人それぞれ、性格も信条も違う。
わざわざ言うまでもない、自明の理です。

親子、兄弟、友人、職場の仲間。
あるいは、何かのコミュニティで出会った人たち。

気が合い、興味の方向は似ていても、
細部に違いがあるのは当然です。

それでも、お互いを好きで
(これからも関係を築きたいと思い)
大筋で合意できれば(内容にもよりますが!)
尊重し合いながら楽しく会話していける。

あるいは、意見を闘わすことはあっても、
前向きに検討していければ良い。

でもね、政治の話はやばいですよねー。

「下手に政治には触れるな」というのは、
昔からの不文律ですけれど、
ネットやSNSの普及で「あらわにされる危険」が
一気に増し、今や完全な地雷となっています。

かつては、自分が「なんとか党」の熱烈な支持者だとしても、
勧誘でもしない限り、「あからさま」にはならなかった。

「特定政党」とまで絞らなくても、
「政治信条」についての会話も、もっと緩やかなものでした

それが今や、ちらっと書くと、あっというまに伝わり、
レッテル貼りされる。
あらゆるところに「地雷が撒かれて」いるわけです。

例えば、飲み屋で男性二人でいたとします。

私が「高市総理はさー」と言って、一瞬の間をおくと、
さてどうなるか。

相手は(高市総理はさーに続けて)
「もうダメだよねー、国賊」と答えるかもしれない。
私は「よくやっているよね」と続けたかもしれないのに。

「トランプ大統領に対しても…」
相手は(うん?トランプ大統領?)
「媚びすぎだよね。高市はトランプのポチ」と言いかねない。

私は、「総理はうまく会話を運んで前へ進めている」と
言いたかったとしても、その言葉を飲み込み、
「そうだよねー、総理として軽いよねー。ハグもねー」
なんて同調したかもしれません。

※あ、あくまで例え話ですよ、例え話!(恐ろしや…)

意見をネットに載せようものなら、
短い言い切りのフレーズであれ、長々とした論調であれ、
「そうだそうだ」側と「何言ってるんだ」に二分され、
熟考や検討、中庸な意見が入り込む余地はなくなる。

各人が「思考のリトマス試験紙」を忍ばせながら、
「赤くなるかなー、青くなるかなー」と恐れ、
モゴモゴした中間地帯は、見えなくなる。

「戦争反対」という4文字の明快なフレーズにしても、
その意味合いにおいて、分かり合えない時代です。

だから私は、
あまりに「リトマス試験紙色」の強いグループ、
「脊髄反射」が激しい集団に、
入りたい・居続けたいとは思いません。

でも一方、以前の投稿でトランプ大統領のことを
「ガラガラポンの時代」と書いたように、
「次の時代に(特に日本が) 進むステップ」の、
大きな踊り場にいるとも感じています。

危険 < 期待。

ここまで「政治への関心と会話」が
可視化された時代は、なかった気もします。

私のようなオッサン・爺さんには、一見すると
「60年代の安保闘争とデモの時代」を感じさせても、
民度と情報の質は、マスコミ時代より格段に上がっている。

日本の発展と世界平和を、心から願います。

(… ここを「日本国の」と書くと「えぐみ」が増すね。苦笑)