※本日はすごく長いです(2,200字!)

私は、このFacebookとBlogに加えて、
音声のスタエフ(stand.fm)も配信しているのですが、
そのスタエフ 及び Voicyで愛聴している
「春木先生※」に触発されて、今日の記事を書いています。

※春木 良且(よしかつ)先生:
・元フェリス女学院大学教授で、今も複数の大学の
非常勤講師として活動。情報化社会論と情報倫理が専門。

※音声配信
・Voicy「知的好奇心チャンネル(情報化社会の歩き方)」
→戦略的モラトリアムのススメ:2025/03/09
・スタエフ「ライト版・知的好奇心チャンネル」

先生は、1956年(昭和31年)生まれ。
翌年の1957年3月生まれの私とは、たまたま同学年。
全くお会いしたことはありませんけど!

そんな素晴らしい先生が、
最近の大学について(大学生と大学生活について)
「モラトリアムこそ大学の価値」とおっしゃっています。

モラトリアムとは、ネットで調べると:
moratorium= 責任を猶予された状態。

大学生のモラトリアムとは、
厳しい受験を終え、社会に出るまでの
「猶予された自由な数年間」という意味ですね。

まぁ、親御さんの学費工面のご苦労は別として!

ところが、昨今の大学生は、モラトリアムどころか、
「勉学の忙しさに追い詰められている」との春木先生のお話。
ここ数年の「コロナ・パンデミック」が
より「学びの管理」に拍車をかけたようです。

日本の大学って、諸外国と比べて
「合格すること、入学すること」がゴールで、
入ってしまったら「ゆるみ」放題。
授業にはろくに出ず、遊びかサークルかアルバイト…
みたいなイメージがありますよね。いわゆる「バカ大学生」。

「大学で得た知識なんて役に立たない」と言われて久しく、
「もっと勉強する体制に管理すべき」との考えから、
出席の厳格化や予習復習・レポート課題など、
今の大学生は「学業に」ほんと忙しいそうです。

これを読んでくださっている大半の方は、
早稲田大学=通称「バカだ大学」だった私のように、
「勉学に集中する体制になったのは、
本人にも日本の将来にも良いことじゃない?」と、
ご自分の過去は「棚に上げて」おっしゃるかもしれません。

だから、春木先生も「大学は本来、勉強に集中するところ」
との正論かと思いきや、なんと「この状況・環境では、
せっかくのモラトリアム期間とならずに問題です」と。

先生のご意見を詳細にはレビューしませんが
(ぜひ放送をお聴きくださいね!)
「あえてモラトリアム」でいることから生まれる
偶然の発見や出会い(英語でセレンディピティ:Serendipity)
及び 考えの熟成は、私もわかる気がします。

ほんと、「役に立つことを効率的に学ぶ」なら、
いきなり「専門学校」とか「職業学校」が良いわけで。

一般教養科目を中心とした大学の価値が「どこにあるか」
と言ったら、ほんと「総合的にゆるく学ぶ」時間を通しての
「モラトリアムとセレンディピティ」かもしれません。

自分のことを考えてみても:

早稲田大学高等学院という、大学の附属高校から
ストレートに早稲田の商学部に進み、
ゼミではマーケティングと広告をかじったものの
4年生では就職に真剣になれず。

留年して5年生までいた、超モラトリアムです。

そののち、当時で業界4〜5位の広告代理店に入社し、
6年ほどいて制作会社に移り、
10年在籍して自分の会社を設立。

表参道に事務所を構えてからは、
多い時は8名ほどでバタバタやっていましたが、
私に経営者としての能力はなく、20年ほどで解散し、
今は自宅での気楽な一人フリーランスです。

話はあっちこっちに飛びますけど(汗)
大学を留年した1年間(5年生の時)には、
授業も少ないので通ってみたのが、銀座で夕方に開かれる
宣伝会議社の「コピーライター養成講座」。
これが私の職業を決めました。

早稲田大学では、クラスでもゼミでもサークルでも、
それなりに友達もいて楽しかったものの、
「書籍や音楽やアートについて」語れる人は、
ほんの一部しかいなかった。

音楽バンドの「はっぴいえんどがー」とか
「10CCのコンサートに行った友達の興奮」とか、
「絵画のルネマグリットの展覧会がある」とか、
そんな話題はほとんど仲間と話せなかった。
さらに、世の中の動きなんて、まったく。

それが、一人で夜間の「コピーライター養成講座」に行ったら、
「コピーライターになる」という目標を持ち、
自分より年上で、すでに社会人の人もいたからでしょう。
「話ができる=話題を共有できる」人がすごくいた。

こんな人たちと世界がある!と、ほんと嬉しかったです。

もし、大学入学の18歳の時点で、
「自分の進路を見据えて」
実利を考えればベターの専門・職業学校に入っていたら、
それが正解だったかは… うーむ どうだろう。
今の自分とは違っていたかもしれませんね。

勉強しなかった大学生活とはいえ、回り道をしつつ
徐々にじんわりと得たものは大きかったかもしれない。

そして、モラトリアムな大学生活を過ごした結果の、
5年生での専門学校的なコピー講座との出会い。

大学とは、学問を学ぶところではあるけれど、
その他の「いろいろ」を学ぶきっかけを与えてくれる
チャンスと偶然の「猶予期間」でもある。

私の、いま68歳の人生が、成功か失敗かはさておき
(2か月前に女房も死んじゃったしなー)
「あんな大学生活も、よかったかな」と思い返した今日でした。


【追記】そういえば、5学年 年下の妻(2025年1月3日、63歳にて逝去)は、
早稲田大学商学部4年(会計ゼミ)と並行して、文化服装学院マーチャンダイジング科3年間の経歴。
娘も4年生大学以外に、イギリスの経営系に1年、アメリカのファッションマーケ系に1年。
息子も4年生大学と専門大学。
めちゃくちゃモラトリアム&ダブルスクール(?)な家族だったことに気づきました。