきますしね。

私は日々、2店は行きます。
しかも、1か所1杯に限らない時もありますし、
たまにはサンドウイッチやクッキーをつまんだりして、
「1日のカフェ代 うん千円」となる日も少なくない。

「だったら、家でやれよー」ですよね。
独り身で、誰も家にいないんだから。

それはさておき。

私は「1軒 =2時間もいたら」十分です。
3時間も4時間も座ってはいられません。
・飽きる
・集中力が途切れる
・足腰を伸ばしたくなる
・席を立って歩き回りたくなる

実際、30分から1時間で、必ずその場で立ち上がり、
カウンターまで水をもらいに行ったりします。

ちなみに、ファミレスでよく見かける光景ですが、
夫婦で旦那さんはどかっと座ったまま、
女性が飲み物を運ぶシーン。
私は絶対に自分で行くし、各人がサーバーの前で
好きなものを選べばいいじゃないの!と思う性格。
(また別の話になっていくので、深堀りはしませんけど)。

とにかく、1か所に2時間もいれば私は満足です。
そして考え事が長引く場合、カフェからカフェへの移動には
「思考を切り替える」意味がある。

そうして自宅事務所に戻り、
「書斎の机/立ち机/リビングテーブル」で書き物をし、
時にはまたカフェに出かけたりする。
夕方なら、それが飲み屋に変わり、飲みながら考える。
自分なりの、場所と時間の使い方(裁量)ですね。

ほぼ「老後の趣味」みたいな仕事ぶりですが、
少しはまだ社会貢献できているようなので、まぁいいかと。

張り紙といえば、
「オンライン会議と電話通話お断り」に変えた店があります。
イヤホンをして大声で画面に向かって喋っているやつが消え、
「せいせい」です。

2時間ごとの「カフェ遊民=ノマド」。
いま、これを投稿しているのは、書斎の立ち机です。

******************

※過去記事【自宅にいるのにカフェへ2〜3回は異常?】2025/09/18
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55165424.html


自民党の「強く」ポスターへの評価。

12月16日(火)に、自由民主党(高市政権)の
新たなポスターとキャッチコピーが発表になりました。

文言は
「日本列島を、強く豊かに。」

自民党の公式HP によると、
「日本(ニッポン)列島を、強く豊かに。」と、
ニホンではなくニッポンと読み仮名も振られています。
https://www.jimin.jp/news/information/212092.html

さて。定年年齢を過ぎたとはいえ、
ほそぼそなり現役のコピーライターとして評価すれば…。

「うまい」と思います。

ちなみに、私の政治的立ち位置と
自民党へのシンパシー具合を言えば、
ずっとノンポリだし、あえて定義すれば中道。
でも、左寄りの人から見れば「やや右」に見えるかもしれません。

靖国神社の戦没者慰霊は当然と思うし、国防も大切。
中国・ロシア・北朝鮮などの共産・独裁国家には
十分注意すべきだと考えています。
情報漏洩や、外国人による土地建物の取得問題についてもです。

そんな私から見た感想ですが、コピーについては:

◎「列島」という単語を入れたのがポイント!
通常の書き方では「日本を、強く豊かに。」あるいは
「日本を強く豊かに!」となるところです。
もちろん話し言葉では、その省略形でも通じます。

◎しかし「列島」という言葉には、それ以上の意味がある。
他国からの島々や内陸部への侵攻、経済的な土地建物の安全、
さらには災害から「日本列島」をどう守るのか。

公式サイトにも、以下の文言があります。
日本列島とは「日本の領土、領海、領空」を
想像していただける(言葉です)。

◎さらに、コピーライティングの「デザイン的側面」から見ても、
「日本を、強く豊かに。」ではなく
「日本列島を、強く豊かに。」 とすることで、
大きな文字で2行に組んだ時も収まりが良い。

日本列島を、
強く豊かに。

実際、ポスターの文字組みも、その構成になっています。

私は、台湾有事は起きてほしくないし、
誰とも、どの国とも戦いたくない。
憎しみも、痛いのも、イヤです。

それでも、最新の自民党キャッチコピーは、
現時点としては(広告とはそういう生ものですけど)
よくできていると思う。

※デザインや写真についての言及は控えます。

でもきっと、反対する・反発する人は、
デザインの基調である赤色や「強く」に過剰反応して、
「高市自民党 極右政権が、戦争に駆り立てるのかー」
と叫ぶのでしょう。

本日は、珍しく政治ネタでした。
どうぞ、お手柔らかに(汗)。

そして、急な寒さと乾燥にお気をつけください。

顔の向き(印象)の不思議。

本日は、まったくの雑談です。
(いや、いつもか!?)

・顔の左右の印象の違い
・オンライン会議の違和感
・他人から見た自分、自分で思う川島

そんなことにについて書いてみますね。

まず前提として…
人間は一生(目の不自由な方を除いて)
「鏡」というものに向き合っているわけです。

鏡には、自分が写っている。
それが自分だと、ずーーーっと思っている。

理屈では「それは鏡面=左右反対の画像」と
わかってはいるものの、
写真に写った自分も、いやほど見ているはずなのに、
「鏡の自分をスタンダードにしてしまう」ような、
一種「呪縛」と言っていいほどの刷り込みがある。

私だけですかね。皆さん、どうですか?

だから、オンライン会議のZoomを知ってから
(私はコロナの少し前から、クライアントさんの要求で
使っていました) 「あー、他人から自分はこう見えるんだ」と、
すごく驚き、強く意識しました。

自分にとって「右手は右手」。
「はい、右手を上げてください」と言われれば、
昔の言い回しですが「お箸を持つ方の手」を上げます。

でも、私と向かい合っている方から見れば、
川島が右手を上げているにもかかわらず、
その方の視点では、左側にある手が上がっているわけです。

そんな、自分にとっての右左と、
相手にとっての右左の違いとは不思議だなーと。

オンライン会議の話に戻ると、
Zoom画面に「出演者の一人として映っている自分」は、
「相手から見る自然な川島」なわけです。

しつこいようですが、鏡に映る自分ではなくて、
人から見る素直な・正しい川島が、そこにいる!
これはねー、かなり新鮮でした。

右手を挙げたら、画面の私は左の方で手を挙げるという。

小さな写真では意識しづらいことが、
大きな画面で、しかもリアルに動きながら映っている。
「その自分」は、鏡じゃないんですよ(笑)。

モデルさんや俳優さんは、当然 意識していることと思います。
女優の何々さんは、アップは右側しか写させない、
なんて話もありますよね。

私は広告業界が長いですけれど、
これほど顔の左右を(写真のセレクトでは当然見ますけど)
Zoom以前は深く意識していませんでした。

そんなふうにZoomに慣れてから、別の会議システム
TeamsやGoogle Chatを使うと、画面の私は「鏡」なんですよ!
切り替えられない!そこでまた混乱。
当然、相手には見た目のまま送られるようで、
各システムによって仕様が違うようですね。

ネット検索すると、
「自分で見る自分を鏡にしている」のは、
「そのほうが違和感がなく、慣れているから」説。
いや、俺は「人から見る自分にしてほしい!」自意識過剰か…。

そんなこんなで、特に「顔の左右の見え方」というものを
意識しだすと、自分も左右の印象が違うなーと。

私の場合、プロフィール画像にしている
「自分では左のホホ側=絵柄では左方向を向いている顔」は
スッキリ、シャープな感じ。一方、
「自分では右のホホ側=絵柄では右方向を向いている顔」は
ややふっくら、優しい印象です。

さらに、雑談を飛躍させると、
これはもう、よく言われる事ですけれど…

「自分が思っている自分」と
「相手が思っている川島」は、ずいぶん違う。

「神経質そう」と思われているのが基本と思っていたら、
「明るくて面白い人ですねー」と言われて、
え、俺のどこが面白いんだ? と。

セミナーや交流会でも、わいわい騒ぐタイプではなく、
大人しくしているつもりなのですが、
「川島さんはムードメーカーですから」と褒められて、
へー、そんな印象もあるんだとびっくり。

顔の左右の違い、鏡の自分、
自分が思う川島と他人が思う川島など、
考えてみると なかなか深いです!

当然、私のFaceBookなどの投稿しか知らない方や、
ましてスタエフなどの音声配信だけを聴いてくださる方は、
「リアルに顔を合わせた川島」は違う印象なのでしょう。

では、またの顔合わせを楽しみにしています。


AIの文章は広告的ではないという話。

私としては珍しく、二日続けての投稿。
昨日の「書き続けるとうまくなるよ、誰でも」と
内容は違いますが、「文章に関わる話」です。

一言でいうと、皆さんが
生成AIにコピーライティングを頼んでも、
「ヒントにはなっても、そのままは使えないよ」ということ。

私が、広告制作の隅っこにいる爺さんとはいえ、
プロの立場としてのミニ考察です。

私自身、チャットGPTとGeminiは毎日使用しています。
主に文章の添削や調べ物用で、Google検索は激減!
(X系のGrokは未使用なので話がずれていたらすみません)。

そう、この1〜2年で、
AIによる文章作成は一気に一般化しました。
まさに爆速的進化です。

私が仕事で関わるクライアントさんも、
川島にコピーライティングを依頼している手前、
紳士的で遠慮した言い方ではありますが…

「こちらでも、ちょっとコピーを考えてみました。
これ、川島さんはどう思われますか?」なんて。
A4の出力用紙にキャッチフレーズ案が10本ほど並んでいる。
(キャッチ:広告コピーの中でも大見出しにあたる部分です。)

「これが候補としていいと思うのですが…仮ですよ仮!
川島さんのフレーズも拝見して」なーんておっしゃいますが、
私「ダメです、使えません!」(笑)。

プロのコピーライター目線で見ても
「確かにいい線行ってるものもあるし、ヒントにはなる。」
しかし、それがなぜ広告コピーとして、
特にキャッチフレーズとして決定的に違うのか!?

まずは、AIへの頼み方・入力の仕方の前提として:

1_プロンプト(指示や命令文)が明快でない。

「良い質問が良い回答を引き出す」と言われるように、
プロンプトには整理力が求められます。
商品を知っているからと言って解説文が書けるとは
限らないように、ここに
「企画制作のプロ」が存在する理由があります。

2_多数の中から「選ぶ」能力が足りない。

コピー案でもロゴのデザイン案でも、
AIはいくらでも並べてくれます。
しかし、そのどれを選ぶのか・組み合わせるのか、
質問の明快さと共に「回答のチョイス」が難しい。
ふさわしくない案を選んでしまってはアウト!です。

ここまでは前提。
それらに注意したとしても、AIが作るコピーに欠けている点。
それは…

3_デザインやレイアウトをまるで考えていないこと!

広告コピーは、絵柄とワンセットで成立するもの。
「行替えのリズム」を含めて「文字はデザインの一部」です。

例えばAIが、こんな一行を提案してくれたとします。

『美味しいのがいいね、楽しいのがいいね、A社のお菓子大評判。』

言ってることも、言葉のリズムも、気に入ったとします。
でも、そのフレーズを1行ではなく3行に割るだけで
印象が違います。さらに
「美味しい」も「楽しい」もひらがなにして揃える。

おいしいのがいいね、
たのしいのがいいね、
A社のお菓子大評判。

あるいは、会社名はそこには書かず、
「大評判!」をどんと大きく置いて、サブで小さく
「おいしいのがいい、たのしいのがいい。」と
添えるだけで、見た目が変わる。

(大文字で)大評判!
(小文字で)おいしいのがいい、たのしいのがいい。

点や丸、行替え。
これらの視覚的センスは、人間にかかっています。

もちろん、AIへの頼み方として
「何文字程度の短くてリズムの良いフレーズで」とか、
「そもそもアレンジするのは生身のデザイナーの仕事だから」、
「デザインを含めてAIに任せる」のもありでしょう。

しかし、「キャッチフレーズは絵柄の一部である」という
「広告制作的な視点」がないと、良いフレーズは作れません。

4_企画書の文章とコピーの違い

AIのキャッチフレーズ案は、
PowerPointやWordで作成した企画書に貼る
「フレーズ」としてはこなれたものを出してくれます。
しかしそれはプレゼンテーションとして「読む・説得する」
文章であって「見る・感じる」文章とは違う。

優等生の書いた文章が生成AIとするなら
(危ないフレーズは出てこない!)、
劣等生でも時に勢いがある落書きが生身の広告屋の文章。

昨日の投稿で、私がコピーをまぁまぁ書けるようになった
経緯を述べましたが、
企画書の文章は書けても、そのままコピーにはならない。
企画書と広告の間には、高い壁があるのです!

視点を変えると…

5_倍速再生や飛ばし見(スキップ)では消えてしまう
「雰囲気」を含めて広告コピー。

これは「編集と広告の違い」にも似ています。
雑誌などの編集記事は「流れの中で読んでいく」もの。
対して広告コピーは、限られたスペースの中で、
倍速再生やスキップでは消えてしまうような
「雰囲気」を含めて機能させるもの。

例えば「ラジオCM」の場合でも、それは
カタログ的な商品の説明文とは違い、
語りの間(ま)やリズム、ナレーターの声質を含めて、
その20秒や30秒の「世界感・空気感」が表現です。

以上、キャッチーなまとめとならずすみません(汗)。

AIはすごいです。とても便利です。
でも広告コピーの「勘どころ」とは、まだ違う。
きょうは、そんなお話でした。

**********

★過去の関連記事
【広告制作は、触媒や巫女だなぁ】2025/11/21
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55169050.html


生きていれば64歳:妻を亡くして。

1か月ちょいぶりで、妻のことを書いてみたいと思います。

昨年末の12/27(金)に倒れ
(文字通り、通りで転倒して頭を打ち!!)

救急車では言葉が自然に交わせたものの
(それが最後の会話になってしまいました…)

集中治療室に入ってすぐ昏睡状態となり
(いっさい言葉を交わせず綺麗に眠ったまま)

新年を迎え、1/3(金)に亡くなった妻「川島 蓉子」。

ファッション・ビジネス・生活に関わる
ライター・ジャーナリスト・プランナーでした。

※詳細は何度か語らせていただきましたので、
まだご存じない方は欄外をご覧ください。

いま思い返しても、
うそみたいに「あっけない」、でも
生前の希望通りの「あっぱれな」亡くなり方でした。

妻は1961年(昭和36年)生まれなので、死亡時は63歳。
本日(12月1日)は、生きていれば64歳の誕生日です。

この「生きていれば」って面白い言い回しですよね。
実際には生きてないのだから、齢も取らないと言うのに。

私は彼女の5学年上の68歳ですが
(1957年・昭和32年3月3日生まれ)
妻とはこれからますます年齢が離れていくわけです。

遺影として飾ってある写真はモノクローム。
亡くなる数年前、取材の際に
プロのカメラマンに撮っていただいたものと聞きました。
その若くて明るい笑顔が、ずっとそこにいる。

私も「それなりの齢で、変に長生きせずに死ねたら」
なんて本気で思ったりします。

人間、生まれてくることは(本人にとっては)
簡単だけれど、死に方は選び難い。いやはやですね。

妻が生きていたならば、
きょうはどこかに二人で夕食に行ったか、
ケーキのひとつも用意したかな。

あ、花束だけは、買ってきました。
お仏壇用の花ではなく(ちょっと迷ったけど!笑)
華やかなプレゼント用のやつをね。

お誕生日の人に向かって「お線香」ってのも
不思議なものです。

そして、年明け1/3(土)の一周忌にも、
何の行事も行いません。娘や息子も言い出さない。
そんな、淡々の家族なのですよ。

タイムマシーンがあったとしても、巻き戻す必要はないな。

それでもね、蓉子。
誕生日、おめでとう!

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※代表的な投稿:

【妻「川島 蓉子」についてのお知らせ:夫より】2025/01/16
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55150022.html

【追記:妻「川島 蓉子」への御礼と訃報のメディア掲載】2025/01/24
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55150505.html

【自社の統合とメール変更:妻を亡くして】2025/04/08
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55154339.html

【川島蓉子の新刊+追悼展示:妻を亡くして】2025/07/22
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55161917.html

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Profile
◎川島 孝之(Kawashima Takayuki): 株式会社flowers 代表取締役・クリエイティブディレクター・コピーライター。

◎1957年3月生まれ。早稲田大学商学部(マーケティングゼミ)を5年で卒業後、1980年第一企画(現ADK)入社。6年の勤務ののち、制作会社11年を経て、1997年(株)リプル(RIPPLE Inc.)を表参道に設立。数人規模で運営。

◎2016年1月、表参道のオフィスから、西武新宿線 上石神井(練馬区)のホーム・オフィスに変更(総務経理のみを残してのフリーランス化)。
さらに2023年12月、中央線・丸ノ内線 荻窪(杉並区)に移転。
ブログのタイトル「表参道の小さな広告屋から」を、リプル川島の「小さな広告屋から」に改題。

☆2025年5月、妻(ジャーナリスト川島 蓉子)の急浙(2025年1月3日 63歳)に伴い、(株)リプルは妻の会社(株)flowersへ5月に統合。
ブログのタイトルも「小さな広告屋から@川島CD」に再変更。

◎CD(クリエイティブディレクター)&C(コピーライター)として、企業の魅力を整理整頓し、ブレーンのグラフィック&Webデザイナーと共に表現化しています。


【実績の一部】 カルビーじゃがりこ(パッケージ)、ビデオリサーチ(ロゴ・Webサイト・インナーツール)、日立化成(カタログ・インナーツール)、介護のらいふ(ブランドブック)、武蔵高等学校中学校(学校案内)、アルカダイアモンド(広告・販促物)オークラヤ住宅(広告・販促物)、翻訳専門校フェロー・アカデミー(学校案内)、アドビ(会社案内)等
/その他 中小・個人企業さんとの直接のお取引。

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