3月3日は、桃の節句=ひな祭りです。
(そして毎年、絶賛 花粉症中の私。涙)
Googleで検索すると、桃の節句は
「女の子の健やかな成長と健康を願う行事」とのこと。
ちなみに、5月5日を「端午(たんご)の節句」=
「男子の日」と限定せずに「こどもの日」としたのは、
ジェンダー問題もあるのかと思いましたけど、
その設定は案外古く、いまから77年前の1948年には
「こどもの日」になっていたようです。
ま、イメージとしては、いまだに
「男の子寄り」なのかもしれませんけどね。
そして、3月3日と言えば、
この私=川島孝之・川島CDの誕生日でもあります!
(5月5日よりは似合いかな? 笑)
1957年(昭和32年)生まれなので「68歳」になりました。
いやはや、なんとも… うむむです。
4年前に亡くなった母が、私が60歳を過ぎた頃
「ところで幾つになったの?」と聞いてきて
(当時、私は60歳だか61歳だったか)
「あんた、もうそんな歳!?息子が60じゃ世も末だわ」
みたいな「名言」を残しましたけど。
そんな息子も、さらに生きて68歳になってしまいました。
そしてね母さん、孫である
私の長女は結婚し、長男はまだ独身で元気ですけど、
私の妻の蓉子がね、死んじゃったんですよ。
年末の12/7(金)に倒れて、
救急車で運ばれたものの すぐに昏睡状態。
まるまる1週間眠ったままで年を越して、
1/3(金)に63歳で息を引き取った。
そんなわけで、きょう3月3日はちょうど:
◎妻が「63歳で亡くなって」まる2か月。
◎同時に、私の「68歳の誕生日」となりました。
(はい、妻は私の5学年下でした。)
「亡くなって2か月」というのは不思議な時間感覚で、
つい数日前のようにも感じられるし、
もう遠い昔のようにも思えるのです。
妻は、ファッション業界の取材や、
著名企業さんのブランディング企画にも関わり、
30冊ほどの著書もあったジャーナリストでしたので、
朝日新聞や讀賣新聞の1面にも訃報が載りました。
「ツイン・ピークスのデビッド・リンチ監督死去」
という讀賣新聞の記事の下に、
小さくではありますが「川島蓉子さんが63歳で死去。
告別式は近親者で済ませた。喪主は夫、孝之氏 …」
なんて載ったくらい。
パリへの取材にも毎年行って、
私も(ついでに)ついて行ったことがある妻が、
夕食どきになっても帰ってこない。
あれ、帰国日程が延期かな???
老後の生活を考えて、
一戸建てから「夫婦二人で移ったマンション」に、
私は一人で残されて。
なんか、「永遠の出張」みたいなものですかね。
「皆様、妻の川島蓉子は永遠の出張に出ておりまして、
帰りの目処が立っておりません」。
はい、そんな状況ではありますが、
私はいつものように淡々と、マイペースで元気です。
一人の単独行動にも(夫婦二人時代を含め)慣れています。
多くの皆様から、メッセージやメール、お手紙、
お届け物を頂戴し…。
きちんとしたお葬式やお別れの会も行わず、
お礼のご連絡も追いついていない状況ではございますが、
皆様の「妻・川島蓉子」へのお悔やみと、
「夫・川島孝之」へのご心配をありがとうございます。
「いつでも会うよ、飲もうね」とか、
「老後の趣味も兼ねて料理教室に通ったらいいのに」とか、
「再婚もいいよ」なーんてのもあって。
さまざまな勇気づけとアドバイスに感謝です!
68歳の独り身男は、まだ仕事の広告屋も続けつつ、
杉並区荻窪のマンションで楽しく暮らして参ります。
FaceBookでは、自動で「川島さんが誕生日です」
みたいなお知らせが行くようで、毎年 皆様から
多くのお祝いメッセージをいただきます。
一見すると今年は「めでたくない」誕生日ですが、
それでも十分「めでたい」ので、どうぞご遠慮なく(笑)。
ただし、お一人おひとりの
「おめでとー(びっくりマーク)」
「おめでとうございます(花束マーク)」なーんて
おんなじような文面に、いちいち返信をしない
皮肉屋の頑固爺さんではありますけど。
重ねて、心より感謝です。
(そして毎年、絶賛 花粉症中の私。涙)
Googleで検索すると、桃の節句は
「女の子の健やかな成長と健康を願う行事」とのこと。
ちなみに、5月5日を「端午(たんご)の節句」=
「男子の日」と限定せずに「こどもの日」としたのは、
ジェンダー問題もあるのかと思いましたけど、
その設定は案外古く、いまから77年前の1948年には
「こどもの日」になっていたようです。
ま、イメージとしては、いまだに
「男の子寄り」なのかもしれませんけどね。
そして、3月3日と言えば、
この私=川島孝之・川島CDの誕生日でもあります!
(5月5日よりは似合いかな? 笑)
1957年(昭和32年)生まれなので「68歳」になりました。
いやはや、なんとも… うむむです。
4年前に亡くなった母が、私が60歳を過ぎた頃
「ところで幾つになったの?」と聞いてきて
(当時、私は60歳だか61歳だったか)
「あんた、もうそんな歳!?息子が60じゃ世も末だわ」
みたいな「名言」を残しましたけど。
そんな息子も、さらに生きて68歳になってしまいました。
そしてね母さん、孫である
私の長女は結婚し、長男はまだ独身で元気ですけど、
私の妻の蓉子がね、死んじゃったんですよ。
年末の12/7(金)に倒れて、
救急車で運ばれたものの すぐに昏睡状態。
まるまる1週間眠ったままで年を越して、
1/3(金)に63歳で息を引き取った。
そんなわけで、きょう3月3日はちょうど:
◎妻が「63歳で亡くなって」まる2か月。
◎同時に、私の「68歳の誕生日」となりました。
(はい、妻は私の5学年下でした。)
「亡くなって2か月」というのは不思議な時間感覚で、
つい数日前のようにも感じられるし、
もう遠い昔のようにも思えるのです。
妻は、ファッション業界の取材や、
著名企業さんのブランディング企画にも関わり、
30冊ほどの著書もあったジャーナリストでしたので、
朝日新聞や讀賣新聞の1面にも訃報が載りました。
「ツイン・ピークスのデビッド・リンチ監督死去」
という讀賣新聞の記事の下に、
小さくではありますが「川島蓉子さんが63歳で死去。
告別式は近親者で済ませた。喪主は夫、孝之氏 …」
なんて載ったくらい。
パリへの取材にも毎年行って、
私も(ついでに)ついて行ったことがある妻が、
夕食どきになっても帰ってこない。
あれ、帰国日程が延期かな???
老後の生活を考えて、
一戸建てから「夫婦二人で移ったマンション」に、
私は一人で残されて。
なんか、「永遠の出張」みたいなものですかね。
「皆様、妻の川島蓉子は永遠の出張に出ておりまして、
帰りの目処が立っておりません」。
はい、そんな状況ではありますが、
私はいつものように淡々と、マイペースで元気です。
一人の単独行動にも(夫婦二人時代を含め)慣れています。
多くの皆様から、メッセージやメール、お手紙、
お届け物を頂戴し…。
きちんとしたお葬式やお別れの会も行わず、
お礼のご連絡も追いついていない状況ではございますが、
皆様の「妻・川島蓉子」へのお悔やみと、
「夫・川島孝之」へのご心配をありがとうございます。
「いつでも会うよ、飲もうね」とか、
「老後の趣味も兼ねて料理教室に通ったらいいのに」とか、
「再婚もいいよ」なーんてのもあって。
さまざまな勇気づけとアドバイスに感謝です!
68歳の独り身男は、まだ仕事の広告屋も続けつつ、
杉並区荻窪のマンションで楽しく暮らして参ります。
FaceBookでは、自動で「川島さんが誕生日です」
みたいなお知らせが行くようで、毎年 皆様から
多くのお祝いメッセージをいただきます。
一見すると今年は「めでたくない」誕生日ですが、
それでも十分「めでたい」ので、どうぞご遠慮なく(笑)。
ただし、お一人おひとりの
「おめでとー(びっくりマーク)」
「おめでとうございます(花束マーク)」なーんて
おんなじような文面に、いちいち返信をしない
皮肉屋の頑固爺さんではありますけど。
重ねて、心より感謝です。