本日は、久しぶりとなる「妻ネタ」。
2か月と2週間前に死んでしまった妻をネタにした雑談です。
湿っぽい話をする気はありませんので、ご心配なく。
昨年末の12/27(金)に倒れ(文字通り転倒し!)
私との救急車内での会話を最後に
まったく反応のない昏睡状態で年を越し、
搬送1週間後の1/3(金)に亡くなりました。
*****************
※詳しくは下記の投稿からご覧ください。
(その後、何度か記載しています。)
【妻「川島 蓉子」についてのお知らせ:夫より】2025/01/16
Facebook
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid0QytHsy5iUCrmyJzzgka52gdS3AwCoKD9tqBeGekKf4Uh6NovHBTNZ5sDRYh9pT7Cl&id=100001246147727
Blog
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55150022.html
stand.fm(妻は、どうやら戻ってこない)
https://stand.fm/episodes/6791e0bda8bca47274953f06
*****************
さて、今日のテーマ:
「何気ないこと」「どうでもいいようなこと」を話せる人が、
家にいてくれる状況は、ありがたい
(ありがたかったのだなー)との実感です。
夫婦二人で移ったマンションで
(1年少し前、老後の整理へのステップとして一戸建てから
引越をしたものの) 突然、私 一人になっちまった。
すると… 自宅での「日常の会話」が いっさいないわけです。
仕事先の人と顔を合わせて打ち合わせしたり、
オンライン会議だったりはもちろん、
知人・友人と会話する時も、
どんなにリラックスしていても「外向き」は意識する。
うーむ、大袈裟な話ではなく、
それなりに考えて・組み立てて話すと思うのです。
例えば、住んでる街について
「駅前の再開発はどうなるんでしょうねー。
私が聞いた噂では担当しているデベロッパーが」てな話と、
妻から頼まれたキャベツときゅうりとお惣菜を買って帰り、
「駅前の小さな八百屋、今月で閉店だって」と私が言い、
妻の「そうなんだー」で終わる会話の違い。
理屈っぽく言うと「妻への報告」なのですが、
それ以上続かないかもしれないし、それでもいい。
時には、返事さえ なくてもいい会話。
そんな、ほとんど反応も議論もなく、
空気のように交わす会話が、
妻がいないことで できなくなってしまった。
よく、長年連れ添った夫婦は「空気のような存在」と
例えられますけど(まー、良くも悪くも)
独り身になると、自分からの、
「ほとんど独り言のような一言」の「行き場」がない。
これが続くと、本当にぶつぶつ独り言を重ねたり、
テレビ画面に話しかけたりするのでしょうねー。
爺さんの一人暮らし。
とはいえ、68歳にして まだ広告屋仕事は続き、
お友達もいてくれるので(みんなに感謝です!)
せいぜい「外との」会話を意識しようと思います。
フェイスブックだってブログだって、音声配信だって…
「内側&外側への」独り言みたいなものですから。
最近、マルチプラットフォームに対応するようにしたので、
音声配信スタエフ(stand.fm)での録音を、
SpotifyとApple Podcasts、そして
YouTubeでも聴いていただけます。(←是非に!)
いま偶然、部屋の本棚に目をやったら、
谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう)さんの詩集
『夜中に台所で ぼくはきみに話しかけたかった』
が目に入りました。
内容はもちろん、いいタイトルですよねー。
いろんな相手(きみ)が登場する詩集ですけれど、
『夜中に台所で ぼくは妻に話しかけたかった』。
2か月と2週間前に死んでしまった妻をネタにした雑談です。
湿っぽい話をする気はありませんので、ご心配なく。
昨年末の12/27(金)に倒れ(文字通り転倒し!)
私との救急車内での会話を最後に
まったく反応のない昏睡状態で年を越し、
搬送1週間後の1/3(金)に亡くなりました。
*****************
※詳しくは下記の投稿からご覧ください。
(その後、何度か記載しています。)
【妻「川島 蓉子」についてのお知らせ:夫より】2025/01/16
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid0QytHsy5iUCrmyJzzgka52gdS3AwCoKD9tqBeGekKf4Uh6NovHBTNZ5sDRYh9pT7Cl&id=100001246147727
Blog
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55150022.html
stand.fm(妻は、どうやら戻ってこない)
https://stand.fm/episodes/6791e0bda8bca47274953f06
*****************
さて、今日のテーマ:
「何気ないこと」「どうでもいいようなこと」を話せる人が、
家にいてくれる状況は、ありがたい
(ありがたかったのだなー)との実感です。
夫婦二人で移ったマンションで
(1年少し前、老後の整理へのステップとして一戸建てから
引越をしたものの) 突然、私 一人になっちまった。
すると… 自宅での「日常の会話」が いっさいないわけです。
仕事先の人と顔を合わせて打ち合わせしたり、
オンライン会議だったりはもちろん、
知人・友人と会話する時も、
どんなにリラックスしていても「外向き」は意識する。
うーむ、大袈裟な話ではなく、
それなりに考えて・組み立てて話すと思うのです。
例えば、住んでる街について
「駅前の再開発はどうなるんでしょうねー。
私が聞いた噂では担当しているデベロッパーが」てな話と、
妻から頼まれたキャベツときゅうりとお惣菜を買って帰り、
「駅前の小さな八百屋、今月で閉店だって」と私が言い、
妻の「そうなんだー」で終わる会話の違い。
理屈っぽく言うと「妻への報告」なのですが、
それ以上続かないかもしれないし、それでもいい。
時には、返事さえ なくてもいい会話。
そんな、ほとんど反応も議論もなく、
空気のように交わす会話が、
妻がいないことで できなくなってしまった。
よく、長年連れ添った夫婦は「空気のような存在」と
例えられますけど(まー、良くも悪くも)
独り身になると、自分からの、
「ほとんど独り言のような一言」の「行き場」がない。
これが続くと、本当にぶつぶつ独り言を重ねたり、
テレビ画面に話しかけたりするのでしょうねー。
爺さんの一人暮らし。
とはいえ、68歳にして まだ広告屋仕事は続き、
お友達もいてくれるので(みんなに感謝です!)
せいぜい「外との」会話を意識しようと思います。
フェイスブックだってブログだって、音声配信だって…
「内側&外側への」独り言みたいなものですから。
最近、マルチプラットフォームに対応するようにしたので、
音声配信スタエフ(stand.fm)での録音を、
SpotifyとApple Podcasts、そして
YouTubeでも聴いていただけます。(←是非に!)
いま偶然、部屋の本棚に目をやったら、
谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう)さんの詩集
『夜中に台所で ぼくはきみに話しかけたかった』
が目に入りました。
内容はもちろん、いいタイトルですよねー。
いろんな相手(きみ)が登場する詩集ですけれど、
『夜中に台所で ぼくは妻に話しかけたかった』。