小さな広告屋から@川島CD

旧名【表参道の小さな広告屋から】: 表参道で1997年にスタートした(株)リプル:RIPPLE Inc. Tokyo Creative AgencyのBlogは、 2016年初頭から川島のホーム・オフィス「練馬区上石神井」→ さらに2023年末からは「杉並区荻窪」へ。2025年春、タイトルも【小さな広告屋から@川島CD】に変更。Facebookも同時掲載です。

歯科・皮膚科・耳鼻科へ連続。

3か月ほど前に、こんな投稿をしました。

【健診拒否の死生観(私)】2026/02/14
(↓ 下段にてリンクを記載)

健康診断はもう10年受けてないよ、
みたいな不遜な投稿だったのですが…。

その直後からなんと、
「歯科・皮膚科・耳鼻科」を連続受診することに。

◎まず歯科。

痛む箇所はなかったものの、
理想は半年ごとだった点検と歯垢除去を、2年半も
引っ越しや妻の逝去もあって延ばしていました。

やっと新たな歯医者さんで見てもらったら、
「しっかり虫歯」がありまして、数回通院。
無事完治しました。

◎次に皮膚科。

もともと乾燥肌気味なので、冬は痒くなりがち。
そろそろ季節は暖かく変わってきたものの、
一度専門家に診てもらおうと。

保湿系の化粧水やクリームをもらい、
経過も数回見てもらって、落ち着いてきました。

ついでに「お顔のシミ・そばかす」を薄くするらしい
クリームもいただき、嬉しくて朝晩塗ってる(笑)。

◎そして1回だけですが、耳鼻科にも。

もう子供の頃から何十年と酷い鼻詰まり(=鼻声)。
原因はわかっています。

副鼻腔炎、昔で言う蓄膿症。さらに…
鼻の中央の骨が曲がっており、右側が3分の1の狭さ。
左側が3分の2なので空気の流れが極めて悪い。

医者が鼻の穴にカメラを入れて、
「あー、たしかにすごく曲がっています。
手術しか対処はありませんが、おイヤですよね?」
「はい、嫌です!」で終了。このまま生きていきます。

そして、耳鼻科でついでに血圧を測ったら、
上と下の数値のうち、下がやや高めだった!

家でも測れるように、家庭用のコンパクトな血圧計を
1万円弱で買いましたよ。

病院、行ってみるものですね(苦笑)。

相変わらず、「死ぬ時は死ぬ」
「延命治療は望まない」の私ではありますが、
体を整えることは、
気分を整えることでもあります。

◎深い深呼吸、
特に「ゆっくり吐く」ことを今まで以上に意識して、
◎ストレッチや瞑想の時間も忘れずに。

さらに…
◎6月からスポーツジムに行くことにしました。
ムキムキになる必要はまるでないので(私が!)
ごく軽く心拍数を上げて・下半身に筋肉をつける運動。

69歳の決意。
続きますかねー。

以上、
健康診断しない私が、病院のはしごをしていた…
というお話しでした。

その後の件、またご報告しますね。


**************

関連する過去記事:
【健診拒否の死生観(私)】2026/02/14
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55173564.html

机を丸く拭く人たち。

タイトルを見て、
「爺さんの小言」みたいな内容じゃないか、
と感じましたか?

はい、そうです。その範疇のお話です。

最後に、ちょっとしたオマケ話もありますが。
それで引っ張るほどの話でもないので(苦笑)。

さて。私は、
自宅事務所から数分の駅前であろうが、
打ち合わせに出向く都心部であろうが、
しょっちゅうカフェや喫茶店にいる身なので
(もう今どき「喫茶店」なんて言わない?)

店員さんの所作(しょさ)は気になります。

例えば…

お客さんが離れたテーブルがあって、
店員さんに余裕がある際は、
テーブルを拭いている姿を目にすることがあります。

それ、見事に「丸く」ふいているのです。

いまどき、「四角な座敷を丸く掃く(はく)」
という諺(ことわざ)を使ったり、
知ってる人も少ないと思いますが、
四角い4人掛けテーブルでも丸い1人用のテーブルでも、
真ん中あたりをさっと拭く。

天板の隅やコーナーまで、しっかり拭く人は、
滅多にいらっしゃいません。

ひどい時は、布をひらひらさせて、
やや机に水気を与える程度。

座っているこちらから見ると、天面に「布巾の跡」が、
ナメクジが通った後のように光ってる!

諺の「四角な座敷を丸く掃く(はく)」を
改めて調べてみると…

「四隅を残して中央だけを丸く掃いてごまかすことから、
神経の行き届かぬ仕事をすることをいう。」

店員さんのマニュアルに書いてあるかは知りませんが、
何もしないよりは立派なものとは思います。

ただ、そのような中でも、
オーナーさんや店長さん、リーダー格と見られる人は、
「机を隅まで拭く確率」が高いように感じます。

反対に若い人は(という言い方も爺さんですが!)
男女に限らず、丸く拭く人が多いです。

気持ちを込めた(と言うと大袈裟かもしれませんが)
「軽めでも隅々まで拭き掃除」という目的を意識するのと、
「濡らす程度」のアリバイ作りの差。

たぶん、そうした「チャチャっと」の気持ちは、
その人の仕事全般にも出るのでしょう。

一方、責任ある立場の人は、
「手抜きや効率」も考慮しつつ、
「隅まで磨く」気持ちがベースにはある。

そして面白いもので、
途中入社を含む若手やアルバイトの中にも、
四隅まで拭こうとする人が出てくる。

そうした人が、お店でも職場でも
「伸びていく」と思うのです。

たとえば、私の仕事である
広告や販促物の制作に照らして言えば、

コピーライターが、今どき 生成AIの力も借りながら、
それなりの文章を作ったとします。

それを、どこまで諦めずに「詰められる」か。
クライアントの厳しい
(時には勝手と思われる… すみません!)
修正要求にも「投げずに向き合える」か。

デザイナーで言えば、
文字をぺたっと貼り付けただけで「まぁまぁ」
の段階で手放すか、数ミリにも「こだわる」か。

業種・業界、社員・バイトの違いに限らず
「その仕事の、四隅はどうなっているか。」という意識。

以上。
きっと予想通りの、いやらしい話でしたね。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。

【おまけ】
この下書きは、荻窪のカフェで書いていたんですけど…

座っていた布ばりのソファの隙間に、
「100円玉」が深く「はまりこんでいる」のを発見。
(ギザギザの頭だけが見えていました!!)

なんで、そんな所に目が入ったのか気付いたのか。
硬貨は店員さんに渡しましたけどね。

「隅まで丁寧に」などという文章を書いていたせいで、
自分の視野に敏感になったのかもしれません。

夜の読書はこの片隅で:妻を亡くして。

本日のタイトルは、以前に投稿した
【寝る前には、紙の本】2025/09/12
の続きでもあります。※↓

いつも電子画面に向き合っている自分なので
(iPhone、iPad、Mac、Apple Watch…すべてアップル! )

夜の寝る前くらいは、光る画面と電磁波から離れ、
目を休めて、心をクールダウンする意味でも
「紙の本を読もうとしている」という話でした。

その際に想定していた読書席は、
9畳ほどの書斎(私の仕事部屋)。

机が3つあって…
事務机と、スタンディング(立ち)机と、ミニテーブル。

その丸いミニテーブルにて、白い蛍光灯の光ではなく、
オレンジの柔らかいスタンド光で
読書をしていました(毎日ではありませんけれど)。
ほんの数ページの日もあり、まさに寝る前のクールダウン。

でも、ふと「ここもいいかなー」と思いたったのが、
リビングの「亡き妻の机」。

編集系のライター・ジャーナリストの妻と、
広告コピーライター・クリエイティブディレクターの私は、
「自宅事務所のフリーランス」ではあったものの、
「超朝方の妻」と「宵っぱりの私」では活動時刻がずれ(笑)、
しかも外部での打ち合わせが多めだった妻は
「自分の部屋はいらない」と言っていました。

その代わり、リビングの一角に「自分のコーナー」を確保。
小さな机と、本棚、資料棚、プリンター。

妻が亡くなってからも(2025年1月3日、63歳にて急逝)
そのコーナーは片付けず、
本の配置もほぼいじることなく残しています。

展覧会などに行くと、「生前の仕事部屋を再現」
なんて展示がありますよね。あの感覚!

ドライな私は、妻の仕事資料や、山のような洋服など、
かなり次々と捨てたものの、
「このコーナー」や、飾り棚などは残しています。

「メモリーにはあまりしたくない」という気持ちと、
「妻の残像を残しておこう」という気持ちの両方。
面白いものです。

今回、「夜の紙の読書」コーナーにしたのは、妻の机。
その横の本棚にある本を、ポツポツと読もうかと…。

スライド式の本棚には、
・妻が執筆した書籍(約40冊)に加え、
・参考にした文献、
・好きだった小説やエッセーが並んでいます。

どんな夫婦や友人ともそうだと思いますけれど、
「重なる部分はある/でも ぜんぜん違う部分もある」。

私がほとんど読んだことのなかった
幸田 文さんや向田 邦子さんもあって。
それらを、夜の時間に読むのも、いいかなーと。

妻に触れ、知らない世界に触れる、寝る前の一瞬。

・妻のコーナーで「なるほど、こんな本」と触れる時間と、
・自分の書斎で「ビジネス書や美術本」を眺める時間。

夜の過ごし方として、悪くないとは思うのですよ。

★珍しく今回は、写真を掲載しますね。
Facebook(文章はこのBlogと同文)に【添付】します。
260513蓉子_書斎コーナー_SNS投稿写真「夜の読書260514」IMG4045_縮小.JPG

写真は昨晩撮ったんですけど、
夜に配信すると、しんみりしすぎるので、
翌日の昼にアップしております(笑)。

※※※※※※※※※※※※※※※※※

※関連する過去記事
【寝る前には、紙の本】2025/09/12
https://www.omotesando-ad.jp/archives/55165020.html

★Facebookでの投稿(同文です)ただし、写真添付。
https://www.facebook.com/KawashimaCD/posts/pfbid0shA6dsC6C3qYfRPzXveS13zVaZGbjMwXUEuX3SuYFqgAk5MPhcUG1cacgwoTQcmhl


テート美術館展:青春のイギリス記憶。

昨日の5月9日(土)夕方、

東京・乃木坂、六本木のそばにある
「国立新美術館」を覗いてきました。

テート美術館
− YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート
YBA&BEYOND: British Art in the 90s from the Tate Collection

会期は5/11(月)までなので、ギリギリの閲覧です。

2/11(水)から開催されていたにもかかわらず、
閉会間際の混雑時に行くというのは…
「美術館あるある」にして、自分の怠慢。

興味があったのだから、もっと早めに
(空いていたであろう期間に)行けばよかったのにねー。

さて、そのテート美術館展。
主催者の解説は下記です:

本展は、1980年代後半から2000年代初頭にかけて
制作された英国美術に焦点を当てる企画です。
サッチャー政権時代(1979−90年)を経験して
緊張感漂う英国社会では、既存の美術の枠組みを問い、
作品の制作や発表において実験的な試みをする作家たちが
数多く登場しました。
当時「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBA)」
と呼ばれた作家たち、そして、彼らと同時代の
アーティストたちは、大衆文化、個人的な物語や
社会構造の変化などをテーマとし、絵画、彫刻、写真、
映像、インスタレーションなど多様な手法を用いて
独創的な作品を発表してきました。(後略)

私がイギリス(ロンドン周辺)に
行ったことがあるのは、ほんの3度。

まずは、まさにこの展示会の舞台「1980年代後半」に2度。
30代になったばかりで(それも長い人生では青春期?)
グラフィック系の制作プロダクション勤めだった私は、
紳士服広告の撮影立ち会いで2回、ロンドンを訪れました。

エンヤ(Enya)のデビューアルバム『ウォーターマーク』が、
レコード店で流れていたのを思い出します。

次の機会は、それから25年後の2014年。
イギリスの経営系大学へ1年間留学する娘の
「大学の下見」の付き添いで渡英(ロンドン+カンタベリー)。

以上、たった3度のイギリスです。

でも、70・80年代からのイギリスのカルチャーは、
「音楽・ファッション」を中心に興味深く、
ニューヨークの刺激(4回くらいだったか…NYも好き)より
「肌に合った」気はします。

どうやら私は、アメリカンよりイングリッシュ傾向のようで、
(そして、フランス・パリも好み)
「何を東洋の片隅の爺さんが言ってるんだ」と
言われればそれまでですけれど…

「好き」とか「感覚が合う」とは不思議なものですね。

いま現在、世界情勢はめちゃくちゃですが、
日本や日本人を
「好きだな」とか、「面白いな」と感じてくれる
外国の方々が増えるのは、良いことだと思います。

インバウンドの観光公害は、また別の話としてね。

今回の「テート美術館展」について、
感想をいっさい書かなくてすみません!

「評論」は、いくらでも新聞やネットにあるでしょう。
ただの「自分語り」で失礼いたしました。

明日の月曜日(5月11日)には終わってしまいますが、
京都では6月から始まるようです。
私が大好きな「京セラ美術館」にて。

よろしければ、ぜひ足をお運びください。


4年ぶりにメガネを変えて気分替え。

昨日の日曜日、新しいメガネが仕上がってきました。

お馴染みの渋谷の眼鏡店で発注したもの。

ひとつ前のメガネは4年前に購入。
その前は、さらに3年前でしたけれど
二代続けて(計7年)似たデザインでした。

現状のメガネから、なぜ変えたのか。

理由は、まずは度数が微妙に変わったから。
当然ながらこの年齢なので、
近視と乱視に加えて老眼もあるわけですが…。

大きな数値の違いはなくて、
担当のお兄さんからは
「お客様の年齢で、4年経ってほぼキープは
素晴らしいです」と、よいしょされました(笑)。

まだ十分使えるメガネを
(これからも服装に合わせて再登場させることは可能)
なぜ買い替えたか。

理由は… 「飽きたから」。ワハハ!

これまでのメガネは、FacebookやBlog、
LINEのプロフィール写真にあるように、

メガネの上辺(一番上のライン)は黒。
その下のレンズは四角くて縁無しのタイプ。

今回は、全体が丸いデザインで、
フレーム素材もチタンと鼈甲(べっこう)です。

以前の「四角いの」が、
(自分で言うのもなんですけど)
シャープでモダン、スキッとしたイメージで、
悪く言うとちょっと堅い雰囲気もあったのに比べて、

今回の「丸いの」は、柔らかいイメージ。
少しクラシカル、ないし
コミカルにさえ見えるかもしれません。

本当は、サングラスを含めて数本所有し、
服装に合わせて掛け替えるのが理想なのですが、
度数の問題や、掛け替えるのも面倒で、
つい「このひとつ」になってしまいます。

今回も、ほぼこの「丸型」をメインにしつつ、
「四角」も、たまにはかけるかも。

決して安い買い物ではないメガネ交換。
「4年で飽きたから」というのは
ちょっと贅沢な話かもしれませんけれど…

「だって、気分を変えたかったんだもん!」

四角から丸へ。
69歳にしてのメガネ変身。

いまだに広告や販促物の依頼をいただきながら、
地味な職人仕事をしている爺さんですけれど、

たまにはこういう「小さな変化」も、
悪くないなと思っています。

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【追記】 メガネは、ファッションアイテムとして好きで、
高校1年で「縁無し」(校内でたぶん最初!)、
大学3年くらいで「サングラスに変わる偏光レンズ」、
社会人で「多い時は3本並行」で持ってたんですけどね。
また、老後の趣味にしようかな(笑)。


遠い思い出:昼定食と職場ランチ。

きょうは、

1_昔々の職場におけるランチの思い出と、
2_昼定食を食べていたのは何年前までだったか、

という雑談でございます。


1_職場仲間とのランチ

自分が所属する会社組織の人数はどうであれ、
部署ごと数人で「ランチに行く」のは、
普通にあることですよね。

私は、就職留年で大学は5年生まで行き、
新卒で広告代理店に入った身ですが、
業界4・5位の中堅会社で、東京に300人はいました。

最初の2年間は「制作関連事務」部門に配属され、
3年目から「クリエイティブチーム」に移って
コピーライターの真似事を始め…。

チームは、ルーム長(たぶん課長に当たる)をヘッドに
数部屋あり、1チームは6名から8名。

CMプロデューサー、アートディレクター、
コピーライター … などで構成されていました。

もう40年以上前、1980年代の昔話です。

当然、ランチタイムはチーム全員ではないけれど、
数名で出掛けて。

しかし、いつしか私は
(何せ斜に構えて、集団行動も苦手なタチですから)
「今日は一人でランチ行きます」と生意気言ってね。

当時は、今より一層ブラックな広告業界。
過酷な残業を含めて一緒にいる時間が長いのだから、
昼ぐらい一人でいようと。

まぁ制作部署全体が、朝 出勤簿に記入すると、
近所の喫茶店に行っちゃうような、ある意味
おおらかな時代でもありましたけど。

若造の勝手を許してくれた、
ルーム長や先輩方に感謝です。


2_昼定食を食べることはほとんどない

そして、広告代理店を辞め、
グラフィック系の制作会社に移ってから、
社員数名の会社として独立したわけですが…。

「よし、お昼の12時だ」って時刻に合わせて
ご飯に出かける必要が、なくなっていきました。

会社勤めの人って大変ですよね。
ランチタイムは混むから、
11時50分にはエレベーターで降りよう、なんて。

私の変化は、
・なんでそうまでして連れ立ってランチに行くんだ?
に続けて
・なんで昼ジャストに食わなきゃいけないんだ?へ。

ま、お昼のお得価格を目指すなら、
14時までには… とかはありましたけれど。


さらに並行して、私は、
朝食と昼食をほとんど食べなくなった!
一日 1.5食程度。

「まったく」ではありませんけれど、
朝と昼は兼用で、「ヨーグルトとバナナ」
「小さなサンドイッチひとつ」「おにぎり一個」程度。

あとは、夜。
しかも「夜だけはがっつり」なんてことはまるでなく、
酒のつまみみたいな食べ方です。
(カフェで少し甘いものを食べることはありますが。)

それでも、ほんと毎回少食で。

そんな私の胃袋を知っている友達は、
飲み会でも川島分を少し引いておかずを頼むか、
人数分頼んで、川島のを他の人が多めに食べるという計算。

そんな事情から、「お店の料理一人前」を、
とんと 食べていません。
コース料理の頼み方にも苦慮!

お店に行列して、今日はサンマにしようかなー、
しゃけかなー、なんて生活は、もう来ない(笑)。

ほんのたまーに、そうした定食が食べたくなっても、
おかずは半分か3分の2、少なめに頼むライスも余らす。
(お店のかた、ごめんなさい!)

「ご飯大盛りね!」なんて、言ってみたいものです。


自分が小さな会社の代表として社員を雇っていた頃に
(まぁ、今よりは量を食べていましたけれど…)
たまには、3〜4人で語らったり、
若手社員と二人で出かけて、
悩みを聞いてあげればよかったかも… の後悔もありますが、
そんな「柄」でもないし、「社長失格」の人間ですから。

以上、「遠い思い出:昼定食と職場ランチ」
という つぶやきでした。


*****************

【追記】私が駆け出しの新人コピーライター時代、
同じチームでお世話になり、
多大な影響を受けたのが「阿部 秀司」さん。
広告代理店「第一企画」から独立して
CM・映画制作会社「ROBOT」を立ち上げ、
映画『ゴジラ-1.0』で、日本初となる
アメリカ・アカデミー賞(視覚効果賞)を受賞。
その直前、74歳で死去。ご冥福をお祈りします。



リトマス試験紙を隠しての会話。

人それぞれ、性格も信条も違う。
わざわざ言うまでもない、自明の理です。

親子、兄弟、友人、職場の仲間。
あるいは、何かのコミュニティで出会った人たち。

気が合い、興味の方向は似ていても、
細部に違いがあるのは当然です。

それでも、お互いを好きで
(これからも関係を築きたいと思い)
大筋で合意できれば(内容にもよりますが!)
尊重し合いながら楽しく会話していける。

あるいは、意見を闘わすことはあっても、
前向きに検討していければ良い。

でもね、政治の話はやばいですよねー。

「下手に政治には触れるな」というのは、
昔からの不文律ですけれど、
ネットやSNSの普及で「あらわにされる危険」が
一気に増し、今や完全な地雷となっています。

かつては、自分が「なんとか党」の熱烈な支持者だとしても、
勧誘でもしない限り、「あからさま」にはならなかった。

「特定政党」とまで絞らなくても、
「政治信条」についての会話も、もっと緩やかなものでした

それが今や、ちらっと書くと、あっというまに伝わり、
レッテル貼りされる。
あらゆるところに「地雷が撒かれて」いるわけです。

例えば、飲み屋で男性二人でいたとします。

私が「高市総理はさー」と言って、一瞬の間をおくと、
さてどうなるか。

相手は(高市総理はさーに続けて)
「もうダメだよねー、国賊」と答えるかもしれない。
私は「よくやっているよね」と続けたかもしれないのに。

「トランプ大統領に対しても…」
相手は(うん?トランプ大統領?)
「媚びすぎだよね。高市はトランプのポチ」と言いかねない。

私は、「総理はうまく会話を運んで前へ進めている」と
言いたかったとしても、その言葉を飲み込み、
「そうだよねー、総理として軽いよねー。ハグもねー」
なんて同調したかもしれません。

※あ、あくまで例え話ですよ、例え話!(恐ろしや…)

意見をネットに載せようものなら、
短い言い切りのフレーズであれ、長々とした論調であれ、
「そうだそうだ」側と「何言ってるんだ」に二分され、
熟考や検討、中庸な意見が入り込む余地はなくなる。

各人が「思考のリトマス試験紙」を忍ばせながら、
「赤くなるかなー、青くなるかなー」と恐れ、
モゴモゴした中間地帯は、見えなくなる。

「戦争反対」という4文字の明快なフレーズにしても、
その意味合いにおいて、分かり合えない時代です。

だから私は、
あまりに「リトマス試験紙色」の強いグループ、
「脊髄反射」が激しい集団に、
入りたい・居続けたいとは思いません。

でも一方、以前の投稿でトランプ大統領のことを
「ガラガラポンの時代」と書いたように、
「次の時代に(特に日本が) 進むステップ」の、
大きな踊り場にいるとも感じています。

危険 < 期待。

ここまで「政治への関心と会話」が
可視化された時代は、なかった気もします。

私のようなオッサン・爺さんには、一見すると
「60年代の安保闘争とデモの時代」を感じさせても、
民度と情報の質は、マスコミ時代より格段に上がっている。

日本の発展と世界平和を、心から願います。

(… ここを「日本国の」と書くと「えぐみ」が増すね。苦笑)


ジャケットには襟付きシャツ(私)。

きょうは珍しく、ファッションの話です。

最近、男性の服装で、
あるパターンがすごく目立つ気がして…。

今は、ゴールデンウイーク前の
だんだん暑くなってくる季節。

ビジネスファッションのカジュアル化が進み、
スーツにネクタイ姿が減った。
そこまでは、よくわかります。

ただ、20代、30代、40代くらいでも、
皆さんけっこう、きっちり上着を着ている。

相手に失礼にならないよう、上着だけは一応着ておこう。
そんな感覚もあるのでしょう。

ただし、その組み合わせが、定番と言えるほど似ている。

・黒や紺のスーツ、あるいはジャケット。
・パンツは、色違いの場合でもダーク系。
・靴は、革靴っぽいけれど靴底はゴムのもの。
ないし完全にスニーカーの黒か白。
・インナーは、白の丸首Tシャツ(長袖あり)。
たまにVネックの白や黒もいるかな。

典型的なパターンとしては:

上下黒のスーツ、
インナーに白のTシャツ、
黒か白のスニーカー。

はい、完成です。

「これがビジネス・カジュアル!」
そんなワンセットとして、すっかり定着しています。

この格好をしていれば間違いない。
毎日の迷いがなく、お店でもさっと選べる。

ただ、70歳目前のおっさんとしては、
(少なくとも私は)そこには乗れません。

ジャケットには、やっぱり襟付きのシャツを着たいのです。

理由はふたつあります。

◎ひとつ目。
Tシャツには、どうしても「ゆるい」空気がある。

似合う人もいるけれど、
私には、あのカジュアル感は少し違う気がする。

リアルに川島をご存知の方はお分かりのように、
打ち合わせがない日で、
近所のカフェや飲み屋に行くくらいでも、
ジャケットかサマーカーディガン着用。

ひげは剃ってないのに、ジャケットは羽織る(笑)。

真っ黒はなくて、グレー系や少しカラフルな色。
襟元には、ピンバッチ等のアクセサリー。

シャツは襟付き。
白が基本で、たまにブルーやクリーム系。
その内側に、下着としてのTシャツ。

パンツは(ついズボンと言ってしまう!)、綿系かジーンズ。

靴は白か黒のスニーカー。
都心へ出る時も、そのままか、革靴似のスニーカーです。

まぁ、ワンパターンと言えばワンパターンです。

◎Tシャツではない理由ふたつ目。

冷房に弱いから!かなり切実です。

Tシャツ一枚やワイシャツ一枚では、冷気がしみすぎる。

だからシャツをそのまま肌に着ることもなく、下着は必須。
そして外出時には、忘れないよう上着も持つ。

あと私は、肘を出すのも苦手です。
上着を脱ぐ時でも、腕まくりは肘が隠れるところまで。
冷え性の「オフィス女子」みたいなもので、
なかなか面倒な男なのです。

以上、最近よく見かける男性ファッションと、
自分の着こなし流儀の話でした。

ユニクロなどが、
「服は道具」「服は部品」という方向を普及し、
誰もが、そこそこ綺麗に、機能的に整う環境を作ってきた。
それ自体は、本当にすごいことだと思います。

ただ、昨今の「スーツにTシャツ」は、
私には「第二の制服」みたいでつまらない。

私は、1957年(昭和32年)生まれ。
VANやJUNのアイビー全盛よりは10歳ほど下ですが、
いわゆるDCブランド
=デザイナーズ&キャラクターブランド世代です。

あの、少し贅沢で、少し騒がしく、
それぞれの服にも個性と失敗があった時代。

そんな「服の記憶」が、
いまだに身についているのかもしれません。

****************


【追記】

・この過ぎ去った秋冬には、
初めて「タートルネック」を一度も着ませんでした。
なんか「ジャケットにタートルネック」が、
いかにもおっさんぽく思えてきて。

・会議等の実質の必要はないのですが、
これから「ネクタイ」を意識してみようかと思っています。

来てる客が乱す店。

カフェでも飲食店でも、
お店の印象を決める要素はいろいろあります。

立地、価格、料理やコーヒーの味、店主・店員、
インテリア、BGM、照明、椅子の座り心地…。

細かな話ですが、私は
椅子が合わない店はかなり苦手です。
カフェは作業場でもあるので、椅子は机以上に重要。

しかし、それらとともに、
店の空気を決めている重要なもの…
それは、来ている客層と振る舞い。

店は、基本的に店主やスタッフが作るもの。

もちろんそれは正しいですが、実際には、
公共空間である店の空気を誰が作るかと言えば、
客の存在も、かなり大きいのが事実。

私が「この店はちょっと足が遠のくな」
と感じる例を二つ挙げます。

1_店員さんと長話をする常連客がいる店。

イメージとして
「駅前の小さなカラオケスナック」が典型ですが、
大手のチェーンカフェでも見かけます。

特におっさん・爺さんが(私も十分にその年齢!)
馴染みの店員(特にずっと年下の女性店員)と
注文カウンターや、席のそばで会話の花が咲く。

イヤな客というより、
「気持ち悪い客」です。

私は、「馴染みや深入りの親しさ」が苦手なので、
余計に感じるのかもしれません。

2_カフェで電話通話やオンライン会議を始める客。

最近は店側も
「通話・オンライン会議はご遠慮ください」
と掲示するところが増えました。

それでも、イヤホンをして小声のつもりで
(実際は十分店に響く声で)延々と続く仕事話。

それは、店内でおしゃべりに花が咲く
おばさん3人組とは、決定的に違います。

お店の雰囲気の中で「楽しんでいる一人ひとり」
という存在ではなく、
一種、周りの空気からずれて「私物化」している存在。

その場を共有する他の人への想像力がない振る舞いを、
私が感じてしまうからかもしれませんね。

店というのは、店側が作るようで、
実は客が壊しもするし、育てもする。

そんなことを、最近あらためて思いました。

*****************

【追記】2026/04/16
店員さん(特に若い女性)との親しげな会話も(特におっさん・爺さん)、
それが大声だったり、レジの流れや行列に影響するほどでなければ、
「川島は神経質で排他的だな」と感じる方もいるかもしれません。
自分でも、その違和感をまだ明快には言語化できていませんが…

ただ、前述の「PC会議にいちゃん」も含め、公共の空間、
とくにチェーンカフェのような共有場所での、
「押し付け感・私物化・散漫さ・異物感・ずれ具合」みたいな、
「その店の空気を変えてしまうもの」への、
私なりの観察と反応なのかもしれません。

立ちション禁止とスリッパ病院。

本日は、お耳(お目目?)汚しとなる、
不思議なタイトルの二大(!)話。

1_立ちション禁止:
洋式トイレでは、男性もおしっこは座ってしろ。

2_スリッパ病院:
土足からスリッパに履き替えて入る病院は古い。

どうでもいい人には、ほんと 些細な話ですが、
どちらも「時代感覚」と結びついている事象かな、
と思い(笑)その社会的考察もしてみたいと。

1_立ちション禁止:

男性トイレに、壁に取り付けた小便器がある場合は
問題ないのですが(それでも盛大に外す人がいる!)
男性トイレでも男女共用でも、洋式便器しかない場合、
大抵の男性は便座を上にあげ「立って」用をたすわけです。

狙いを定めて上方から、そこそこ外さずに狙ったとしても、
飛沫が確実に飛び散る!

公共の場所で(駅とかカフェとか)
洋式トイレのビショビショは嫌なものです。
そして、自分の前の人が男性で、
便座が上がっていたりすると、大失敗!と思う。

男性の私がそうですから、
男女共用の個室に入った女性は、
その嫌悪感を強く感じるのではないですかね。

私は、何十年も前から
「おしっこも座ってする」と決めていて、
便座に肌が触れる不潔感よりも、撒き散らす行為が嫌。

この問題=男性は立つか座るか論争は、
チラチラと聞いていたものの、
世の中で はっきり明言はされていませんでした。

ところが最近、外のトイレで、
「立ちション禁止」の張り紙を一気に見かけるように
なったのです。

もちろん、「立ちション禁止」なんて無粋な書き方ではなく、
・便座に座ってご利用ください…
・立っての小用はご遠慮ください…
といった表現で。

「当店のトイレは男女共用となっておりますので、立っての…」
と、前振りを書いていた店もあります。

使用法を守らない、来日客の増加もあるかもしれませんが、
確実に「洋便器への立ちション拒否」が、顕在化してきた!

当然、若い世代の「座る率」は高いでしょうし、
「トイレびしょびしょ爺さん」は嫌悪の対象でしかない。

考えてみれば、私(いま69歳)の子供の時、
昭和30年〜40年頃(1950年代末〜1960年代)は、
フツーに外で立ちションしていました。
人目につかない壁や野原に向かってね。

世の中の喫煙の流れも同じ。
誰もが当たり前に行なっていた行為が、
マナーや健康の観点から無くなっていく。

それは文化の成熟であり、トイレの場合で言えば
他者(後から使う人、掃除する人)への
想像力の問題でもある。

さらに、これは異論もあるでしょうが、

「洋便座に立ちション」する中高年男性の姿は、
極端に偏った政党の「なんでも反対」的な行為が
白けて見られるようになったのと、似ている気もします。

「家父長的」「権威的」な文化の変化とも、重なって。

そんな、「世の中の流れ」ついでに言うと、

2_スリッパ病院:

私は、土足からスリッパに履き替えて入る病院が
好きではない。

それは、一昔前なら「清潔」とされていたことが、
かえって「不潔」ではないかと感じるからで…

・誰が履いたかもわからないスリッパを、
素手で掴んで身につける。
・二足一対のスリッパを重ねて整理するという習慣も、
かなり不思議です(実利より見た目か…)。

ところが最近、個人経営の歯医者さんや内科でも、
「靴のまま」が増えてきた感覚で、
スリッパの有無で、近代的な設備と考え方の
病院かどうかがわかる(気がする)。

最近、知り合いに「おすすめの歯医者」を聞いた時も、
私の質問は「そこ、スリッパで上がるとこ?土足?」
でした(笑)。

以上、最近気付いた、ちょっとした変化。

もちろん、私の好みや、
斜に構えた見方もあるでしょうけれど…。

確実に「世の中の意識と習慣の転換期」だと思うのです。

桜騒ぎが嫌いな理由。

本日は、世間がこれほど喜んでいる
「桜」と「桜見物」と「夜桜宴会」が、
どうにも好きになれない、という話です。

まあ、いつもの「考えの整理」と「独り言」です。

そんなことを、BlogやFacebook、
音声配信(stand.fm他)で話すより、もう少し
楽しくて建設的なことを語れよと自戒しつつ…。

まず、桜そのものを、
あまり綺麗だとは思わないのです。
あの、ぼやーっとした白〜ピンク色。

むしろ、梅の花のほうが断然好き。
白梅でも赤でも、輪郭がはっきりしていて風情がある。

これはもう、見た目というより、
完全に感覚論・感情論に入りますね。

私は、桜より梅。太陽より月が好み。

前向きで優等生的な「明るさ」が、
かなり苦手な、ひねた性格です(苦笑)。

加えて、桜に「もれなく」ついてくる、
あの「集団での混雑」や「宴会」への嫌悪感。

桜が咲いた道を、静かに歩くのは嫌ではないし、
きれいだな、と思う瞬間も確かにある。
でも、そこに
「人がぎっしり集まる」となると、話は別です。

さらに、マナーの悪さと、ゴミ。
近隣の住民からしたら、たまったものではありません。

昨晩は自宅で(もちろん一人で)飲みながら、
たまたまテレビのニュースで桜見物の様子を眺めて…

「ああ、みんな本当に桜が好きなんだなぁ」と、
しみじみ思いました。

で、「俺はやっぱり変なのかな」と。

その後、買い物に出るついでに、
近所の小さな公園に寄って、誰もいない中で
桜の樹をじーっと眺めてしまったくらいです。

そうして見ると、
桜って、明るさや華やかさより、
どこか「死」のイメージさえ感じますね。
夜桜だと、なおさらに。

そして、花見の宴会は、
・春とはいえ、まだ肌寒い日もある。
・花粉症も続いている。
・薄暗い公衆トイレには行きたくない。

・何より、ゴミが溢れて…。
用意された大きなゴミ箱や、段ボールに捨てるとしてもね。

さらに言うと、ブルーシート。
あれがどうにも美しくない!

花見の宴会では、景観条例と同じく、
「ブルーシート禁止令」を出してもいいくらい、と思います。

以上、私が「桜騒ぎ」を好まない理由。

読んで不快になった方がいたら、ごめんなさい。
勝手な気分分析でした。


そんなに責め立てなくてもさぁ。

「キンキン」と「ネチネチ」には、ほとほと あきれます。
そして、もう「お腹がいっぱい」で聞く気にならない。

… という話をしますね。

特にYouTubeや、ネットの書き込み、
そして「国会論戦」でも顕著だなぁと。

近々の私の投稿では、
例えば「下記のように」感想を述べました。

【侵略国家に備える防犯的国防】 2026/02/17 にて

(デモのプラカードや発声は)
・相変わらず、「反対」「絶対」「阻止」の「罵倒」が中心。
・もう少し意見の言いようがあると思うのですけど。
ユーモアと皮肉を込めたプラカードを作ってみるとか。

【選挙言葉のイメージと勝敗】 2026/02/09にて

(私の感想として)
・悪口連呼スタイルの「消費期限」が切れた。
・相手の揚げ足取りや罵倒は、聞いた人が
「溜飲を下げる」 どころか、嫌悪感と反発を生む。

ほんと、いつまでもいつまでも、
ワンパターンで言い続ける、攻め続けるのでしょうか。

「総理、総理、総理。総理に聞いているんですよ!※」
(うーむ、実務担当者の意見・回答を、
一度聞いてからになさってはどうでしょうか。)

※総理の「言質を引き出したい=記録に残したい」
との思惑はわかりますけど、行き過ぎると
「台湾有事発言」のような、要らぬ火種ともなって…。

子供への言葉の虐待や、職場のパワハラもそうですが、
冷静で客観的な やりとりが必要。

政策の議論であればなおさら、回答を引き出し、
画面を見ている人の共感を得るための「質問スタイル」や、
言葉が「ニュースやネットで切り取られた時」も
「伝わる工夫」が、なんでもっとないのかと。

今の一部のネット民や政治家は、
言葉が「凶器」か「嫌がらせ」か「何度言ってんだ」という
ワンパターンにしかなっていません。

まとめると、

■キンキン:
ヒステリックに「同じフレーズを繰り返し」
感情的に責め立てる質問(女性に多い傾向?)。

■ネチネチ:
一人が「100〜200文字程度」で簡潔に語っている
コメント欄で、何百字も書き込む「論客」の人。
セミナーの質問時間に延々「自論の演説」を
始めるのに似て(年配の男性に多い傾向?)。

反対表明や対案、そして論争は絶対に必要。
なんでも封じ込めたら、それこそ近隣の
「中国・北朝鮮・ロシア」と同じような
「独裁・専制国家」になってしまいます。

それでも、「もうその話法では、伝わらない」
とだけは、申し上げておきます。

(← 締めの言葉が、新聞の投稿欄のようで爺さんぽい!)

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Profile
◎川島 孝之(Kawashima Takayuki): 株式会社flowers 代表取締役・クリエイティブディレクター・コピーライター。

◎1957年3月生まれ。早稲田大学商学部(マーケティングゼミ)を5年で卒業後、1980年第一企画(現ADK)入社。6年の勤務ののち、制作会社11年を経て、1997年(株)リプル(RIPPLE Inc.)を表参道に設立。数人規模で運営。

◎2016年1月、表参道のオフィスから、西武新宿線 上石神井(練馬区)のホーム・オフィスに変更(総務経理のみを残してのフリーランス化)。
さらに2023年12月、中央線・丸ノ内線 荻窪(杉並区)に移転。
ブログのタイトル「表参道の小さな広告屋から」を、リプル川島の「小さな広告屋から」に改題。

☆2025年5月、妻(ジャーナリスト川島 蓉子)の急浙(2025年1月3日 63歳)に伴い、(株)リプルは妻の会社(株)flowersへ5月に統合。
ブログのタイトルも「小さな広告屋から@川島CD」に再変更。

◎CD(クリエイティブディレクター)&C(コピーライター)として、企業の魅力を整理整頓し、ブレーンのグラフィック&Webデザイナーと共に表現化しています。


【実績の一部】 カルビーじゃがりこ(パッケージ)、ビデオリサーチ(ロゴ・Webサイト・インナーツール)、日立化成(カタログ・インナーツール)、介護のらいふ(ブランドブック)、武蔵高等学校中学校(学校案内)、アルカダイアモンド(広告・販促物)オークラヤ住宅(広告・販促物)、翻訳専門校フェロー・アカデミー(学校案内)、アドビ(会社案内)等
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