小さな広告屋から@川島CD

旧名【表参道の小さな広告屋から】: 表参道で1997年にスタートした(株)リプル:RIPPLE Inc. Tokyo Creative AgencyのBlogは、 2016年初頭から川島のホーム・オフィス「練馬区上石神井」→ さらに2023年末からは「杉並区荻窪」へ。2025年春、タイトルも【小さな広告屋から@川島CD】に変更。Facebookも同時掲載です。

熱気の行き先:映画『国宝』を見て。

先週の木曜日=7月3日は、
妻が亡くなって「まる半年」の記念日(?)というのに
一人で日本映画の『国宝』を見に行って。

FacebookとBlogでは、チラッとだけ
鑑賞直後の「コメント欄への追記」で映画に触れました。

【友の死と重ね:妻を亡くして】 2025/07/03
BL
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55160796.html

FB
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid02HVwjoXqSoBQhAhKaq9JX7kYminGEYcKFqf6wTeX62CfzLktZw6JnRixfm92PuLCfl&id=100001246147727

【追記】いま、映画『国宝』を見終わった新宿三丁目。
一人でビール飲んでます(次は白ワインか…)。
3時間の上映でもトイレと足腰の心配は大丈夫でした(汗)。
でもスクリーンを横目に少し歩き回りたかった。
少し飽きかけて…「2時間40分」に縮めて編集しても
よかったかな(あ、私の好みです)。
『国宝』という題名を、私なりに内容で解釈すると「兄弟」。
脇役ながら、歌舞伎の興行社の社員を演じた
「三浦 貴大」さんが印象的でした。父は俳優の三浦友和さん、
母は元歌手・女優の山口百恵さんの次男だそうです。


さて、きょうは、あれから5日たってしまいましたが、
映画自体の感想を少しだけ書いてみようと思います。

映画の内容を一言で言うと、舞台は伝統芸能の歌舞伎。
家族や兄弟、血筋と才能、執念、愛憎、対立…。

大ヒット中の、当然ながらとても評価の高い映画で、
何人かの知り合いからも
「川島さん、どうでした? 見た感想は?」と聞かれました。
(こうして映画文化が盛り上がるのは良いことですよね。)

映画評論的な事は苦手ですので、まさに私の
「好みと感想レベル」でしかありませんが…

◎とても良い映画で、見た価値があった。
人に聞かれたら勧めるし、海外でもヒットして欲しい。
△しかし、私は大絶賛かというとそうではなく、
自分の評価(ほんと好みね!)は少し下がる。

なぜかなー(と、何度か考えてみたのですよ)。

スキッと言語化できないのですが… きっと私には
「華麗なる熱演が、いかにもドラマだったから」。

これが例えば
『ミッション・インポッシブル』のトムクルーズなら
(最新作はまだ見ていませんが評判のようですね)
「そんな所でぶら下がってたら落ちるだろう!」
というシーンで落ちない。それがドラマ。

しかし『国宝』は日常ドラマ。
めちゃくちゃな異世界を描いてはいるものの日常。

「でも川島さー、人間ドラマと言うだろう。
そこに想像もできないドラマがあるんだよ。」

うーむ。

昔から「体当たりの演技」や「感動の演出」が嫌いでした。
小学校の時に講堂で「体育座り」させられて見た、
皆が泣く「感動の映画や演劇」に涙せず、
「卒業生を送る言葉」の毎年流用される文面の
ワンパターンさに呆れていたような子供。

北野 武(たけし)監督の映画が(特に初期の)私は好きで、
北野さんは「演出の技術不足や気恥ずかしさがあったから」
と言うかもしれませんが、
・カメラが上へ下へと移動せず、ずーっと横に並行移動だけ。
・車のカーチェイス!と思いきやすぐにぶつかって停止。
・俳優の大袈裟な演技を嫌い、数テイクしか撮らなかった。

… 喝采です。

でも、「自然体」とか「自然な演技」(と感じさせるもの)
って何でしょうね。永遠の映画の課題と思います。

とにかく、国宝は私にとって「華麗なる過剰」。

本日の投稿タイトルを【華麗なる過剰】とせず、
【熱気の行き先:映画『国宝』を見て】としたのは、
流石に私の一方的な見解で、失礼だから。

そんな中、印象的だったのが、追記にも書いた
三浦 貴大(たかひろ)さんの軽妙で抑えた(?)演技と、さらに
「この人が主役かもしれない=助演男優賞でしょ」と感じるのが、
女形を演じた田中 泯(みん)さん(ダンサー80歳)。

田中さんの「熱演、体当たり」とは異なる
「役そのもの」のような演技と踊りに唖然としました。

まとめると…

よくできた原作・脚本・演出、一流俳優陣の演技、
美術の贅沢、カメラワーク。
でも、その「これでもか感」が、私は苦手だったのでしょう。

「ケレン味」という言葉が歌舞伎から出てきたように、
まさに今回は歌舞伎が舞台の大作。
大いに楽しみ、少し内省した映画となりました。

映画館から出ると、それがどんな小屋で、どんな映画を見ても、
「出てきた時の風景が違って見える」。
それも映画の「非 日常性、マジック」だと思います。

ところで、あれだけ長時間上映なのに、
「少年時代の襲撃」のエピソード割愛は、何だったのだろう!?

友の死と重ね:妻を亡くして。

きょう7月3日は、妻が1月3日に亡くなってから
ちょうど半年です。

そして、タイトルに「友の死と重ね」と入れたのは、
親しかった男性イラストレーターが
亡くなってしまったことも、話しておきたくて。

亡くなったのは、木村 大ちゃん(木村 太亮 さん)。
6月6日前後の逝去のようです。

1960年生まれだから、私の3〜4歳下。
64歳か65歳ですね(誕生日は調べても不明でした)。

私が20代の終わりに広告代理店から制作会社に移った時、
その会社に出入りしていたのが、少し年下の大ちゃんでした。

イラストレーターにして、デザイナー、絵本作家。
自分でグラフィックデザインはもちろん、
そこにはめるイラストも描けてしまう器用な人で。
もちろん、内容に合わせてタッチも色々と工夫して。

昆虫や魚、恐竜の絵柄も、骨格の構造を理解し、
綿密にもデフォルメしても描けてしまう。

しかも、絵本の文章(=物語)も書ける。

お父様は、動物画家にして、
ラーメンのチャルメラおじさんの絵柄も描いていた方。
まさに血筋ですかね。

私からも、いろいろな広告や販促物のイラストを
お願いしました。

「こんなタッチで」と希望を言うと、
コンセプトやクライアントの事情も理解して
方向性は合わせてくれるものの
「川島さんが考える、その描写は変だよ」とか
「こうしたらいいのに」とか、いちいちうるさい。
インスタントには決して描いてくれませんでした。

今時は、無料の「フリーイラスト」が山のように使えて、
世の中は「どこかで見たような絵柄」が
溢れているワケですけど、
大ちゃんのイラストには、小さな猫の顔一つにも
オリジナリティがありました。

「川島さーん、そのギャラじゃきついけど、
もう1案描いといたからさ、どっちか選んで」なんてね。

その大ちゃんの死因はがん。

元気ながら、少し調子の悪さがあった昨年末。
「クリスマスイブ」の日に「がんで余命6か月」を言われたそうです。
すごいクリスマスプレゼント!

そして、治療の甲斐もなく、結構Facebookも
最後の方まで投稿してくれていたのに、
元気なうちに(って変だけど)本当に半年で逝ってしまいました。

今日のタイトルを「友の死と重ね:妻を亡くして」
としたのは、大ちゃんとの半年前の最後の電話が、
私の妻の死とも繋がっていたから。

簡単に紹介すると…

私の妻は年末の12月27日(金)に倒れ、
まさに文字通り「転倒して」頭を強打。
1週間の昏睡で1月3日(金)に亡くなったのですが、

娘や息子たちと交代で病院に行っていた年末のこと、
私が夜(妻との二人住まいだった杉並区荻窪から)
タクシーで病院に向かう後部座先で、大ちゃんから電話。

数か月 ご無沙汰だったので、
「おー大ちゃん、久しぶり」と電話に出たら、
「いま大丈夫? 川島さんさー、伝えておきたいことがあって」と。

「いいよ、いまタクシーの中だけど」
「実はさ… 俺、余命宣告受けちゃって… あと半年だって」。

そこからの、なんかふわふわした会話と、
新宿方面に向かうタクシーから見る
夜のネオンを思い出します。

「でもさ、嘘みたいに元気だから心配しないで。
川島さんには伝えておきたくて。
検査とか入院とかあるけど、イラストは描けるから。
治療費治療費!」とか電話の向こうで。

こちらは、どう言葉をかけていいか混乱しつつ、
いかにも大ちゃんらしい前向きさも感じて湿っぽくもならず。

「実はさ、俺もいま病院に向かっているところなのよ」と言うと、
「えーっ川島さん、どっか悪いの? 検査?」

「いやー、蓉子が倒れてさ。もう数時間か数日の命だって。」

タクシーの運転手さんも、すごい会話を小耳に挟んで
びっくりしたでしょうね。
妻の危篤はまだ、ほんの一部の方にしか伝えていない頃です。

流れ去る夜景、ネオン、信号待ち、車の振動、会話と沈黙。
「あ、病院着くから、電話またちょうだい。会おうよ。」
「そうだね」と電話を切って。

でも、それが大ちゃんとの最後になりました。
無理やりお見舞いに駆けつけたらよかったのか、
それはわかりませんけれど。

妻を亡くして半年、年下の知り合いも亡くなってしまいました。
妻、63歳。木村さんは64歳か65歳。早いよなー。

エネルギーのある人ほど、消耗が激しくて、
「死に急ぐ」のでしょうか。

さて本日は、妻の命日で
「喪に服す区切りの日」ではあるものの、特別なこともせず
(お墓参りやお寺さんでの新盆は後日)
今から一人で映画を見に行ってきます(笑)。

新宿ピカデリーにて『国宝』と言うタイトルの日本映画。
任侠の世界から歌舞伎の世界に入った男性が主人公だそうです。
かなりヒットしているようで、知り合いに
「ぜひ川島さんも〜」と勧められました。
しかし上映時間が3時間もあり、飽きっぽい私の
「気持ち」と「足腰」と「トイレ」の我慢が持つのやら。

そして、チラとネットの紹介を見たら「人物相関図」がある!
私は、映画の解説はほとんど(なるべく)見ないで行くのですが…

「人物相関図」があるほど登場人物が絡みあい
(誰が誰と いがみ合い、隠し子がいて?みたいな…)
気を許すと「え、この人、どこの誰だっけ?」と言うのは
私が最も苦手なパターン。いやはやどうなることか。

そして、明日の夜は、
日本のミュージシャン「コシ ミハル」さんのコンサートです。

自分は何歳まで生きるんだか… 独り身爺さんの楽しき日々。
映画もコンサートも、妻と行けないのは
ちょっと寂しいですけどね。


【参考リンク】
◆木村 太亮 さんFacebook(HPへのリンクもあり)
https://www.facebook.com/daisuke3623

◆映画『国宝』公式サイト
https://kokuhou-movie.com/

◆コシ ミハルさんの紹介(ビルボード・ジャパンより)
https://www.billboard-japan.com/special/detail/1711

オワコンBlogを20年!

本日は、「今時、誰が使ってんねん」という
ブログについて書きます。
(そしていつもより長いです!)

Blog=語源はWeblog/Web Log(ウェブ上の記録)。
アメリカでは1999年頃に始まり、日本では
2000年頃から商業利用が始まったそうです。

私がブログを始めたのは、2005年(平成17年)8月14日。
「ライブドアブログ:livedoor Blog」にて。

ネットで使うものなのに、ホリエモンさんの著書
『ライブドアブログで稼ぐ!儲ける!』 堀江 貴文
なんてムック本も買って読んだなー。

私の「ブログ開始記念日」までにはまだ2か月ありますが、
投稿は延べ20年、4,200回を越えます。

私より(ずっと)若い方にとっては
「20年前」はすごく昔のことでしょうけれど、
いま68歳の私にとっては、なんだか、
「ついこないだ」のように思えます(汗)。

さて、そのブログ投稿。

最初の数年間は、本当に毎日投稿していました。
意地でも日付が変わる夜中ギリギリに放り込もうと。
それがいつしか数日に一度になり、1週間空くこともあり。
いまのペースとなっています。

そして、Facebookを始めてからも(2010年=15年前)、
音声配信のスタエフ(stand.fm)を始めてからも(1年前)、
ブログはキープしています。

投稿の流れとしては:
最初にFacebookを書き→ブログ欄にコピペする。
→そこからスタエフの喋り用台本にアレンジ。
→スタエフの録音は、RSSという機能で
SpotifyとApple Podcastsにも自動配信。

ところが最近は
「喋るスタエフ用台本」が先になることが多く、
そこから「Facebook&ブログ原稿」をまとめる。
しゃべる気分が優先するせいか「書き言葉」にも変化があり、
分量も「昔より長くなりがち」なのが面白いところです。

「Facebook/ブログ/スタエフ」は、ほぼ「配信三兄弟」。
SpotifyとApple Podcastsを入れれば「五兄弟」です。
多少の喋りのアドリブはあろうとも、内容はすべて一緒(笑)!

流石に「ブログは削ろうか」とも考えました。
また、視聴者を広げようと思ったら、選ぶのは
今時はブログではなくノート(note)でしょう。

ただ、過去のブログ記事を「ノートに移植」となると、
膨大な数になるし、新作から始めるにしても、
「ブログだけ」を見てくださる方が
何人・何十人かいらして、特に妻の死亡後は増えました。

そしてブログの特徴として、検索に引っかかりやすく、
けっこうSEOの上位に上がってくる利点がある。

さらに大きいのは、「記事の分類や検索のしやすさ」。
後から見るには探しやすい。
Facebookは、どんどん流れていく「フロー」型で、
ブログの方が「ストック性」が高いのです。

つまり、極端に言えば、
読んでくれる人が誰もいなくなっても、
「アーカイブ」=「投稿の格納倉庫」として残そうかと。

そんな、変わり映えのしない私のブログですが、
「配信タイトル」だけは、引っ越しで数回変えました。

始めた当初は、東京の表参道で
数人の広告制作事務所を開いていたので、
タイトルは『表参道の小さな広告屋から』。
ドメインも「omotesando-ad.jp」。

それが19年経って事務所を閉じ、
練馬区上石神井(かみしゃくじい)の自宅に戻ったので、
「表参道」と言うわけにいかず(地名つけちゃったからなー)
『上石神井の小さな広告屋から』に。

そこから妻と杉並区荻窪に引っ越すことになって、
地名を省き
『リプル川島の「小さな広告屋から」』に変え、

半年前に妻が亡くなってしまい、
妻の会社と私の会社を統合したのも契機に、
(さらに音声配信との連動も考えて)いまのタイトル
『小さな広告屋から@川島CD』としました。

ちなみに、ドメインの「omotesando-ad.jp」は、
変更すると、それまでの蓄積に影響があるので、
そのまま残しています。
不思議なURLだなーと思った方、ごめんなさい。

ところで、SNSの課題であるコメント欄は、
Facebookとスタエフのみオン。
ブログとSpotify・Apple Podcastsはオフにしています。

コメントをいただくのはほんとうれしいのですが、
分散すると私がわからなくなっちゃうので(汗)。
結局、コメントのやりとりは、
◎相手の顔が見えやすいFacebookと、
◎音声のベースであるスタエフに限らせていただいています。

そんなわけで、8月で21年目に入る
ブログ「小さな広告屋から@川島CD」。

みなさんにとって、どう楽しんでいただけるかは不明ですが、
今後も地味なりによろしくお願いいたします。

最後に、ブログをやってきて良かったことを少々。

生意気ですが、文章が上手くなったことかな。
それが大袈裟なら、文章を書く壁が、かなり低くなった。
怖くなくなった。

私、いちおう広告業界45年のコピーライターです。
クリエイティブディレクター&コピーライター。
まさに「小さい」ながら、いろんな広告文を書いてきました。

そんな私でも、文章(コピー)に対する苦手意識があって、
業界20年経った40歳を過ぎた頃でも
「自分の文章作法」みたいなものができなかった。
書くのいやだなー、上手く書けないなーと悩んでいました。

それが、ブログを毎日書くようになり、数年経って、
(もちろん仕事での経験も影響したでしょうけれど)
怖くなくなってきた。
よし書くぞ、と原稿用紙(古いね!)に向かえば→
キーボードに向かえば、それなりに第一稿はまとまる。

今から思えば、まさに「毎日ブログを書いた数年間」
「やめなかったこと」は大きかったかもしれません。

物事の習得は、ある時期まで「質より量」。
反復し、体に染み付いていくことが、
(スポーツでも英語学習でも… いずれも私はできませんけど!)
どんな分野のことでも言えるのだなーと思います。

だから、執筆を目指す皆さんも、
毎日400文字でも2,000字でも、書いてみてくださいね。
それがブログでもノートでも
「文章を発表したい人、頭を整理したい人」にとっては
とても良いトレーニングになると思います。
(GeminiやChatGPTも手伝ってくれるけど!)

あと、文字数を限定してから書くのも訓練になります。
例えば「800文字以内」とか、「1行約40文字×20行」とか。
(これもコピーライターの職能です!)

今日は、私なりのSNSの使い方と、
化石のようなブログについて長々語ってみました。

爺さんの音楽ルーツ70〜80年代。

本日は、いま68歳のおっさん・爺さんが(この私ね)
10代・20代・30代に影響を受けた、
1970年代・80年代の音楽話です。
まるで興味がない方には、すみません。

ちなみに、なんと20年前にBlogに書いた記事
「好きな音楽、海外篇」と「好きな音楽、日本篇」を
コメント欄に【参考】として貼っておきます。
20年前の投稿でも今日のネタは済んでしまうという進歩のなさ!
まぁ、若い・多感な時期に影響を受けた(刷り込まれた)ものは
強いと言うことで。

当然、その後に注目したミュージシャンもいますけれど
(歌謡曲のアイドルを含めて)
今日は70年代・80年代の音楽を中心に書いています。

前提として、「音楽は時代と共に」と言われるので、
改めて自己紹介を記すと、
私は1957年(昭和32年)3月3日生まれ、現在68歳。

そのあたりで想像される音楽界のレジェンド
「ビートルズ」の影響は、あまり受けていません。

ビートルズが人気絶頂で来日し、武道館公演を行ったのが
1966年(昭和41年)、私が9歳=小学4年生なので、
まだ意識する年齢ではなかったか。

それでも、「歳の離れたお兄さん・お姉さん」世代にあたる
「団塊の世代」が熱狂する様子は新聞やテレビで覚えています。
(いや、その記憶はリアルではなく、
後から刷り込まれたビジュアルかもしれませんが…)。

とはいえ、他のミュージシャンを通して、
私もビートルズの影響はすごく受けているのでしょうね。
でも、直接はそれほど聴いていません。
ソロのジョンレノン、ポールマッカートニーも。
(あ、ジョージハリスンがソロを含めて好きです!)

そして、まったくもって「おませ」な子ではなかったので、
高校・大学に入っても、今では音楽好きが誰もが
あげるようなトップミュージシャン:

ビーチボーイス、ブライアンウイルソン、
ザバンド、グレイトフルデッド、
ベルベットアンダーグラウンドなどは、
ちょいと遅れて齧った程度です。

それより私が影響を受けたのが、日本のミュージシャン。
アメリカ・イギリス系のロックに憧れ、学び、
時にはもろにパクって日本語に乗せていった人たち。

私は当初、フォークと言われる、吉田拓郎、泉谷しげる、
井上陽水、六文銭、小室等あたりを聴いていたのが、
フォーク系よりはややロック系に移行して…

チューリップ
遠藤賢司
荒木一郎
はっぴいえんど
細野晴臣
シュガーベイブ
大貫妙子
四人囃子
サディスティックミカバンド
加藤和彦
近田春夫
ティンパンアレー
ムーンライダーズ
高橋幸宏など。

アメリカ・イギリスロックに詳しい人からは
「日本製の真似っこロック」とバカにされながらも、
私の中では、このへんが音楽の原点と言えます。
(日本製を先に体験してから、
その元になった海外品を知るということも多々あり!)。

「日本語の翻訳本ばかり読んでいないで、たまには
英語の原書に向かいなさい」と、
どこかの先生に怒られそうな音楽遍歴です。

そんな中、今でも好きな外国ものは:

レッドツェッペリン
ピンクフロイド
ニールヤング
フリートウッドマック
10CC
トーキングヘッズ
スティーリーダン
ポリス
XTC
ロキシーミュージック
Japan
ブライアンイーノ あたり。
(リスト化し出すとキリがありませんけれど…)

ちなみに、ジャズは表面的なことしかわかりません。
若い頃は、新宿・歌舞伎町のカウンターに一人で座ったり、
JT(昔の日本たばこ)の野外フェスティバル
「セレクト ライブアンダー ザ スカイ」の告知ツール制作や、
ジャズ雑誌のスイングジャーナルに載せる広告にも
コピーライターとして参加したので
(ニューヨークのジャズバー取材で出張したなー)
ちょっとは齧ったものの、 ほんと表面だけです。

そして、ヒップホップやラップは、まるでわからず。

まして、クラシック音楽はチンプンカンプンなものの、
知人のピアノやバイオリンコンサートに行って、
楽しんではいます。

LP(レコード)時代から→CD(コンパクトディスク)
→音楽配信と聴いてきて、私は見た目は(年齢的にも)
いかにも「中古レコード店で棚を漁っている」ような
ひげの爺さんでしょうけど、音楽に詳しいわけではないし、
LPもCDも売っぱらってしまいました〜!

それでも、音楽にふれ、音楽を語るのは楽しいです。

ただしね、近所の居酒屋で
「90年代ジャパニーズポップス」が流れるのは、
勘弁してほしいです。

私より一世代若い「団塊ジュニア」がおっさんになり、
飲み屋で聴くには「ハマリ」の選曲かもしれないけれど
(小室哲哉ファミリーとかビーズとか…)うーん私は
いっそ「70年代、80年代歌謡曲」が希望です。

【追記】2025/06/23
上記ではアーティスト名をかなり絞って書きましたし、
バンドリーダーのソロも省いたり。
でも、スティーリーダンの「ドナルドフェイゲン」と
JAPANの「デビッドシルビアン」は加えさせていただきます。
そして大切な、ダイアーストレイツが抜けてた!!

ChatGPTで国籍を調べてみたら、私は圧倒的に「イギリス系」が多かった。
ニールヤングはカナダ出身で、トーキングヘッズとスティーリーダンは
アメリカなものの、かなり捻くれている(笑)。
こうした「好み」ってもろ音楽に出ますね。

【参考】川島の20年前のブログ記事:
◆好きな音楽、海外篇。2006/11/21
https://www.omotesando-ad.jp/archives/50674189.html

◆好きな音楽、日本篇。2006/11/22
https://www.omotesando-ad.jp/archives/50674790.html



ガラガラ ポン!の世の中で。

「ガラガラ ポン」という言葉、ご存じですか?
若い世代は、もう聞き慣れないかもしれません。

辞書によると:
「くじの入った箱を回して一本を引き当てる動作」や、
「物事をすっかり入れ替えること」を意味するそうです。

ビジネス用語としても、「既存の枠組みを壊して、
新しい展開を図るとき」に使われたりします。

いまの世界は、まさに「ガラガラ ポン!」だと思うのですよ。

例えば21世紀に入った現代で、
これほどまでに戦争が勃発するなんて誰が想像したでしょう。

ロシアのウクライナ侵攻については、私は「100%」
ロシアが悪いと思っています。
「特別軍事作戦」だの、「ロシア系住民の保護」だのという言い訳は、
まったくの詭弁。
民間施設への空爆など、戦争にも最低限のルールは
(戦争にルールなんて!?と思いつつ…)あるはずです。

そして、これから「曖昧な停戦」で事態が収まったとしても、
またロシアがウクライナや隣国を攻めるのは目に見えている。

一方で、すでにロシア国民の死傷者は
100万人にのぼるとも言われます。
まだ都心部の徴兵は行われていないようですが、
人々は「何も考えていない」のか「黙認している」のか…。

さらに、西欧資本の撤退で「スターバックス」が
真似っこロゴの「スターズ・コーヒー」に変わり、
「コカ・コーラ」は「クール・コーラ」に(なんじゃこりゃ!)。
でも国民のあいだで特に騒動も起きていません。

中東では、イスラエルとハマスの対立が続くなか、
今度はイスラエルとイランの戦争が始まってしまった。
「核兵器を持っている国」が「開発するな」と攻撃する矛盾。

かつて「世界の警察」だったアメリカは、
その威力をなくしたとはいえ、トランプ大統領になってから、
紛争を収めるどころか混乱させている。かき混ぜている!

トランプ以前=バイデン大統領時代は、
ウクライナ情勢もイラン情勢も「様子見」で動かなかった。
そこにトランプの「ガラガラ ポン」。

世界一の国力と民主国家たるアメリカの大統領が、
自分の気分でSNSにばんばん投稿し、
「イランは、無・条・件・降・伏」なんて発言して。
トランプこそ独裁者・王様になっています。

まったく持って、混ぜるな危険!
硬直した状態では、もうこれしかないのか。
話し合いとかバランスとかは意味がないのか。

それに比べると、何言ってんだがわからない、
そして誰がなっても変化の少ない日本の首相は、
いいんだか悪いんだか…。

私たちの身近な社会もまた、ガラガラ ポンの連続です。
コロナ禍で働き方は激変し、リモートワークが一気に進展。
ChatGPTやGeminiといった生成AIも、
ここ2〜3年で、まるでSFのような速度で広がりました。

私自身が今年、突然 妻を亡くしたのもガラガラ ポン…かな。
消費税が撤廃されるようなことがあれば、それもまた然り。

世界情勢も、身近な社会問題も…
本来なら、しっかり話し合い、ルールや倫理を積み重ねて
進めるのが「筋」だとは思います。
でも、どうにも動かない世界を変えるには、
時に「強権発動/リセットボタン」しかないのだろうか。

「クレイジーな人々が世の中を変えていく」と、
スティーブ・ジョブス時代のAppleも言っていました。

さて今回で、私の音声配信「スタエフ:stand.fm」
の方は「101回目」となりました。
昨年7月から数日おき、ときには1〜2週間あけつつも…。
Facebookやブログと同じ内容ですけれど、
ご興味ある方は、よろしければ音でも聴いてみてください。
https://stand.fm/channels/60a08752b82bc5e1f38f5a19

いつも読んでくださって、ありがとうございます。
ガラガラ ポ〜ン!

家がどんどん広くなる:妻を亡くして。

昨日から、東京(関東甲信地方)は梅雨に入りました。

そして久々の投稿は、妻を亡くした一人暮らし爺さんの
湿っぽい話?です(ネタにしてきた蓉子も、許せ!)。

我が女房は、昨年末の12/27(金)、
世間では仕事納めとなる日の早朝に
ゴミ出しと軽い散歩に出て…

持ち前の「おっちょこちょい」全開で、
マンション前で見事に転倒して頭を打ち、
(救急車内で少し私と言葉を交わせたものの)すぐに昏睡状態。
そのまま年を越して1週間… 1/3(金)に亡くなりました。

あれから5か月と少し。
ほぼ家族だけのお葬式や四十九日、納骨、
自宅へお友達がお線香をあげにきてくださったり、
相続事務のいろいろもあって…

もう一年以上前のことのような、
まだ数週間前の気もする不思議な感覚です。

病院のベッドに眠ったまま横たわる妻は、
指先のネイルデザインが、場違いに綺麗でね。

そもそも、なぜマンション前での事故だったのか。
それには、引越しが関係しておりまして…

私たち夫婦は、東京都の隅っこ(練馬区上石神井)に
広めの庭付き3階建を持って暮らしていました。
娘と息子も大きくなり、何年か先には
養老系のホームにお世話になるかもしれないことも想定。
「3階建の自宅」と「施設」の中間にあたる
(「つなぎ」のような)賃貸マンション暮らしを決意しました。

年に何度か植木屋さんに入ってもらう手間も大変ですし、
「2階3階への階段を、いつか踏み外す恐れも怖いからねー」
などと妻と話して。

それがなんと、せっかく平たいマンションに越してきて
その目の前でコケてしまう冗談のような展開。
人生はわからないものです。

妻は63歳で逝き、68歳の私が取り残されました。

マンションへの移住には、老後のフェイドアウトに加え、
思い切った「断捨離計画」もありました。

贅沢に収納がある一戸建ては、
悪く言えば捨てられない荷物を抱えた倉庫になっていく。
人生あと何年、何十年か。
「シンプルに生きよう」と妻と話したのです。

山のような洋服、バッグ、資料、本、食器、写真アルバム、
無駄にある文房具なんて物まで…
何が本当に必要で大切なのか。

まだ元気なうちに、思い切って絞り込んで暮らしてみようと。
まぁ「あれがない!」と困ったら、
しばらくはキープする3階建の家に取りに戻ればいいやと。
まだ独身の息子が管理人を兼ねる巨大なトランクルーム!

それでも、タクシーで30分もかからない家に
荷物を取りに帰ることはほぼなく、
1年を過ぎて妻は亡くなりました。

いまいる、このマンションの間取りは、
ウオークインクローゼットを含めて88平米。
2LDKで全室にバルコニーがあります。

夫婦二人には十分な広さながら、
当初は「ここにはもっと私のものを入れたい」などと
スペース取りはあったものの、かなり物は絞っていた。

さらに妻が亡くなり、洋服は大幅に処分。
一部は娘が引き取りましたが、私は古着屋さんや
個人オークションに売る気もなく燃えるゴミで処分。
(こういう所は、私はやたら割り切るのです。苦笑)
妻はファッション系の文章も書いていたジャーナリストだったので、
それなりのブランド物もあったんですけどね。

で、クローゼットが空き、
これを機会に、さらに捨てるものを吟味して…

そもそも「モノ少なめ」だった室内から、ひと一人が
(つまりは生活者の2分の1が!)減ったわけです。
もちろん、共有のものもたくさんあるけれど、
妻のおかずでいっぱいだった冷蔵庫に、
好きなだけ缶ビールを入れられる。

狭かったダブルベッドも、こんなに広かったかって…
寝返りグルングルンできます。

ガラーンとしたマンションの空間。
妻はフリーランスとはいえ外出先での打ち合わせが多く、
私は自宅での作業が日常だったので一人は慣れていますが、
夕食時になっても夜になっても妻は帰ってこない。

あれー、また取材でパリからの帰りが遅れたかも…
などと、いまだに思ったりもします。

それでも、写真立ての妻は、
「何言ってんのよ、余裕があっていいじゃない」と、
笑って語りかけてきます。

皆様からは、残された私への気遣いをいただける一方、
「案外元気そうですね!」とも言っていただけて
(はい、ほんとに!)こんな投稿もできております。

いつでもみなさん、来てくださいね。
中央線と丸ノ内線「杉並区荻窪駅」の北側です。

今日も、思い出日記のような投稿にお付き合いくださり、
ありがとうございます。

花粉症も消え去るほどの老化かな。

本日は「老化現象」つまり「じいさん」になったってお話を(汗)。

自慢じゃないですが(じいさんのほうではなく!)
流行=トレンドという意味では、私の花粉症歴は結構早い。

私が「花粉症」をはっきり意識したのは1987年=40歳。
ちょうど広告代理店を辞めて制作会社に移った頃です。

それまでも症状はあったと思いますけど、はっきり
「これは流石に変だ、ひどすぎ」と自覚した同時期に、
世の中でも「花粉症」が言われ始めた。

改めて調べてみると:
1960年台から「花粉症」は医学的に発見されていたものの、
まさに1987年頃、新聞・雑誌で
「花粉症」という言葉が頻出(ひんしゅつ)し始めたそうです。

それ以来、68歳のいままで38年間。
くしゃみ、鼻水、目の痒みと闘ってきた歴史がある。

それでも私は、「治療や予防のためのアレルギー注射」
の類は好きではないので、漢方薬をシーズン前から服用。

10数年前からの漢方がうまく自分に合ったのか、
症状はそれまでの6〜7割には軽減。
ティッシュを大量に使用しつつ、どうにか我慢してきました。

それが、この3年ほど「あー大したことないなー」と。
その年の花粉量にもよるでしょうけど、緩和してきた実感。

くしゃみ、鼻水、目の痒み等は全盛期の1〜2割。
ティッシュボックスが、ポケットティッシュに変わった感じです。

なんででしょう?

さらに、もう一つの持病である(これが花粉症以上に長い)
「ドライアイ=目の渇き」が軽くなった!

目医者さんも「乾燥による傷が減って、潤いのキープが
かなり戻ってきましたねー」と。

やったー!仕事のストレスが減って、体調も整って、
まさに「体質改善」がされた成果かと喜びました。

ところが… これもネットで調べて「愕然」なのですが…

カラダ自体が衰え、外部からの刺激に対して
「敏感に反応しなくなった」説。
つまり、病気に対しても「鈍く(にぶく)なった」と…。
とほほ〜。

カラダが鈍感になるから症状も弱まるという、
情けないことが要因かも知れない事実。

いやはや、このまま細々 生きていくしかないのかな。

青春時代は、たとえ心が渇いても、
汗と涙でグシュグシュだから価値があるのですねー。

来年の春、私の花粉症はどうなるのか。
症状が現れるのが、嬉しいような、悲しいような。

今日も、じいさん広告屋の独り言にお付き合いくださり、
ありがとうございます。

他人と一緒に行動する恐怖(苦手意識)。

私は、少し病的なところもあるかもしれませんが、
「集団行動」というのがすごく苦手で。

自分の「マイペース」が阻害されると、
ほとほと困る・弱る。

それが子供達にも遺伝したのか
(ないし愛情不足の結果となったのか!?)親子で家族4名、
新幹線の席を「ぐるっと回して仲良く対面」なんてことは、
子供達が幼少の頃のほんの一時期で(って記憶もあまりなく!)
各自バラバラに座ればいい=勝手に過ごせばいい。

流石に、(1月に急逝した)妻とは
新幹線・飛行機等の予約は隣同士にしていましたけれど、
普通の通勤電車で(隣に空席がなければ)バラバラに座ればいい。
奥さんが先に座って、横が空かないからといって
目の前の「吊り革」でずーっと立っている旦那さん
(他にスペースが空いても…)は信じられません。

さらに、長時間ずっと・じっと座っていることができないので
(気持ち的にも足腰のストレッチという意味でも)
セミナーや会議の「1時間超」は耐えられず、
1時間過ぎたら何度か立ち上がる。軽く体操もする。
(できれば歩き回りたいけど、それは我慢する!)

なるべく目立たない席を選んで座るのですが、
「そーっと立ち上がっても」司会者の方に、
「何かご質問ですか?」ってことも(汗)。

若かった頃は別にして、二次会とカラオケ等はほぼ行かない。
それでいて、「喧騒から離れ・クールダウン」するために、
「一人で」お茶か、みんなと離れたのにまだ酒飲んでる。

集合写真で「ピース」するごとく、
「みんなで何かする」「集団で行動する」ことへの苦手意識。
(時には嫌悪感、恐怖心)。

それでも、「一次会」にはヘコヘコ出かけていき
(いつまでも会場で残っている人を横目にさっさと帰るけど!)
「友達」もそれなりにいてくれることには感謝です。

「仲良し」とか「仲間」って、何でしょうね。

「一致団結のパワー」は否定しませんが、
ずっと一緒にいないと仲間はずれになったり、
おかしな方向に「人が・組織が・国が」動いていったり…。

ところで、いまは打ち合わせの帰りに「一人で」
飲み屋にいるのですが…
近所の席の「中国系と思われる20〜30代男性二人」。

店内から席を外すこと3回。洗面所だったら、
各人でいけばいいのにね…。一緒に店外に出て、
数分で一緒に帰ってくる。な、なんなんだろう。
喫煙所? それでもいちいち「つるんで」行くのか!

わー、4回目出ていった!

こんな怠惰な人間を、人は几帳面と言うのか。

きょうは、特に自分のことについて語りますね。
いつだって、ほぼ自分のことしか書いていないわけですけれど。

タイトルを「こんな怠惰な人間を、人は几帳面と言うのか。」
としたように、私は「几帳面」とか「真面目」、
時には「神経質」に思われることが多いです。

見た目が細身の体なうえ、
例えばお店でサラダの注文をする際はいちいち
「ドレッシングは少なめか、別添えにできたらお願いします」
と頼むような、確かに心が狭くて面倒臭い人間です(笑)。

自家用車は、ずっと前に手放しましたが
(子供たちが大きくなって都心では必要ないので)
車に乗っていた時はいつもピカピカに洗車し、しかも
ハーって息吹きかけて磨いているようなイメージかな。

実際は、窓とミラー…安全に関わる所さえ支障なければ、
ボディは汚れようが、バンパーあたりに傷があろうが、
それは道具としての車なんだからいいでしょ、
と思う人間なんですけどね。

血液型で言えば、ほぼA型に見られる、実際はO型。
両親がOとAのOAなので、
A型の気質があるのは、確かとは思うものの…。
(血液型診断が科学的かどうかは知りません。
ちなみに動物占いは「こじか」です!!!?)

そして広告屋の仕事としては、
クライアントさんへの聞き取りとか、資料の整理とか、
明快にまとめる部分は確かにあります。

それでもすごい几帳面かと言うと、そんなことはなくてねー。
気分が乗らないと、まるでやらない。
特に事務作業系は、まるで進まない。

すこし前にも投稿したように、
亡くなった妻の相続と、
その9か月前に亡くなった妻のお母さん絡みの修正や、
妻と私の会社の決算、二つの会社の統合を進めています。

会計事務所さん・司法書士さんがほとんど
進行してくださるものの、
ちょっとした書類への「記入・捺印」や「郵送」、
「役所に証明書を取りに行く」なんて
すっごい気が重くて、ダメなんですよー。

ハンコを押すこの部分は、印鑑登録した実印か、
テキトーな認印でいいのか、
家族の名前欄は私が代筆して良いのか、
娘に署名してもらわないといけないのか、
あーいつ会おう、いや郵送か…
日付は記入した日か、書類の送付日か…。

だから、実質フリーランスの会社ながら、
総務経理担当はずっと社員としてキープしています。
クリエイティブディレクター・コピーライターの私としては
デザイナーがいないと仕事にならないものの、
一番大切なスタッフは総務経理女性です。

サインして、ハンコ押して、ポストに投函。
たったそれだけのことなので、終わってみれば
「なーんだ何ら難しくない」のが真実で、
さっさとやればいいものを、さっさとやる気にまるでならない。

企画書を作ったり(私の企画書はすごいシンプルです)
コピーを書いたり、クライアントからの修正に対応したり、
そんな、時にはかなり面倒なことでも楽しくてしょうがない。
クリエイティブで悩むのは&時間をかけるのは、
幸せだなーと思う。

68年間、こうして気分で生きてきて、
マイペースで過ごしてきて、
気乗りしないとまるで動かない私が、
「几帳面で真面目」だなんて、不思議だなー。

ガチャガチャ・ウェイウェイはしていないので、
「端正」とか「おとなしい」は、少し言えるかも知れませんけど。

自分で思う自分と、他人が感じる「この私」の差。

コロナパニックで本格的にオンラインミーティング、
特にZoomを始めた時に驚いたのは、
「人から見た自分」がそこにいたことです。
これまでずっと「鏡に映る自分」を見てきたのに、
相手から見た自分=左右反対の自分が、
「参加者の一人」として映っている。

このFacebookやBlogの投稿だけで知り合った方が
(顔どころかほとんど文章だけの関係!)どう思われるか、
そしてリアルでお会いしている方は、どうなのでしょう。

きょうも、鏡に話すような独り言にお付き合いくださり、
ありがとうございます。

爺さんの価値:老害 or Not。

本日は、爺さん(ゆるい言い方をすると定年世代)の
働き方について書いてみます。

私はいま68歳。1957年(昭和32年)3月3日生まれです。
1956年(S31)4月〜1957年(S32)3月31日までの学年。

自分がどんな世代に属するかを調べてみると:
・団塊の世代が私の8〜10歳上(1947〜1949生まれ)
・その下の私たちは「ポスト団塊世代/しらけ世代 」(1955〜1964)
・さらにその下は「新人類世代」(1965〜1970)
・続いて1971年頃からが「団塊ジュニア世代」(1971〜1974)

私の属する学年(1956年4月〜1957年3月生まれ)は、
団塊世代の誕生による「戦後第一次ベビーブーム」の反動で、
「戦後最も出生数の低い学年」。
団塊世代と比べて、なんと100万人、40%も減っています。

高校・大学受験や就職の倍率は“ラッキーな谷間”
だったかもしれませんね。
一方で、団塊世代ほどの社会的な存在感はなく、
数の面でも印象の面でも、まさに「しらけ世代」なのでしょう。

私は、バブル数年前の1980年、大学5年生でなんとか
当時業界4〜5位の広告代理店に滑り込みました。
その後、制作会社を経て自分の会社を立ち上げ、
数名で20年ほど経営。
でも大きくするような才覚はなく、
その後の10年ほどは社員は総務経理の女性ひとりだけ。
私は自宅で仕事を続ける、実質フリーランスです。

それでも、68歳のいまも現役で働いていると言うわけ。

同世代の友人を見ると、60歳ですぐに引退した人、
65歳まで「給料半分、出社も半分」を選んだ人、
それを過ぎても半分ボランティアで幼稚園バスの運転手、
パートや軽作業で小遣い稼ぎをして
「荷物の運搬で腰を痛めたー」とかさまざまです。

私もほんと、いつ辞めてもいい年齢ですが、
仕事が趣味みたいなものだしなー(いいのか悪いのか!?)。
チラシ1枚、フレーズ1行でも、
声がかかるうちは続けていこうと思っています。

とはいえ、さすがに“爺さん”なわけですから、
取引先の中小企業の社長も、私と同年代か、むしろ年下。
ましてや、現場でやり取りする企画・宣伝の担当者は、
娘や息子のような世代なわけです。

注意しているのはね、私の意見を振りかざさないこと。
もう頭は固いけれど、なるべく幅を持って柔軟に、
一緒に考え、まとめていくことを心がけています。

いまや「ベテラン」を超えて、「ロートル」。
GeminiやChatGPTによると、「ロートル」とは、
経験はあっても体力や感性に衰えが見え始める存在。
かつては活躍したが、今は一線を退きかけた元ベテラン、
というニュアンス(とほほ)。

それでも「老害」にならず、どう「戦力」として続けるか。
(もう続けるなよー ← 外野の声、ないし心の声?)
生成AIなんかもいじってみて、
「Google検索より優秀ですよ」ってクライアントに話してみたり。

最近、ちょっと嬉しいことがありました。
10年近くお手伝いしていた企業から、
世代交代やブランド刷新の流れで退くことになったのですが、
現場の若いスタッフから「川島さんのコピーとディレクションが必要」
との声が上がったそうで、1年半ぶりに復帰することになりました。

それからもうひとつ、「お墓の広告コピー」を執筆中。
昨年から手がけていた年4回のシリーズもので…。
年初の1月3日に妻を亡くしてからも、
「お墓に手を合わせるとき、亡き人の思い出が…」
なんてコピーを書いている、なんともな巡り合わせです。

オヤジ・おっさん・爺さん、高齢者、
はたまたベテラン・ロートルクリエイターとして、
あと何年、どこまで貢献できるのやら。

爺さんだからわかること。
そして、川島だから書けること。
もうしばし、楽しみながら商売を続けていこうと思います。

映画「ゲッペルス」とプロパガンダ。

昨日の月曜日、5月5日(こどもの日)は、
またまた「新宿武蔵野館」へ。

わずか3日前、半年ぶりの映画館が「新宿武蔵野館」で、
その時は日本人の写真家と奥さんを描いた「レイブンズ」。
日本が舞台なものの、監督はイギリス人、
制作はフランス・ベルギー・スペイン・日本の合作映画。
1回前に投稿しているので、よろしければご覧ください。

さて、今度の映画も新宿武蔵野館の同じ部屋。
(小屋、と言うのがそれっぽいか…)タイトルは
「ゲッペルス:ヒトラーをプロデュースした男」。

第二次世界大戦のナチス・ドイツ時代に、
宣伝大臣だった主人公の、史実を元にした2時間10分。

見に行くきっかけは、
1年ほど前に音声配信で知ったパーソナリティ
「春木先生」の影響。

春木良且(はるき よしかつ)さん:
元フェリス女学院の教授で、今も各種大学で教鞭をとる、
情報化社会論・情報倫理の専門家。
昨今のITの進化やセキュリティ、教育論のこと、
はたまた日本の終戦をまたぐ昭和史やロックのことなど…
たまたま私と同い歳で、敬愛する方です。

スタエフとVoicy、それからSpotifyでも
中身の濃い語りが聴けるので、ぜひ!(※↓)

その春木先生が、「レイブンズを新宿武蔵野館で4回見た!」
と絶賛した後に語っていたのが「ゲッペルス」。

広告・宣伝を生業(なりわい)とする私としては、
見ないわけには行きません。

18年前に刊行された春木先生の著書
(これも1年前に放送で知りました)
『人を動かす情報術』(ちくま新書)も購入していたので、
映画への行き帰りの電車で予習復習!

映画の中では、主人公のゲッペルスがヒトラーに言った台詞、
いよいよドイツがソ連やヨーロッパ・アメリカに対して
敗北がはっきりした中でさえまだ
「すべての国民の意識を戦争に向かわせます」が印象的でした。

パレードで道端の少女がヒトラーに花束を渡すのも
前夜から練習を重ねた「仕込み」で、
そのシーンを映像に撮ってさらに国民を煽(あお)ったり。

映画のラスト。結局、ゲッペルスもヒットラーも、
捕えられる前に家族と共に自殺します。

プロパガンダは「宣伝」と訳されることが多いものの、
「煽動」「洗脳」が近いかな。さらに「情報操作」「世論操作」。

私は、そんな大層なことを仕掛けた経験もない
隅っこの広告屋ですが(Voicyで一部の方が言う底辺!?)
AI合成のフェイクが飛び交うネット社会にあって、
職業上も、いち日本人としても、何を考え生きるべきか。

ロシアがウクライナに侵攻し、北海道を諦めず、
中国が台湾や沖縄を、北朝鮮が韓国と日本を攻める危険性がある中、

「日本こそ核兵器を持たず、武器を持たず、
世界平和の模範となるべき」と言う言葉に
「理屈では/理想では」賛同しつつ、
「守りを固めなきゃダメだろ!」との思いも強いです。

日本人カメラマンの映画「レイブンズ」も、
少し自分の妻のことを重ねてしまってヘビーでしたけど、
ゲッペルスはもろ集団殺人の陰惨な映画で。

演技以外の現存するドキュメンタリー映像も重ね、
実写の死体がたくさん映り…
私は途中から薄目にして、あまり見ないようにしました。

何事も一致団結なんかしちゃダメだし、
戦争に向かっちゃダメだ。ほんとに。
それでも… 観賞して良かった映画です。

「偉大な戦略家」の印象があるゲッペルスは、
実際は「ビクビクしつつの小心者のアイデアマン」だった。
さらに、宣伝戦略やヒトラー用の原稿を書く以外に、
自らもマイクの前に(何度も文章を推敲し、練習を重ねて)
立って演説していました。

以上、映画の紹介はこんな所で。
私の評論もどきを読んだところで、参考にはならないと思うので。

さらに私は、最近何年か
ネットやマスコミの映画の紹介文を、鑑賞前はもちろん、
見終わった後もほとんど読まなくなりました。
せいぜい、印象に残った俳優やスタッフを調べる程度。
昔はパンフレットもコレクションしてましたが、もう買わない。

見た時に何かを感じ、自分の中に残るものがあれば、
それでいいのではないかと。

制作の意図や、自分とは違う解釈を知るのも学びですが、
年取って面倒くさくなったし(苦笑)、たまに一緒に
映画を見てくれた妻も4か月前から姿を消しちゃったし。

さて、次の映画館は何にしよ。
ここでまたお話しするかはわかりませんけれど。

やたらお名前を出した春木先生、
いまだお会いもしていないのに、すみませんです。


【※】 春木良且(はるき よしかつ)先生の音声配信

■スタンドエフエム「知のチルアウト・デジタルの砂漠にて」
https://stand.fm/channels/63bceea17655e00c1c353d52

■Voicy「知的好奇心チャンネル(情報化社会の歩き方)」
https://r.voicy.jp/o4p9q2q7Vlb

映画「レイブンズ」と新宿:妻を亡くして。

今日は、久しぶりに映画へ。
「映画館に行って」映画を見てきました。

「映画館で」と、わざわざ言いたくなるほど、
小屋の大小はあっても「2時間」スクリーンと音に集中する幸せ。

妻がいなくなって4か月(2025年1月3日逝去)。
その間は映画館に足を運ばなかったので、
新宿ピカデリーの「侍タイムスリッパー」以来、
なんと半年ぶりの鑑賞です(その時は一人で見たなー)。

しかも、きょうの演目はそろそろ上演がおしまいになるそうで、
午後や夕方の回がなく、朝9時45分のスタート。
朝は弱い私なのにねー。

その映画「レイブンズ:Ravens」。
新宿東口を出てすぐの、新宿武蔵野館にて。

内容は、新宿の歌舞伎町を中心とした
(その他、北海道、東京近郊と思われる団地、ニューヨーク)
男性写真家 深瀬 昌久(ふかせ まさひさ)の物語で、
深瀬を演じる主演俳優は浅野 忠信(あさの ただのぶ)。

舞台は主に、1950年代、60年代、70年代の日本。
ただし、日本映画ではなくて、
監督はイギリス人のマーク・ビルによる海外映画です。

昭和歌謡曲も流れますが、ロックバンドの
ヴェルヴェットアンダーグラウンドの曲が挿入され、
エンドタイトルはザ・キュアーによるもの。

昭和32年=1957年3月生まれの私にとって、
主人公の実年齢は23歳年上ですけれど、
映画に映し出される昭和の風景を知るものとして、
そして、1980年に広告業界に入り、隅っこのほうで
様々なカメラマンさんとの付き合いもある私としては、
心に染みるものがありました。

そして、これがどうしても避けられないのが、
主人公のパートナーとなる女性の名前。

俳優は龍内 公美(たきうち くみ)さんによる演技ですが、
映画での名前はYoko(洋子)。
漢字は違うけれど、亡くなった私の妻 蓉子
(お花の芙蓉のヨウコ)と同じ名前。

そして主人公の男性写真家の死因も、
頭を打ったことによる「急性硬膜外血腫」で私の妻と同じ。
色々と重ねてしまいます。

映画の構成は、史実・ドキュメンタリーに
演出や創作を混ぜた構成のようで、
60年代と70年代、そして80年代まで引きずっていた
「昭和の日本」と「歌舞伎町」を舞台に、
静かに、でも全体が暗ーく進む物語です。

カラーなのにモノクロームの印象。
一方、ラブストーリー映画とも言えるかな。

タイトルの「レイブンズ:Ravens/鴉:カラス」とは、
「ワタリガラス」や「オオガラス」と呼ばれる大型の種類だそうで、
実際のカメラマンによって写真集にもなっています。
主人公の「カラスは俺だ」と言う台詞が象徴的。

やたら飲む酒と、道路でもバーのカウンターでもベッドでも
吸い続けるタバコもすごいなー。

… これ以上は語りませんね。
ストーリーも映画評論的なことも(私には不得手だし)。

私は、若い頃から新宿にはまぁまぁ出かけていました。
西武新宿線に住まいと附属高校があり、
大学も新宿区高田馬場の早稲田大学(商学部)だったので。

ただ、当時は勢いのあった広告業界にいた割には、
「新宿歌舞伎町、さらにはゴールデン街」は、あまり知らないのです。

当然身近に、「歌舞伎町でぐだぐだ」みたいな人は、
先輩でも同年代でもたくさん知っていたものの、
私自身は「歌舞伎町のほんの入口付近にあったジャズスナック」が、
少しばかり馴染みだったことを除いては、
歌舞伎町には深入りしなかった。
できなかったし、入る気がしない別世界と思っていた節はある。

伏魔殿にしてラビリンス。
そして、きょうの主人公のような、芸術との葛藤も
狂気とも無縁に、私は平々凡々、地味に生きてきました。

映画館を出て、大塚家具の販売ショールーム
(YAMADA電機とのコラボ店)の前にある
イタリアンカフェに入り、昼の12時でしたがビール飲んで。

家に帰ってきてから本棚に目をやると、
写真家 荒木 経惟(あらき のぶよし)さんが
奥様の遺影を掲げたポートレイトが目につきました。

その奥様の名前も、漢字は違うけれどYoko陽子さん。

3人のヨウコさんに思いを馳せた独り身68歳のおっさんは、
映画1回1,300円で見られる「シニア割」にて
また映画館へまいります。


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Profile
◎川島 孝之(Kawashima Takayuki): 株式会社flowers 代表取締役・クリエイティブディレクター・コピーライター。

◎1957年3月生まれ。早稲田大学商学部(マーケティングゼミ)を5年で卒業後、1980年第一企画(現ADK)入社。6年の勤務ののち、制作会社11年を経て、1997年(株)リプル(RIPPLE Inc.)を表参道に設立。数人規模で運営。

◎2016年1月、表参道のオフィスから、西武新宿線 上石神井(練馬区)のホーム・オフィスに変更(総務経理のみを残してのフリーランス化)。
さらに2023年12月、中央線・丸ノ内線 荻窪(杉並区)に移転。
ブログのタイトル「表参道の小さな広告屋から」を、リプル川島の「小さな広告屋から」に改題。

☆2025年5月、妻(ジャーナリスト川島 蓉子)の急浙(2025年1月3日 63歳)に伴い、(株)リプルは妻の会社(株)flowersへ5月に統合。
ブログのタイトルも「小さな広告屋から@川島CD」に再変更。

◎CD(クリエイティブディレクター)&C(コピーライター)として、企業の魅力を整理整頓し、ブレーンのグラフィック&Webデザイナーと共に表現化しています。


【実績の一部】 カルビーじゃがりこ(パッケージ)、ビデオリサーチ(ロゴ・Webサイト・インナーツール)、日立化成(カタログ・インナーツール)、介護のらいふ(ブランドブック)、武蔵高等学校中学校(学校案内)、アルカダイアモンド(広告・販促物)オークラヤ住宅(広告・販促物)、翻訳専門校フェロー・アカデミー(学校案内)、アドビ(会社案内)等
/その他 中小・個人企業さんとの直接のお取引。

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