「テリーさん」が、とても共感する記事を書いているので、
リンクさせてもらいます。
内容は:
・“最近、人混みが歩きにくい!!”と、思いませんか?
・このところ、人と接触する場面が頻発しています。
・“人混み”には“人混み”のルールというか流れがあって、
それに則ってお互いに気持ちよく歩きたいものですが、
それが最近どうもおかしいような気がします。etc.
ブログ「新・アコースティックギター生涯の1本」より
◆どうも最近、人混みが歩きにくいのですが、、2010/03/27
このへんのこと、私もたくさん書いています。
たたんだ傘を地面と平行に持ちながら歩いている人。
エスカレーターを降りきった所で携帯電話を見て立ち止まる人。
肩掛けかばん、手提げかばん、リュックが
車内でどれだけ人に当たっているかまるで無頓着な人。
混雑する通路でキャリーバックを「長い取っ手」のまま
引いている人。
煙草を持つ手を振りながら、いまどきまだ路上を歩いている人。
携帯電話の操作音をオフにせず…
あー、いっぱい! 例えば:
◆傘の持ち方も知らないのか!2008/05/20
※ここから他の「マナーもの」記事(一部)をご覧いただけます。
「テリーさん」の記事で「なるほど」と思ったのは、
もう、マナー以前に、そういう行動を「おかしい」と理解し、
実践しないようにする“身体能力”(← 言葉は川島)が
ないのかもしれないという指摘。
「状況判断の欠如=想像力の欠如」に加えて、
身体が反応しなくなっている。
センサーがにぶいということですね。
「自分の世界」の「外」の急変に対応できない。
そういう人達が乗る「自転車」は、こわいですよー。
横断歩道の中につっこんでくる(信号しか目に入らなくて
猛スピード!)
クルマの流れを見ずに道路をすーっと斜めに横切る。
「マナーの、社会人の、常識が、ほんと危なくなっています。」
と書いたことがあるけれど、
“常識以前” の生物的退化かもしれません。
「教えない、しからない」風潮も、それに輪をかけている。
「そんなもんですかねー」と感覚は違っても
理性的なコメントをくれる人がいて。
健全な読者に感謝です。
「自分の世界」の「外」に対して
感じる・考えることを放棄した人が多くなった、と
私は思っています。