本日は、爺さん(ゆるい言い方をすると定年世代)の
働き方について書いてみます。
私はいま68歳。1957年(昭和32年)3月3日生まれです。
1956年(S31)4月〜1957年(S32)3月31日までの学年。
自分がどんな世代に属するかを調べてみると:
・団塊の世代が私の8〜10歳上(1947〜1949生まれ)
・その下の私たちは「ポスト団塊世代/しらけ世代 」(1955〜1964)
・さらにその下は「新人類世代」(1965〜1970)
・続いて1971年頃からが「団塊ジュニア世代」(1971〜1974)
私の属する学年(1956年4月〜1957年3月生まれ)は、
団塊世代の誕生による「戦後第一次ベビーブーム」の反動で、
「戦後最も出生数の低い学年」。
団塊世代と比べて、なんと100万人、40%も減っています。
高校・大学受験や就職の倍率は“ラッキーな谷間”
だったかもしれませんね。
一方で、団塊世代ほどの社会的な存在感はなく、
数の面でも印象の面でも、まさに「しらけ世代」なのでしょう。
私は、バブル数年前の1980年、大学5年生でなんとか
当時業界4〜5位の広告代理店に滑り込みました。
その後、制作会社を経て自分の会社を立ち上げ、
数名で20年ほど経営。
でも大きくするような才覚はなく、
その後の10年ほどは社員は総務経理の女性ひとりだけ。
私は自宅で仕事を続ける、実質フリーランスです。
それでも、68歳のいまも現役で働いていると言うわけ。
同世代の友人を見ると、60歳ですぐに引退した人、
65歳まで「給料半分、出社も半分」を選んだ人、
それを過ぎても半分ボランティアで幼稚園バスの運転手、
パートや軽作業で小遣い稼ぎをして
「荷物の運搬で腰を痛めたー」とかさまざまです。
私もほんと、いつ辞めてもいい年齢ですが、
仕事が趣味みたいなものだしなー(いいのか悪いのか!?)。
チラシ1枚、フレーズ1行でも、
声がかかるうちは続けていこうと思っています。
とはいえ、さすがに“爺さん”なわけですから、
取引先の中小企業の社長も、私と同年代か、むしろ年下。
ましてや、現場でやり取りする企画・宣伝の担当者は、
娘や息子のような世代なわけです。
注意しているのはね、私の意見を振りかざさないこと。
もう頭は固いけれど、なるべく幅を持って柔軟に、
一緒に考え、まとめていくことを心がけています。
いまや「ベテラン」を超えて、「ロートル」。
GeminiやChatGPTによると、「ロートル」とは、
経験はあっても体力や感性に衰えが見え始める存在。
かつては活躍したが、今は一線を退きかけた元ベテラン、
というニュアンス(とほほ)。
それでも「老害」にならず、どう「戦力」として続けるか。
(もう続けるなよー ← 外野の声、ないし心の声?)
生成AIなんかもいじってみて、
「Google検索より優秀ですよ」ってクライアントに話してみたり。
最近、ちょっと嬉しいことがありました。
10年近くお手伝いしていた企業から、
世代交代やブランド刷新の流れで退くことになったのですが、
現場の若いスタッフから「川島さんのコピーとディレクションが必要」
との声が上がったそうで、1年半ぶりに復帰することになりました。
それからもうひとつ、「お墓の広告コピー」を執筆中。
昨年から手がけていた年4回のシリーズもので…。
年初の1月3日に妻を亡くしてからも、
「お墓に手を合わせるとき、亡き人の思い出が…」
なんてコピーを書いている、なんともな巡り合わせです。
オヤジ・おっさん・爺さん、高齢者、
はたまたベテラン・ロートルクリエイターとして、
あと何年、どこまで貢献できるのやら。
爺さんだからわかること。
そして、川島だから書けること。
もうしばし、楽しみながら商売を続けていこうと思います。
働き方について書いてみます。
私はいま68歳。1957年(昭和32年)3月3日生まれです。
1956年(S31)4月〜1957年(S32)3月31日までの学年。
自分がどんな世代に属するかを調べてみると:
・団塊の世代が私の8〜10歳上(1947〜1949生まれ)
・その下の私たちは「ポスト団塊世代/しらけ世代 」(1955〜1964)
・さらにその下は「新人類世代」(1965〜1970)
・続いて1971年頃からが「団塊ジュニア世代」(1971〜1974)
私の属する学年(1956年4月〜1957年3月生まれ)は、
団塊世代の誕生による「戦後第一次ベビーブーム」の反動で、
「戦後最も出生数の低い学年」。
団塊世代と比べて、なんと100万人、40%も減っています。
高校・大学受験や就職の倍率は“ラッキーな谷間”
だったかもしれませんね。
一方で、団塊世代ほどの社会的な存在感はなく、
数の面でも印象の面でも、まさに「しらけ世代」なのでしょう。
私は、バブル数年前の1980年、大学5年生でなんとか
当時業界4〜5位の広告代理店に滑り込みました。
その後、制作会社を経て自分の会社を立ち上げ、
数名で20年ほど経営。
でも大きくするような才覚はなく、
その後の10年ほどは社員は総務経理の女性ひとりだけ。
私は自宅で仕事を続ける、実質フリーランスです。
それでも、68歳のいまも現役で働いていると言うわけ。
同世代の友人を見ると、60歳ですぐに引退した人、
65歳まで「給料半分、出社も半分」を選んだ人、
それを過ぎても半分ボランティアで幼稚園バスの運転手、
パートや軽作業で小遣い稼ぎをして
「荷物の運搬で腰を痛めたー」とかさまざまです。
私もほんと、いつ辞めてもいい年齢ですが、
仕事が趣味みたいなものだしなー(いいのか悪いのか!?)。
チラシ1枚、フレーズ1行でも、
声がかかるうちは続けていこうと思っています。
とはいえ、さすがに“爺さん”なわけですから、
取引先の中小企業の社長も、私と同年代か、むしろ年下。
ましてや、現場でやり取りする企画・宣伝の担当者は、
娘や息子のような世代なわけです。
注意しているのはね、私の意見を振りかざさないこと。
もう頭は固いけれど、なるべく幅を持って柔軟に、
一緒に考え、まとめていくことを心がけています。
いまや「ベテラン」を超えて、「ロートル」。
GeminiやChatGPTによると、「ロートル」とは、
経験はあっても体力や感性に衰えが見え始める存在。
かつては活躍したが、今は一線を退きかけた元ベテラン、
というニュアンス(とほほ)。
それでも「老害」にならず、どう「戦力」として続けるか。
(もう続けるなよー ← 外野の声、ないし心の声?)
生成AIなんかもいじってみて、
「Google検索より優秀ですよ」ってクライアントに話してみたり。
最近、ちょっと嬉しいことがありました。
10年近くお手伝いしていた企業から、
世代交代やブランド刷新の流れで退くことになったのですが、
現場の若いスタッフから「川島さんのコピーとディレクションが必要」
との声が上がったそうで、1年半ぶりに復帰することになりました。
それからもうひとつ、「お墓の広告コピー」を執筆中。
昨年から手がけていた年4回のシリーズもので…。
年初の1月3日に妻を亡くしてからも、
「お墓に手を合わせるとき、亡き人の思い出が…」
なんてコピーを書いている、なんともな巡り合わせです。
オヤジ・おっさん・爺さん、高齢者、
はたまたベテラン・ロートルクリエイターとして、
あと何年、どこまで貢献できるのやら。
爺さんだからわかること。
そして、川島だから書けること。
もうしばし、楽しみながら商売を続けていこうと思います。