1週間ほど前に、「外国ドラマの日本語吹き替え」
について書きました。
◆「吹き替えの違和感は…。」2009/10/24
「なんであんなに独特な奇妙さがあるのだろう」と。
ディラン&キャサリン(おわらいコンビ)が、ギャグのネタに
するくらいだから、みんなが思っていることでしょうね。
「ssayさん」が、力作の関連記事(二夜連続!)を
書いてくださいました。
◆「吹き替えの違和感が…。」2009/10/26
◆「外国ドラマの日本語吹き替え。」2009/10/27
内容は:
「ぼくも、思いっきり『へん』だと感じている」
「でも、オリジナルもいいという前提で、全くの『別物』として
楽しめてしまうケースもある。」
「声優:野沢那智、山田康夫、小池朝雄、若山弦蔵、
小山力也 etc. それぞれの代表作で言えば…。」
「刑事コロンボのピーター・フォークは、小池朝雄としか
言えないはまり方。でも、後任の石田太郎もいい。」 etc.
ssayさん、詳しいですねー。
そう、慣れもあれば、吹き替え版しか知らない当時の
日本人にとって刑事コロンボは初めから小池朝雄。
(のちに聞くチャンスがある)ピーター・フォークのほうこそ
へんですね!
私は、「吹き替えをやめろ!」と言ってるわけではなく、
吹き替えと声優さんは立派な文化。
老若男女が誰でも楽しめ、名声優による深さもある。
新聞記事で最近、外国映画を
“はなから吹き替え版の上映で見に行く”人が、
子供だけでなく若者にも増えているというのを読みました。
「字幕でないほうが楽でいい。物語に集中できる。」
う、うーむ、これについては、私はまさに違和感があるけど…。
海外ドラマの日本語吹き替えは、
大げさなオリジナルの演技(映画よりテレビで顕著?)を、
さらに吹き替え(声優)が増幅して独特の料理となる。
あ、本場のカレーと日本のカレーが別物みたいなものか?
海外の日本料理の「へん」さ!
… うーん、論点がねじ曲がってきたか!?
とにかく(と、無理してまとめる)汗
「そこまで行けば、りっぱなもの。」という
素晴らしい吹き替えもたくさんあるけれど、
「なんでこうまでへんなんだろう」と、つい考えてしまう
海外吹き替えドラマです。
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【べんきょうENGLISH】 ※本文とは関係ない場合があります
Habit is a second nature .
習慣は第二の天性。
「ステレオタイプにパターン化された、個性のない声」
それが、つまらなさ、平坦な奇妙さに
なるのかもしれませんね。
(だからこそ、ギャグの対象にも。)
時間も制作予算もない中での、流れ作業。
ブログにあげた「名 吹き替え声優」の方だけでなく、
日々のテレビの声優さんも、本当はもっと出来るのに
不完全燃焼・からまわりが現実のような気がします。