お盆休みで、数日ため込んでいた新聞を見て
息をのみました。
普段は目が行かないような所に、なぜか目が止まり…。

◆朝日新聞、及びasahi.comより:
「出竹 薫さん(でたけ・かおる=アサツーディ・ケイ
執行役員)が11日、上顎(じょうがく)がんで死去、
53歳。通夜は15日午後6時、葬儀は
16日午前10時から川崎市高津区下作延1872の
かわさき北部斎苑で。喪主は妻佳子さん。」

知人の死亡記事でした。

私は、ブログの「プロフィール」欄では明らかにして
きませんでしたが、新卒で入った会社が
広告代理店の「第一企画」という所でした。
(第一企画は、その後 旭通信社と合併して
「ADK:アサツーディ・ケイ」に。私はADKになる前に退社し、
制作プロダクションを経て、自分の会社を作りました。)

その、一企“いちき”でお世話になったのが、
私の2〜3年先輩の出竹さん(営業部門)。
制作採用として入った私でしたが、入社から2年ほどは
「制作関連事務」例えば、プレゼンテーションパネルの
手伝いや、各種コンテストの出品書類書き、
モデルオーディションのお手伝い、ビデオやフィルムの
オペレーション作業等をやらされ、
なかなか「現場」に行けず腐っていました。

出竹さんは、直接私と仕事をするようなことは
なかったにも関わらず、新人の私を覚えていてくれて、
ちょっとした声をかけてくれました。

いまでも覚えているのは、私が制作事務で残業し、
用事があって営業の階に降りていくと、
すでにがらんとした細長いフロアに、
一人だけ出竹さんがいらして…
「おう、川島!元気にやってるか」。

その時のフロアーの空気、
「おう、川島!」という出竹さんの声、笑顔、
「お前もそろそろ現場配属だなぁ、どのチームに
入りたいんだ」みたいな話を、なぜか明確に覚えています。
もう25年近く前。その一瞬のシーン。

涙が出てきます。

私は、自分の社員やかつての後輩たちに
勇気を与えるような一言が言えてきただろうか。

出竹さんは、デジタル技術への感心も早く、
制作部門より早く「Macクラシック」を自分の会社の
机に置いていたくらいで、営業部門だけでなく
インターネット(インタラクティブ)の部署でも
一企〜ADKで重要な役割をはたしてこられました。

私は7年で一企をやめ、その後
出竹さんとゆっくりお話したのは、2度もないくらい。

そろそろお会いしたいなぁ、と頭をよぎっていた矢先。
ご病気のことも、まったく知りませんでした。

まだ53歳。あまりに早すぎる死。
ご冥福をお祈りいたします。

------------------

【べんきょうENGLISH】 ※本文とは関係ない場合があります

May his soul rest in Heaven .

天国で安らかでありますように。