小さな広告屋から@川島CD

旧名【表参道の小さな広告屋から】: 表参道で1997年にスタートした(株)リプル:RIPPLE Inc. Tokyo Creative AgencyのBlogは、 2016年初頭から川島のホーム・オフィス「練馬区上石神井」→ さらに2023年末からは「杉並区荻窪」へ。2025年春、タイトルも【小さな広告屋から@川島CD】に変更。Facebookも同時掲載です。

家がどんどん広くなる:妻を亡くして。

昨日から、東京(関東甲信地方)は梅雨に入りました。

そして久々の投稿は、妻を亡くした一人暮らし爺さんの
湿っぽい話?です(ネタにしてきた蓉子も、許せ!)。

我が女房は、昨年末の12/27(金)、
世間では仕事納めとなる日の早朝に
ゴミ出しと軽い散歩に出て…

持ち前の「おっちょこちょい」全開で、
マンション前で見事に転倒して頭を打ち、
(救急車内で少し私と言葉を交わせたものの)すぐに昏睡状態。
そのまま年を越して1週間… 1/3(金)に亡くなりました。

あれから5か月と少し。
ほぼ家族だけのお葬式や四十九日、納骨、
自宅へお友達がお線香をあげにきてくださったり、
相続事務のいろいろもあって…

もう一年以上前のことのような、
まだ数週間前の気もする不思議な感覚です。

病院のベッドに眠ったまま横たわる妻は、
指先のネイルデザインが、場違いに綺麗でね。

そもそも、なぜマンション前での事故だったのか。
それには、引越しが関係しておりまして…

私たち夫婦は、東京都の隅っこ(練馬区上石神井)に
広めの庭付き3階建を持って暮らしていました。
娘と息子も大きくなり、何年か先には
養老系のホームにお世話になるかもしれないことも想定。
「3階建の自宅」と「施設」の中間にあたる
(「つなぎ」のような)賃貸マンション暮らしを決意しました。

年に何度か植木屋さんに入ってもらう手間も大変ですし、
「2階3階への階段を、いつか踏み外す恐れも怖いからねー」
などと妻と話して。

それがなんと、せっかく平たいマンションに越してきて
その目の前でコケてしまう冗談のような展開。
人生はわからないものです。

妻は63歳で逝き、68歳の私が取り残されました。

マンションへの移住には、老後のフェイドアウトに加え、
思い切った「断捨離計画」もありました。

贅沢に収納がある一戸建ては、
悪く言えば捨てられない荷物を抱えた倉庫になっていく。
人生あと何年、何十年か。
「シンプルに生きよう」と妻と話したのです。

山のような洋服、バッグ、資料、本、食器、写真アルバム、
無駄にある文房具なんて物まで…
何が本当に必要で大切なのか。

まだ元気なうちに、思い切って絞り込んで暮らしてみようと。
まぁ「あれがない!」と困ったら、
しばらくはキープする3階建の家に取りに戻ればいいやと。
まだ独身の息子が管理人を兼ねる巨大なトランクルーム!

それでも、タクシーで30分もかからない家に
荷物を取りに帰ることはほぼなく、
1年を過ぎて妻は亡くなりました。

いまいる、このマンションの間取りは、
ウオークインクローゼットを含めて88平米。
2LDKで全室にバルコニーがあります。

夫婦二人には十分な広さながら、
当初は「ここにはもっと私のものを入れたい」などと
スペース取りはあったものの、かなり物は絞っていた。

さらに妻が亡くなり、洋服は大幅に処分。
一部は娘が引き取りましたが、私は古着屋さんや
個人オークションに売る気もなく燃えるゴミで処分。
(こういう所は、私はやたら割り切るのです。苦笑)
妻はファッション系の文章も書いていたジャーナリストだったので、
それなりのブランド物もあったんですけどね。

で、クローゼットが空き、
これを機会に、さらに捨てるものを吟味して…

そもそも「モノ少なめ」だった室内から、ひと一人が
(つまりは生活者の2分の1が!)減ったわけです。
もちろん、共有のものもたくさんあるけれど、
妻のおかずでいっぱいだった冷蔵庫に、
好きなだけ缶ビールを入れられる。

狭かったダブルベッドも、こんなに広かったかって…
寝返りグルングルンできます。

ガラーンとしたマンションの空間。
妻はフリーランスとはいえ外出先での打ち合わせが多く、
私は自宅での作業が日常だったので一人は慣れていますが、
夕食時になっても夜になっても妻は帰ってこない。

あれー、また取材でパリからの帰りが遅れたかも…
などと、いまだに思ったりもします。

それでも、写真立ての妻は、
「何言ってんのよ、余裕があっていいじゃない」と、
笑って語りかけてきます。

皆様からは、残された私への気遣いをいただける一方、
「案外元気そうですね!」とも言っていただけて
(はい、ほんとに!)こんな投稿もできております。

いつでもみなさん、来てくださいね。
中央線と丸ノ内線「杉並区荻窪駅」の北側です。

今日も、思い出日記のような投稿にお付き合いくださり、
ありがとうございます。

花粉症も消え去るほどの老化かな。

本日は「老化現象」つまり「じいさん」になったってお話を(汗)。

自慢じゃないですが(じいさんのほうではなく!)
流行=トレンドという意味では、私の花粉症歴は結構早い。

私が「花粉症」をはっきり意識したのは1987年=40歳。
ちょうど広告代理店を辞めて制作会社に移った頃です。

それまでも症状はあったと思いますけど、はっきり
「これは流石に変だ、ひどすぎ」と自覚した同時期に、
世の中でも「花粉症」が言われ始めた。

改めて調べてみると:
1960年台から「花粉症」は医学的に発見されていたものの、
まさに1987年頃、新聞・雑誌で
「花粉症」という言葉が頻出(ひんしゅつ)し始めたそうです。

それ以来、68歳のいままで38年間。
くしゃみ、鼻水、目の痒みと闘ってきた歴史がある。

それでも私は、「治療や予防のためのアレルギー注射」
の類は好きではないので、漢方薬をシーズン前から服用。

10数年前からの漢方がうまく自分に合ったのか、
症状はそれまでの6〜7割には軽減。
ティッシュを大量に使用しつつ、どうにか我慢してきました。

それが、この3年ほど「あー大したことないなー」と。
その年の花粉量にもよるでしょうけど、緩和してきた実感。

くしゃみ、鼻水、目の痒み等は全盛期の1〜2割。
ティッシュボックスが、ポケットティッシュに変わった感じです。

なんででしょう?

さらに、もう一つの持病である(これが花粉症以上に長い)
「ドライアイ=目の渇き」が軽くなった!

目医者さんも「乾燥による傷が減って、潤いのキープが
かなり戻ってきましたねー」と。

やったー!仕事のストレスが減って、体調も整って、
まさに「体質改善」がされた成果かと喜びました。

ところが… これもネットで調べて「愕然」なのですが…

カラダ自体が衰え、外部からの刺激に対して
「敏感に反応しなくなった」説。
つまり、病気に対しても「鈍く(にぶく)なった」と…。
とほほ〜。

カラダが鈍感になるから症状も弱まるという、
情けないことが要因かも知れない事実。

いやはや、このまま細々 生きていくしかないのかな。

青春時代は、たとえ心が渇いても、
汗と涙でグシュグシュだから価値があるのですねー。

来年の春、私の花粉症はどうなるのか。
症状が現れるのが、嬉しいような、悲しいような。

今日も、じいさん広告屋の独り言にお付き合いくださり、
ありがとうございます。

他人と一緒に行動する恐怖(苦手意識)。

私は、少し病的なところもあるかもしれませんが、
「集団行動」というのがすごく苦手で。

自分の「マイペース」が阻害されると、
ほとほと困る・弱る。

それが子供達にも遺伝したのか
(ないし愛情不足の結果となったのか!?)親子で家族4名、
新幹線の席を「ぐるっと回して仲良く対面」なんてことは、
子供達が幼少の頃のほんの一時期で(って記憶もあまりなく!)
各自バラバラに座ればいい=勝手に過ごせばいい。

流石に、(1月に急逝した)妻とは
新幹線・飛行機等の予約は隣同士にしていましたけれど、
普通の通勤電車で(隣に空席がなければ)バラバラに座ればいい。
奥さんが先に座って、横が空かないからといって
目の前の「吊り革」でずーっと立っている旦那さん
(他にスペースが空いても…)は信じられません。

さらに、長時間ずっと・じっと座っていることができないので
(気持ち的にも足腰のストレッチという意味でも)
セミナーや会議の「1時間超」は耐えられず、
1時間過ぎたら何度か立ち上がる。軽く体操もする。
(できれば歩き回りたいけど、それは我慢する!)

なるべく目立たない席を選んで座るのですが、
「そーっと立ち上がっても」司会者の方に、
「何かご質問ですか?」ってことも(汗)。

若かった頃は別にして、二次会とカラオケ等はほぼ行かない。
それでいて、「喧騒から離れ・クールダウン」するために、
「一人で」お茶か、みんなと離れたのにまだ酒飲んでる。

集合写真で「ピース」するごとく、
「みんなで何かする」「集団で行動する」ことへの苦手意識。
(時には嫌悪感、恐怖心)。

それでも、「一次会」にはヘコヘコ出かけていき
(いつまでも会場で残っている人を横目にさっさと帰るけど!)
「友達」もそれなりにいてくれることには感謝です。

「仲良し」とか「仲間」って、何でしょうね。

「一致団結のパワー」は否定しませんが、
ずっと一緒にいないと仲間はずれになったり、
おかしな方向に「人が・組織が・国が」動いていったり…。

ところで、いまは打ち合わせの帰りに「一人で」
飲み屋にいるのですが…
近所の席の「中国系と思われる20〜30代男性二人」。

店内から席を外すこと3回。洗面所だったら、
各人でいけばいいのにね…。一緒に店外に出て、
数分で一緒に帰ってくる。な、なんなんだろう。
喫煙所? それでもいちいち「つるんで」行くのか!

わー、4回目出ていった!

こんな怠惰な人間を、人は几帳面と言うのか。

きょうは、特に自分のことについて語りますね。
いつだって、ほぼ自分のことしか書いていないわけですけれど。

タイトルを「こんな怠惰な人間を、人は几帳面と言うのか。」
としたように、私は「几帳面」とか「真面目」、
時には「神経質」に思われることが多いです。

見た目が細身の体なうえ、
例えばお店でサラダの注文をする際はいちいち
「ドレッシングは少なめか、別添えにできたらお願いします」
と頼むような、確かに心が狭くて面倒臭い人間です(笑)。

自家用車は、ずっと前に手放しましたが
(子供たちが大きくなって都心では必要ないので)
車に乗っていた時はいつもピカピカに洗車し、しかも
ハーって息吹きかけて磨いているようなイメージかな。

実際は、窓とミラー…安全に関わる所さえ支障なければ、
ボディは汚れようが、バンパーあたりに傷があろうが、
それは道具としての車なんだからいいでしょ、
と思う人間なんですけどね。

血液型で言えば、ほぼA型に見られる、実際はO型。
両親がOとAのOAなので、
A型の気質があるのは、確かとは思うものの…。
(血液型診断が科学的かどうかは知りません。
ちなみに動物占いは「こじか」です!!!?)

そして広告屋の仕事としては、
クライアントさんへの聞き取りとか、資料の整理とか、
明快にまとめる部分は確かにあります。

それでもすごい几帳面かと言うと、そんなことはなくてねー。
気分が乗らないと、まるでやらない。
特に事務作業系は、まるで進まない。

すこし前にも投稿したように、
亡くなった妻の相続と、
その9か月前に亡くなった妻のお母さん絡みの修正や、
妻と私の会社の決算、二つの会社の統合を進めています。

会計事務所さん・司法書士さんがほとんど
進行してくださるものの、
ちょっとした書類への「記入・捺印」や「郵送」、
「役所に証明書を取りに行く」なんて
すっごい気が重くて、ダメなんですよー。

ハンコを押すこの部分は、印鑑登録した実印か、
テキトーな認印でいいのか、
家族の名前欄は私が代筆して良いのか、
娘に署名してもらわないといけないのか、
あーいつ会おう、いや郵送か…
日付は記入した日か、書類の送付日か…。

だから、実質フリーランスの会社ながら、
総務経理担当はずっと社員としてキープしています。
クリエイティブディレクター・コピーライターの私としては
デザイナーがいないと仕事にならないものの、
一番大切なスタッフは総務経理女性です。

サインして、ハンコ押して、ポストに投函。
たったそれだけのことなので、終わってみれば
「なーんだ何ら難しくない」のが真実で、
さっさとやればいいものを、さっさとやる気にまるでならない。

企画書を作ったり(私の企画書はすごいシンプルです)
コピーを書いたり、クライアントからの修正に対応したり、
そんな、時にはかなり面倒なことでも楽しくてしょうがない。
クリエイティブで悩むのは&時間をかけるのは、
幸せだなーと思う。

68年間、こうして気分で生きてきて、
マイペースで過ごしてきて、
気乗りしないとまるで動かない私が、
「几帳面で真面目」だなんて、不思議だなー。

ガチャガチャ・ウェイウェイはしていないので、
「端正」とか「おとなしい」は、少し言えるかも知れませんけど。

自分で思う自分と、他人が感じる「この私」の差。

コロナパニックで本格的にオンラインミーティング、
特にZoomを始めた時に驚いたのは、
「人から見た自分」がそこにいたことです。
これまでずっと「鏡に映る自分」を見てきたのに、
相手から見た自分=左右反対の自分が、
「参加者の一人」として映っている。

このFacebookやBlogの投稿だけで知り合った方が
(顔どころかほとんど文章だけの関係!)どう思われるか、
そしてリアルでお会いしている方は、どうなのでしょう。

きょうも、鏡に話すような独り言にお付き合いくださり、
ありがとうございます。

爺さんの価値:老害 or Not。

本日は、爺さん(ゆるい言い方をすると定年世代)の
働き方について書いてみます。

私はいま68歳。1957年(昭和32年)3月3日生まれです。
1956年(S31)4月〜1957年(S32)3月31日までの学年。

自分がどんな世代に属するかを調べてみると:
・団塊の世代が私の8〜10歳上(1947〜1949生まれ)
・その下の私たちは「ポスト団塊世代/しらけ世代 」(1955〜1964)
・さらにその下は「新人類世代」(1965〜1970)
・続いて1971年頃からが「団塊ジュニア世代」(1971〜1974)

私の属する学年(1956年4月〜1957年3月生まれ)は、
団塊世代の誕生による「戦後第一次ベビーブーム」の反動で、
「戦後最も出生数の低い学年」。
団塊世代と比べて、なんと100万人、40%も減っています。

高校・大学受験や就職の倍率は“ラッキーな谷間”
だったかもしれませんね。
一方で、団塊世代ほどの社会的な存在感はなく、
数の面でも印象の面でも、まさに「しらけ世代」なのでしょう。

私は、バブル数年前の1980年、大学5年生でなんとか
当時業界4〜5位の広告代理店に滑り込みました。
その後、制作会社を経て自分の会社を立ち上げ、
数名で20年ほど経営。
でも大きくするような才覚はなく、
その後の10年ほどは社員は総務経理の女性ひとりだけ。
私は自宅で仕事を続ける、実質フリーランスです。

それでも、68歳のいまも現役で働いていると言うわけ。

同世代の友人を見ると、60歳ですぐに引退した人、
65歳まで「給料半分、出社も半分」を選んだ人、
それを過ぎても半分ボランティアで幼稚園バスの運転手、
パートや軽作業で小遣い稼ぎをして
「荷物の運搬で腰を痛めたー」とかさまざまです。

私もほんと、いつ辞めてもいい年齢ですが、
仕事が趣味みたいなものだしなー(いいのか悪いのか!?)。
チラシ1枚、フレーズ1行でも、
声がかかるうちは続けていこうと思っています。

とはいえ、さすがに“爺さん”なわけですから、
取引先の中小企業の社長も、私と同年代か、むしろ年下。
ましてや、現場でやり取りする企画・宣伝の担当者は、
娘や息子のような世代なわけです。

注意しているのはね、私の意見を振りかざさないこと。
もう頭は固いけれど、なるべく幅を持って柔軟に、
一緒に考え、まとめていくことを心がけています。

いまや「ベテラン」を超えて、「ロートル」。
GeminiやChatGPTによると、「ロートル」とは、
経験はあっても体力や感性に衰えが見え始める存在。
かつては活躍したが、今は一線を退きかけた元ベテラン、
というニュアンス(とほほ)。

それでも「老害」にならず、どう「戦力」として続けるか。
(もう続けるなよー ← 外野の声、ないし心の声?)
生成AIなんかもいじってみて、
「Google検索より優秀ですよ」ってクライアントに話してみたり。

最近、ちょっと嬉しいことがありました。
10年近くお手伝いしていた企業から、
世代交代やブランド刷新の流れで退くことになったのですが、
現場の若いスタッフから「川島さんのコピーとディレクションが必要」
との声が上がったそうで、1年半ぶりに復帰することになりました。

それからもうひとつ、「お墓の広告コピー」を執筆中。
昨年から手がけていた年4回のシリーズもので…。
年初の1月3日に妻を亡くしてからも、
「お墓に手を合わせるとき、亡き人の思い出が…」
なんてコピーを書いている、なんともな巡り合わせです。

オヤジ・おっさん・爺さん、高齢者、
はたまたベテラン・ロートルクリエイターとして、
あと何年、どこまで貢献できるのやら。

爺さんだからわかること。
そして、川島だから書けること。
もうしばし、楽しみながら商売を続けていこうと思います。

映画「ゲッペルス」とプロパガンダ。

昨日の月曜日、5月5日(こどもの日)は、
またまた「新宿武蔵野館」へ。

わずか3日前、半年ぶりの映画館が「新宿武蔵野館」で、
その時は日本人の写真家と奥さんを描いた「レイブンズ」。
日本が舞台なものの、監督はイギリス人、
制作はフランス・ベルギー・スペイン・日本の合作映画。
1回前に投稿しているので、よろしければご覧ください。

さて、今度の映画も新宿武蔵野館の同じ部屋。
(小屋、と言うのがそれっぽいか…)タイトルは
「ゲッペルス:ヒトラーをプロデュースした男」。

第二次世界大戦のナチス・ドイツ時代に、
宣伝大臣だった主人公の、史実を元にした2時間10分。

見に行くきっかけは、
1年ほど前に音声配信で知ったパーソナリティ
「春木先生」の影響。

春木良且(はるき よしかつ)さん:
元フェリス女学院の教授で、今も各種大学で教鞭をとる、
情報化社会論・情報倫理の専門家。
昨今のITの進化やセキュリティ、教育論のこと、
はたまた日本の終戦をまたぐ昭和史やロックのことなど…
たまたま私と同い歳で、敬愛する方です。

スタエフとVoicy、それからSpotifyでも
中身の濃い語りが聴けるので、ぜひ!(※↓)

その春木先生が、「レイブンズを新宿武蔵野館で4回見た!」
と絶賛した後に語っていたのが「ゲッペルス」。

広告・宣伝を生業(なりわい)とする私としては、
見ないわけには行きません。

18年前に刊行された春木先生の著書
(これも1年前に放送で知りました)
『人を動かす情報術』(ちくま新書)も購入していたので、
映画への行き帰りの電車で予習復習!

映画の中では、主人公のゲッペルスがヒトラーに言った台詞、
いよいよドイツがソ連やヨーロッパ・アメリカに対して
敗北がはっきりした中でさえまだ
「すべての国民の意識を戦争に向かわせます」が印象的でした。

パレードで道端の少女がヒトラーに花束を渡すのも
前夜から練習を重ねた「仕込み」で、
そのシーンを映像に撮ってさらに国民を煽(あお)ったり。

映画のラスト。結局、ゲッペルスもヒットラーも、
捕えられる前に家族と共に自殺します。

プロパガンダは「宣伝」と訳されることが多いものの、
「煽動」「洗脳」が近いかな。さらに「情報操作」「世論操作」。

私は、そんな大層なことを仕掛けた経験もない
隅っこの広告屋ですが(Voicyで一部の方が言う底辺!?)
AI合成のフェイクが飛び交うネット社会にあって、
職業上も、いち日本人としても、何を考え生きるべきか。

ロシアがウクライナに侵攻し、北海道を諦めず、
中国が台湾や沖縄を、北朝鮮が韓国と日本を攻める危険性がある中、

「日本こそ核兵器を持たず、武器を持たず、
世界平和の模範となるべき」と言う言葉に
「理屈では/理想では」賛同しつつ、
「守りを固めなきゃダメだろ!」との思いも強いです。

日本人カメラマンの映画「レイブンズ」も、
少し自分の妻のことを重ねてしまってヘビーでしたけど、
ゲッペルスはもろ集団殺人の陰惨な映画で。

演技以外の現存するドキュメンタリー映像も重ね、
実写の死体がたくさん映り…
私は途中から薄目にして、あまり見ないようにしました。

何事も一致団結なんかしちゃダメだし、
戦争に向かっちゃダメだ。ほんとに。
それでも… 観賞して良かった映画です。

「偉大な戦略家」の印象があるゲッペルスは、
実際は「ビクビクしつつの小心者のアイデアマン」だった。
さらに、宣伝戦略やヒトラー用の原稿を書く以外に、
自らもマイクの前に(何度も文章を推敲し、練習を重ねて)
立って演説していました。

以上、映画の紹介はこんな所で。
私の評論もどきを読んだところで、参考にはならないと思うので。

さらに私は、最近何年か
ネットやマスコミの映画の紹介文を、鑑賞前はもちろん、
見終わった後もほとんど読まなくなりました。
せいぜい、印象に残った俳優やスタッフを調べる程度。
昔はパンフレットもコレクションしてましたが、もう買わない。

見た時に何かを感じ、自分の中に残るものがあれば、
それでいいのではないかと。

制作の意図や、自分とは違う解釈を知るのも学びですが、
年取って面倒くさくなったし(苦笑)、たまに一緒に
映画を見てくれた妻も4か月前から姿を消しちゃったし。

さて、次の映画館は何にしよ。
ここでまたお話しするかはわかりませんけれど。

やたらお名前を出した春木先生、
いまだお会いもしていないのに、すみませんです。


【※】 春木良且(はるき よしかつ)先生の音声配信

■スタンドエフエム「知のチルアウト・デジタルの砂漠にて」
https://stand.fm/channels/63bceea17655e00c1c353d52

■Voicy「知的好奇心チャンネル(情報化社会の歩き方)」
https://r.voicy.jp/o4p9q2q7Vlb

映画「レイブンズ」と新宿:妻を亡くして。

今日は、久しぶりに映画へ。
「映画館に行って」映画を見てきました。

「映画館で」と、わざわざ言いたくなるほど、
小屋の大小はあっても「2時間」スクリーンと音に集中する幸せ。

妻がいなくなって4か月(2025年1月3日逝去)。
その間は映画館に足を運ばなかったので、
新宿ピカデリーの「侍タイムスリッパー」以来、
なんと半年ぶりの鑑賞です(その時は一人で見たなー)。

しかも、きょうの演目はそろそろ上演がおしまいになるそうで、
午後や夕方の回がなく、朝9時45分のスタート。
朝は弱い私なのにねー。

その映画「レイブンズ:Ravens」。
新宿東口を出てすぐの、新宿武蔵野館にて。

内容は、新宿の歌舞伎町を中心とした
(その他、北海道、東京近郊と思われる団地、ニューヨーク)
男性写真家 深瀬 昌久(ふかせ まさひさ)の物語で、
深瀬を演じる主演俳優は浅野 忠信(あさの ただのぶ)。

舞台は主に、1950年代、60年代、70年代の日本。
ただし、日本映画ではなくて、
監督はイギリス人のマーク・ビルによる海外映画です。

昭和歌謡曲も流れますが、ロックバンドの
ヴェルヴェットアンダーグラウンドの曲が挿入され、
エンドタイトルはザ・キュアーによるもの。

昭和32年=1957年3月生まれの私にとって、
主人公の実年齢は23歳年上ですけれど、
映画に映し出される昭和の風景を知るものとして、
そして、1980年に広告業界に入り、隅っこのほうで
様々なカメラマンさんとの付き合いもある私としては、
心に染みるものがありました。

そして、これがどうしても避けられないのが、
主人公のパートナーとなる女性の名前。

俳優は龍内 公美(たきうち くみ)さんによる演技ですが、
映画での名前はYoko(洋子)。
漢字は違うけれど、亡くなった私の妻 蓉子
(お花の芙蓉のヨウコ)と同じ名前。

そして主人公の男性写真家の死因も、
頭を打ったことによる「急性硬膜外血腫」で私の妻と同じ。
色々と重ねてしまいます。

映画の構成は、史実・ドキュメンタリーに
演出や創作を混ぜた構成のようで、
60年代と70年代、そして80年代まで引きずっていた
「昭和の日本」と「歌舞伎町」を舞台に、
静かに、でも全体が暗ーく進む物語です。

カラーなのにモノクロームの印象。
一方、ラブストーリー映画とも言えるかな。

タイトルの「レイブンズ:Ravens/鴉:カラス」とは、
「ワタリガラス」や「オオガラス」と呼ばれる大型の種類だそうで、
実際のカメラマンによって写真集にもなっています。
主人公の「カラスは俺だ」と言う台詞が象徴的。

やたら飲む酒と、道路でもバーのカウンターでもベッドでも
吸い続けるタバコもすごいなー。

… これ以上は語りませんね。
ストーリーも映画評論的なことも(私には不得手だし)。

私は、若い頃から新宿にはまぁまぁ出かけていました。
西武新宿線に住まいと附属高校があり、
大学も新宿区高田馬場の早稲田大学(商学部)だったので。

ただ、当時は勢いのあった広告業界にいた割には、
「新宿歌舞伎町、さらにはゴールデン街」は、あまり知らないのです。

当然身近に、「歌舞伎町でぐだぐだ」みたいな人は、
先輩でも同年代でもたくさん知っていたものの、
私自身は「歌舞伎町のほんの入口付近にあったジャズスナック」が、
少しばかり馴染みだったことを除いては、
歌舞伎町には深入りしなかった。
できなかったし、入る気がしない別世界と思っていた節はある。

伏魔殿にしてラビリンス。
そして、きょうの主人公のような、芸術との葛藤も
狂気とも無縁に、私は平々凡々、地味に生きてきました。

映画館を出て、大塚家具の販売ショールーム
(YAMADA電機とのコラボ店)の前にある
イタリアンカフェに入り、昼の12時でしたがビール飲んで。

家に帰ってきてから本棚に目をやると、
写真家 荒木 経惟(あらき のぶよし)さんが
奥様の遺影を掲げたポートレイトが目につきました。

その奥様の名前も、漢字は違うけれどYoko陽子さん。

3人のヨウコさんに思いを馳せた独り身68歳のおっさんは、
映画1回1,300円で見られる「シニア割」にて
また映画館へまいります。


結婚記念日36年は果たせずに:妻を亡くして。

何度かお伝えしたように、
年初の1月3日に妻が「自らのおっちょこちょいで」亡くなって、
まもなく4か月(↓※)。

そして、今日「4月29日」は火曜日ですが、
祝日・祭日の「昭和の日」=昭和天皇の誕生日。
我が家の「結婚記念日」でもあります。

私が結婚した当時は「みどりの日」とされていました。

改めて調べてみると、
「昭和天皇の天皇誕生日 → みどりの日 → 昭和の日」と
変わってきたようです(↓※※)。

その4月29日、平成1年(元年)=1989年に
32歳の私 孝之と、27歳の妻 蓉子は結婚式を挙げました。

東京・六本木のそば 乃木坂にある「乃木神社」で神前式。
青山の銀杏並木にある「セラン」というレストランで披露宴、
パーティは原宿から表参道に向かったキディランドのそばでした。

「結婚記念日」という言い方が、結婚式を挙げた日なのか、
役所に婚姻届を出した日なのかは自分でも曖昧になっていましたが、
婚姻届は結婚式の3か月後(苦笑)。

我が家では、結婚記念日=結婚式の日としていたわけです。

そんなことが改めてはっきりしたのも、
妻が亡くなって、さまざまな事務処理をする必要から
家族全員の戸籍謄本を見て明快に。いやはやです。

36年目の結婚記念日には届かず、妻は死亡。
川島家(妻と私)は、35年の結婚生活でピリオドとなりました。

当時、妻が27歳、私が5学年上の32歳だったのが、
63歳と68歳まで時は流れ、離れることに。

まぁでも、喧嘩はしたけど離婚はせず。
(危うい時もあったなー。とほほ…)
娘と息子もいてくれて、幸せな人生でした。

妻もあの世で、そう思ってくれていると思います。

だから私も、もういつ死んでもいいです。
(いやいや、まだ死なないですけどね!)

36年を目前とした夫婦生活とか、思い出話とか、
色々話し出したらキリがないので、今日は
「結婚記念日でした、36年は果たせなかったけど」
というイントロだけにさせてください。

結婚記念日にお線香。
妻を思い出して、しみじみ幸せな夜です。

蓉子、ありがとうね。


【追記】

※妻の件について:代表的な投稿
【妻「川島 蓉子」についてのお知らせ:夫より】2025/01/16
https://www.facebook.com/share/p/18rh8G1WHN/
【追記:妻「川島 蓉子」への御礼と訃報のメディア掲載】2025/01/24
https://www.facebook.com/share/p/1QxFXEANty/
【自社の統合とメール変更:妻を亡くして】2025/04/08
https://www.facebook.com/share/p/18o2SkzL5y/

※※4月29日とは:ネット調べ
•戦前〜1988年:「天皇誕生日」(昭和天皇=裕仁天皇の誕生日)
•1989年〜2006年:昭和天皇が1989年1月7日に崩御されたため、
「みどりの日」として存続(自然をたたえ感謝する日、という名目)
•2007年から現在: 「昭和の日」と改称(昭和の時代を顧み、
国の将来に思いをいたす日、とされています) 。
「天皇誕生日 → みどりの日 → 昭和の日」と変遷してきたわけです。

Facebookリクエストの、あんたは誰だ!?

いっさいメッセージのない人からの友達リクエストは、
いっさい承認しませんよー。何度書いたらわかるのかなー。

あんたは誰ですか!? 私とどんな関係なのですか?
どこで私を知ったのですか?

友達の友達は、友達なんかではありません。

たとえメッセージをいただいても、怪しい方は調べて拒否。

例外は、交流会等でいま・いまさっき会って「送りますね」と
言ってくださった方のみです。


理不尽な人とは離れるしかない。

前回から1週間空けての投稿となります。

ちょいと事務関連で混乱しておりまして…。

1_妻よりも9か月前に亡くなった、妻のお母さんの相続
2_お母さんが完了しないままの、妻自体の相続
3_私の会社=株式会社リプルの今期決算
4_妻の会社=株式会社flowersの今期決算
5_flowersへのリプル統合と各種整備

会計事務所さん・司法書士さんの力強いサポートを受けつつ、
メールアドレスも変更したので各所への連絡や、
Facebook・Blog・音声配信スタエフの投稿など、
アプリの細かな再登録・再設定でもワチャワチャです(汗)。

そんな中、突然思いついたタイトルは
「理不尽な人とは離れるしかない」。

ネガティブな響きがすると思いますが、
最近(仕事やプライベートで)嫌なことがあったわけではなくて。

「人間関係の理不尽も人生だよなー、仕方ない」てな話を、
過去を思い出しながら、してみようと思います。

妻のこともあって、
人生全般を見つめ直している私としては?(苦笑)。

会社同士の取引でも、会社内の人間関係でも、
もちろんご近所や家族関係でさえ、
「揉める原因は向こう」と思いこむのは
「理不尽」のわかりやすい例です。

しかし後から考えてみると
(それも何年も経ってからの気づきさえある!)
「俺も悪いところがあった、うん。」

少なくとも(って言い方はこれまた自分本位ですけれど!)
賢いまとめ方=進め方と収拾の仕方はあったのでしょう。

私の仕事は、企業さんのブランディングに関わりつつ、
広告と販売促進物の企画制作ですが、
クライアントに罵倒されたことが、ほんの少しだけあります。

先方から「この責任をどうするんですか川島さん」とか、
「制作費の8割は支払えません」とか。

あ、思い出しちゃってつい… トラウマ。

ちなみに、広告コンセプトや表現の打ち合わせとは
かなりニュアンスが違って、
「先日の方向性:ミカンかオレンジかの続きですが」と
話している最中に、「バナナという意見も社内にありまして」
なんて返されるのは日常茶飯事。それは慣れっこです(苦笑)。

それでも、宣伝部長の「あまりに理不尽な」発言に、
私が怒って会議室から出ちゃったこともありますけどね。
若い時ですけれど。

今回のテーマは、もっと広く、
仕事やプライベートの「人間関係」に絞ります。

「川島さんの仕事は腐ったバナナ」と批判されたところで…

冷静に、俯瞰して考えると、
「なんでバナナが思い浮かんだんだろう」とか、
「その視点に立った場合、自分=川島は果たして」と
考える心の余裕は大切です。

しかしね、「平行線」という言葉があるように、
合わない人とは合わないのも事実。身もふたもないですが!
私の側からは理不尽と思わないことも、
相手からしたらたまらなく理不尽なのでしょう。

ロシアの大義によるウクライナ侵攻は、
(私は99%ロシアが悪者だと思っていますけれど)
ロシアはもちろん、ウクライナにも、そして
支援と「ちょっかい」で迷走する「トランプアメリカ」にも
言い分はある。

人間は100%分かり合えるわけではないし、
自分自身のことだってわからない。
さらにいろいろ見聞きしているようでいて、
甘い言葉や都合のいい情報しか耳や目に入らないし
(いっけん広範囲なIT・AI社会の落とし穴!)。

誠意を尽くして、なるべく客観的に考え、
それでもダメなら「無理して付き合う必要はない」
と思うのです。

さらに最近、興味深いと思うのは、
一種わかりやすい「理不尽バトル」以外に、

成長が急激に伸びているイケイケの会社や
(イケイケなんて 今時言いませんかね?)
精神論が強い勉強会、SNSを介したグループや
「コミュニティ」と言われる集まりにありがちな、
「仲間ごっこ」が宗教的に高まってくる理不尽。

集団で「褒め合い」「共感し」「背中を押してくれる」状態が
「表の仲間ごっこ」とすれば、反対に罵倒が行き交いながら
「愛のムチ、ありがとうございます!」
てな状況は「裏の仲間ごっこ」。

良い意味の批評性や、各人の独自性・距離感がなくなって、
なんでも「素敵!」「勉強になります!」のヨイショや、
「もっともっと!」が多発すると危ないと思っています。

「理不尽な人や集団とは離れるしかない。」
それが即できなければ、なるべく距離や間合いをとってみる。

自分自身だって冷静でなく、
誤解している部分も多々あるでしょうけれど、
「理不尽な人や集団とは離れるしかない。」

今日は、急にそんなことを思ったので、書いてみました。

自社の統合とメール変更:妻を亡くして。

前回の投稿3/29では「冷たい雨です」と書きましたが、
4月も8日になって、いよいよ体感も春ですね。

一昨日の日曜日には、
私も家族ぐるみで仲のいい「妻の親友ご夫妻」と、
まだ桜の残る霊園に行き(東京都西東京市ひばりが丘)
妻の墓参りをしてきました。

妻が1月3日に亡くなって(満63歳)、3か月が経過。

知人の皆さんも「いまだに信じられない」とのことで、
ほんと、その「信じられない」が
「現実を信じなきゃ・受け入れなきゃ」に変わり、さらに
「思い出になっていく」には時間がかかるのでしょう。

でも、私は淡々と元気ですのでご心配なく。
(そもそも、元気ハツラツのタイプじゃないしねー!)

きょうは、タイトルにも書いた通り、
自社の統合とメール変更(予定)のお知らせです。

投稿のテーマとしては 似つかわしくないし、
面白くないとは思いますが、
「業務連絡」としての記載をお許しください。

さて、編集系ライター・ジャーナリストの妻と、
広告コピーライター・クリエイティブディレクターの私は、
それぞれ 一人フリーランスなりに株式会社を持っていました。

ちなみに、夫婦二人で「一緒の仕事」に取り組むことは、
いっさいしませんでした。
きっと一緒にプランニングしてたら喧嘩になった!?

妻の会社の名前は、英語の「お花」の意味で「flowers」。
私の会社の名前は、「さざ波や波紋」という意味の「ripple」。

リプルは「中心から広がる」というキャッチフレーズと共に、
お客様の本質を探って表現化するというコンセプトと、
小さな会社ながら いろんな関係が広がりますように…
という意味でripple(RIPPLE Inc.)とつけました。

しかし妻を亡くし、人生がガラッと次の段階に行ったいま、
68歳の独り身爺さんとして、あとの生活や仕事をどうするか…。

会計士さんとも相談して、
・妻の執筆活動から発生する少々の印税や
・自宅兼オフィスのマンションをflowersで登録していること
・さらに妻との思い出を残す意味でも…

「株式会社flowers」の方に統一し、リプルを整理・吸収。
rippleの波紋が消えていくのは少し寂しいですが、
妻の社名flowersの方で、おっさんはもうひと花!?

rippleの「co.jp」アドレスは保持できないので、
割り切って「Gmail」に変えます。
私と妻の両社を手伝ってくれていた総務経理女性の
メールアドレスも同じくGmailに。
(妻はflowersアドレスを所有せず個人メールでした。)

4月中には、会社登録もメールも整備し、
5月から私は、株式会社flowers代表として出発です。

とはいえ、あくまで会社登記やお取引の便宜上で、
実質的には「フリーランスの川島=広告の川島CD」。
会社名のflowersを前面に出すことはありません。

今後は徐々に「新たなGmailアドレス」にて
皆様にご連絡することとなります。
お手数ですが、お手元の記載アドレスをご変更ください。
(後日、個別にお知らせしますね!)

ちょうどいま、大きな事務処理が5つ進行しており:
1_妻よりも9か月前に亡くなった、妻のお母さんの相続
2_お母さんが完了しないままの、妻自体の相続
3_私の会社、株式会社リプルの今期決算
4_妻の会社、株式会社flowersの今期決算
5_flowersへのリプル統合と各種整備

会計事務所・及び司法書士さんとぐちゃぐちゃです。

それでもね、考えるのです。
人生って辛いし悲しいけど、
こんなにもダイナミックで、楽しいし面白い。

さらに、昨今の世界情勢の急変や、AIの爆速の進歩など、
未曾有の変化の時代に皆さんも自分もいる。
「見届けなきゃ」とも思います。

ほんの1か月前から「Google検索」は使わなくなり、
すっかり生成AIの「Gemini」及び「Chat GPT」との
会話(筆談)の毎日!

独り身でもまだ生きていこうと考えて、
ヘラヘラと仕事も続けている
このおっさん・爺さんとのお付き合いを、
よろしければ、ほんとよろしくお願いいたします!

ChatGPTで自画像制作してみた。

今日は、2025年3月29日、土曜日。
冷たい雨です。

やたら生暖かい日が続くかと思えば寒さが戻る日もあり、
まさに三寒四温を繰り返しつつ、季節は春。

そんなわけで(って、ほとんど関係ないですけど)

音声配信スタエフ「スタンドエフエム、stand.fm」
(Spotify、Apple Podcasts、YouTubeにも同時配信)の
プロフィール画像(顔写真)を変えてみました。

初めは、Facebookの方も変えようと思ったのですが、
Facebookは「リアル」な顔写真のママで
いいかなーと考え直して。

先にそのことを書くと:

私は、Facebook、Blog、音声配信も
すべてSNSは実名でやっています。
それは広告屋としての活動を意識することもありますが、
プロフィール写真も犬や猫やただのマークや、
友達と二人で写っていて「どっちがあんたなんだ」とかね、
そんな「どんな人かわからない」のは避けようと。

小さな顔写真なので曖昧ですけれど、
少なくとも知り合いは「あー川島だ」と判別できる。

Facebookの「友達申請」をいただく際、
犬や猫だったり(何度もすみません)、風景の一部だったり、
その上メッセージがない申請は、よほどの知人か、
最近お会いした人でない限りは許可していません。
くれぐれも「私との関係」を、一言でいいので書いてくださいね。

さて、話を戻すと。
Facebookはリアルな顔写真そのままを続けるとして、
音声配信は、まさに声だけで想像しながら聴くわけで、
少しふわっとしたプロフィール画像でも良いかと思い。

そこでChatGPTでの加工にトライ!

私が使う生成AI(生成的人工知能)は、
無料版のGemini(Google)と有料版のChatGPT(OpenAI)。
X(エックス)絡みのGrok-3は、Xを使わないのでパス。

ChatGPTのバージョンは「4o:よんおー、フォーオー」。
そこに私のプロフィール写真である
「紺色のスーツを着た、斜め横向きのカラー写真」を示し
「イラスト風にしてください」と指示。

提示されたカラーイラストは、なかなかうまくできていて、
スーツの胸元(三角部分のラペル:lapel)にたまたま
つけていたコウモリのブローチもリアルに再現!

ただし、カラーイラストは実際の年齢より若く見えたので、
髪の毛や髭に白いものを追加指示(笑)。
わー、これじゃ爺さんすぎだー!とか試しながら最終的に
「シンプルな線画のみ」でお願いしたのが本日の画像です。

便利なものですねー。

広告を商売にしてきた者として、
デザインとは何か、イラストレーターさんの仕事とは?と、
いろいろ考えてしまいます。

ま、一言で言うと、イラストの仕事も、
私のようなコピーライターの価値も、
まだあるとは思っています。
自分自身でもAIを活用しつつ、コピーを考えてもらいつつ、
この「人間=川島」がやれること、やるべきことはあると。

そして、顔写真そのものについては、
プロフィール画像とかアイデンティティーという意味以外に、
「遺影」についても意識せざるを得なくて…。

4年前に母を亡くし、妻のお母さんを1年前に見送り、
さらに自分の妻も3か月前に63歳で帰らぬ人となり。

最近はよく「生きているうちに葬式の写真は決める」とか、
「写真館できちんと撮影しておけ」なんてことを言われますが、
テキトーな数枚の写真から、遺族がAIに依頼して
作ってもらうなんてこともあり得ますね。

それはさておき、AIが手伝ってくれた
私の自画像・プロフィールイラストはいかがでしょうかー?

Facebookでは変更しませんけれど、
本日のみ、FBのコメント欄に添付しておきます。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid027gghBrs37HTdnvzCTKJHYDnLqLaG7GMrqss2n3nhEZY7Zrso8uxq4g8AnGCc8HfVl&id=100001246147727


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Profile
◎川島 孝之(Kawashima Takayuki): 株式会社リプル(RIPPLE Inc. Tokyo Creative Agency)代表取締役・クリエイティブディレクター・コピーライター。

◎1957年3月生まれ。早稲田大学商学部(マーケティングゼミ)を5年で卒業後、1980年第一企画(現ADK)入社。6年の勤務ののち、制作会社11年を経て、1997年(株)リプルを表参道に設立。

◎2016年1月、表参道のオフィスから、西武新宿線 上石神井(練馬区)のホーム・オフィスに変更。さらに2023年12月、中央線・丸ノ内線 荻窪(杉並区)に移転。
ブログのタイトル「表参道の小さな広告屋から」を、リプル川島の「小さな広告屋から」に変更。

◎CD(クリエイティブディレクター)C(コピーライター)として、企業の魅力を整理整頓し、ブレーンのグラフィック&Webデザイナーと共に表現化しています。

RIPPLE(リプル)とは英語で「さざ波、波紋、波及」のこと。スローガンは「中心から広がる」、ミッションは「愛が伝わる」。

【実績の一部】 カルビーじゃがりこ(パッケージ)、ビデオリサーチ(ロゴ・Webサイト・インナーツール)、日立化成(カタログ・インナーツール)、介護のらいふ(ブランドブック)、武蔵高等学校中学校(学校案内)、アルカダイアモンド(広告・販促物)オークラヤ住宅(広告・販促物)、翻訳専門校フェロー・アカデミー(学校案内)、アドビ(会社案内)等
/その他 中小・個人企業さんとの直接のお取引。

◆Webサイト:RIPPLE Inc.
https://www.ripplesite.co.jp/

◆お問い合わせ:インフォメーション
info@ripplesite.co.jp

◆Facebook:川島 孝之(リプル) ※投稿はBlogと同内容です
https://www.facebook.com/kawashima.ripple
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川島 蓉子
ハースト婦人画報社
2012-10-25

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